3.疑惑

 メドが目を覚ましたのは、それから五日後のことであった。瞼を開ければ病室の天井が目に入った。子供の頃から幾度となく見てきた光景に安堵する。長い夢から覚めたような気分だった。起きあがろうとするも体が動かない。

「メド……? 気が付いたの?」

 視界の端からルサルカが顔を出した。メドに駆け寄ってその手に縋り付く。彼女が掴む力にぐらぐらと揺さぶられながら、メドはぼんやり考え事をした。

「待ってて、すぐ先生を……」

「……シェリは」

「……後で話すよ」

 ルサルカはメドの顔をあまり見ずに駆け足で病室を出ていった。数分もしない間に戻ってきた彼女はコンフィズリーが大量に入ったガラスのポットを抱えている。慌ててベッドに寄ってくるルサルカの後ろをマリーヤが続くように入ってきた。

「起きたか。一粒食っておけ」

 ルサルカがポットから掬い取ったシュガープラムを一粒、メドの口に運ぶ。ざらりとした食感が一瞬のうちに溶けて甘味が口の中に流れていく。その刺激でようやく意識がはっきりとしてきた。石のように固まっていた体も指先から少しずつ動くようになる。

「どうだ、調子は」

「身体がものすごく重くて、震えてます」

「低血糖だからだな。怪我もないし、起きれたんだったら落ち着くはずだ」

「あの、楽団のみんなは……? シェリは……」

 メドの問いかけに二人の顔が曇る。その顔を見て記憶の中にある残酷な光景がフラッシュバックした。沈んだルサルカの唇が重たく開いた。

「隊列の後方部隊は怪我をした子もいるけどみんな無事だよ。ただ、前方にいた子達の中には……助けられなかった子達がいる」

 良い切ったルサルカが両手で顔を覆った。声を抑えているが肩が震えている。空気中に漏れるしゃくり上げる喉の音が響く。隣に寄り添うマリーヤが彼女の背をさすりながら、代わって続きを話し始めた。

 二人の話によると、稽古場は無惨な姿に変わり果てたという。整地された地面は陥没し、周囲を囲んだ花壇は煉瓦ごと破壊されてしまった。攻撃を受けたのは稽古場だけだったため、彼らの居住区である養護院や病棟に被害はなかった。住む屋根を失わなかったのは不幸中の幸いだと思われたが、何もない敷地を狙われたと言うことはエウリピ楽団の団員たちが直接の標的だったことを示していた。

「二十一人だ」

「にじゅういち、」

「二十一人。それだけ死んだ」

「……ッ」

「それから六名、タンバンの心臓が破壊されて再手術を行なった。目が覚めるまで気は抜けない状況だ」

 あまりにも重たい数字だった。メドは目の前が暗くなるのを感じた。

「……セージとロゼは、助かったんですか」

「……」

 マリーヤは首を振ることも返事をすることもなかった。気を遣ったのか、躊躇ったのかは分からない。だが、言わずとも理解できた。二十一人に二人が含まれていることなど、あの時から既に分かっていた。

 セージとロゼはあと一歩早ければ救い出すことができたかもしれない。他のみんなももっと他の行動ができていたら、こんな形にならなかったかもしれない。メドの中に深く深く後悔と悲しみが募っていく。

「誰が、こんなことを……っ」

 目に浮かぶ黒鳥の機械人形を思い出し、ベッドを叩く。

「お前達を狙ったのはタンバンでできた特殊な人形、そう証言した者を捕らえている」

「……それって」

「ああ、お前を同じ類の人形に乗らせた人間がいるな? そのものが何かを知っているかもしれない。……ともすれば、首謀者にも心当たりがある」

 マリーヤの言葉にルサルカが顔を上げる。まだ彼女も何も知らなかったらしい。メドと顔を見合わせて、二人は頷き合った。


***


 マリーヤに連れ立たれてやってきたのは病棟の地下室だった。ろくな明かりもないその場所に三人はランタンを灯してやってきた。壁の蝋燭が数本ともされているだけの空間。そこにシェリは勾留されていた。

「やあメド君! 目が覚めたようで何よりだ」

 快活に挨拶をするシェリの腕には手錠がかけられている。動き回るのは自由らしいが、この部屋そのものに厳重な鍵が掛けられていた。牢に等しいその空間に、シェリの笑顔は似つかわしくなかった。

「さて、シェリと言ったか……うちの団長が目を覚ましたら今回の件を話すと言っていたな。聞かせてもらおうか」

「もちろん良いんだけどその前にこれ、取ってくれないかなあ。腕に何かが巻かれてるの、気持ちが悪いんだ」

「……私たちはあなたがあの怪物を引き連れてきたんじゃないかって疑ってる。自由にはさせられない」

 ルサルカは険しい顔でシェリを睨んでいた。楽団の子供達を叱る時とは違う、明らかに敵意を向けた顔つきだった。そんなルサルカを前に、シェリは怯んだようなわざとらしい顔で、手錠付きの手を顔の横で組んだ。

「そんなおっかない顔しないでくれよ。腕が自由になったからって君たちに食ってかかったりしないさ。元より、私は君たちに友好的なんだ」

「……」

 今にも憤慨しそうなルサルカの肩をメドが叩き、それとなく彼女を落ち着かせる。

「……分かった、鍵を外そう」

「先生!」

「案ずるな、ルカ……だが、メドには近づくな。お前が引けるトリガーは、そこにあるらしいからな」

「ああ、了承しよう」

 ルサルカは納得が行かなさそうだったが、マリーヤが彼女の手錠を解くのを認めた。懐から取り出した鍵束の一本をシェリの手錠に差し込み、彼女を解放してやる。不遜な表情でマリーヤの挙動を見守るシェリは、ぎらぎらとした視線をマリーヤに注いでいた。自由になった腕を持ち上げて伸びをする。それから自分の胸に手を当て、三人の前で大仰に一礼した。

「私はシェリ。孤児だから苗字はない。とあるタンバンの研究医が作った最高傑作さ」

「最高傑作……?」

 メドが前に乗り出すと、シェリはメドがそれ以上進まないように腕を前に出して制止させた。その場に胡座をかいて座り込む。

「まあまあ落ち着いて。私がいたところは体のパーツをタンバンで補う技術を研究していた。そこは君たち楽団と同じだと思うけれど、うちの〈先生〉は心臓以外の全ての組織をタンバンで形成する技術に辿り着いたのさ」

「全ての組織を……!?」

 信じられないとルサルカが声を上げる。メドは先日襲撃を受けた時のことを思い出して内心腑に落ちていた。

「まあ心臓の再生ができるっていうなら他の組織も大した違いはないさ……私はそれに辿り着くためのモルモットだった」

 浅く笑ったシェリはどこかマリーヤを挑発するように見ている。

「私は心臓以外、全部をタンバンに置き換えられた。元の肉体はほとんどなくなったよ。そんな身体になってから、あることに気が付いた。自分の中のタンバンと自然界のタンバンを繋げられるようになったんだ。粘土を手に取っただけで好きな造形に変化させられるような感覚だ」

「なるほど。それがメドを巻き込んで生んだあの巨大な像の原理か」

「あの時は手元に他のタンバンがなかったから私の体から引っ張り出して作ったよ。身体の負担は著しいものになったけど、その点は内にあっても外にあっても同じって訳さ。身体にタンバンがあれば誰だって同じことができる」

 機械人形の中で苦しげに蹲っていたシェリの姿を思い出す。途中で刃を大きくしたり、その身体を投げ飛ばされてしまったことに居た堪れなくなった。

「あの人は……うちの先生は、それでタンバンの新たな可能性を見出した。それがあの黒鳥の兵器。名前を〈カーチャ〉と言う」

「カーチャ……」

「私は、それが許せなかった……私の体を死ぬまで酷使して、ようやく実になったのが人を殺す道具なんて神様が聞いて呆れる。だから私はあの研究所を逃げ出したよ。命を使う、正しい道を進む君たちを求めてね」

