第32話孤児院の子供たちの教育
「そ・れ・で・も」
わざちらしく言葉を区切ったリリシアは、シズをきつく睨みつける。一体何を言うつもりだろうかとドキドキとしていれば、リリシアは意外なことを言い出した。
「ちゃんと敬称は付けなさい。眉毛のお兄様と私は、あなたとは身分というものが違うんだからね!貴族社会で生きるのならば、礼儀はとても大切なことよ。子爵とまではいかないけれども様付けぐらいはして欲しいわ」
お兄様も私の事も呼び捨てにしているでしょう、というリリシアはシズを糾弾する。
たしかに最初の夜から本性を現したように、シズは俺たちを呼び助にしていた。「おまえ」とすら呼ばれていたこともある。
前世の記憶がある俺は気にしていなかったが、産まれながらのリリシアにはとても気になることだったらしい。
「はいはい。リリシア様に従いますよ」
やる気のないシズに、リリシアは彼の頬をつねった。
「これは貴族社会で、本当に大切なことなんだからね。礼儀には気を付けなさい。ここにいる間は、お兄様が頭を、私が礼儀をしっかり叩き込みますからね」
リリシアとシズの言い合いに、俺は思わず吹き出す。小さなレディのリリシアは本気なのだが、この二人のやり取りが俺には面白すぎた。
「二人共、あんまり子供たちの前で不仲な様子を見せるなよ」
二人が、本当に互いを嫌っているとは思っていない。そうでなければ、こんな軽口を叩き合えないであろう。リリシアはリリシアなりに、シズの人生のことを心配しているのだ。
そんなことをしていると馬車が止まった。
俺とシズは最初に降りて、女の子のリリシアをエスコートする。
意外なことに、シズのエスコートは完璧だった。これにはリリシアも唖然とするほどで、シズは嫌みっぽく笑って見せる。
「如何なさいましたか?そんな顔をしていては、リリシア嬢の美貌が台無しですよ」
よく考えれば、シズは年上の貴族女性を相手にしていたのである。貴族の男性のスマートな仕草や礼儀をマスターしていないはずがなかったのである。
思い出してみれば、シズは俺たちに無礼な態度はとっていたが不愉快な気分にはさせていなかった。そこら辺の線引きが上手いタイプなのであろう。世渡り上手とも言えそうだ。
「シズ様が丁寧な態度をとれることは分かりました。けれども、どうして今までは砕けた態度でいたのですか?」
リリシアも外出用の態度で、シズに接した。シズは、悪い男を気取ってにやりと笑う。
「それは、リリシア嬢が子供だったからです。大人のレディのために、特別な言葉は取って置いているのですよ」
シズの言葉に、リリシアはむっとした。しかし、言い返すことなく、ぷいっと顔を背けるだけであった。
そんなことをやっていると孤児院の中から、子供たちが出てくる。この孤児院に寄付するようになってから、定期的に孤児院には訪れることにしている。
俺の寄付金が正しく使われているかの確認と子供たちに良い影響を与えているかを調べるためだ。小まめに訪れているせいもあって、最近では子供たちが大歓迎してくれるようになった。
「眉毛様、いらっしゃいませ!」
ただし、名前は覚えてくれない。
子供とはそういうものであると分かっていても、眉毛様はなかなかにキツイものがある。これの原因はリリシアの呼び方であろう。
なにせ、彼女はここでも「眉毛のお兄様」と俺のことを呼んでいるのだ。子供たちの呼び名が「眉毛様」になってしまっても致し方ないのかもしれない。
この孤児院には二十人の子供がおり、最年長は俺よりも年上の十五歳だ。眉毛云々に関しては、親しみを込めてのあだ名だと受け入れていることにしている。別名、訂正をあきらめた。
「いらっしゃいませ。まゆ……イムル様」
眉毛と言いかけたのは、孤児院の責任者であるヨーゼフだ。
去年までは彼の叔父が責任者だったが、病に倒れたのを機に引退した。代わりにやって来たのがヨーゼフなのだ。もっとも、ヨーゼフも常に在住しているわけではない。
ヨーゼフが店を経営していて、その店が休みの日だけ孤児院に来ているのだ。この孤児院では、ヨーゼフのような通いの大人たちが子供たちの面倒を見ている。
交代で泊まって子供たちだけにはならないようにしているが、教会が運営している孤児院ではないので人手が足りないのは致し方ない。もっとも、教会の方も資金や人勢が潤沢というわけではないそうだが。
「変らない様子みたいだな」
