第33話シズの過去1
俺の人生は、始まった瞬間から終わっていた。
男爵家に生まれたのだから、市民とは違ってまともな教育も上等な食事も衣服も用意されているのが普通だ。
上を見ればキリがないが、それでも本当の貧困とは縁がない生活が普通ならば送れるはずである。現に、俺が知っている男爵家の連中は幸せそうだった。
狭いながらに領地を持っており、そこを運営するために親は真面目に働く。呼ばれた家庭教師に学びながら、自分たちは勉強に励む。それらは、俺が外で学んだ知識に過ぎない。
俺は、親が働いている姿を見たことがない。
俺にとっての親は、常に王都に滞在しながら遊び歩いているような碌でない人間でしかなかった。
たまに領地に帰ることもあったが、そこにあるのは荒廃した土地だ。畑の草木は枯れて、作業をしている人々は痩せこけている。
酷い光景なのに、そんなものなど見えていないかのように親は王様のように領地を練りあるいた。
それて、親の部下たちは自分たちの地位を保つために親に必死にぺこぺことしていた。子供の目にも、この領地は終わっていることが分かっていた。
土地を捨てて逃げていく人間もいると聞いたが、それは正しい選択に思えたほどである。
俺が記憶にある限り、領地の状態は最悪だ。祖父の頃は慎ましくしていれば暮らせた状態だったらしいが、遊び惚けるだけの父が領主になってからは悪化した。
いくら生活を切りつめても税は高くなるばかり、そのせいで生活できなくなった領民が逃げるということが続いていく。
隣の領から苦情が来ていたことも分かっていたが、父は何もしようとはしなかった。いつもの通りに王都で遊び惚けて、何もかもを自分の保身しか考えていない無能な部下に任せてしまった。
これで、母がしっかりした人だったら違ったかもしれない。だが、母は平民上がりの人だった。
高級娼婦だったという母は美しさだけで夫を射止めたことを自慢していたが、領地を経営するような頭はなかった。
自分を着飾ったり、上流階級の真似をしてサロンのようなものを作った。もっとも元娼婦のサロンもどきに来るような学者は三流で、他者から裏で笑われるような話しかしていなかったが。
ともかく、父も母も楽しい事しか知らないようなお気楽な人たちだった。二人で面白おかしく過ごすことしか頭になくて、俺は二人の邪魔者でしかなかった。
子供は、大人の楽しみを共有できないからだ。遊び仲間ではない人間など親たちにとっては、いないも同然の存在なのだ。
元から豊かではない領地は、父と母の楽しい毎日を維持するためにあっという間にボロボロになっていった。前以上に逃げ出す領民が増えたので、父の部下は土地から逃げれば罰金を払うように領民に命じた。
それでも新しい土地を目指す領民の流失は止まらず、なかには隣の領地の村に盗賊行為を働く人間まで現れた。
なんとかしてくれと隣の領地から何度も文句を言われたから、父と部下は強奪行為を働いた人間の首を跳ねることで単純な問題解決をはかった。
それでも強奪行為が止まらなかったのは、人々が普通の暮らしでは生きられないと知っていたからであろう。善良であるだけでは生きられない。
人から奪わなければ、貧困のなかで生き抜くことが出来なくなっていたのである。
それでも父と母は、カード遊びに興じていた。一夜にして消えていく掛け金が、農民たちの汗水ながした金である事など父と母は知ろうともしていなかった。
だからかもしれない。隣の子爵の土地はいつでも輝いているように見えた。領地は豊かで、不作だって被害を出さずに乗り越えた。農民たちの頬はふくよかで、皆が日々の生活を楽しんでいるように思えた。
父にだって、そう見えた事だろう。
いや、父には豊な土地を作った主の苦労は見えなかったはずだ。金の生る木である領地が豊かであることが、ただ羨ましかったに違いない。
そのうちに、これ以上の送金は出来ないと部下から連絡があった。あまりにも遅すぎる連絡であったが、その当たり前の報告に父は荒れた。父の金使いの荒さは増していっており、領地からの送金では足りないぐらいのカード遊びに興じていたからである。
そこからは、金がかかる俺と言う存在は父と母にとって邪魔者になった。
領地からは、もう搾り取ることが出来ない。そのように連絡がきたと言うのに、父と母の贅沢は止まらない。
その贅沢を支えるために、俺にかけられる養育費は目に見えて減っていった。