 シェリがいつの間にか握っていた拳が震えている。表情に現れない、静かな怒りにメドは気が付いた。信用できる人物ではないのかと、心の中で期待が揺れる。

「つまり、あなたの先生が私たちを襲ったっていうこと……?」

「そういうことになるね」

「そんな……どうしてそんなにひどいことができるの」

 ルサルカが声を荒げる。目尻に溜まった涙がはらはらと落ちる。突きつけられた事実に耐えきれなくなり、メドの腕を掴んで縋りついた。

「ありがとう、君の告発に感謝する……では今度はこちらの質問に答えてもらおうか」

 そう言ったマリーヤは懐から取り出したものをシェリに突きつけた。拳銃だ。ここにいて目にすることなど一度もなかった物騒な存在にメドとルサルカの表情が強張る。

「先生ッ……!?」

「案ずるな。彼女が偽りなく答えれば済む話だ……それではシェリ、君を研究に使った研究者の名前を教えてくれるか」

 シェリは銃口を凝視したのち、ゆっくりと唇を動かす。

「彼女の名前は〈パナシア〉」

 銃を前にしてなおシェリは怯んだ様子を見せない。長い睨み合いの後、マリーヤの声が途端に小さくなった。銃は未だ構えたまま、大きなため息を吐く。

「つくづく私の邪魔をする女だな」

「先生、その人物を知っているんですか……?」

「ああ……研究のことで袂を分った、私の姉だ」

「姉!?」

 メドとルサルカはマリーヤの言葉に戦慄する。二人はもちろん、実の家族を持たない楽団員は血の繋がった家族に大小の差はあれども憧れを抱いていた。おとぎ話同然の絆を信じる彼らは、同じ血筋で争い合うことなど想像ができなかった。

「家族なのに、命を狙うのなんておかしい」

「実の家族と言っても所詮は他人、分かり合えない部分があるんだろうね。まあ、私も知らない側の人間なんだけどさ」

 煩わしげにシェリが答える。遠くにパナシアという人物を思い浮かべているのか、笑顔を止めて険しい表情に変わっていた。マリーヤは彼女に向かって今一度銃を突きつけた。今度は、トリガーに指が添えられている。ルサルカが怯えた様子でメドにより強くしがみついた。

「それでは次の質問だ。お前がパナシアの協力者でないことをどうやって証明する?」

「……まあ、そうなるよね」

 突きつけられた銃にシェリは自ら近付いていく。ぺたぺたと裸足で擦る地面の音が、全員の耳元に響く。

「シェリ……!」

 その危険な行動にメドは思わず手を伸ばす。シェリはそれを見て少しだけはにかんだ。すぐに視線をマリーヤに戻すと、額を差し出すように銃口に当てる。

「私自身が彼女の研究成果だ。こうして逃げて、よその研究所にやってきていることこそ証明になる」

「それでは足りん。他にお前は何を差し出せる?」

「信用ならないっていうのは最もだよ……だけど、私の命乞いの説得を一瞬でも聞いてくれると言うんだったら、私は楽団の役に立つことをする。必ず」

 元よりきっぱりとしたその口調が一層粒だった音で発せられる。マリーヤが下す決断を、メドは固唾を飲んで待った。やがてマリーヤはその銃を静かに下す。

「メド、ルサルカ」

「……はい」

 マリーヤはメドの手に持っていた銃を手渡す。初めて手に持つそれは重く、それでも人一人が持つ価値には及ばない軽さだった。なぜ自分にこれを持たされたのか、疑問も持ったままマリーヤを見る。

「彼女をどうするかの判断とその結論は……お前たち二人が下しなさい」

「え……」

「この人間が、楽団にとって害か無害か、七日で見極めろ」

「ま、待ってください先生……彼女がもし、今回の襲撃犯と繋がりがあったら、僕たちが彼女を撃つんですか」

「……そうだとすれば引き金を引くときに仲間の仇が取れる。彼女が万が一、信じるに値する人間だとしたら、彼女の力を借りて敵本体を撃つ。どちらにせよ、我々は失った命に報いなければならないのだ。それをどうするのかは楽団の二本柱だであるお前達が決めなさい」

 一言一言がいつもの叱責の何倍も重く聞こえた。人を殺す覚悟をしろと言われている。そんなもの、下せるはずがない。だが、困惑するメドをよそにルサルカがいち早く頷いた。

「……分かりました先生。私、必ず見極めます」

「ああ……メド、お前も分かったか」

「は、はい……」

 言わされるように返事をしたが、心臓は激しく脈打っている。横に立つルサルカはいつの間にかメドから離れて一人できちんと立っている。その変わり様がメドには理解ができなかった。

「シェリ、その間お前の部屋はここだ。毎晩ルサルカに鍵をかけさせる。彼らと行動を共にしているときだけ、自由に敷地を歩くことを許可しよう」

「ああ。わかったよ……先生」

 シェリは今一度マリーヤに頭を下げる。シェリがもう一度その視線を合わせる前に、マリーヤは地下室を出た。取り残されたメドとルサルカ、シェリの間にあるぎこちない距離感をルサルカが一歩詰めた。その手をシェリに向かって差し出す。

「私は先生やメドみたいに優しくしない。駄目と分かったらすぐに撃つ」

「その方がいいよ。私だって君の立場ならそうする」

 シェリは少し遠慮がちに、ルサルカの手に触れる。そこで少し目を丸くした。

「……君はばちっと来ないんだね?」

「何のこと?」

「いや、なんでもない」

 二人はゆるく握手を交わすとすぐにその手を下ろした。そのままシェリはメドの方を向く。

「君との接触は言われた通り避けておくよ。信用も勝ち取りたいし」

「そうだね……シェリ」

「うん?」

 メドは声を潜めて言った。ルサルカに聞こえないように、シェリの耳にだけ聞こえるようにした。

「……この前は、力を貸してくれてありがとう。生き残った仲間がいるのは君のおかげだと思う」

 シェリが息を呑む音がわずかに聞こえた。何かを言いかけて、その全てを彼女は飲み込む。うっすらと笑みを浮かべて、ようやく言葉を返す。

「……そう言ってくれたことに、私も感謝するよ」

 命を奪う道具に憤っていた彼女の言葉を思い出す。これは本心だ。シェリが言った通り、その心を形として認識することは難しい。だが、そのたった一言に偽りがないことは不思議と理解することができた。


***


 翌日の朝食の会、久しぶりにやって来た食堂は重く暗い空間になっていた。広い空間に押し込まれるように入っていた子供たちは、今はまばらに座っている。座席の全てが埋まらない景色を誰も見たことがなかった。病床に居る者、もう二度と戻ってこない者。メドはその全員の名前に目を通していたが、いざ目にすると計り知れない悲しみに胸を覆い尽くされそうになった。それでも、メドの回復に喜ぶ子供達の前で暗い顔ではいられなかった。

「団長、おかえりなさい」

 メドが食堂に入るなり、最年少のトロンボーン吹きの少女が、自ら詰んできた野花の花束をメドに手渡す。屈んでそれを受け取って彼女の頭を撫でた。

「ただいま……ありがとう」

 少女はそれで寂しくなったのか、そのままメドの胸の中に入り込んで泣き始めた。トロンボーン隊は全員前方にいた。彼女は少ない生存者だったのだ。

「ごめんな……」

 小さな身体を抱きしめることしかできない。部屋全体に渡る重苦しい空気をどうしたら払拭できるのか、それにどれだけの時間がかかるのかを思うと気が遠くなりそうだった。そうやって抱きしめたままでいると、少女はメドに話しかけて来た。