子供たちの顔色は良いし、とても元気そうだ。ヨーゼフはちょっとばかり疲れていそうだが、これは元々の顔色の悪さからである。
客商売をしているヨーゼフは、それなりに手広く商売をやっているはずだ。
だが、彼はいつだって体調が悪そうに見えるのだ。本当の体調不良の日にも会ったことはあったが、その時は死にそうに見えた。
「はい。ビリンケさんも三日に一度はいらしてくださって、子供たちの文字を教えていって下さっていますよ。相変わらず、ここの子供たちを孫のように可愛がって下さっています」
ビリンケは、俺の屋敷では執事をしていた老人だ。年齢故に隠居していたのだが、ここでは子供たちの教育を頼んでいる。
老後の楽しみ。あるいは、再雇用というものである。
読み書きが出来るビリンケは、この仕事を喜んで引き受けてくれた。
家族がいないビリンケにとって、子供たちとの触れ合いは慰めになっているようである。子供たちにも読み書きや計算を教えられるので、一石二鳥だ。
「本当は、毎日でも通って欲しいけど……。ビリンケの体力のこともあるし、子供たちも仕事があるからな」
孤児院は、予算はどこだって潤沢とは言えない。それは、寄付と補助金でなりたっているからだ。
この補助金の出どころで、孤児院がどこの所属なのかが変わってくる。
教会の補助金でなりたっている場合は、孤児院は教会の所属になる。この孤児院は、近くの町の寄付金からなりたっているので町の所属になっていた。
なお、潤沢な資金を持っているはずの教会に属している孤児院までもが運営難なのは、教会への寄付金が孤児院に流れてこないからである。
孤児院の寄付はあくまで孤児院に寄付しなければ、教会の方に流れてしまうのだ。
そのことは意外と知られていないので、孤児院に寄付しているつもりで教会に寄付している人が割といると言う話だ。教会は、色々と腹黒い。
そんな腹黒いところに、リリシアをやるのは心配になってくる。リリシアは聖女だから大事に扱われると分かっていてもだ。
ここの孤児院の子供たちは、自分たちの暮らしのために畑や家畜の世話を手伝っている。
その他にも乳幼児の世話の手伝いもしているので、普通の大人以上に子供たちは忙しかったりする。そのため、勉強する時間を捻出するのが大変なのである。
加えて、この孤児院はビリンケの自宅から離れている。老人に毎日通ってくれというのは、難しいものがあった。
「だからといって、寄付の金額は増やせないし。色々と考える事が多いよな」
寄付は、あくまで俺のポケットマネーから出していた。そのために、かなりやり繰りして子供たちに勉強を教えているのが実情だ。ビリンケに渡す給料も微々たるもので、交通費に消えている状態だという。ほとんどボランティア状態である。
はぁ、と俺がため息をつく。
色々と考えることがあるなと思っていれば、俺の口にクッキーが押し込められた。こんなことをやる犯人は、孤児院の子供たちである。子供たちは俺が口に入れられたクッキーの感想をワクワクしながら待っている。
「キニナお姉ちゃんが、昨日来てくれて一緒に作ったんだよ」
子供たちの言葉に、俺は少し驚いた。
クッキーが美味しかったからではない。キニナという名前に覚えがあったからである。
キニナは、パン屋に務めることになった女の子だ。
十六歳で成人すれば、子供たちは孤児院にはいられなくなる。今までは、就職が上手くいかない子供たちも多かった。
孤児院に住んでいた子供たちには、住む場所を確保するだけの資金がないからだ。そうすると住み込み仕事を探すことになり、職業の選択肢は自然と狭まってしまう。
男の子より仕事の幅が少ない女の子は特にそうで、娼婦として身体を売らなければならなくなる場合もあったほどだ。そして、望まない妊娠をして、孤児院に子供を預けるという負の連鎖におちいってしまうのだ。
「そうか。……元気そう何よりだよ」
古巣に顔を出せるぐらいには、キニナの生活は安定しているらしい。巣立っていった少女の面差しを思い出して、胸が熱くなった。
キニナは計算が得意だったから、パン屋の会計で重宝されていたりするのだろうか。クッキーを作れるようになったということは、パンを毎日焼いているのだろうか。そんなふうに思いを巡らせて、俺は残りのクッキーを口に入れた。
「うん。美味しい」
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