4.招集会

 いくつものシャンデリアを吊り下げた高い天球に通り過ぎる大人達の煌びやかなタキシードやドレスが目についた。山奥の何もない場所でのんびりと生活している団員たちは、豪華絢爛な会場にただひたすら呆然とするばかりだった。

「俺ら、ちっとばかし場違いだな……」

 辺りを見回し圧倒されたディルがいつになく静かな声で呟いた。

 エウリピ楽団はアリスファクツ首都にある迎賓館にやって来ていた。今日ここで軍の召集会が行われる。マリーヤの申し立てでメド、ルサルカ、シェリ、ディル、エケベリア、そして回復したスプラウトが代表として参加している。会は件のエウリピ楽団襲撃事件を考慮し、ごく一部の要人の出席のみで行われることになっていた。

 団員たちはいつものパレード衣装の帽子を外した装いに来賓の金の腕章を付けて、物怖じしながらダンスホールの隅に固まっていた。気楽な顔をしているのはシェリ一人だ。初めてパレード衣装に身を包んだことに興奮気味になって、辺りをくるくると踊っていた。

「いいねいいねぇ! お揃いだね」

「お前はぶれなくて良いよなぁ」

 いつもの覇気を忘れたディルがげっそりした顔でシェリを見つめる。

「同感。昨日も遅くまで整備作業をしていたのに……よく元気だよね」

 ルサルカがダンスホールの中央を眺めながらディルに同調する。視線の先には彼らの成果である機械人形が布を被せられた状態で鎮座していた。

「間に合ったのが奇跡です。本当に」

「そう? 私はなんとかなるって信じていたよ!」

「信じられていたのはシェリ、君だけだと思うけど……」

 メドはここに至るまでの短期間の色濃い道のりに思いを馳せた。

 鉱山での出来事の翌日、スプラウトを除いたメンバーはメドの部屋に集まり、マリーヤから受けた召集会での必須事項について洗い出しを行なっていた。

 襲撃者の情報、楽団が受けた被害。楽団の保護を願う申し立て。そして、そのために楽団が国にとって有益であることを伝える、目に見えたタンバン研究の成果。

 そのためにマリーヤはメドが生み出せる機械人形を引き合いに出そうとしている。

「団長。本当にまたあれを作るんですか?」

「? そのつもりだけど」

「先生の言いつけはよく理解しているつもりです。その上で疑問が少し……あれって要するにですよね?」

 エケベリアは慎重になって眉をひそめる。全員の脳裏に浮かぶのはメドが操る機械人形と黒鳥カーチャが戦う姿だ。ただの人間からすれば、その二つに大きな差はない。

「仲間を殺したものと同じものを作れって言われてるような気がして……少し気が引けるんですよ」

「エーチェ、先生を疑うようなこと言わないで」

「それは……それはもちろんルカ先輩が正しいんですけれど……」

「だったら、」

「ルカ、落ち着けよ。恐らくだけど、楽団の保護を国にメリットがあるように仕立てたいんじゃないかな」

「国に武器を作って売ることがメリットになるのか?」

 落ち着きない様子のディルがメドに問いかける。

「マリーヤ先生は元よりタンバンの技術の認可が欲しがっていた。研究所の後ろ盾が欲しいのは……言うまでもないって言うのは分かる。けど……」

 最大限マリーヤに寄り添って物事を考えてみる。だがその全てをメドたちで理解するためには、あまりに知識が足りていなかった。何も知らずに生き長らえていたことを思わぬ形で痛感させられた。

 不安に駆られる仲間たちを前にメドは拳を握る。ベッドの上で前のめりになって座り直した。

「……みんなが心配なんだったら、僕が一人でその役割を担うよ。どのみち作れるのは僕だけだし。シェリには、知識を借りなくちゃいけないと思うけど」

「もちろん、私はメド君に協力するよ」

 一足先に心を決めたメドを前に三人は顔を見合わせる。

「……当たり前でしょ。私も、やるんだから」

 ルサルカが立ち上がって言った言葉はやはり震えている。自分の腕をもう片方の腕で抱きしめる、彼女の迷いは明らかだった。マリーヤを信じたい心の奥で、仲間を殺したものとほとんど同じ存在を自分たちで作り出すことに強い抵抗を感じていた。

「そうだな。それじゃあ」

 シェリは目を細める。自分の顎を触りながら、ルサルカの顔を覗き込んだ。

「作ろうか。みんなが揺らがずにいられる証明を」

 首を傾げる四人をよそにシェリは自信満々にほくそ笑む。 

 シェリはすぐさま病院に交渉してメドの採血を行った。そして先日鉱山から持ち込んだタンバンを砕き、借りてきた試験管に一粒ずつ入れる。そこへメドの血液を流し入れた。

「なに、してるの……」

 ルサルカは信じられないものを見る目つきでシェリの危うい行動を見つめていた。

「媒介装置だよ。こうやって原生のタンバンに人間の血液を覚えさせる。そうすることで体の外にメド君の遺伝子を持ち出せるようになる。これがあれば誰でもその遺伝子情報でタンバンを扱えるってわけ」

 試験管の中で期待が膨らみ、ぱちぱちと音を立てる。煙が湧き上がった瞬間、シェリはバットの上に中身を落とした。石は血液を綺麗に吸い取って、すっかり乾いている。

「こうすることで君たちはメド君の力を分け与えられた。一緒にあの半人半馬の開発をする証ってわけさ。もう逃れられない。一蓮托生で、自分たちが信じるタンバンの存在を肯定し続けるしかない」

 シェリはタンバンを布で拭い中の色を確かめている。色の濃さが薄れ、淡く輝き始める。メドの遺伝子を取り込んだサインだった。

「心が決まったら取りに来てよ。何日でも待つから。その間の準備は、私とメド君で進めておく。それでいいかい?」

 首をすくめてまだ言葉を発していない三人に問いかける。その中から真っ先に前に出たのはディルだった。

「……不安がねえわけじゃねえ。でも、メドだっけにやらせるのは間違ってる。俺はそいつでメド一人になんでも任せなくて済むなら、嬢ちゃんが作ったものをありがたく受け取るよ」

「……ディル」

「嬢ちゃんっつー船が鉄の船だろうと泥舟だろうと、乗るって決めたのは俺たちだ。ただでさえひでえ状況なわけだが……今は、自分たちの選択と先生を信じるしかない。違うか?」