「ねえ団長、あの日のお馬さんはなあに?」

「え?」

「みんな見てたの。ここにいるみんなのこと助けてくれたって」

 メドは食堂を見渡す。暗く沈んだこの会場の瞳たちが、あの日の奇跡に期待を抱いてメドを見つめていた。そこへちょうどルサルカがシェリを連れて食堂に現れた。突然の見知らぬ人物に、子供達が静まり返る。シェリはポカンと口を開けて、その場所の景色を眺めていた。

「……これから紹介するよ」

 メドは少女の瞳を見据えて力強く訴える。幼い彼女はその気迫に圧倒されて目を丸くすると、大きく首を縦に振った。

 少女は他のトロンボーン吹きの少年に手を引かれ、自分の席に帰っていく。彼女が椅子に座ったのを確認して、メドは全員の正面に立つ。

「みんな、聞いてくれ! ……この間のことでまだみんな気持ちの整理がついていないと思う。僕も全然、受け入れられそうもない。そんな中で申し訳ないんだけど、楽団に新しい仲間を迎え入れることになった」

 メドの言葉に食堂は騒然とする。仲間を失ったばかりで新参者が入ると言われてもなかなか心の整理がつかないのは当然だ。それでも、メドは子供達が見たというあの半人半馬に心のどこかで期待をしていた。失った多くの命に報いる。それは自分たちの力ではできないはずだと思っていた。

「彼女はシェリ。僕らと同じようにタンバンが体の中にある。彼女は……シェリは、あの日ここにいるみんなを助けてくれた人だ。僕と一緒に、あの馬のような人形に乗って、今ここにいるみんなを守った!」

「メド」

 感情を昂らせて話すメドをルサルカが静かに嗜める。だがメドはそれに耳を傾けることなく続けた。

「僕たちは犠牲になったみんなのことを背負っていかなくちゃいけない。後悔も悲しさも、ちゃんと受け止めて、もう二度とこんなことに遭わないようにしなくちゃいけないんだ。そのために、シェリの力が大切だ。彼女は今日から、僕たちの仲間だ……シェリ、いいかな」

 シェリはメドに促され一歩前に出る。やや緊張した面持ちが一転、持ち前の笑顔を振りまいた。

「初めまして諸君! 私はシェリ。好きなことは科学と物作り。それから、この楽団の演奏を聴くこと……みんなの仲間にどうしてもなりたくてやってきたんだ。とても大変な時期に来てしまったけれど、みんなのために頑張ろうと思う! どうか……どうか、私をよろしく」

 快活な声が駆け足気味に続いて、シェリは頭を下げた。しんと静まり返った空間でメドが真っ先に拍手をする。それに続いてまばらな拍手が徐々に増えていく。シェリの顔は見なかったが、前で組んだ手が小刻みに震えていた。彼女でも緊張するのだと、メドは漠然とした感想を抱いた。

「本当にお姉ちゃんがあのお馬さんに乗ってたの?」

「俺は見たよー!」

 子供達が口々にシェリに言葉をかける。沸き立つようなその声にシェリは嬉しそうにはにかんだ。

「……ああ、もちろん。私は稀代の天才クラフトマンなのさ!」

 そう言うとシェリは右手を高く掲げて指を鳴らした。その軽快な音が天井に響いた瞬間、子供達の頭上にきらきらと輝く雲が浮かび上がった。その中から雨のようにうさぎや犬、星を模った小さなオーナメントが吊り下がって現れた。シェリが指揮棒の真似事をすれば、くるくるとガーランドのように回り出す。子供達の目が一挙に奪われた。

「シェリ、止まれって!」

「ちょっと! 勝手に何してるの!」

「すごーいきれいー!」

 メドとルサルカが止めに入るも、一瞬にして子供達の声にかき消される。拍手が巻き起こって子供達は羨望の眼差しでシェリを見た。だったのだが。

「……お姉ちゃん、手が」

 先ほどのトロンボーンの少女が呆然としながら指を差す。その方向、シェリの右手がなくなっていた。指先は愚か、直前まで振り上げていた腕が消え、服の袖がパタリと倒れる。

「い、いやあああ!!!」

 事態を把握した子供の悲鳴が上がる。メドは呆気に取られていた。シェリは大慌てで作り出したオーナメントを回収すると、彼女の腕が元に戻った。

「ち、違う! 私は手品しじゃないから、これにはタネと仕掛けがあって……」

「シェリ」

 泣き出す子供を何とか宥めようとするシェリの腕を瞬時に掴んで止めたのはルサルカだった。

「勝手なことしないの! みんなも静かにして!」

 子供を叱る優しい怒号が飛んでくる。その顔はもう見たことがないほどに怒りに染まって真っ赤になっていた。わなわなと震えるルサルカを前に、シェリも子供達も口を閉ざす。

「ご、ごめんなさい……」

 一つにまとまったその言葉を聞いても、ルサルカはまだ憤慨していた。

 何とか手品であることを子供達に説明してその場が収束されると、楽団はようやく朝食に至った。メドのテーブルにはルサルカとシェリがいる。周りとは離された独立した四人掛けのテーブルで、ピリピリとした空気に包まれながらスープを啜る。

「さっきのあれで、少なくとも私の中であなたのポイントが一つマイナスになった。どうして勝手なことするの」

「悪かったって……なんか期待されているような気がしちゃって」

「誰もしてないから」

 怒りながらスープを飲み干すルサルカと肩を落としてちびちびスプーンで口に運ぶシェリは、なんだか本来の印象とは真逆に見えた。黙った食べればいいのに、とメドは思ったが、ルサルカの怒りの矛先がこちらに向くのを恐れて口を挟まなかった。

「大体にして、何なのその力」

「説明しただろう? タンバンを使ってイメージしたものを作り出すんだって」

「……自分の身体を素材にしたから、腕が消えたの?」

「ああ。元には戻るから心配はいらないよ。タンバンは血で遺伝子を覚えているんだ」

 そこまで聞いてふと思い至る。あの半人半馬の人形を生み出した時にもシェリの体はどこかを欠損させていたのだろうか。その顔を見てメドの思考を察したシェリが、メドに顔を向けて答える。

「あの時のことが気になるかい?」

「まあ……うん」

「あの半人半馬を生み出した時は腹部の石を使った。だから途中で立てなくなってしまったんだ」

「お腹を……」

 けろりとシェリは言い放ったが、メドは愕然とした。自分の身体を使う、なんて想像もできない。あの時彼女の顔は苦痛に歪んでいた。その痛みを想像してメドは申し訳ない気持ちになって落ち込んだ。スプーンを置いて、改めてシェリに頭を下げる。

「あの時は、ごめん」

「もういいよ。君も訳が分からなかっただろうし……それより良いのかい? 君は審判役だろう? 私に肩入れしないほうがいいって、ルカちゃんが言ってる」

「あだ名で呼ばないで」

 ルサルカは睨みながらピシャリと言い放つ。シェリは怯む様子はないが、どこか残念そうに唇を窄めた。

「……決めるのは私たちだよ、メド。彼女のペースに巻き込まれちゃダメ」

「分かってるよ」

 その場では返事をしながらもメドの心は揺れる。ようやく口を閉ざしたルサルカにほっとしながらメドはスープの中の豆を掬う。ぽたぽたと汁が滴って落ちてしまう。何度も救い直してようやく口に運ぶ。二人の狭間で味わういつもの食事は、何だか塩辛いものに感じられた。


***


「メド、いいか」

 朝食の片付けの最中、声をかけてきたのはディルだった。見える部分では腕と頭に包帯を巻いていたが、立ったり歩いたりする分にはなんの問題も無い様子だ。大きな怪我のない彼の姿にメドは思わず飛びかかる勢いで近付いた。

「ディル……!」

「お前が起きてくれてよかった……そうじゃなかったら、俺……」

 こんなに声の沈んだディルを見るのは初めてだった。ガード班で重体以上を乗り越えたのは彼一人であった。シェリが応急処置をしたスプラウトは今なお病室で眠っていると聞いている。

