第13話罪悪感


 俺は、ずっと眠ってしまった竜の側にいた。リリシアが竜にやってしまったことが申し訳なかったし、単純に心配でもあった。幸いにして、竜は一時間も経たずに大きな欠伸と共に起きた。


 竜はきょろきょろとして、周囲を見渡す。そして、寝るまでにはいたはずのリリシアたちがいなくなっていたことを不審に思った。


『なんや?なんで、嬢ちゃんたちがいないんや?』


 竜は眠らされた直前の記憶がないようだった。魔法で眠らされたせいなのかもしれない。それすらも、俺は申し訳なく感じられた。


「ごめん……。リリシアが魔力を注ぎ過ぎたんだ。苦しかったんだろう」


 俺は竜の固い皮膚に、額をつける。


 竜は何とも言えない声色で、俺の言葉に答えた。


『なんや……。ウチが痛い思いして寝ているうちに、なんでシリアスな空気がながれているんや?』


 目を覚ました竜は、こてんと首を傾げた。


 竜は心が広く、リリシアのことを許していた。いいや、気にもしないようだった。下手をすれば自分も死んでいたと言うのに。


「……リリシアのことを怒っていいんだぞ」


 へそを曲げたような言葉になってしまったが、それに対して竜は陽気な声で答えた。


『異種族が一緒に暮らすなんて色々あるもんや。互いに、どうなるかは分からへんもんやろ。起きてしもうたもんは仕方がない』


 どこか達観した態度なのは、長寿の竜故なのか。


 それとも牧場で飼われているからの価値観だからなのか。


『今は嬢ちゃんが怪我がなくて良かったと思っとる。小さい子が怪我するのは、見ていて気分が良いもんではない』


 どこまでも、竜は優しい。


 こんなにも優しい竜を命の危機にさらしていたと思えば、尚更に申し訳なくなった。もっと責め立ててくれればいいのにと、自分勝手に考えてしまった。


『それで、どうして嬢ちゃんの姿はないんや?』


 竜の疑問に、俺はむすっとしながら答えた。


 こんな返答はするべきではないと分かっているのに、感情が言うことを聞かなかった。


「……ただの兄弟喧嘩だよ。それより、悪かったな。痛かっただろ」


 竜の身体をなでていただけなのに、涙がこみ上げてくる。ひたすらに胸が苦しかった。竜は、そんな俺を慰めるかのように尻尾で包み込む。


「優しくするな。俺は、お前に悪いことしたヤツの兄なんだぞ」


 竜の笑う声が、聞こえてきた。


『なぁ、あの女の子が聖女なんやろ』


 竜の言葉に、俺は驚いた。


 俺は聖女のことなど、誰にも話したことはない。自分の妹が将来は聖女になるだなんて誰も信じてはくれないだろうし、それを女神に教えられたなんて脳が沸いているとしか思われないであろう。