 ディルに説得され、ルサルカは押し黙る。決めたのは自分。そう自分の中に言い聞かせていた。シェリはディルの決意が硬いのを確認すると、ディルの手のひらに乗せる。

「はい、どうぞ。チェーンを通して首から下げておけば、盗まれる心配もないよ」

「よし……メド、お前のタンバン借りるぜ!」

 タンバンを握った拳をメドに突き出す。頼もしい男だと思った。この現状を彼抜きでは切り抜けられなかったと、その存在を心の底から大切に思った。

「ああ、頼んだ」

 ディルの拳に自分の拳をぶつける。二人のやりとりを見守っていたエケベリアは意を決してシェリの元に行き、手のひらを彼女に向けた。

「私も貰います。先輩の分も、私にください」

「……ああ、分かった」

 シェリは二つの媒介装置をエケベリアに渡した。エケベエリアは貰い受けたそれをルサルカの元へ持っていく。

「先輩。これで私も共犯です。私はシェリさんを信じることにしました。だから、一緒に乗り越えましょう」

 エケベリアのまっすぐな視線を感じて、ルサルカはメドの顔を見た。やがて静かに頷くと、エケベリアからそれを受け取った。

「君の慎重さは君の長所だよ。これからも私を含めて、害になりうるものを疑っていくべきだ」

「……シェリ」

「さ! メド君の役割が減ったことで他のみんなの仕事が増えたわけだ! これから綿密な設計を作るから、みんなはそれに基づいてタンバンを具現化する。メド君には設計の主体となってもらう……ってことで良いかな? 『団長』?」

 シェリはメドの顔を覗き込んで最後に確認を取ってくる。メドは計画をシェリに一任することに決めた。彼女を仲間と認めた故の采配だった。

「ああ、任せるよ」

 メドの言葉を聞いてシェリは両手の拳を握り締め、それを天井に突き上げた。足踏みをするシェリの耳元で耳飾りが揺れた。楽しさか喜びを隠しきれない彼女の体に乗って、踊るように揺さぶられている。


***


 それから怒涛の日々が過ぎていった。メドのイメージする半人半馬を紙に書き起こし、パーツごとに分担を決めた。図案と記述で仕組みを詳細に書き込んだものをルサルカたちに配り、それぞれ造形を担当する。漠然としたイメージを具体化するにあたって、必要なパーツは膨大な数となった。いつの間にか内部の操作盤や起動システムに準ずるパーツが必要となっていき、メドは頭を抱えた。メドの仕事を思ってか、楽団の子供達の間では街に配るキャンディーの新作を都度差し入れてくれた。

「これ、美味いな!」

「ちょっと、食べ過ぎなんじゃないんですか?」

 頬張って全部を食べ尽くしそうなディルをエケベリアが諌める。

「でも評判がすごく良いみたい。街以外にも流通させる話もでてるみたい」

「マジかよ! 先生も商魂逞しいぜ」

「事件のことが落ち着くまでは演奏会もパレードも開けないからな。僕たちの貴重な収入源だよ」

 ここにいる仲間以外にも、楽団のために身を尽くしてくれる仲間がいる。彼らのためにも、メドたちはこの二週間を懸命に過ごした。

 ようやく全てが完成したのが昨晩。楽団は疲労困憊のままに今日を迎えた。

「シェリ、くれぐれも余計なことはしないように。なるべくミスもしないこと。私たちの事情とタンバンの技術のことだけを正確に伝えて」

「うん! 任せてくれよ」

 シェリは胸を張った所に手を置いた。溢れんばかりの自信の先には、それ相応の確証たる技術がある。認めざるを得ないルサルカはシェリを信じて頷き返す。が、彼女の衣服の異変に気付いてすぐさま手を伸ばした。

「ちょっと、ボタンかけ違えてる」

「おっと……あはは、すまないね」

 慣れた手つきでボタンを正しく並べるルサルカを見て、シェリは無性に嬉しさが込み上げてきた。

「なるほど、これが母と呼ばれる所以か……」

「変なこと考えなくて良いから。せいぜい、ミスはしないでね?」

「う……はい」

 襟ぐいをきつく持ち上げながらルサルカは念を押すように何度も言い聞かせた。折り合いの悪い二人だったが、缶詰になった二週間で随分会話をするようになっていた。いつルサルカが爆発するんじゃないかと、内心ハラハラしていたメドもようやく二人を安心して見守れるようになった。

 その傍らぼんやりと周囲を眺めているスプラウトが目に留まった。自分よりずっと背の低い彼の肩をとんと叩く。

「スプラウト、身体は平気か?」

「うん団長。もう何も」

 容体が落ち着き、退院を果たした彼がメドたちに合流したのはつい五日ほど前のことであった。体外に放出されたタンバンは完全に硬質化し、皮膚のあちこちから顔を出している。特に傷の深かった首と肩周りは今もガーゼと包帯に包まれている。襟口からそれが僅かに見えていた。

「無理はしないでくれよ」

「心配しすぎだよ。マリーヤ先生は偉大だから、僕はもう問題ない」

「……そうか。でも、なんでわざわざ志願したんだ? 本当ならもう少し入院だろ」

「……ディルと同じだよ。僕はガード班の二人に報いたい」

 スプラウトが目を覚ます前に、ロゼとセージの葬儀は終わってしまっていた。目が覚めたら全てが失われていた上に、そこから再出発する楽団にも置いて行かれた。スプラウトの中に焦りがあった。

「僕は、お前が帰ってきてくれただけで嬉しい。だから、本当に無理はしないで欲しいんだ」

「……分かってるよ。団長。だけど今は僕よりも、みんなが落ち着いていないのをなんとかした方がいいよ」

「ああ、それは言えてるな……」

 スプラウトの言葉に頷く。シェリ以外はみんな、この会場の雰囲気に飲まれそうになっている。メドは浮き足立つ仲間達を呼びつけた。

「この後の段取り、確認しておこう。聴衆に向けた先の事件概要の説明とタンバン技術開発の解説はシェリとスプラウト。スプラウトはシェリが突っ走って脱線しないようにストッパー役を頼むよ」

「うん。分かった」

「え~? そんなに脱線したりしないよ?」

 けろっと言い放つ彼女に一斉に懐疑的な視線が集まる。シェリが楽団に加入してからというものの、箍が外れた彼女のマシンガントークを嫌というほど味わってきた。タンバンに関してはことさら冷静さを失う。