「ごめん、僕、ロゼとセージを、助けられなくて……」

 ディルだけには言わなければならなかった。一歩及ばなかった後悔が夢に見るほど頭から離れない。ディルはそんなメドの背を何度も叩いた。

「お前はよくやっただろ……俺が逃げられたのも、あのデカブツのお陰だ。メドがやったんだろ? 聞いたぜ」

「ああ……だけど、僕一人じゃどうしようもなかった」

「……難しいところは俺はわかんねぇが、自分の命があるだけでお前は十分ヒーローだよ」

 しきりに慰めてくるディルの言葉をどう受け止めるべきか迷う。団長としてディルにもっと寄り添わなければと考えてはいるものの、その兄貴分たる彼の気質にメドは勝てなかった。

「ごめん……」

「謝んなよ。それよか、この後スプラウトのところに行ってやらねえか?」

「ああ。もちろん行く!」

 メドは深く頷いて片付けを急いだ。全員が寮の部屋に戻ったのを確認し、食堂に鍵をかける。その足でディルと共にスプラウトの病室に向かった。

「……スプラウト」

 眠るスプラウトを見てメドは言葉を失った。彼の心臓に向かって無数の管が取り付けられている。ベッドの淵に弛むその数の多さに愕然とした。

「心臓のタンバンがだいぶ欠損したらしい。血を塞ぐ技術がなかったらすぐに死んじまってただろうって、先生が」

「……スプラウトが襲われた直後、シェリが自分のタンバンでスプラウトの出血を抑えたんだ」

「シェリ? ……今日入った嬢ちゃんだよな?」

 合点がいっていないディルは首を傾げる。メドは言葉を選びながらディルに説明を行った。

「あの半人半馬……彼女の中にあるタンバンで作ったものなんだ」

「タンバンにそんな力があるのかよ?」

「僕も正直よく分かっていないんだけど、僕らの心臓の形を作れるってことは他のものが作れても、まあおかしくはないんだと思う。先生以外でそんなことをできる人間がいるなんて、思っても見なかったけど」

「タンバン研究の権化……なんて言われてるくらいだしな。うちの先生は」

 ディルは腕組みをしながら考える。考えて答えが出なかったのか、小さな声で唸っていた。

「ともかくあの嬢ちゃんなしじゃ今の俺らはいないってなると、良いタイミングで来てくれたな」

「……うん」

「なあ、メド」

 ディルは膝をついてスプラウトの顔を覗き込んだ。悔しげに唇を震わせている。

「俺は、許せねえよ……先生のおかげで取り戻せた命を、全然違う奴らにまた蔑ろにされて、本当に死んじまう奴がいて……俺ら、何もしてねえよな!?」

「ああ……その通りだよ」

「だから、絶対に許せねえ……俺は、決めたぞメド。首謀者を捕まえて全員に土下座する。墓の前でもなんでも、そいつが泣いて後悔するまで、謝らせ続けて、そんで一生許さねえって……」

「……」

 メドが自分の中で蟠りのように抱えていた強い憎悪をディルはそのまま言葉にした。同時に、胸の中に不安が広がった。もしも自分たちを救ったシェリが本当に襲撃犯が送り込んできた刺客で、自分たちを手にかけようとしていたらと思うとそれこそ本当に絶望だった。彼女の力に抗う手段があるとはメドには考えられなかった。

「そいつらと戦える手段があるんだったら、俺はなんでもするぜ。だからメド、遠慮せずに俺になんでも言ってくれ……! 生き残っちまったなりに、役に立ちてえんだ」

「ディル……」

 ディルのまっすぐな目は揺るぎない。きっと彼なら、シェリが犯人だった時も迷わず引き金を引けるだろう。自分はまだシェリを疑う心さえ抱けずにいる。ディルを通してメドは自分の甘さを痛感した。時間は一週間しかない。シェリをどう見極めるのか考えなければならなかった。

「……ありがとう。そう言ってくれるのが心強いよ」

「本心だぞ。なんでも言えよ」

「ああ……」

 メドはディルの言葉に頷きながらスプラウトの顔を見た。青白いその肌に血の気が感じられず、不安が押し寄せてくる。スプラウトの手を静かに取り、その冷たい指先を握りしめた。

「頼むから、帰ってきてくれよな……僕は、またお前とガードがしたいよ」

 手のひらを額にかざして祈る。何度も何度も、念を込めた。

 その時、外から軽い滑車の音が病室の入り口に近付いてきた。薬の入ったワゴンを引いた看護師が入ってくる。

「検査の時間なので、外していただけますか?」

 そう言うと看護師は二人を急かして病室から追い出す。入り口からスプラウトの様子をもう一度眺めて、二人は部屋を後にした。


***


 同刻、女子寮。シェリは朝食後にルサルカとエケベリアから寮の案内を受けていた。シェリの私室は病棟下だったが、日中は楽団と同じ場所を使うことになる。稽古を全面禁止にしている現状で常に人目がある場所に彼女を置くため、ルサルカは出入りしやすい大部屋を用意した。この施設を楽団が使う以前の古い応接間で、広いテーブルと読まれなくなった本が置かれている。

「日中はここに居るようにして。いろんな子たちが遊びにくると思うけど、余計なことはしないで」

「大部屋! 最高だね。こう見えて私は集団生活に憧れがあったのさ」

「……さっきみたいなことはやめて。みんなに危害を加えたらすぐに貴方を処分する。誰か一人があなたを監視するようにするから」

 冷えた顔のルサルカの前でシェリの笑顔が凍りついた。シェリはわざとらしく頬を膨らませて、巨大なテーブルのそばのソファにどっかり座り込んだ。

「猛省してるよ。私は私自身のためにも、君たちに喧嘩を売ったりしない誓う」

「分かってるならいいの」

 そう言ってルサルカは部屋を出て行こうとする。そんな彼女をシェリは「あ!」と声を貼って引き留めた。振り返ったルサルカは、言いにくそうに視線を泳がせるシェリに怪訝な表情を向ける。

「……もしよければなんだけど、楽団の話を聞かせてくれないか」

「……私が?」

 シェリの提案はルサルカにとって思いがけないものだった。彼女は自分のソファの隣をポンポンと叩きながら待ち構えているが、ルサルカはシェリの真隣に座る気には到底なれない。その正面で仁王立ちになった。二人を交互に見合わせたエケベリアが右手をそっと持ち上げる。

「お茶、淹れてきましょうか」

「いいよ別に……それで何の話がしたいの?」

 ルサルカが提案に承諾したことにシェリは嬉しくなって目を輝かせる。テーブルの上に肘をついてルサルカの顔を見つめる。

「そうだなあ。まずはメド君のこととか知りたいな」

 そこに飛び出してきた名前にルサルカの目つきが変わる。彼女の目に目の前の白い少女は怪しく笑っているように感じられた。シェリの目から真意が読み取れないことが、余計にルサルカの心情を逆撫でした。

「食事の片付け中に小さい子たちの話を聞いていたんだよ。二人は楽団のパパとママだって話。ねえ、それってどういう意味?」

「……なんなの、その質問」

「私的なことなのか公的なことなのか知りたいだけさ。ただの興味本位」

 シェリが何を持ってしてその質問をぶつけてくるのか、ルサルカは必死に考えた。もしかしたら彼女が秘匿にしている情報が掴めるかもしれない。その期待がありながら、同時に感じた動揺に心を支配されてしまう。自分とメドの関係性を問いただされることなど、ルサルカは初めてだった。

