第22話パーシーの悪だくみ
それは、我がスタルツ家を脅すことだった。
お隣さんを脅すなんて信じられないが、パーシーは俺が子供だからと侮ったらしい。たしかに、王都にいるような貴族たちよりは世間知らずかもしれないが、だからといって脅しやすいと思われるのが腹が立つ。
「パーシー男爵は、眉毛のお兄様に何をしようとしたの?」
リリシアが腕を組みながら、シズに尋ねる。
シズは、どこか言いにくそうに俺を見た。
「俺が、あんたを襲って……。男に襲われたことを言いふらされたくなかったらって、脅すつもりだったんだよ」
俺とリリシアは、唖然とした。
シズが俺に迫った理由は、スキャンダルを作って俺を脅す為だったらしい。若すぎる当主を冠するスタルツ家は、社交界では結構な注目の的だ。
そんな中で流れるスキャンダルは、きっと他人に面白おかしく語られることであろう。なかなかに不愉快な光景だ。
そして、なにより我が家には嫁入り前のリリシアがいる。まだ敵年齢前とは言え、不本意な噂をもみ消したいと考える可能性は十分すぎるほどあった。
俺はリリシアが聖女になると知っているが、キャリルはそうではないのだ。彼女の夢は、リリシアが良縁を掴むことである。
そんな時に、兄が男に襲われた噂などは他者の耳に入れたくないであろう。十分にスタルツ家を脅せるネタになる。
「なるほど……。だから、眉毛のお兄様を襲おうとしたのね」
シズの説明に納得したリリシアとリタは、なぜかぼきりと拳を慣らした。
その音に、俺とシズは震える。
「ちょっと待て、リリシア。お願いだから、殺すなって」
このままでは、シズが殴り殺される。
俺は、そんなことを危惧していた。
普通だったら女性が男を殴り殺すなんて考えられないが、今のリリシアとリタならばやりかねない。
「眉毛のお兄様は、どいていてください。大丈夫です。絶対に殺しませんから。殺すよりもひどい目にあわせます」
より悪かった。
「はっ!!」
俺が止める前にリリシアとリタのタックが、シズの鳩尾を殴っていた。「ふぐっ!」とシズの口から空気が漏れるが聞こえる。
女性二人がかりにサンドバックにされたシズは、胃液まで吐いていた。
女性は怒ると怖いというが、この二人は怖いの方向性は世間一般的なものとは違うような気がしてならない。そして、こんなに良い拳をよく隠しもっていたなと思う。
「事情は分かりました。同情すべきところはありますが、今すぐにでもこんな野獣は追い出すべきです」
リリシアの言うことは、もっともではある。この屋敷にはリリシアもいるし、女性の使用人も大勢いた。今すぐにでもキャリルに報告し、シズを追い出すべきなのだ。
しかし、それではシズの生活は今まで通りだ。
女性に身体を買われる男娼まがいのことをやらされるだけなのだ。いや、俺を脅すようなネタを掴めなかったので、シズの扱いはもっと悪化するかもしれない。
この世界の医療の技術の発展は、そこまでのものではない。だから、臓器を売られるということはないであろう。
しかし、それでも惨いことはいくらでもある。そして、息子の肉体を売るような父親ならば、シズをいくらだって地獄に堕とせるであろう。
それは、あまりにも後味が悪い。
「リリシア、リタ。このことは、他言無用にして欲しい」
俺の言葉に、リリシアとリタは驚愕している。
シズも同じように驚いていた。
誰もが、俺がシズのことを追い出すと思っていたのであろう。
「俺は、シズのことを鍛え直したいと思っている」
俺には、一つの考えがあった。
それは、シズの更生だ。
いいや、もっと正しく言えばシズがまともな人生を生きられるように手伝いたかったのだ。
「シズが、こんなことをしたのは親のせいだ。このまま放りだしたら、シズはまともな人生を送れないだろう。パーシー男爵のせいでな」
貴族は主に家庭教師によって養育されるが、爛れた生活のシズにまともな教師がついているとは思えない。そんな周囲に大人がいない状況だからこそ、シズは助けを求める事すらできなかったのだ。
シズが俺の所に来たのは、オリンポス女が導いたからなのかもしれない。そう思えば、あの女神もたまには良い事をする。今まで、ほとんど何もしていないというのに。
「パーシー男爵のことは後に考えるにしても、俺の館にいる間はシズに勉強をさせる。シズ、最近は家庭教師もついてなかったんだろ?」
俺の問いかけに、毒気を抜かれたシズは素直に頷いた。
やはり、俺の思った通りだった。
「二年ぐらいは、家庭教師は来ていないな。一応、自分で自習はしているけど」
シズの告白に、俺は唖然とする。