「シェリは客観視を心がけて。僕は例のあれにに搭乗して二人の説明に則った操縦を行う。ルカ、ディル、エケベリアは僕のタンバンの媒介装置を携帯して待機だ」

「うん、分かった」

「任されたぜ!」

「承知です」

 三者三様に返事したところを見て、メドも静かに頷く。

「とりあえず、できることはやってきたつもりだから……落ち着いて、やっていこう」

 そう唱えた言葉は誰よりもメドに一番響いた。これが無事に終えれば自分が本物の何かになれる。そんな予感がメドを奮って歩かせようとしていた。

「きっと、特別になれる……」

「……メド君?」

「あ、いやなんでもない……とりあえず段取りは……」

 そう言ってメドがこの場を締めようとしたその時、メドの背後から影が忍び寄った。体を覆い尽くすほどの大きな影だった。

「君たちがエウリピ楽団か?」

 聞き慣れない男の声がして振り返る。頭一つ上から金髪の青年がメドを見下ろしていた。薄い唇は笑っているのか、そうではないのか分からないように曖昧に結ばれている。高級感のある厚手の紺のタキシードの上に、アリスファクツの伝統服である白い毛皮のコートを纏っていた。見るからにただ者ではないその姿をメドは新聞の上の世界で見たことがあった。

「貴方は、現宰相の……」

「いかにも。私は〈アンゼルム〉。宰相は我が父だ」

 アンゼルムはコートの裾を翻すと、声高々に名乗りを上げた。周囲の人々の視線がこちらに集まる。楽団で最も高身長であるディルを優に越す身長はそこにいるだけで十分な威圧感を放っていた。ガタイの良さはないが、その服装が彼をより大きく見せていた。

「君たちの噂は聞いている! 不自由や病を抱えた孤児の集まりだそうな。それでいて楽器の演奏ひとつで技術布教に勤しんでいるということも。この国の貧困さを象徴するような存在だ。実に耐え難い事実だと思っている」

「……」

 高らかに紡がれるその声に、横入りできる隙はない。それと同時に耳を疑った。真っ向から楽団の存在を侮蔑するような言葉に、好意的な感情にはなれなかった。

「挙句先日は奇妙な事件に遭遇したとか! そんなに哀れな人間たちがいるとは、この国の先行きが不安でならない。今日は父に頼んで出席させてもらったのだ。特別な力があると言うのも聞いているのでな。どんなものを見せてもらえるのか、無礼ながら非常に楽しみにしている! それでは、また後ほど」

 彼は言うだけ言ってのけると、小さく会釈をしてそそくさときた道を引き返していった。遠のいていく先で、彼周囲にいる人間がさっと避けて道を開ける。

「なんだぁ……? 嫌味な奴だな。自分で分かってるんなら無礼とかいちいち言うなよ」

「一応宰相のご子息ですよ」

「偉いのかよ? ただ子供ってだけだろ?」

 首を傾げるディルを前に呆れたスプラウトが捕捉を付けた。

「有名人だよ。放浪息子としてね。最近は国のあちこちの研究所で治験を見て回ってるって噂の、変わり者だからあんまり評判は良くないみたいだけど」

「ちょっと、私が説明するところだったんですけど?」

 割り込まれたことに苛立ってかエケベリアがスプラウトに突っかかる。スプラウトは気に止めることなく、つんとした顔でそっぽを向いた。

「あれが、私たちの現状の評価ってこと……なのかもしれない」

 ルサルカが拳を握りしめる。アンゼルムを忌々しげに見つめる。

「あんなやつ気を止めるのも勿体無いですよ先輩。無視です、無視」

「うん。今日は僕たちを助けてもらうための時間であって、先生の技術を証明させるための場だから、今言われたこと全部跳ね返してやろうよ」

「メド……」

 メドがルサルカの肩を叩く。

「それに僕たちの新しい仲間は、心強いよ」

 その一言にハッとして、シェリが両手を腰に当てながら不敵に笑った。不安に揺れるルサルカと視線が交わる。

「この私に、全てを委ねれば良いさ!」

 ルサルカはアンゼルムを見た時とはまた違う、日頃シェリにだけ向けている懐疑的な笑顔になった。自分たちの内側にも恐ろしい台風の目が眼光を放っていることを思い出した。


 2.マルブエル

 静まる会場の明かりが落ちる。最低限の人間が集められているとはいえど、多くが国や軍の重役であり、少ない人数から放たれるプレッシャーは凄まじかった。暗がりで見えない顔達は、皆揃って登壇するシェリに注目している。いつもと変わらぬ笑顔を浮かべて群衆の前に躍り出た。

「我々エウリピ楽団は、この世界に革新をもたらす新技術と日々共存の道を開拓して参りました。当初は命を繋ぐ機械の心臓。ここにいる六名と我が家で待つ幼い楽団員達全員がそれを有しております」

 シェリが胸に手を当てる。その向こうではエウリピ楽団とは違う、肉の心臓が絶え間なく血液を送っている。

「我々を生かすタンバンという鉱石には無限の可能性があります。人を生かすことも、殺すこともできる。現に私たちはタンバンが生み出した危険な兵器によって、命を脅かされました。エウリピ楽団の三割の子供達が、襲撃によって命を落としています……ですが、私たちはタンバンなしでは生きていくことができません。この技術を倫理観に基づいたやり方のみで使用するべく、ここにいる皆様にその判断を仰ぎたいのです」

 シェリがそこまで言い終えると手を翳して合図を出した。メドは機会人形に乗り込む。懐からシェリの耳飾りを取り出す。彼女から事前に預かっていた。万が一自力で起動できなかった時のお守りだと、そう言って手渡されていた。

「安牌を狙った方がいいよな。早速借りるよ、シェリ」

 息を止め、自分の胸に突き刺す。自分の体の中に棲むタンバンが、一斉に目を覚ます。

「……起きろ。僕の身体」

 仲間達が作った半人半馬とメドの間をタンバンが循環し始める。互いが一つの肉体となっていく感覚が肌に流れる。姿を伏せるための布を払い取り起立する。迎賓館のガラス天井にその首が映り込んだ。巨大な機械が一人でに動き出したことで、客人の中からは悲鳴のような声が上がる。

「ご覧ください。我々が持つタンバンの性質によって作られた楽団護身装甲、〈マルブエル〉です」

 その名はシェリが名付けたものであった。黒鳥の機械人形であるカーチャと対を成す、異国の神話の生物だと彼女は言った。言わば敵対するパナシアへの対抗意識の象徴的な名前だった。

「この機械人形は搭乗者が持つタンバンを人形のボディに組み込まれたタンバンと共鳴させて操作を行います。扱いたい武器の種類も、出力範囲やレベルも、機械本体の性能に問われることなく、脳に思い描くままの行動が可能です」

 メドはマルブエルに触れる。弾けるタンバンの感覚が指の腹にあった。シナプスが今はそこに移動している。スイッチを押して槍を出現させると、目を瞑って手元に神経を集中させた。外では突如出現した槍をマルブエルの腕で握る。その刃が一段階、二段階、と徐々に巨大化する。次に脳裏のイメージを変更して、巨大な槍を短く細く変化させて、左手に体躯ほどの弓を生み出した。それをガラス天井に向かうように構える。