「……あなたはまだそこまで知る立場にない」

「え~? 仲良くならないと教えてもらえないってこと?」

「その予定もないけどね」

 そう言い放つとルサルカは踵を返す。部屋を出て行こうとすると、間でずっと見守っていたエケベリアも慌てて彼女に着いて行こうとする。

「良いの? 私を監視しておかなくて」

「……エーチェ。外の空気を吸ってくるから」

「はい先輩。私が代わってここにいます」

 エケベリアは敬礼を真似たポーズを取る。それを見てルサルカはさっさと部屋を出ていってしまった。

「残念だな。コイバナというものに興味があったのに。君も知りたくない? 彼女と団長の関係」

「私が先輩について知らないことがあるとでも?」

「う~ん……それは想定外の答えだ。難しいね、これが人付き合いか」

 妙な方向に優位に立とうとするエケベリアに鼻が白むのを感じながら、シェリはルサルカがいなくなった扉を残念そうに見つめていた。


 2.決心

 シェリが楽団に混じってから早くも五日が経過していた。シェリは至って自由――とはいかずとも、制約のある環境を気ままに楽しんでいるようだった。

 朝はルサルカに迎えられて地下から食堂に向かって団員たちと朝食を取る。食後は大部屋に引きこもって本を読んだり、子供に読み聞かせたりして過ごしていた。メドやルサルカ、加えてエケベリアが代わる代わる見張りに付いたが、誰であろうとも気さくに雑談をかけてくる。その内容が楽団について知りたがる話だったが、俗物的な噂じみた話を聞いて回るだけだった。食堂と大部屋、地下の自室を規則的に行き来しているシェリが怪しい行動をとる気配はない。だからこそ彼女が白か黒かを決定付ける情報を、メドもルサルカも得られずにいた。

 その晩、ルサルカはシェリを送ってくる前にメドに食堂で待っているように頼んでいた。子供達を部屋に帰し、一人になった食堂でルサルカを待つ。風の入り込まない閉塞的な環境にも慣れつつあったが、やはり息が詰まる。雨戸を閉め切った窓を眺めて、向こうに浮かぶ月と星空を瞼の裏に描いて気を紛らわせた。

「メド」

 そうしている間にルサルカが食堂に戻ってくる。ルサルカはメドの隣に腰掛けると大きくため息を吐いた。

「……やりにくそうだな? シェリと」

 初日から発揮されていた二人の相性の悪さは日に日にひどくなっている。シェリがこの環境に慣れ始めて馴染んでいることが、ルサルカにはどうにも気に食わないらしい。メドどころか周り全員が、ルサルカの気が立っていることには気が付いている。日頃無差別に優しい彼女だからこそ、シェリに対する敵意をあらわす姿はやはり異常に映るのだろう。

「苦手なタイプってこういうことを言うんだなって気付かされた。何考えてるのか分かんないし、変なことばっかり聞いてくるし……」

「変なことって?」

「……何でもない」

 むくれた様子で頰杖を付く。温厚かつ冷静なルサルカが誰かに振り回されているのは新鮮で、むしろいつもよりも生き生きしているんじゃないかと思うほどだった。それを言えば余計に機嫌を損ねそうだったため、メドは何も言わないでおいた。

「まあ、こっちも疑いながら接してるから、どうしたって信頼はできないよな」

「……彼女、素振りは怪しいのにそれっぽいことは一切しないから本当に分からない」

「だよな……もしかしたら、本当にただのいい奴なのかも……なんて」

 ルサルカの表情を気にしつつ言葉を選ぶ。案の定ルサルカは複雑そうな顔をしていた。

「メドは初日からずっとそうだよね。まるであの子の味方してるみたい」

「別にそういう訳じゃ……」

「私思うの。あの子を信用して、あの子が本当に敵の手引きで動いているとしたら? それでまた誰かの命が危ぶまれるようなことがあったら……私、自分の選択を許せなくなる」

「……」

 頬杖を解いてテーブルに寝そべる。メドの方を向いて、首を少しそちらに寄せた。その頭を慣れた手つきでぽんぽんと撫でた。

「もう少し、シェリに有利になるような状況があれば……」

「例えば?」

「ああ……例えば、シェリが自在に操れるタンバンが山ほどある場所、とか……」

「あるぞ。都合のいい話が」

 突然聞こえてきた第三者の声に二人はギョッとする。食堂の入り口に視線を向ければ、ランタンを持った見張りの装いのマリーヤが立っていた。

「逢引きか。結構なことだ」

「ち、違いますそんなんじゃ!」

 慌てて起き上がったルサルカはマリーヤの言葉を全力で否定した。あまりの必死さにメドは心の表面に傷付いたような気がした。

「せ、先生はどうしてこんなところに……?」

「お前たちに話さなければいけないことがあってな。もし起きていれば今日のうちに済ませようと思ってきたんだ」

「話さなければいけないこと?」

 マリーヤは二人の目の前に座って、テーブルの上にランタンを置いた。顔の周りがほんのりと熱気がかかって温かくなる。

「先日の襲撃について監査が入ることになった。国直々に説明に来いとの御用達だ」

「国が……ですか」

「ああ。異国からの犯行の可能性を視野に入れてのことだろう。時期は再来週。軍の召集会の場でになる。研究所としては特許申請に取り掛かる前の話だ。嘘があってはならない。メドが動かしたあの巨大な人形についても説明する必要がある」

 メドは静かに息を呑んだ。またあの人形と対峙することに、微かに鼓動が昂っていた。

「だが私たちにあれを作り出す技術も理論もない。シェリの力が必要だ」

「じゃあ、彼女の是非を決めるのを二週間後に伸ばすんですか?」

「いや、危険人物をそこまで滞在させ続けるのはリスクが大きすぎる。その決定が明後日になるのは変わりない……だから、残り二日の間に彼女の力が最大限発揮される場所に連れ出すのだ」

「それって……タンバンの採掘鉱山!」

 メドのひらめきにマリーヤは頷く。研究所の敷地の裏山にタンバンの鉱山が存在する。団員の手術や研究材料のタンバンは全てそこから調達される、組織専用の採掘場であった。

「先日の襲撃、狙われたのは子供達の心臓だった。間違いなくタンバンと関連がある。狙いが資材とは考えにくいが、彼女が何か行動を起こす可能性は十分にある」

「それを目の前にした彼女がどう行動を取るのか……それを見て判断するということですね」

 メドは一気に不安に駆られた。万が一でシェリを殺す決意ができていないのかと自分を恥じたがそうではなかった。黒鳥の襲撃、国の関与。まるで見えない何かが彼らを急かしているようだった。あまりにも時間が無さすぎる。

「もし……彼女を黒だと判断した時、僕らは次に何かが起こる前に、対策を備えておくことができるんでしょうか」

「……彼女から情報は探って今も研究を進めている最中だ。確信がない以上、お前たちに話せることはないが、我々の研究は進み続けている……他所でできることが、ここでできないはずがない。対抗手段は必ず作り出す」

 マリーヤの目には闘志に似た炎が映っているように見えた。メドたちと同じく事件に疲弊しているはずだが、パナシアという人物の話を聞いてからのマリーヤはずっと別のどこかを見ているようだった。

「とにかく、お前たちはあの少女について探ってくれれば良い。採掘場には話をつけておく。力と判断に優れた有志を数人伴っていきなさい」

「はい、先生」

「はい……先生」

 ブレのないルサルカの返事を聞きながら、メドはそぞろな返事をした。マリーヤの険しい視線が一瞬メドに向けられるも、彼女はそのまま食堂から立ち去っていった。

「……きっとこれが解決手段になるよ」

「……そうかな」

「そうだよ。先生はいつだって正しいんだもの」

 ルサルカの言葉が今は盲信的に聞こえてならない。今は少しマリーヤを懐疑的に思ってしまっていた。漠然とした不安を抱えて、メドはその晩眠ることができなかった。


***


 翌日、メドとルサルカはそれぞれディルとエケベリアを選出し、シェリを合わせた五人で採掘場にやってきた。三人には研究に必要なタンバンの採掘という名目で同行してもらっている。マリーヤの思惑を知っているのは、この場でもメドとルサルカのみであった。

