第40話聖女の癒し

「俺は、あんなところで殺されるような人間じゃなかったんだ!あんたが、俺を突き落とさなければ!!」


 俺は志望校に合格して、青春を謳歌しているはずだった。楽しい人生が待っているはずだった。


 なのに、こいつに殺された。


 全てを台無しにされてしまった。


「こっちは三浪して、後がなかったんだよ。そんなときに、A判定の現役生を見て……魔が差したんだ!あの時の俺は受験ノイローゼでおかしくなっていた。そう裁判でも認められたんだ!!」


 何に認められたのだろうか。


 そんなものに殺された相手に通じるはずがない。それとも、ルーシュは裁判で裁かれたら、殺された被害者に許してもらえると思っているのだろうか。


 俺は、人生はこれからという時に死んだというのに。


「そんなので許せるわけがないだろうが!」


 俺は、炎が竜の形になる。俺のなかのサカイの記憶が、怒りの炎と繋がったのだろう。竜の体になりきれなかった炎が、店の床や天井に燃え移る。


 乙女チックだった内装は、あっという間に火の海になった。ルーシュは、炎から身を守るために水の魔法で炎を消そうとする。しかし、それよりも火の回りが早い。


「お前さえいなければ……。お前なんていなければ!!」


 獣のような醜い叫び声を上げて、俺の竜はルーシュに襲いかかる。けれども、ルーシュが作った水の剣で、俺の竜は簡単に斬り伏せられた。


 さすがは、魔法使いだ。


 俺なんかとは、格が違う。


 けれども、憎しみは俺の方が強い。


「今更、前世のことを持ち出すな!」


 ルーシュは、そのように叫んだ。


 そんな事は納得できない。


 俺達は、前世の記憶を持っている。


 俺達の前世と今世は、繋がっている。


 だからこそ、今まで頑張ることが出来た。そして、こんなにもルーシュが憎いのだ。


 俺の魔力の炎が、今度は剣の形になる。まるで、眼の前のルーシュを刺殺してやりたいという気持ちに答えるように。


 俺は持ったこともない剣を抱えて、ルーシュに向かっていく。ルーシュは水の剣を再び出現させて、俺を迎え撃とうとする。


「お兄様!」


 リリシアが、俺とルーシュの間に入った。彼女はシズと共に避難したはずなのに、ここにどうしているのか。


 ああ、そうか。


 シズを振り切ってまで、俺のところにやってきたのか。馬鹿だなぁ。


 リリシアには、聖女になって沢山の人を救うのに。


 人々を怨みつらみから解放する聖女になるというのに。


 俺なんかのために、自分の身を危険にさらすなんて。俺なんて、前世の亡霊のようなものだと言うのに。


 炎に包まれる部屋で、リリシア泣きそうな顔になっていた。こんなリリシアの顔を見たのは、何時ぶりのことだろうか。


 サカイと初めて会った時だろうか。あの頃と比べてリリシアは、随分と強くなった。


 だから、そんなふうに泣かないで欲しい。


 悲しい顔をしないで欲しい。


 リリシアには、笑顔が似合うのだから。


「お兄様、止めてください……。あなたは、私の見本です。自慢のお兄様です。だから、お止めください。どうか……どうか。こんな事をしないで」


 リリシアは、俺に抱きついた。


 俺の力が抜けていく。


 リリシアの温もりが、俺の憎しみや怒りを溶かしていく。心が穏やかになっていくのだ。


 過ぎ去ってしまった前世ではなく、自分と共に今を生きてくれとリリシアが全身を使って懇願していた。その無言の願いに、俺は涙する。


 これが、聖女が持つ力なのだろうか。


 あれだけ荒ぶっていた心が、徐々に違う感情に塗り替わって行く。リリシアに労られて、彼女の体温の胸が締め付けられる。


 ああ、そうか。


 これこそが、ご褒美か。


 仇を打つことが、俺のご褒美かではなかったのだ。俺は、勘違いをしていた。


 俺にとって最大のご褒美は、成長したリリシア憎しみを癒やしてもらうこと。


 聖女に癒やしを最初に得られることが、最大のご褒美であったのだ。


「お兄様……お願いです。お願い」


 俺は、炎の剣を捨てた。


 魔力で出来ていた剣は綺麗に消え去って、黒い煙の炎もなくなる。


 俺の感情が平穏に戻ったから、魔力を制御できるようになったのだ。よって炎も消えたのである。


 だが、炎によって焦げてしまった室内は酷い有り様だ。俺にも、リリシアにも、怪我がなかったのが不思議なくらいだ。


 そのとき、水滴が俺の鼻先に当たった。よく見れば俺とリリシアの周囲にだけ、水で濡れた跡があった。


 この水は、ルーシュ先生の魔法だ。ルーシュ先生は炎を消しながら、俺が自らの炎に焼かれないように守ってもいたのだ。


「ルーシュ先生……」


 俺は、リリシアを抱きしめる。


 暖かくて柔らかくて、悲しくなるぐらいに優しい匂いがした。俺が導くべき聖女にして、俺が守るべき可愛い妹。


「リリシア様、燃える建物のなかに戻る奴がいるか!イムル様も逃げるぞ!」


 リリシアと同じように部屋に入ってきたシズが、俺の腕を掴む。俺とリリシアは、そろって首を横にふる。炎は消えているし、もう燃え上がることもないだろう。


「リリシアが消してくれたんだ。今まで消えなかった憎しみを……リリシアが消してくれた」


 俺が微笑むば、シズに「バカ!」と怒鳴られた。


「ここまで焼ければ倒壊の可能性もあるんだよ。いいから逃げるぞ。バカ兄妹」


 シズは、俺の腕を掴む。ついでに、リリシアを俵のように担いだ。


 淑女を抱えるには雑すぎる持ち方だが、今は緊急事態である。シズの事を誰も𠮟らないであろう。


 そうして、シズは燃え尽きそうになった建物から領主と妹を救った英雄となったのであった。



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