 無論、俺には前世の記憶があって、それが異世界であることも誰にも言っていない。


『でもって、あんさんが導き手。ちゃうか?』


 竜たちは、俺達のことをどこまで知っているのだろうか。


 まるで、全てを見透かされているようだ。


『ウチらの口伝に、不遇な魂が聖女を導くってあるんや。不遇な魂は、事故なんかで若くして死んだ魂や。そういう魂は本来は竜に生まれ変わって、苦しみのない空を飛ぶんや』


 竜と人の生活は、密接に結びついている。だから、竜の神話にも人が出てくるのだという。竜は幼子に教えるように、ゆっくりと俺に竜の神話を教えてくれた。


『竜に生まれることが出来なかった魂は、聖女の導き手になるんや。でも、不遇の魂は前世の記憶が消えへんのやろ。前世の苦しみを覚えているのは、それは辛いはずや』


 俺は、小さく「そんな事はない」と言った。


 前世との折りあいは、すでにつけている。殺されたことについては死ぬほど恨んでいるが、もはやどうにもならない事は分かっていた。


 俺は、今世を楽しむために生きるのだ。


 そう思っていたのに……。


『あんまり……無理しなくていいんやで。殺された怨みなんて、消えへんもんや』


 前世の記憶がないということは、救いなのだと竜は言った。だが、その救いを与えられなかった俺は辛い人生を与えられてしまったのだという。


『でもな、あんさんは二度目の人生を生きているんや。まだ一度目の人生のあの子を許してやってくれへんか?あんさんに比べたら、周囲は全部が未熟者や』


 竜は、俺の顔に自分の顔を近づける。


 こすられた鼻面は熱く、爬虫類のような見た目を裏切る。てっきり冷たい皮膚をしていると思ったのに、彼らの体温はとても熱かった。


「ありがとうな。少し……落ち着いた。さっきは自分の前世に引きずられたこともあったんだ。リリシアが、前世で俺を殺した奴に思えてしまったんだ」


 リリシアは、リリシアだった。


 いくら悪いことをしたと言っても、前世の犯人と混同してはいけなかった。


 あの子は、まだ幼い。


 たくさん失敗して、俺が教えてあげなければならない。俺は、聖女の導き手なのだから。


「俺は……他人の命を奪うような加害者には許さない」


 このとき、俺は聖女をどのように導くかを決めた。


 誰も傷つけない。


 加害者には絶対にさせない。


「そういえば、あのオリンポス女は……聖女のことを何て言ったっけ?」


 たしか恨みや妬みを浄化すると言っていたような気がする。しかし、歴史を調べてみても聖女が特別な魔法を使えるという記述はなかった。


 聖女というのは、あくまでオリンポス女という名の女神の言葉を下界に伝えるだけの存在のはずだ。


「リリシアだけが特殊能力を開眼するだなんて思えないな……。それとも、いつかはリリシアが誰かの怨みなんかを消してくれるんだろうか」


 だとしたら、リリシアはそいつのための聖女のような気がした。


 俺が育てた聖女が、確実に一人は救う。


 それは、なんだか希望があることのように思えた。


『なんや。変なことを決めたようやな』


 にひひ、と竜が笑ったような気がした。


 なんだか、この竜と悪友になったような気がした。生まれ変わってからは館で過ごしてきた時間が長いから、こういうふうに笑ってくれる相手はいなかった。いや、もしかしたら前世にだっていなかったかもしれない。


『せや、聖女を二人で迎えに行くで。ウチの背中に乗るんや』


 さすがに初めての竜に一人で乗るのはためらった。関西弁の竜は、静かに飛んでくれるだろう。けれども、普通は鞍などを用意して竜に乗る。鞍なしで乗るだなんて、熟練者だってしないだろう。


『いいから、乗りい』


 竜が、俺を急かしてくる。


 俺は、覚悟を決めた。


 ここで躊躇っていたら、格好が悪いではないか。竜の背中によじ登って、首の付け根にぎゅっと捕まる。


「少しだけだからな……」


 俺の言葉に返事を返す前に、竜は大きな翼を広げた。竜は力強く空に飛び上がり、俺は必死になって竜の首にしがみつく。つるりとした鱗に覆われた竜の首は、手が滑ってしまいそうで恐ろしい。


「高く飛んだりするなよ。絶対に高く飛んだりは……」


 関西弁の竜の笑い声が聞こえた。


 それと同時に、俺は「うわぁ」と悲鳴を上げた。そして、思わずぎゅっと目を瞑る。


『そんな勿体ないで。目をかっぴろげて見てみ。ここが、あんさんの今の世界や』


 そう言われて、俺は怖がりながらも目を開けた。


 世界を上から見るだなんて、前世ではありふれた経験だった。飛行機や高いビルに備え付けられた展望台。そういうもので、俺達は当たり前に世界を見下ろしていた。


 だというのに、竜の背中から見る世界は前世のものとは全く違った。風景が違うというありきたりなことではなく、風が体に当たる感触や跨っている竜の皮膚の温かさのせいで空を飛んでいるのに世界と一つになっている気がした。


「これが、世界なんだ……」


 若くして死んだ魂は竜となり、悲しみを癒すために空を飛ぶ。その神話の意味が、少しだけ分かったような気がした。こんなふうに自由に空を飛べたら、全ての憎しみも苦しみもどこかに消えてしまうような気がする。


『聖女のところに行くで。そんで仲直りするんや』


 竜は急降下をして、牧場の端っこでべそをかいているリリシアの元に俺を運んだ。


 リリシアの側にいたのは、彼女を追ってきたルーシュ先生とテイマーの男だった。二人とも俺が竜にまたがって空から現れたことに驚いて、あんぐりと口を開けたまま固まってしまう。


「イ……イムル様、竜に一人で乗ったのですか?」


 ルーシュ先生が一番先に我にかえって、俺に尋ねる。見て分かっていることを尋ねる当たり、彼女も混乱していたのであろう。


「ありえない。初心者の……しかも子供が竜を乗りこなすなんて、とてもじゃないがありえない」


 テイマーの男は、俺と竜を見て震えていた。今までの自分の常識が壊されたような顔をしている。


 俺と竜は互いに見つめ合って、にやりと悪童の顔をして笑い合った。


「気が合ったんだよ。それで悪友みたいになった。それだけだよ」


 俺は何にもしていない。


 竜に乗れたのは、十二分に竜が気を付けてくれたからだ。この関西弁の竜でなければ、俺は空なんて飛べなかっただろう。そして、世界の一部になった経験なんて出来なかった。


「リリシア!」


 妹は、俺の声にぴくりと肩を跳ねさせた。


 おびえた顔で俺を見ていたリリシアに近付いた俺は、彼女の頭を優しくなでる。血が半分繋がっている妹なのに、俺は兄らしい事をしてこなかった。こんなふうに頭をなでることだって、初めてのことだ。


「さっきは……叩いていて悪かったな。でも、自分を知らないことは悪いことに繋がる。お前は天才ではないし、今のままでは母親の影に隠れるだけの子供だ。だから、俺がお前のことを立派な聖女にしてやる」


 俺の発言に、周囲の人間は呆気にとられた。


 テイマーの男だけが俺のことを「天才だ」と持ち上げていたが、そんなことはどうでもよかった。俺にとって、リリシアの視線と想いだけが問題だったのだ。


「立派な……何にするっていうのよ!」


 リリシアの言葉に、俺は答えた。


 何度でも答えるつもりだった。


「聖女だ」


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