 団員たちがこの場所を訪れることは無い。自分たちの生活圏内でありながら見慣れない光景に目を奪われつつ、職員に案内されて鉱山の敷地へと足を踏み入れた。山を削いで作った採掘場入り口は既に、淡く輝くタンバンに覆われていた。先頭をメド、荷車を押すディルを最後尾にしてその内部を進んでいく。

「すげえな! 初めて見たぜ、生タンバン!」

 岩肌の壁の中でディルの声が反響する。その一歩手前を歩いていたシェリが嬉々とした声で返事をする。尖った場所を人差し指で突く姿はどこか好物を愛おしむような顔をしていた。

「おお! いいこと言うね。確かにこれは生だね」

「まるで生でないタンバンがあるかのような言い方ですね」

 コツコツと長靴の踵を鳴らしながら、エケベリアはシェリを一瞥する。

「もちろん! 一度人体に取り込まれたタンバンはその人物の遺伝子情報を得るんだ。自然界に存在する物とは中身が変わってしまうから、純然たる鉱物のタンバンを指して『生』と表現しているのはなかなかいい筋をしているよ」

 シェリはいつも以上に饒舌になって話している。楽団に来てから彼女が楽しげ以外の表情を見せることはほとんどなかったのだが、今はこの一週間で一番鼻息荒く話をしていた。

「ディル先輩がそこまで考えてる訳ないと思いますが」

「んだとぅ!?」

 毒舌を発揮するエケベリアにディルが食ってかかる。先頭を進むメドは眠気を感じつつも、ルサルカが静かに放っている緊張感に内心はらはらしながら黙ってシェリの話を聞いていた。

 暗い洞窟を進んでいけば行き止まりに辿り着いた。最深部。これ以上掘り進められていない場所だ。砕いて飛び散ったタンバンの破片が辺りに散乱している。

「ああ、いいねぇ! こんなに大量のタンバンを見るのは私も初めてだ! 腕が鳴るねえ!」

「ちょっと、貴女はあくまで見学の立場ですよ! 勝手に動かないでくださいね!」

 厳密な状況は打ち明けられていないものの、エケベリアはすっかりルサルカの立場になってシェリを敵視する振る舞いをとっていた。シェリ自身あまり意に介していないようだったが、その言葉を聞き入れてあちこち飛び跳ねていたのをやめた。

「それで、どれくらい採るんだよ?」

「大きな開発に使うらしいから……先生の見積もりだと四百キログラム」

「よんひゃくぅ!? 何往復させる気だよ……」

「これは日が暮れるまでかかりそうですね」

 その言葉で途方のなさを実感する。あくまでも滞在時間を伸ばすためのマリーヤの計らいではあるが、おそらくあの機械人形をマリーヤが再現するために必要な資材でもある。成果を一つでは済まさせないマリーヤの強かさにメドは舌を巻いた。

「鉱夫の手を借りれば早いけれど、研究に携わる者として現物を見たり生態系を理解する活動は必須だろ? 何より、君達の命にまつわるものだしね」

「俺たちは研究者じゃないっつーの!」

「タンバンを持っているのにその実態を理解していないのは、ちょーっとばかりおつむが足りてないね?」

「なッ……んだとっ」

 肝心のシェリはすっかり楽団に打ち解けていた。ディルのように反応の良いタイプとは気性が合う――もとい、いじり甲斐を感じているのか、親しく絡んでいる場面が多い。

「……とりあえず、始めてみようか」

「そうだね、私はこの辺りのタンバンを狙ってみるよ」

「……私、向こうでやるね」

 そういうとルサルカは少し離れた場所で作業に取り掛かり始めた。エケベリアも彼女に追随して同じ場所で作業を行う。メドはルサルカがメドと別の場所からシェリを観察する意図を持っていることを理解していたが、ディルにはそれが軋轢に感じ取れたらしい。眉を顰めて、メドに耳打ちをしてきた。

「ずーっと、何を怒ってんだ? うちのかあちゃんはよ」

「怒っているっていうか……色々あるんだよ。なんだかんだ繊細だろ、あいつ」

「あいつの繊細さなんてお前以外で発揮されないだろ」

「それ本人の前で言ってみろよ……絶対怒るぞ」

 メドはディルとの会話を話半分に、その場に屈む。隣に並ぶシェリはタンバンの塊を前に目を輝かせていた。持ったつるはしで盛り上がった壁を突き刺す。欠けた箇所を起点に、林檎のような大きさのタンバンが転がり落ちた。

「ほー。そうやるといいのか」

 シェリの手元を参考にディルもつるはしを振るう。シェリよりも大雑把に、辺りの石ごと削り取っていく。

「……楽しそうだな、シェリは」

「楽しいよ? 外で自然に触れ合うなんて初めての体験だからね」

「……向こうではずっと研究を?」

「ああ。私とあの人……パナシアは二人っきりだったから、いつも研究熱心なあの人に付き合わされていたよ」

 かつんとタンバンを削ぐ音があちこちから響く。会話をしながらもシェリは手を止めなかった。

「さっきの話じゃないけれど、薬品や遺伝子にすでに汚染されたタンバンより、自然に存在しているものの方が美しいね」

「違うものなのか?」

「全然違う。これを見て」

 シェリは手のひらに粒状のタンバンを乗せた。よく目にするタンバンは薄紅の半透明だが、彼女の手に乗せられたそれは赤みが強くて透き通っていた。

「見た目が変わるというのは科学の神秘だし、それで物質としての有用性が高まるのは事実だけど、ありのままの姿というのが一番いいんだろうね……だってそうやって今日まで成り立ってきたものだろう? 少なくとも、私はそう思っているんだ」

 シェリの価値観にメドは目を見張る。その思想も創造性も、メドには全てが新鮮だった。その目には世界はどう写っているのか。互いの立場を度外視して、メドはシェリのことをもっと知りたいと感じていた。

「私からも質問良いかい?」

「ん、何?」

「ディル君が言っていた『かあちゃん』って何? 前もルサルカに聞いたんだけど、有耶無耶にして話を切り上げられちゃってさ」

 その質問にディルが割り入って答える。

「ルサルカだよ。うちの副団長だからな。メドが大黒柱で、ルカが女房役。お似合いカップルってわけ」

「おい!」

 尾鰭のついた説明を受けて、メドが食い付く。弁解するようにシェリに捕捉した。

「……ごっこ遊びみたいなものだよ。別にほんとに付き合ってるわけじゃない。ただ、先生がそう役割を決めただけ」

「役割?」

「そう。この楽団が、一つの家族だったら、っていう役割」

「……そうか。そういう風にするのか」

 シェリの言葉が急に密やかなものになる。静かに聞こえたそれの意味する場所がメドには理解できなかった。わずかな違和感を感じ取ったメドの傍で、ディルはぼんやりと呟く。

「んでも、家長なのは事実だろ。もうすぐ本物の夫婦になるんだしよ」

「夫婦に……」

 シェリは感心した様子で、夫婦、夫婦……としきりに呟いた。

「……まだ、よく分からないよ。そんなの」

 狭いコミュニティで生きてきた楽団員は外のことを知らない。将来を考えても他に行き場もない彼らに他の場所に移住する選択肢をはまずない。だからそうなることもやぶさかではなかった。そのはずなのだが。

「……僕は、与えられた役割の名前だけで十分だよ」

 ただでさえ先行きの見えない現状に居合わせて、メドは冗談でも将来を語る気には慣れなかった。

 話をそれとなくかわし、シェリに視線を向ける。今のところ彼女に変わった様子はない。大量のタンバンに興奮している節はあれど、至って普通に採掘作業に勤しんでいるだけだ。