家庭教師が二年来ていないということは、小学校五年生と六年生の学習期間をまるまる無駄に過ごしたということである。これは、もう黙ってはいられない。
我が家にいる間だけでも、しっかり勉強させなければいけない。
そして、俺が知っている限りの領地運営のための知識を付けさせて、少しでも将来のためを思った教育をしなければ。
このままでは、シズの人生はパーシーのせいで台無しにされてしまう。
「これからは、俺がシズを立派な領主にしてやる。だから、シズ。俺にしっかりついて来いよ」
俺は、両手を握りしめた。
リリシアを聖女として導く使命を持っているが、一人導こうが二人導こうが同じようなものである。それにお隣さんであるシズを鍛えれば、将来は難民問題に頭を悩ませなくてもいいかもしれない。
よし、将来のためにもシズをしっかりを教育しよう。それが、シズと俺のためになるのだ。
だから、この教育を絶対にやり遂げる。そのように、俺は心に決めたのだ。
「おいおい、なにを言っているんだよ」
ボロボロになりながら、シズはシニカルに笑った。その笑みには、あきらめが現れている。シズは十三歳にして、自分の人生というものに見切りをつけていた。
それは、とても悲しいことだ。
そして、若くして殺されてしまった俺と同じではないか。未来を奪われる悲しさと憤りは、俺が一番知っている。
「俺なんかを鍛え直したところで、あんたらに利益はないぜ。早く追い出せばいいんだ」
破滅願望でもあるのだろうか。シズは自暴自棄だった。
俺は、シズの額にデコピンしてやった。
結構強くデコピンしたので、シズは痛そうに顔を歪める。ちなみし、シズはシーツで作ったロープでまだ拘束されている。
「俺は、スタルツ家の当主だ。ここの館で起っていることの決定権は、俺にある」
俺の言葉に、リリシアとリタは顔を見合わせる。
普段ならば、俺は自分の決定権を振りかざすことはない。けれども、今ばかりは必要だと思ったのだ。
「正気なんですか?この馬鹿は、更生しないかもしれませんよ」
リリシアの言葉に、俺は首を横に振った。
「そんなことはないさ。リリシアだって、昔と比べれば随分と変わっただろう」
俺の言葉に、リリシアは頬を染めた。
そして、そっぽを向く。
「……あの頃のことを持ち出すなんて、お兄様はズルいです。今は真面目にやっているのだから、今のことを褒めてください」
むくれるリリシアが可愛くて、俺は彼女の頭をなでた。
リリシアは俺の側にさらに寄ってきて、俺に抱きついた。数年前ならば考えられないことだが、リリシアは俺に物凄く懐いてくれるようになった。
聖女になったあかつきには離れて暮らすことになるのだが、その時になったら離れるのが寂しくて俺は泣いてしまうかもしれない。嫁にやりたくはないというのはこういう気持ちなのだろうか。
「リリシアは、すごく良い子だ。俺の自慢の妹で、すごく信頼できる。俺のいたらないところを支えてくれる」
俺に褒められたリリシアは「えへへへ」と照れたように笑った。
「リタも、いつもありがとうな」
ついでのようになってしまったが、俺はリタにも礼を述べる。小さい頃からお世話になっていたリタには、改めて礼をしなければと思っていた。
まさか自分に水が向けられるとは思えなかったリタは、ちょっと戸惑っていた。
「主人のお世話をするのは、私のお仕事です。……お礼を言われるようなことではありませんが……それでも嬉しいです」
照れるリタは、いつもと違う雰囲気がした。
なんというか、年上なのに可愛い。いつもは頼りになるリタに可愛いだなんて感情を抱くのは初めてのことで、俺はちょっと戸惑ってしまった。
「眉毛のお兄様!リタに見惚れては駄目ですよ。リタは既婚者ですから」
リリシアに叱られるが、そう言われても綺麗な女性に目を奪われてしまうのは男の性だ。
俺は、こほんと咳ばらいをする。
俺の周囲には、こんなにも素晴らしい女性陣がそろっているのだ。シズの更生だって、上手くいくに決まっている。
「お前は文句を言わずに、俺を習ってしっかりと学べよ」
前世の記憶がある者として、虐待される子供の苦しみは知っている。
だからこそ、俺はシズのことを助けたいと思った。シズが望んでいなくとも、彼には他人の助けが必要であると思ったのだ。
「ただし、女性たちの安全のために夜は部屋にカギをかけさせてもらうからな。お前に近付く使用人も男だけにする。安心しろ。この部屋にトイレはないから、夜は尿瓶を用意してやるから」
シズは、思いっきり嫌な顔をした。
だが、さすがにこれぐらいは譲れない。
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