第23話庭園のなかの畑



「起きろ。朝だぞ!!」


 俺は、早朝にシズを叩き起こした。


 鶏がぎりぎり起きたかどうかの早朝は、まだほんのりと薄暗い。それでも館では、使用人たちが忙しく動き回っている。


 朝は調理人だけではなく、メイドたちも忙しい。主人の家族が過ごす部屋の掃除は、朝の間に済ませなければならないからだ。


「おはようございます、イムル様。シズ様」


 廊下を歩く俺とシズに、メイドたちが挨拶をしてくれる。最初は眠そうに「俺は、夜型なんだよな……」とぼやいていたシズだったが、屋敷で働くメイドの数に驚いていた。


「結構、沢山のメイドがいるんだな……」


 メイドたちが一番移忙しいのは朝であり、彼女たちがくるくると働いている様子がよく見えるだけだ。日中も同じ数のメイドたちが、主人に気取られないように陰に隠れて働いている。


 メイドと使用人たちは主人に不自由な思いをさせない事かつ、気を遣わせないのが仕事なのだ。


「俺の館のメイドは、優秀だからな」


 俺は、そのように答える。


「イムル様」


 俺を追いかけてきたのは、リタである。


 ただし、彼女の姿は普段のメイド姿ではなかった。彼女は茶色のズボンを履いて、上着も動きやすいものを着ている。名家のメイドとは思えない格好に驚いたのは、シズであった。


「なんだよ……その格好は。あの可愛いメイド服はどこにいったんだ!」


 シズの口調に、リタは眉を寄せた。


 昨日の件で猫が取れたシズは、崩れた口調を直そうともしない。服装も砕けたものであり、放蕩息子を絵に描いたような見た目になっていた。


「私はイムル様が朝の準備を終えたら畑仕事を手伝うことになっているので、この格好で作業をさせて頂いています」


 畑仕事というリタの言葉に、シズは首を傾げた。庭は普通ならば、庭師の仕事である。メイドの仕事ではない。


「ほら、シャキッとしろ」


 俺は、シズの背中を叩く。


 これから朝一番の仕事があり、それが一番忙しかったりするのだ。


 俺とシズは、庭に出た。


 朝の冷たい空気を吸うのは気持ちが良いが、少しだけ肌寒い。シズも同じようで、ぶるりと身震いをしている。


「イムル様、シズ様。こちらをどうぞ」


 用意周到なリタが、俺たちの肩にケープをかけた。羊毛よりも薄くてさらさらとした触り心地は、家の領の端の方で取れる魔物の毛皮だ。


 カシミヤのような、と言いたいところだが、前世の俺はカシミヤなんて触ったこともなかった。


「助かったよ、リタ。朝は、まだ寒いな」


 俺の言葉に、リタは頷いた。


「はい。昨日は暖かかったですが、今日は寒の戻りがあるようで。これぐらいならば、作物の生育には問題はないと思います。ですが、イムル様は御風邪などひかないようにしてくださいね」


 分かっているよという意味を込めて、俺はケープの前をしっかりと合わせた。そうすると寒さがだいぶマシになったような気がする。


 毎年思うが、この毛織物はなかなか便利だ。生産数が少しなので地元ですべて消費されてしまうのは、実に残念である。


 量産しようとしても多頭飼いに向かない魔獣であるので、飼育からして難しいという話である。広大な敷地が必要では、コストがかかり過ぎて商売としてはなかなか上手くはいかないだろう。


「今度は、動物の飼育に詳しい人の話を聞いてみるか」


 専門家というよりは、現場で動物と関わっているような人が良いだろう。そんなことを考えながら、俺とシズたちを連れて庭の片隅へと歩いた。


 館には、子爵という爵位に相応しい庭園がある。この庭園は、庭師が毎日心血を注いで維持してくれている芸術品だ。だが、その隣にあるのは地味というか泥臭い畑である。


 昔は畑の方が狭かったのだが、今では畑が庭園を侵食していて年々大きくなっていた。キャリルが悲鳴を上げているが、こればっかりは俺は譲れない。何故ならば、大事な実験場であるからだ。


「おはよう、ヨルゼ」


 畑には壮年の庭師が、いつもどおり作業に取り掛かっていた。


 早起きした俺よりも速く起きていたヨルゼは、作業服を泥だらけにしつつも今日も笑顔である。白い歯が、とても眩しい。


 畑と歯の手入れに余念がないヨルゼの前歯は、前世の芸能人のような白さを誇っている。日光を浴びたら、きらりと光るほどだ。


「おはようございます、イムル様。いやぁ、先日の農薬は駄目ですね。害虫がちっとも取れません」


 がはは、とヨルゼは豪快に笑う。


 俺は畑に踏み込んで、種から育てた苗をじっくりと観察した。ゴマのような外見の虫が、苗の茎部分に点々と付いている。触っただけでは取れない虫には自作の農薬を使ってみたのだが、効力が弱すぎたらしい。配合を見直さなければならない。


「他の作物はどうなんだ?」


 俺がヨルゼに聞くと、彼は親指を立てて答えた。


「そちらは順調です。こちらの作物は、肥料を少なめにしたほうが味が良くなりますね。ただし、実の出来る数が減ります」


 売り出すのならば前者だが、自家用ならば後者というところだろうか。いや、情報だけ与えて後は農家に任せた方が良いかもしれない。当然ながら、俺よりも彼らの方が作物には詳しい。


「米って、どうなんだ?」


「そっちも何とも言えません。土と相性が悪いのか育ちが悪いんですよ」


 強飯量産計画は、しばらくお預けになりそうだ。


 米作りに適した他の貴族の領地を探して、強飯の製造方法を売るということも視野に入れるべきかもしれない。


「おい……。なんで、こんなところに畑があるんだよ。庭園の眺めが台無しになっているじゃないか」


 シズが、至極真っ当なことを言う。


 その言葉は貴族らしいものであり、キャリルとも同意見だった。俺だって、素晴らしい庭園の眺めを台無しにする行為に罪悪感を抱かなかったわけではない。だが、ここが一番土の管理が簡単だったのである。


「この畑は、作物の試験場だ」


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