「ディル!」

 その呼び声と共にディルが矢の前に躍り出た。彼が握る手の中にあるタンバンが光を放つ。ディルの脳裏には頭に叩き込まれたマルブエルのパーツが思い浮かんでいる。その形状をそのままに、タンバンはディルの足元に重厚な鎧の靴となって姿を現した。タンバンが鱗のように張り巡らされている。足裏には細いブレードが三本取り付けられている。シェリの発案で開発された〈完全に独立した〉マルブエルの拡張組織である。メドの媒介装置を解することで、マルブエルの操作の補佐を可能にしている。

 ディルは会場の端から中心部に向かって出す。引き抜かれた矢がディル目掛けて直進し、突き刺されるその瞬間に、足元の装甲から光が放たれて矢を吸収した。

「っビビるな……これは」

 受け止めたディルの足はジャンプの着地後のような痺れを感じていた。シェリはすぐさま次の解説に移行する。

「タンバンには同素材を吸収する作用があります。これを活用して、銃弾やミサイルにタンバンを纏わせて対象の飛来物を無効化することも可能です」

 シェリの言葉にやや先行しながら今度はルサルカとエケベリアがマルブエルに接近する。ディルと同様の足元の装甲で人知を逸脱した速度で駆ける。その手には拳銃が握られていた。エケベリアはそれを構えると迷うことなく発砲した。ルサルカはやや正面を外しながらマルブエルに発砲する。

「おい、エケベリア! 早いって!」

 不敵に笑うエケベリアに遠慮などなかった。メドは慌ててマルブエルを操縦し、その両手を迫る銃弾の前で構える。連射するエケベリアの攻撃をその手から発するタンバンのカケラが包み込んで行く。銃弾は突如速度を失い、重力に従って地面に落下した。表面は氷が張ったように薄い膜で覆われている。ちょうど足元に落ちた一弾をシェリが素手で拾い上げる。

「こんなふうに、ね」

 親指と人差し指で摘んだ先からはらはらと崩れていく。塵にもならずに空気中に溶けて終えば、そこには始めから何もなかったようだった。

「我々はタンバンの技術を命を繋ぐことから始め、身を守るものへと発展させるに至りました。しかし、使いようによってはこれは他者を攻撃しうる可能性もある。それこそが正に私たちが遭った先の事件です。私たちはこれを許したくはない」

 原稿を握りしめていたシェリが突如として手元の紙の束を放り投げる。ひらひらと落ちるそれを意に介することもなく、要人たち一人一人の目を見据えながら、声を大にして続けた。

「我々はもう二度と命が脅かされることがないよう、国の直接的な支援を求めます。ご支援いただけるのであれば、軍事産業への参画も厭いません」

 その言葉にメドは目を伏せる。マリーヤが用意した声明文と完全に一致したそれは、楽団にとってあまりに残酷な言葉だった。

(命を踏み躙られた先でまた危険を犯す場所に行かせようとするなんて、先生は一体……)

 メドの中でマリーヤへの疑念が確実に膨れてきている。この場にいない彼女にメドはひたすらに問いかけ続けた。


***


 無事に楽団の声明が終わると会食が始まった。張り詰めていた緊張感が解かれると、どっと疲れが押し寄せた。メドは動く気になれず、端の席に座りながらぼんやりと過ごす。自分以外の楽団員はあちこちで人に声をかけられていた。特にシェリやルサルカ、エケベリアの周りに男の軍人がよってたかるように集まっている。人形のような少女達が厳しい軍人や政界人に取り囲まれているのはいささか不安を感じる絵面だが、彼女たちはうまくやり取りをしている。

 そんな仲間の姿を見ながら飲み慣れない飲み物を持て余していると、シェリがこちらに戻ってきた。

「やぁ! 飲んでるかい!」

「……なんだよ、それ」

 酔っ払いのふりをしてにこにこと寄ってきた彼女を自分の隣に迎え入れる。シェリはどかっと座り込むと、その場で大きく息を吐いた。

「こんなに人がいる環境は初めてだよ。目が回りそうだ」

「それにしてはスピーチは全然緊張してなかったじゃないか」

「そうかな。だけど皆がいたからね、安心してできたからかもしれない」

 シェリの目は心から仲間たちを信じている目だった。充実している。それを体現する彼女を見る事は不思議と嬉しいと感じていた。

「すごくいい連携だった。パフォーマンスと言えど実践顔負けのね。私も語るのが熱くなりそうだったよ」

「そっか……とりあえず、お疲れ」

 メドはシェリに静かに握手を差し出す。だが、シェリは受け取らない。

「前のことを踏まえて、気安く触れるのは遠慮しておくよ」

「ああ、まあ、そうか……なんだか、触れ合えないっていうのは残念な気もするけど」

 自分でもよく分からずに発した言葉だった。シェリがきょとんとしたのを見て、メドは慌てて訂正に入る。

「や、変な意味じゃないから……」

「おや、突っ込む前に回避された。まあ、命懸けの場面に出会した時には遠慮なくハグでもなんでもしてあげるから、今は我慢してくれよ?」

「揶揄うなよ」

 頬を染めるメドを見てシェリはたははと豪快に笑う。

「だけど身体使ったのはメド君の方だろ? そっちの方がずっとお疲れ様だ。栄養とって休まないと」

「ああ、そう言われると食べたくなるんだよな、甘いもの……何でなんだろうな」

「脳の消耗が激しいからね。糖分を必要とするのは自然なことさ。疲れているんなら何か取ってこようか?」

 向こうを指差しながら、シェリは突然「あ」と声を上げた。

「向こうといえば! さっきルサルカが顔の良い軍人に言い寄られていたんだ! 『お嬢さん、ローストポークはいかがかな?』ってさ。この事についてどう思う!?」

「どう思うって……」

「困ってそうだったからさあ、助けようと思うだろ? それでルサルカの方に近付いていったんだけど冷たく睨まれちゃったんだよ。『貴女の助けはいらない』みたいな感じで! 彼女らしいと言えばそうだけど、もうちょっと私が関与する隙があっても良いと思わないかい!?」