 メドは思い切って、発破をかける決断をする。

「なあ。シェリは……これだけのタンバンがあれば何が作れるんだ?」

「この山のタンバンを使うってこと?」

「うん」

「そうだな……」

 シェリはツルハシを置いて考え出す。壁にそっと手を伸ばし、タンバンに触れた。その指先の当たる部分からタンバンが眩く輝き出した瞬間、メドは全身の血の気が引くような心地がした。

 だが、予感したようなことは起こらない。シェリは犬が猫を撫でるような手つきで壁に触っているだけだった。

「家を建てるかな」

「家!?」

「うん……何か変かな」

「いや、別に」

 破滅的な思想とは程遠いその思考に、メドは呆気に取られてしまった。

「なんで家?」

「欲しいからさ。自分のための居住区。私は狭くて暗い部屋でしか過ごしたことがないからさ。明るいテラスのついた天井の広い家が欲しい。そこで、家族と暮らす」

「家族?」

 メドが聞き返すと、シェリは少し寂しそうな顔になった。

「父という人とか、母という人とか、そういうありきたりな家族をさ。作るんだ、タンバンで……私はどちらかと言うと人ではないし、そういう作り物でいいと思ってる」

「……」

 あまりにも物悲しい。メドの主観にはそう映る願いだった。

「だから、君とルサルカの話は羨ましいと思ったね……あ、けどまあそこまで深い中でなくとも、君達楽団の仲間になれるのなら十分に嬉しいよ」

「……」

 メドは何も返せなかった。ここで彼女を情だけで仲間だと認めるのは簡単だ。だが、メドにのしかかった責務がそれを認めない。

「……大丈夫。君にプレッシャーをかけてるわけじゃないから。気にしないで」

 メドの思いを察してシェリは気遣いの言葉をかける。それが余計に居た堪れなくなり、メドはシェリの顔をじっと見つめた。

 その時、彼女の頭上の石がぱらぱらと崩れる音を発した。ぐらり、とその壁が揺らぐ。

「シェリ、危ない!」

 咄嗟にシェリの腕を引き寄せる。彼女は落石を交わし危険を免れる。

 だがほっとしたのも束の間、握ったその手から身体に強い衝撃が走った。全身に電流を感じる。同時に自分の神経が一斉に外側に引っ張られるような感触がした。ぐらり、と身体が傾く。

「メド君!?」

 シェリのその言葉を聞き終えると、メドの意識は静かに遠のいた。


***


 落ちた意識の中でメドは温い感覚を味わっていた。ゆっくり目を開けば、桃色のミルクの海の中を漂っている。これは夢だと理解した。生ぬるい温度と濡れた感覚がやけにリアルで気味が悪い。

「僕、何をしていたんだっけ……」

 穏やかな甘い香りが思い出そうとするのを弊害する。より深く深く、眠りに落ちていくような気分になりながら、メドは遠くで声がするのを聞いた。

 ――……

「……なんだ?」

 聞き取れないほどの小さな声に耳をそばだてる。ミルクが揺れる音の奥底、確かに他人の声があった。

 ――……たい

「何を言ってる?」

 ――なりたい

 男の声だった。低い音を出そうとすれば枯れるような音が出る。華奢で繊細な声だった。

 ――特別に、なりたい

 ミルクの波に飲まれると、その声ははっきりと聞こえた。

「特別?」

 ――ああ、特別……君はなってくれるかい

「……特別になりたいのは君だろ?」

 訳も分からず、声の主と対話する。相手は不安げに時折嗚咽を漏らした。

 ――僕ではなれない。二度と

「僕に言われても困るよ」

 ――君でなければ、ダメなんだ

 その時ミルクが一斉にメドに押し寄せる。夢の中だが息ができなくなった。身体を飲み込まれそうな感覚に恐怖すると同時に、そこはかとない安堵も感じていた。そのまま身を委ねて身体を手放せば心地良いような気がした。ゆっくりと瞼を下す。暗くなった視界で、メドは静かに眠りにつこうとした。その時、

「メド、起きて、お願い……メドがいないとダメなの……私達二人で〈二本柱〉になれるの」

 声が聞こえた。その言葉にメドは慌てて目を開く。自分を溺れさせるミルクの海をかき分けて、水面に顔を出した。響いてきた言葉に、脳を支配される。

「僕は、二本柱……」

 口を動かして唱えれば、あたりは眩い光に包まれた。メドを取り込もうとした誰かの気配はどこかに消えてしまったようだった。


***


 ハッと意識を覚ませば視界には再び一面に広がるタンバンが写った。突然自分の身に起きたことに困惑していると、仲間たちの様子もおかしいことに気がついた。

 メドの隣にはぴったりとルサルカが寄り添い、そのすぐ近くにエケベリアがいる。二人の目線の先にはシェリがいる。だがルサルカがシェリに向かってツルハシで威嚇するのを見るに、ただ事ではないとすぐに分かった。間に挟まれたディルはその状況に頭を抱えていた。

「ルカ……? シェリ……?」

「メド、気付いたの!? 彼女に何をされたの!」

「何って……僕が落石に気付いて……」

「貴方は優しいから彼女を救おうとした。でも、彼女はそれに漬け込んで、またメドに何かしようとした! そうじゃない!?」

 ルサルカの怒りは鎮まりそうにない。その手の付けられない様子を前に、シェリはなんとか彼女を落ち着けさせようとする。

「私は何もしてないよ。ちゃんと状況を整理して……」

「メドとの接触は避ける……そもそもにしてそれが最初に提示した条件。それも守れないというなら、貴方に温情をかける義理は私達にはない!」

「おいルカ! 落ち着けよ、シェリの腕を掴んだのは僕だ。シェリは何もしてない」

「メド……どうして……!」

ルサルカは悲壮感に暮れるとますます躍起になって、その怒りに満ちた顔をシェリに向けた。

「私はあなたがいる状況に安心できない!」

 悲痛に叫ぶルサルカを見てシェリは肩を振るわせる。

「あなたの力は私たちにとって恐ろしすぎる……私たちの心臓はタンバンなの! それを自由に操れる貴女が触れたら、死んでしまうかもしれないのに」

「……」

 そこまで聞き終えたシェリの目線が地面に落ちる。何拍も呼吸を置いて、そして何かを諦めたように首を振った。

「……分かった。そこまで言われるんだったら仕方がない」

 ツルハシを放り出し、シェリが踵を返した。鉱山の出口へととぼとぼと歩いている。

 メドはそこでようやく立ち上がることができ、慌てて彼女を追いかけようとした。だが、ルサルカの腕がメドが向かうのを阻む。メドの身体に抱きついて、決して離れようとしない。

「行かないで……!」

「なんで。まだ何も見極めてないだろ!?」

「違うの、先生が言うの……」

「え……?」

 ルサルカはメドの服の裾を掴む。先へ進むためにそっとその手を引き剥がそうとした。だが彼女は頑なに指先に力を入れて決して離そうとしない。

「なんだよそれ。先生がやれって言ったよな? シェリを見極めろって。先生は他に何か言ってたのか?」

 メドの気持ちが前のめりになって、ルサルカを問い詰める。焦りを怒りと感じたルサルカは怯えたように身を縮こませた。

「怒らないで……だけど、先生はあの子を不安視してる。私、先生にこれ以上余計な心配をかけさせたくないよ」

 その小さな唇はうわごとのように、先生、先生とくり返した。

「……そのために、僕たちが決めるんだろ」

 メドはついに思い切りその手を振り切った。シェリの姿を追いかける。

「メド……!」

「突き放すだけじゃ駄目だ……僕らと同じ彼女のことを知らないと、僕たちは何も変わらない!」

 追いかけながら、自分の決意を唇に乗せる。鉱山の入り口までやってくるとシェリの姿があった。

「シェリ!」

 ゆっくりとシェリが振り返る。その背後、黒い翼が彼女の背中ではためいた。

「!?」

 敵の首が現れて、シェリの頭上に飛び上がる。黒鳥カーチャだ。脳が危険と認知したその姿に、メドは身動きが取れなくなる。

 次の瞬間、メドに向かって飛び交おうとしたカーチャをシェリは踏み付けにしていた。鳥の翼の生えた腕輪を振ってカーチャの更に頭上へと上がる。

「邪魔だよ」

 冷たく吐き出した言葉と共に、手から生み出した棒状の武器でその頭を叩いた。無力化されたカーチャの身体が霧散する。

 更に上空から新たな群れが現れる。シェリは何食わぬ顔で次の攻撃を待ち構えた。

「……シェリ、」

「君は見ているといいよ。この身を賭して楽団の味方でありたい私の姿をね」

 シェリは耳飾りを取ると鉱山の壁にあてがった。

 壁に密集したタンバンがシェリの体へと引き寄せられていく。腕を取り囲み、そして全身に及んだ。石に包まれた少女の身体は次の瞬間、小さな騎士の姿になった。同じく石で組み上げた馬にまたがり、鳥が向かう方向へと走る。