俺に与えられるものはどんどんとみすぼらしくなり、これだ男爵家の息子の生活であるかと俺自身でも笑ってしまった。
最初にいなくなったのは、家庭教師。
俺にかけられる教育など不要とばかりになった家庭教師となくなった勉強の時間。その代わりに俺に課せられたのは、いなくなった使用人の真似事だった。父と母が滞在している館を掃除し、日々の生活を快適にするために整える。
シェフが解雇されてからは俺が調理までも担当して、父と母が食べるための食事を作った。
俺は共に食事をとることはなく、残り物で簡単に作ったものを一人で食べる日々であった。わびしく情けない毎日だったが、誰にも見られていないことが救いだった。こんなところを見られていたら、きっと恥ずかしくて死んでいたことだろう。
父と母は、俺の興味がなかったのだ。
それでも息子を作ったのは、跡取りがいないと貴族として格好がつかないからであろう。それに、俺が産まれた頃は祖父が存命だった。
遊びたがる父と母に睨みを利かせて、貴族としての役割を果たさせていたのだ。そんな祖父もいなくなってしまったけれども。
俺は、親から誕生日プレゼントの一つももらったことがなかった。
もしかしたら、親は俺の誕生日など忘れてしまっていたのかもしれない。俺も給料やお小遣いなんてもらってないから、親にプレゼントを渡したことはなかったけれども。
使用人のようなことをするようになって、貴族とは思えないような質の悪い服を着るようになったからは町に行くこともなくなった。
家に閉じこもって仕事だけをしていれば、まるで世界中から俺が忘れられてしまったように感じられて怖かった。女神さまも俺の存在など忘れてしまって、自分を救ってはくれないのではないだろうかという馬鹿げた考えが頭に浮かんだものだ。
俺の生活が変化したのは、十歳になった頃だ。
見たこともないような質の良い服を着せられて、俺は貴婦人の元に連れていかれた。初めて見る人物に俺は緊張していたが、父親は一緒にはいてくれなかった。
俺を貴婦人に預けて、さっさとどこかに行ってしまった。部屋に漂う貴婦人の厚化粧の匂いが嫌でたまらなかったが、昔に受けた貴族としての教育を生かして失礼なことは一言も発しなかった。
それでも、年嵩の貴婦人を喜ばせるような話題などない。貴婦人は五十代ぐらいの年代で、肌の衰えを白くなるほどの白粉で隠していた。それに伴ってアイシャドーも唇もくっきりと描かれており、蝋燭に照らされるとピエロのようにも見えるのが滑稽だった。
貴婦人は左足を悪くしており、それによって社交界の華やかさからは少し遠ざかったらしい。
ピエロのような化粧は、人前に出なくなった彼女が流行に頓着しなくなったメイクを続けていたからだろう。貴婦人ほどではないが、俺の母親も厚化粧の時があったからだ。
母親よりも厚化粧の貴婦人は、俺の来訪を喜んだ。それこそ息子や孫が久しぶりに帰ってきたような歓迎ぶりであった。
父が下がった後では、美味い食事や菓子を山のようにくれた。そして、夫と死に別れた自分がいかに不幸かということをつらつらと俺に語るのである。
貴婦人の不幸自慢は辟易したが、出される菓子は本当に美味しかった。こんなにも美味しい菓子は久しぶりだったが、菓子の一つも貰えなかった今までの生活を思い出して惨めになる瞬間もあったのも確かな事である。
貴婦人の元を訪れるたびに、彼女の過ごす時間は長くなった。おやつの次は食事を出してもらって、あまりの美味しさに俺は泣きそうになった。相変わらず貴婦人は不幸自慢しか話さなかったが、それでも俺は彼女のことを信頼していた。
食事やおやつの美味しさは、そのまま愛情の深さであると俺は信じていたのだ。
ある日、貴婦人の寝室に案内された。
貴婦人のことは信頼していたので、俺は疑うということを知らなかった。それに、夕飯を食べたばかりで眠かったこともある。
寝る直前まで不幸話を聞かされるとも思ったが、それぐらいのことでフカフカのベッドに寝れるならばどうでもいいことだと思えた。
「シズ。この世で、一番大切な事を教えてあげるわ」
そう言って、貴婦人は俺の服を脱がせた。
そこから先は、よく覚えていない。
ただ、他人の体温を初めての不愉快に思った。
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