「……シェリって結構、ルカのこと気に入ってるよな」

 メドはルサルカの話の詳細よりも、ルサルカとの関係性が気になってしまった。シェリは首を傾げて少し考える。

「そう? でもまあ好きは好きだよ。あんな風に面倒見てもらうのは初めてで、彼女の前だと飼い犬の気分になる」

「それって良いのかよ」

「お母さんオーラがすごいよね……時々飛びついてみたくなるんだ。どんな反応をするだろうか。今度やってみようかな?」

「やめとけよ、絶対……」

 シェリがルサルカの背中へ飛びかかる画を想像してメドは少し笑った。その時、二人の元へ大きな影が近づいてきた。

「やあ、エウリピ楽団の団長殿」

「……アンゼルム殿」

 先ほどと変わらない軽薄じみた表情でかしこまったお辞儀をされる。メドは胡散臭い男の顔にアンゼルムに警戒心を募らせる。

「私達に何かご用でも?」

「おや、邪魔をしたかな。少々時間をいただけないか。是非とも君たちを労いたいのだ」

 そういうなりアンゼルムはシェリとは反対の、メドの隣の席を確保すると、通り過ぎたウェイターにワインをひとつ頼んだ。

「先ほどの機械人形のパフォーマンス、素晴らしかった。久しぶりに心が踊ったよ」

「……それは、果たして本心でしょうか」

「なぜ疑う?」

 アンゼルムはあくまでも朗らかに、メドに視線を向けた。薄銀の双眸は穏やかに佇んでいる。虜になる女性は多いのだろう。嫉妬するのも愚かに思えるほどに顔立ちが整っているが、メドはそれさえ不審がった。

「……何年か前にエウリピ楽団の社交演奏会を見たことがある。そこで見たガードの少年が先ほどの機械人形とよく似た動きをしていた」

 その言葉にハッとする。ガード班に所属していたのは二年前。先代の指揮役と交代する前最後の演奏会は国の要人が来賓で来ている場であった。そこにアンゼルムのような男がいたのかはメド自身は覚えていない。

「どうして、そんなことを覚えているんです? 大体、さっきは僕らのことを噂に聞いているって……」

「父に隠れて見に行った。俗物に塗れるなと言うのがあの人の教えだ。さっきは公のアンゼルム、今は私人のアンゼルムだ。言い方くらいは変わる……私はね、君たちの楽団にずっと興味があったのさ」

 思いがけない言葉にメドは唖然とする。先ほどから手のひらを返したような言葉はどうにも信じがたかった。

「……つまり、エウリピ楽団が貧困の象徴だとか、耐え難い存在だって言っていたのは、公としてのアンゼルム殿のご意見ということでしょうか」

 シェリが横槍を入れるように毅然として問いかける。気付けばアンゼルムの前で眉間に皺を寄せて、彼を睨み付けていた。ところが敵意を向けられている本人は、他人事のように首を傾げた。

「ん……? そんなことを言ったかな」

「……言ってたじゃないですか」

「むむ……っ!?」

 アンゼルムは大袈裟なまでに首を傾げる。目の前の男は本当に何を言われているのか分かっていないようだった。顎の上の手が唇の上まで被さって、アンゼルムは深く深く考え込み出した。

「もしや良くない言い方をしたかな……すまない。人と話し慣れていなくてな。正しい言葉の選び方が分からんのだ」

「はあ……」

 ディルかエケベリアが聞いたら啖呵を切るどころか胸ぐらを掴んでいるかもしれない。それほどに無責任な発言なのだが、見るからに毒気がない彼をメドは容易く憎むことができなかった。なんだかどこかで見たことのある雰囲気だと、シェリを盗み見ながら思う。

「じゃあ、撤回していただけませんか? うちのメンバーにとって貴方の言葉はショック以外の何物でもありませんでしたので」

「……なんだと。それは誠に申し訳ない……すぐさま時間を設けよう!」

 慌てた様子でアンゼルムが立ち上がるのを、落ち着かせるように両手を振って制止させる。本気で裏表が無いらしいことをメドは確信した。大仰な身なりに反して中身はそそっかしい、素朴な人物らしい。

「……あんまり偉い人っぽく無いんですね」

「よく言われる。父の期待に反して、私は……すごく俗っぽい」

 アンゼルムの元にワインの廃いたグラスが運ばれてくる。頭を下げるウェイターに優しく笑いかけると、アンゼルムはすぐにグラスに口を付けた。

「今日改めて思ったよ。私に政治は向いてない」

「……他に何かやりたいことが?」

「そうだな。たった今思いついたことがある」

 グラスを持つ手をマルブエルに向けた。

「あれに乗りたい」

「……マルブエルにですか?」

「ああ」

 人混みの中でも目立つマルブエルは、今は銅像のように佇んでいる。メドが降りる前にシェリに言われたために、今は槍を掲げてそれを築き上げるポーズのままだ。それを見つめるアンゼルムの目はまるで少年のように輝いていた。

「元々軍人志望だったんだ。頭を捻るより体を動かす方が向いている」

「そうなんですか」

「なあ、私も仲間に入れてもらえないか。先ほど申した通り、彼らに謝罪をした上での話だ」

「え……!?」

 メドの手元のグラスが傾く。中身がこぼれかける前に慌てて持ち直す。想像だにしないアンゼルムの訴えに動揺した。彼の顔に嘘偽りはない。しかし夢想するような期待は今の楽団にはない。横にいるシェリと顔を合わせながら、メドは慎重に口を開いた。

「……僕らは無いもの同士の集まりです。立派な血筋も、家族も……自分の心臓も持っている貴方が、わざわざ命を危険に晒してやるようなことじゃ無い。何より、今はかつてないほど危険な状態で……人を新たに入れるような余裕がありません」

「……ということは、君達の身体にタンバンを埋め込む手術がなければ、あれを扱うことはできないということか?」

「現状は……国の重鎮のご子息を、僕らと同じ目に遭わせるわけにはいかないです。僕たちは一度死にかけて、二度目の人生を歩いているんです。だからこそ結束できる」

 そう言い放つと、アンゼルムは僅かに肩を落とすような動作をして、すぐさま背筋を伸ばした。

「たしかに、大切な仲間の輪を急に踏み躙られるのは愉快では無いだろう。最もだ……だが、あれが本当に軍の武器になったらどうする? 戦場に出るのは従来の軍人ではなく、お前たちになるのか?」

「それは……まだ、何も決まっていなくて」

 見えていない先という、痛い部分を突かれ思わず押し黙る。苦悩するメドを前に、アンゼルムは眉を下げる。

「いや何、意地の悪いことを言ったな。誰にでも扱える機械人形にすれば、君の家族が争いに巻き込まれることはない。それを、今君たちがやろうとしているのは存分にわかっているつもりだ。まだ幼いだろうに、良くやっているよ」