「はあああ!」

 勇む彼女の剣がカーチャ達を次々に落とす。舞い踊っているかのような優雅な身のこなしに目を奪われる。だが、その姿が増え続けるカーチャが彼女を襲い続けた。

「シェリ!」

 足がすくんでいた。動けない。そこへ後ろから仲間達が駆けつけてきた。

「おいメド……!? あれは、嬢ちゃんと、あの鳥……!?」

 ディルの声が響いて、すぐに止んでしまう。振り返れば皆カーチャの姿を愕然と見つめていた。あの日の記憶が一斉に蘇ってくる。

 それを見て、メドは冷静さを取り戻す。彼らは自分が守らなくてはならない存在だった。それを自覚して立ち上がる。

「っ……やめろ!」

 カーチャに向かって駆け出す。後ろで仲間の声が聞こえたがなりふり構ってなどいられなかった。

 群れの中に飛び込んで、中にいるシェリに向かって腕を伸ばす。

「シェリ! 掴め、掴んでくれ!」

 必死の訴えが響き渡ると共に、カーチャの目線がメドを向いた。カーチャ達はターゲットを変え、メドを取り囲もうとする。その瞬間にシェリの手がメドに届いた。たちどころに電撃が二人の身体を舞う。指先から溶けていくような感覚がして二人はタンバンの光に包まれた。

 目を開くと、あの日の半人半馬が姿を現していた。メドはその中で群がるカーチャを払い除け、大槍で串刺しにした。瞬く間に消えた黒鳥の姿は、結晶となって降りしきる。

「シェリ……は、どこだ?」

 ――ここだよ

 人形の内壁からシェリの声がする。驚きながらもそっと壁に手を添える。

 ――驚いたな。君に使役されちゃった

「どういうこと……?」

 ――以前もあの機械人形を出現させた時、あれは私自ら君にタンバンを差し出したんだけど、今度は君が主体で私のタンバンを使ったんだ。私と君にはどうにも同じ遺伝子が使われてるってことらしい。詰まるところ、君にとっての私の身体はそこにある鉱山と同じになる

「そんな、シェリは無事なのか……? 元に戻れるのか?」

 ――心配しなくても大丈夫。その手をゆっくり、この人形から離してごらん

 メドは言われた通りに両手を離して頭の上に上げる。ゆっくりと人形の身体が崩れていく。メドは足場のあるうちに人形から脱出した。

 人形の残骸が1箇所に集まると、そこにシェリの姿が描き出されていく。身体を取り戻したシェリは大きく息を吐いた。

「ほらね」

「……良かった」

 安心した途端に足の震えが戻ってきた。メドはその場に座り込む。その姿に少し笑ったシェリが手を差し出そうとして、すぐに引っ込めた。

「……いや、やっぱり君との接触は危険だ。私の方がね。だから、ここに留まるのはやっぱり無しにするよ」

 そう言って、シェリは右足を後ろに運ぶ。振り返ってそこで一部始終を見ていた楽団に小さく会釈すると、その場を去ろうとする。

「待てよ!」

 メドが投げかけた言葉にシェリの足が止まる。

「なんでそんな寂しそうな顔するんだよ、ここにいたかったんだろ」

「……だけど」

「僕は認める。今シェリが僕たちのために戦った姿、それが証明になる。だから僕は君の安全を保証する、悲しい思いもさせない! この手で君のタンバンを好き勝手に操ったりもしない!」

 シェリの目が丸く見開かれる。泣き出しそうに目尻が赤く染まった。

「お前達も見てたよな!? シェリは僕らの味方だって、もう分かったよな、ルカ!」

 名前を呼ばれたルサルカの手がぴくりと震える。目を泳がせて戸惑っていた。

「……お前達が何を揉めてんのか分かんねーんだけど、とっくに仲間になったんだろ? 嬢ちゃんは」

「先輩方は秘密が多すぎるんですよ。私自身……まあ、彼女がうちで過ごすことに遺憾はありませんよ」

 先にディルとエケベリアがシェリを肯定したことにより、ルサルカは呆然としていた。縋る場所がなく、シェリと並んだメドを前に唇を噛み締めた。

 それは長く苦しい長考だった。その果てでルサルカは諦めようにようやく口を開いた。

「……分かった」

 彼女が完全に納得していないことはメドも理解した。だが頷いたのは事実だった。シェリの証明が、わずかでもルサルカの心を動かした証拠だった。


***


「そうか。受け入れることにしたんだな、彼女を」

 深夜。マリーヤの研究室に報告に行っていたのはルサルカ一人だった。メドはとっくに眠りについている時間だった。シェリを地下に送り出してから、ルサルカはここにやってきた。

 暗がりの中、一つのランプだけが明るく灯っている。ルサルカはベッドに横たわると、何も見えない天井の方角を眺めていた。

「先生、ごめんなさい……」

「なぜ謝るんだ。二人に選べと言ったのは私だ」

「だけど……」

 声を震わせるルサルカに、マリーヤは懐から紙に包んだものを手渡した。中を広げて、口に近づけさせる。

「飲みなさい。薬が切れる時間なんだ」

 言われるがままに喉奥へ薬を流し込んだ。時間をかけながら、ルサルカは冷静さを取り戻していく。

「……今日、メドがまたあの馬のような人形を作り出したんです……どうして、メドにだけそんなことが」

「……メドは特別だからな」

 マリーヤは引き戸を開いて、薬の瓶を取り出す。中の錠剤をすり鉢に入れると細かく押しつぶした。一定の量を潰し切って、一つ一つ紙に包んでいく。テキパキとした手つきを、寝そべりながらじっとルサルカが見つめている。

「何事にも種というものは必要だ。きっかけがなければ何も始まらない。メドはエウリピ楽団を始めるための、最初の存在だからな。他の団員とは違うことも多いだろう」

「……そう、なんですか」

「だが案ずるな。彼は私たちの味方だと、お前が一番知っているだろう」

「はい……だけど先生」

「まだ何か気掛かりがあるのか」

 薬のついた唇を拭き、ルサルカは体を起こす。心底悔しそうな顔になって、シーツを握りしめた。

「先生、どうしてメドなんでしょうか……どうして、きちんと選択ができるのは、私でなくてメドなんでしょうか……」

「お前はよくやっているよ。この楽団の母は、お前一人だ」

 マリーヤはルサルカのベッドに浅く腰掛けた。ルサルカは徐ろに彼女の背中に寄り添う。それが自然であるかのように、マリーヤに身を預けている。

「ルサルカ、お前は特別だ。私の大切な、一番目の娘……」

「……はい、先生」

 その言葉に絆されてルサルカは目を閉じる。薬が回って、居心地のいい人間の隣でルサルカは静かに満たされた。

 夜が、静かに更けていく。

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