第25話朝の書類確認
「イムル様、こちらにいらしたんですね」
メガネをかけた若い男が、丸められた書類をいくつも抱えてやってきた。
使用人のエスターだ。
彼はハウスキープがではなく、財政の計画や管理をやってもらっている。普段はキャリルの補佐をやっているが、俺の計画にも一枚噛んでもらっていた。
キャリルのこともあるから、俺がやりたいことの会計は別の人間に頼もうと最初は思っていた。
けれども、領地の財政とスタルツ家の財産は密接に絡み合っていたから、一人に任せた方が良いだろうと判断してエスターを任命したのである。
数字に強いエスターは、この世界では得難い人材であった。教育の大切さが広がっている貴族はともかく、平民では読み書きが出来る人間は少ない。
宗教者などの特殊な職業のための学校は少ないながらにあったが、平民や貴族が通うような前世でいうような普通の学校はなかった。
貴族と裕福な平民は、家庭で教育を受ける。貧しい平民は、教育そのものを受けないのが普通であった。
そのなかで、エスターは王都で宮仕えをしていた父親に読み書きを習っていた。父親は優秀な役人であったらしいが体を壊して、故郷であった俺の領地に帰って来たらしい。
エスターはそれに付き添って、紆余曲折あり俺の館の使用人になったという経緯だ。その能力はキャリルも認めており、彼がいなかったら俺の領地の運営はもっと大変なものになっていたであろう。
「今週分の各地の記録です」
俺は、エスターから丸められた書類を渡される。それに次々と目を通して、各地の食物の成長具合を確認した。どの町の農作物も健やかに成長しているようだ。
「家畜の病気の報告については、こちらに」
次にエスターが渡してくれたのは、各地に在住させている人間たちに調べてもらった村々の家畜の様子だ。
家畜の状態まで把握しておきたかったのは、前世の記憶に『鳥インフルエンザ』があったからだ。
鶏の大量死で病の流行を予測できるのならば、これ以上のことはない。なにせ、この世界の医療は未発達なのだ。
インフルエンザどころか風邪であっても命取りになる。鳥以外の家畜の様子もついでに調べてもらっているが、変わりはないようである。
「ありがとうな。お前たちも目を通してくれ」
エスターに書類を返して、俺は伸びをした。
速読は、どうにも目が疲れる。ついでに、頭も疲れてしまう。紅茶と甘いものが欲しいなとぼんやりと思う。
「ちょっとまて、今週分?一週間分の書類をもう読み終わったのかよ」
シズは、俺の話をよく聞いていたらしい。俺の読む速さに驚いていた。
だが、これはさほど難しいことでない。俺が速読を身につけているというのもあるが、素早く読めるような単純な工夫が書類にはなされている。
以前までの書類は、つらつらと事実を書き連ねてあるだけだった。しかも、人ごとに書き方に癖があった。
時候の挨拶から始まり手紙のように報告書をかく人間もいれば、簡潔に事実のみを書く人間もいる。
それぞれがやり易いようにやっているのは分かるが、書類を読む作業をやり難いものにしていた。
「だから、読みやすいフォーマット……。えっと、書き方の見本帳を作ったんだ。おかげで、かなり楽をさせてもらっているよ」
俺の作ったフォーマットに従って、部下たちには資料を作ってもらっている。
一度でもフォーマットを作ってしまえば、後はそこに書き込んでもらうだけだ。
時候の挨拶をいれるという不要なことをしなくていいし、逆に必要なことを書き忘れることもない。必要なことだけを整理されて書かれているので、俺自身も書類を読むのが楽になった。
フォーマットを作ると言う単純な工夫だけで、報告書を書く手間と読む手間が少しばかり減った。パソコンが使えればもっと簡単に出来たことだが、中世程度の技術では高望みしすぎというものだろう。
「実際大変なのは、現場の人間だ。俺は、上から命令するだけの楽な仕事だよ」
各地に送った部下たちへの飴は、子供たちの教育費である。いわゆる奨学金のような制度を作っていて、単身赴任をしている使用人の家庭のみだが子供の教育費の半額を支給している。
文字の普及率があまりよくないのは、次世代を育てる仕組みが出来上がっていないからだ。
今は自分の部下の子供たちにしか教育の機会を与えてやれないが、いつかは俺の領地の全ての子供たちが読み書きを出来るようにさせたい。
「教師を家庭ごとに呼ぶのは効率が悪いから、学校を作るのが先か……。教師が出来るような人材を集めて、建物も建てて。本当にやる事だけが多いな」
指を折ってやりたいことを数えてみたが、片手ではたりない。
この世界には、足りないものが多すぎる。
やりたいことも多すぎる。
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