「それは、どうも……」

「私は君たちの主張に大いに賛成したい。君たちの力が武器にならずとも、苦しむ子供達を支援するのは国の義務だ」

「……あ、」

 アンゼルムに初対面で言われたことを思い出す。貧困の象徴、耐えられない。彼が嘆いていたのは楽団の存在ではなく、楽団に所属する各個人の境遇だったと、メドはようやく理解した。

 アンゼルムは立ち上がり、メドに首を垂れる。

「今日ここに来てよかった。最後に名前を伺ってもいいか、団長殿」

「僕はメドです……こちらこそありがとうございました」

「メド。そして君も、すまなかった……他の仲間達には一人ずつ謝罪をして回って来よう」

 アンゼルムはシェリの前に静かに傅く。するとシェリは胸を張ってアンゼルムにいつもの笑顔を向けた。

「ではそのご案内、私が一緒に回らせていただいても?」

「そうか。それは助かる。いきなり女性に声をかけるのは不審がられてしまうかもしれないからな」

「任せてください! というわけでメド君。少し席を外すよ」

「ああ、ありがとうシェリ」

 シェリはアンゼルムに手引きをして、まずはルサルカの元に向かうようだった。彼のマントが翻って背を向ける。スモーキーな男の香水が立ち込めた。まっすぐに歩いて去っていく男を、初めとは違う気持ちで見送った。シェリとアンゼルムはひとだかりに割り入って、バルコニーの方角へと進んで行った。

 再び一人になって、天窓を見上げる。そこに、雲ではない影が差し込んだ。夜空の色が変わる。薄く緑がかった膜が窓の向こうを追い尽くした。それが何か理解する前に、会場のすべてのガラスが割れる。

「キャアアアア!」

 誰かの悲鳴が聞こえて、降り注ぐガラス片から皆が一斉に逃げ出す。吹き抜ける風に乗って、何者かが侵入してきた。無数の黒鳥である。

「!?」

 楽団の稽古場に現れたのは比べものにならない数のカーチャが迎賓館を埋め尽くす。彼らは入り口に目をつけた。足の一本が首のあたりまで伸びて、その先から一筋の光線が放たれた。人々が密集していたドアが次の瞬間には焼け焦げて無くなっていた。

「あれは、うちの襲撃の時と同じ……!?」

 既視感のある攻撃に、本能が警鐘を鳴らす。戦わなければならない。そうするための技術と責務が自分にはある。次の瞬間にはマルブエル目掛けて走り出していた。召集会に向けて訓練をしてきたせいか、頭は冷静に働いていた。

「みんな!」

 走りながら仲間達に声をかける。ディル、ルサルカ、エケベリア、スプラウト全員の姿を確認した。

「例の黒鳥、カーチャだ! マルブエルで応戦する!」

「お、おう! 了解だ!」

 いち駆けつけたのはディルだ。額に汗が滲んでいる。

「スプラウト、無事だよ。僕は団長のタンバンがないけど、どうすればいい?」

「向こうのドアが狙われてる! ディルと避難に使えそうな経路を見つけて教えてくれないか。ディル、スプラウトと自分の心臓を守るんだ。狙いはタンバンだろうから、身を守るのを最優先にしてくれ」

「了解」

 スプラウトとディルはメドから離れて入り口を目指す。そこへルサルカとエケベリアが入れ替わりでメドの元にやってきた。

「メド!軍が動き始めたのを確認した。到着まで時間を稼いで、その後は彼らに任せるのがいいと思う」

「分かった。話せるタイミングがあればうちが前衛に出ることを伝えてくれ!」

「了解! ……無理しないでね」

 消え入りそうなルサルカの声に黙って頷く。心臓が痛いほど鳴っていた。マルブエルの前に辿り着くと、同じタンバンを持つその体の内部が強く振動していた。

「マルブエル!」

 呼び声と共にマルブエルの瞳に光が灯る。メドは接続してタンバンの循環が始まるや否や、目先のカーチャの群れに向かって槍を構えて突進した。明らかに他の個体よりサイズが大きい。翼を狙って迫った刃は、下から伸びる足によって弾かれた。

「くっそ邪魔だな……あの足」

 そのカーチャは他にはない長い足を持っていた。飛行に加えて足もかなり速い。機動力の面でマルブエルより性能が上回っているように思えた。メドは狙いを変えて足に向かって槍を振り上げる。

「まずは動きを止める!」

 一撃を入れると、足の一本が勢いよく弾んだ。その上にもう一度攻撃を畳み掛ける。足の表面が砕け、タンバンと思われる破片が散った。剥がれ落ちたことで動力の経路を失ったらしく、足は動作を止める。もたついている黒鳥を睨みつける。仲間を殺した敵の顔を前に、口に溜まった唾を飲み込んだ。怖気付いてはならない。戦わなければ。

「僕しかいない……『特別』になり得るのは、僕しか!」

 今は誰も変わってはくれない。その恐ろしい現実を前に、メドはなぜか微笑みを浮かべた。


 3.行方

 同刻、迎賓館入り口前。ルサルカはエケベリアと共にカーチャの群れと対峙していた。両腕の装甲に接続した銃を黒鳥に向け、タンバンで無効化を図る。ぱん、と乾いた音が宙に響いて、翼を横切った。

「うまく当たらない……っ」

「できることは限られる。増援が来るまで今は囮に専念しよう」

「はい……」

 エケベリアを鼓舞しながら、ルサルカは前を見据える。ルサルカには楽団を守る二本柱としての役割がある。それが彼女を奮い立たせていた。その想いが増幅させたかのようにタンバンが膨らみ、両手の銃が突然熱くなる。

「!?」

「ルカ先輩!?」

 翳す手にどくどくと血液とタンバンが巡る。重みを感じていた手のひらは、銃と一体化したように手に持つ感覚が薄まった。

「タンバンによって感覚的に動作する……こういうことね」

「メド先輩の力を先輩のもとでもより強化できるってことなんですか?」

「分からない……帰ったら、あの子に教えてもらわなくちゃ」

「……そうですね」

 ルサルカはエケベリアよりも一歩、さらに一歩前に躍り出た。両腕を持ち上げて、二丁の銃を平行に構える。そこから発したタンバンの粒子は青く光り、カーチャ達を飲み込んでいった。


***


 バルコニー付近、スプラウトは外に出ようと押し寄せる人並みに揉まれていた。その人だかりは今にも飛び降りようとする勢いだったが、このバルコニーの高さでは身を投げ出すのは自殺行為である。安全に事を運ぶために、スプラウトは血眼になって周囲を見渡した。

「おーいスプラウト! 大丈夫かぁー!」

 一際大柄のディルが後ろから声をかける。装甲を纏う彼は体躯も相まって立派な軍人と変わらない外見をしている。そこへ助けを求める人々が駆け寄った。

「なああんた! どうにかしてくれよ」

「助けて! お願い!」

 悲鳴混じりの懇願の嵐にディルは激しく動揺した。その姿が幼い楽団員達とどこか重なって見える。

「お、おい待ってくれ……俺は……」

「ディル!」

 戸惑うディルに向かってスプラウトは懸命に腕を振った。仕切りにジャンプして、小さな体でどうにか存在を主張する。それに気づいたディルは頭を下げながら人混みを掻い潜ってスプラウトと合流した。

「無事かよおチビちゃん」

「ふざけてる場合じゃないよ。向こうに梯子がある。それを使ってみんなを誘導しよう」

「梯子?」

 ディルはスプラウトの視線を辿った。見れば壁沿いに蔦の張った古びた梯子がかかっている。塗装のはげた部分は黒ずんでいるが、ちらちらと光を内包している。

「あんなんで何十人も下ろして耐えられるのかよ」

「いや、あれはタンバンだと思う。タンバンは華美な鉱石だから、こういう建物では材質に使われることもあるって見たことがあるんだ」

「なんだって?」

「シェリさんの言っていたようにタンバン同士で共鳴できるのであれば、マルブエルのように操縦できるはずだ」

 ディルはもう半分も頭が回っていなかった。だが聡明さを灯すスプラウトの言葉をひたすらに信じ、手を打った。

「まあ、建物の資材に使ってるタンバンにわざわざ血液注入してるとは思えねえからな……やるしかねえな! あんたらー! ひとまず俺を信じてついてきてくれ!」

 ディルの声がバルコニー中に響き渡る。無垢な少年の笑顔に観客達は呆然とする。スプラウトがそれに続いて声を張り上げた。

「ここから脱出しましょう! 僕たちエウリピ楽団が、皆様を必ず安全な場所にお連れします」


***


 カーチャは群れを伴ってマルブエルに向かって突進してくる。それを両手の甲で受け流し、隙のできたところを討つ。気付けば優勢になっているのはメドだ。敵の身体のタンバンはもうほとんど剥がれ落ちている。

「いける!」

 メドは槍の柄の端を持ち、遠心力でカーチャの脳天に振り下ろす。パリンと砕けた鎧の下から、液状の金属が流れ出た。視界を失ったのか、相手は挙動を止める。静まり返った瞬間を絶好の機会と捉え、メドは槍を構えたまま突撃する。

「はああああ!!」

 鎧と鎧が激しくぶつかり合う……はずが、マルブエルの行き着いた先には何もなかった。煙る空間の中には確かにいたはずの巨大な黒鳥がどこにも見当たらない。

「……どこだ?」

 想定外のことに思考が止まる。次の瞬間、全身に衝撃が走った。とてつもない質量がマルブエルに激突する。横倒しになると、メドはマルブエルの体内に体をぶつけた。

「ぐッ……」

 手を伸ばしてマルブエルに触れる。

「起きろ、マルブエル!」

 内側からマルブエルを叩きながらマルブエルが立ち上がる姿を思い浮かべる。しかし音沙汰はない。何度も叩いてから気が付いた。胸に突き刺さっていたシェリの耳飾りが見当たらない。遮断されてしまった。チリチリとマルブエルのボディが唸りを上げている。フロントガラスはヒビが入り、迎賓館の天井に向いている。

 その上に誰かが乗り上げる。白衣を着た女だ。ここから顔は見えない。女はヒールをフロントガラスに打ち付けて、コツコツ音を鳴らした。

「なんだ……?」

 規則正しい音の配置に耳をそば立てる。その瞬間マルブエルを覆い尽くす強い振動がかかった。

「!?」

 重みに耐えながら女を見据える。女の唇が動く。その振動を通して女の声が聞こえた。

『シェリは、お前達に相応しくない』

 その言葉の意味を理解すると同時に、女が俵のように担いでいる人間に気が付いた。

「シェリッ!?」

 ぐったりと腕を垂らした彼女は動かない。彼女を救出するべく、フロントガラスにへばりついて、タンバンでそれを溶かそうとする。だが今のメドにマルブエルを操る力はない。足元に転がり落ちていた耳飾りに気が付くも、それはとっくに粉々になっていた。

「おい……! 待てよッ!」

 激昂しながらガラスに向かって頭を打ちつける。額から血が流れる感覚がしたがそれでも続けた。ようやく破壊できたガラスから外に飛び出すと、眩暈がしてそのまま転がり落ちてしまう。それでも女を追いかけようと、必死になって身体を起こした。

 だが次の瞬間、女のヒールが床を叩くと再び強い振動が起こった。立っているのも困難な強い揺れを蹲りながらなんとか凌ぐ。だが、女はその横を平然と闊歩して過ぎ去っていく。カーチャの群れが彼女に集まり出し、黒い羽の塊が女を包み込んで、そのまま上空に飛び上がった。自ら割って入ってきた天窓を抜けて逃げていく。

「くそ……くそ……っ! なんなんだよッ!!」

 隣で共に倒れ込むマルブエルを殴りつける。マルブエルに繋がっていた、否、マルブエルに支配されていた時間を後悔し続けた。あの瞬間にどうしてシェリの存在を確認できなかったのか、自分でも理解できなかった。冷静でなかった。自分が何かになれる瞬間は今だと、驕ってしまった。ボロボロに変わり果てたマルブエルは、何も返事をしなかった。

「メドッ!」

 カーチャと謎の女の撤退により騒ぎが収束すると、真っ先にルサルカがメドを探しにやってきた。残骸と化したマルブエルの辺りを歩きながら、メドの名前を呼び続けている。そしてようやくマルブエルの右腕に並んで横たわる彼の姿を見つけた。

「メド! メド……!」

「……ルカ、」

 掠れた声で返事をする。口に入り込んだ煤に咽せたメドをルサルカが背中をさすりながら体を起こした。介抱しようとするルサルカの腕を、メドは押しのけて立ち上がる。

「シェリ、が……行かないと……」

「待って!」

 メドはふらつきながらマルブエルの操縦席に向かう。到底動けるような状況でないことは目で見て分かる。それでもメドはマルブエルの首に縋り付くように、その外装を何度も叩いて呼び起こそうとした。

「起きろよ、起きろよ! 今やらないでどうする気だよッ!」

 鋼鉄のようなタンバンを叩き続ければ、その拳に血が滲み出した。

「メド聞いてっ! それは今絶対に動かせない! お願いだから落ち着いて、何があったのか教えて!」

 懸命な訴えを聞きつけて、エケベリアもやってくる。ルサルカが抑えきれずにいるメドを後ろから羽交締めにすると、重みでそのまま後ろに倒れ込む。すると今度は足も使ってメドを完全に締め倒した。

「何してるんですかっ! 少しは先輩の話を聞いたらどうなんですか!」

「ゲホッ……! た、のむ、行かせてくれ……! シェリが、連れて行かれたんだ……!」

 ルサルカとエケベリアは顔を見合わせる。説明を求めるように静かに訴えかけてくる二人に、メドはようやく平静を取り戻した。

「明らかにでかいカーチャがいた。その中に白衣の女が乗ってた……そいつがシェリを連れて行ったんだ」

「……例のパナシアという研究員の可能性は?」

「きっとそうだ……追いかけないと」

「待って! 今私たちには捜索する力は無いし、追尾できる可能性のあるマルブエルだってこの状態だよ」

 メドはマルブエルをよく見直す。想像を超えるダメージを負っている。作った時のことを考えれば、その修繕が容易ではないことはメドは身をもって理解していた。

「……今は諦めてください。メド先輩」

 冷たく言葉を放ったエケベリアをカッとなって睨む。エケベリアの目尻に涙が溜まっている。決してシェリを突き放して言っているわけではないと分かった。

 メドは二人の様子を呆然としながら見つめ、エケベリア動揺に冷静さを失っていた自分を恥じた。

「ごめん……」

 ぽつりと放った謝罪を聞きながら、ルサルカは全てを肯定するように大きく首を縦に振った。


***


 増援と救命部隊到着により、正式な軍の対応によって、事態は完全に沈着を宣言された。メドは責任者として事の経緯と、敵の推察、そしてシェリが連れ去られたことを説明する。

 アリスファクツ陸軍曹長の男はシェリの拉致を聞き、より険しい顔になった。

「それでは現状行方がわかっていないのは二名か……」

「もう一人、どなたかが?」

「ああ、宰相長子のアンゼルム公が見つかっていない」

「え……!?」

 メドは驚愕のあまり開いた口を閉じられない。アンゼルムを最後に見たのは会話のすぐ後。シェリの元に彼が向かった時だ。

「僕が最後にアンゼルム殿を見たのは襲撃の直後です。その時、シェリと一緒にバルコニーに……」

「バルコニー?」

 曹長の顔が強張る。この召集会の概要資料をメドに見せた。

「本日会場のバルコニーは封鎖していた。君たちエウリピ楽団を狙っている危険因子を、この場に持ち込まないためだと……楽団側からの指示を受けてな」

「え……?」

 メドが最後にシェリの姿を見た時、二人は確かにバルコニーに足を踏み入れていた。じっとシェリの姿を見ていたメドにとって、それは確かな記憶だった。

「鍵がかかっていなかったなんてことは……」

「国の要人を迎え入れている場だ。確認は行うが、到底あり得ない。二人がバルコニーに向かうのを止めた者もいないのか?」

「騒ぎが起きたのはそれからすぐ後でしたから、そんな時間はなかった、のかもしれません」

 背中に嫌な汗が浮かんでくる。その瞬間に扉に触れられたのはシェリとアンゼルムのどちらかしかいない。同じことを思いついてか、目の前の曹長は神妙な顔つきになった。

「連れ去られたいずれかが、首謀者と関与している、か……」

「タイミング的にそれが攻撃の合図となったと推察できますね。楽団所属の少女が敵組織と繋がっていたと判断するのが妥当かと」

「待ってください! なぜシェリだと決めつけるんですか!?」

 横についていた別の軍人の発言にメドは思わず声を荒げてしまう。途端に厳しい視線を向けられることに一瞬怖気付く。それでもメドは構わずに自分の言葉を続けた。

「……何の情報もないのに彼女一人に容疑を向けるのは得策ではありません。それに、市民の間ではアンゼルム殿が各地の研究所を巡っているという噂があります。どこかで今回の首謀者と繋がりを持っていた。そんな可能性があるとは思いませんか?」

「……」

 軍人達は目を見合わせて何かを思慮している。メドの拳は震えていた。彼女が怪しいことなど百も承知だった。だが可能性を微塵も考慮しない彼らのやり口に、メド個人として納得ができなかった。

 すると曹長が改まった表情に変わると、椅子から立ち上がった。

「アンゼルム殿の周囲の人間を探れ。彼の数週間以内の動向を洗い出すのだ」

「……はっ!」

 シェリに容疑を被せようとした軍人が敬礼をしてその場を去っていく。メドはその様子をただ立ち尽くして目で追っていた。

「早合点したのは悪かった。だがこちらとしても要人の子息を疑いたくなどないのだ。分かってくれ」

「……はい。大変失礼いたしました」

 メドが一言詫びを入れると曹長は黙って頷いた。途端に静かになった空間にまた緊張が走る。早くシェリを助けに行きたい。ここでこうして座っている時間をもどかしく思った。その時、慌ただしく別の軍人が部屋にやってきた。

「曹長! 南方に巨大な鳥の群れを発見いたしました。異常な大きさで、球状になって飛んでいる模様です」

 報告をしにやってきた軍人を見てハッと顔を上げる。

「そうか。直ちに軍を配備しろ。拠点を突き止める」

 曹長がそう指示を出すと、部下は敬礼をしてすぐさま折り返していく。曹長はメドに真摯な姿勢で向き合った。

「君達の力が借りたい。同行してもらえるか」

「はい。でも……肝心のマルブエルが……」

「おいおい、何のために俺たちが二週間脳みそ使ってきたと思ってんだよ!」

 突然後ろから話に入り込んできたのはディルだった。その後ろでルサルカとスプラウト、そしてエケベリアもメドと軍の会話を見守っている。突然来訪した仲間達を前にして、曹長の顔を伺った。彼は目を伏せて「続けなさい」と言って彼らの同席を認めた。

「十回でも百回でも、私たちが手伝う。だから、マルブエルを作って行こう。シェリのいるところに」

 ルサルカがメドの手を握る。ディルもエケベリアもスプラウトも、彼らの気持ちは一つだった。メドは唇を噛み締めて、シェリの手を強く握り返した。

「ありがとう……必ず、助けよう」

 楽団に号令をかけるのと同じ声で、メドは意を決する。見守っていた曹長が立ち上がり、メドの肩を叩いた。

「時間はない。三十分以内に間に合わせなさい」

「……はい!」

 メドは詰襟の見頃を掴む。胸の表面が熱い。奥の心臓から強いエネルギーが発している。シェリの耳飾りを突き刺した、あの時の感覚に似ていた。

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