第8話虎の威
魔法を使うに当たって、これは初歩の授業である。魔法を暴走させないためにも魔力のコントロールは絶対で、これが出来ないものは魔法を使ってはならないとすら言われている。
こんな授業は、俺が七歳ぐらいの時に終わっているものだ。懐かしさを覚えつつ、俺は硝子球のなかに魔力を込めた。
俺が球体に魔力を注ぎ込めば、球体が内側から曇ってくる。この曇りというか煙が魔力を可視化したものであり、俺の場合は黒い煙となって魔力が現れる。
「こんなもんなのか?」
俺は小さく呟いて、硝子球が割れないぎりぎりの量の魔力を注ぎ込む。少量の魔力を注ぎ込むのは、さほど難しいことではない。けれども、割らないぎりぎりの魔力を込めるとなると話は別だ。
調整が難しいし、ちょっとでも注ぎ込む魔力の量を間違えれば硝子球は割れてしまう。七歳の頃は、このぎりぎりの魔力を注ぎ込む授業が苦手で硝子をよく割ってしまったものだ。
硝子を割ったらおやつ抜きだなんて、子供っぽい罰をよく受けたなと懐かしくなってくる。
「あれから、俺も成長したものだな」
今では、割らないギリギリの量を硝子球に注ぎ込むなどお茶の子さいさいである。
「あら……イムル様。魔力のコントロールが、とっても上手いんですね。これなら、属性判断をしてもいいぐらいです」
属性判断は、自分の得意の魔法を見極める試験のようなものだ。人によっては珍しい魔法を使えると判断される事もあり、そうなれば魔法使いとしての出世が確実になる。もっとも、これは魔法使いを目指している場合のことだ。
すでに爵位を継いでいる俺には、属性判断はいらないであろう。俺が目指すべきは魔法使いではなくて、立派な領主であり当主であるからだ。ルーシュ先生は、それを知っているので残念そうだ。
「前の家庭教師にも言われましたけど。俺にとっての魔法は、あくまで教養なので属性判定を受ける気はありません」
基礎魔法は、生活を豊かにするための魔法だ。ちょっとだけ水を出したり、風で何かを運んだりする。練習を重ねれば誰でも使える魔法ばかりなので、逆に言えば使えなければ恥ずかしい教養なのである。
特に教養を重んじるような貴族社会では、基本魔法が使えない人間など嘲笑の的になってしまう。だからこそ、時間をかけてじっくりと学ぶべき分野ともされていた。
「でも、基本以上の魔法は女の子にモテますよ。貴族で、当主で、女の子にモテモテだなんて、ものすごい楽しい人生ですよ」
ルーシュ先生は、男子を誘惑する術をよく知っている。
青春を追い求める俺としてはモテるという言葉には、非常に魅力を感じる。女の子にモテて、恋人を作ることは俺の夢の一つだ。
しかし、爵位を継いだ者という自覚が寄り道を許さない。俺は、最速で一人前にならなければならないのだ。
「先生、俺に変なことを吹きこまないでください」
当主がいつまでも未熟者では、貴族社会では侮られてしまう。俺に必要なのは魔法ではなくて、他者を納得させることができるほどの教養なのだ。
それが分かっていてもルーシュ先生は残念そうなので、俺には魔法使いとして大成できる才能があったりするのかと期待したくなってしまう。
「魔法使いになって大活躍をするのだって……少しは憧れるのに」
剣と魔法のファンタジーな世界だから、せっかくだから満喫したい気持ちもあるのだ。剣は怖いが、魔法は使ってみたい。そんな複雑な男の子な心を俺はまだ捨てきれないでいる。
「ああっ!!」
隣から、悲鳴が聞こえてきた。
リリシアが硝子球を割ってしまって、涙目になっていた。飛び散った硝子球の破片はすぐに消えて跡形もなくなり、リリシアに怪我はない。
しかし、リリシアが魔力の込め過ぎで硝子球を割ったと言う事実は変わらなかった。
十歳にして、魔力の制御が出来ていない。
これはかなり恥ずかしいことだ。本来ならば八歳ぐらいになれば、ほとんどの子供がマスターしていることだからである。ひらがなの読み書きが出来ないのと同じぐらいの恥ずかしさだ。
これで天才と言われて天狗になれていたのだから、恐ろしい事である。いや、他の生徒がいない状況下だからこそ天狗になれていたのか。
比べる対象がいないということは恐ろしい。
それと同時に、俺は大いに呆れてしまった。これは、才色兼備な聖女になるにはだいぶ手間がかかるかもしれない。
リリシアは、浮かんでいた涙をごしごしと拭いた。令嬢らしくない仕草だが、生まれつきの負けん気の強さが出ていて好ましい。そんなふうに俺が思っていれば、リリシアは胸を張って宣言する。
「これは、私の魔力が大きすぎる証拠です!」
そんなわけがないであろう。
たしかに硝子球が割れるということは、一定以上の魔力があるということだ。だが、それが魔力が大きすぎる証拠にはならない。単純に、魔力がコントロールできていないだけだ。
「いや……。硝子球を割れるような魔力を持っている人間は山ほどいるって」
他人に世話をされる貴族だから、リリシアは生活魔法ですら使う機会はないかもしれない。それでも、それ以外の身分の人間の生活と魔法は密接に関わっている。
リリシアの歳で魔法の基礎が出来ていないというのは、庶民であれば大問題であったはずだ。生活に直結する問題だったからである。
だが、リリシアの問題は、キャリルのヒステリーを恐れた教師たちによって封殺されてしまっていたのである。
俺が一緒に勉強すると言い出して良かったかもしれない。下手をすれば、あと何年も気がつかれなかった可能性があった。
リリシアの出来の悪さに、ルーシュ先生も唖然としていた。それどころか天才だと胸を張る生徒に対して、どのような言葉をかければいいのか分からなくなっている。リリシアの無才ぶりも、ここまでくればルーシュ先生が可哀そうになってきてしまう。
ルーシュ先生は来たばかりのせいで、リリシアのちゃんとした実力を知らなかったのだろう。出来が良くないことは知っていただろうが、基礎的な事すらできないとは思わなかったはずだ。証拠に、俺以上に驚いている様子である。
「な……なによ。そんな顔をして。私は天才なんだからね!お母さまに報告でもしたら、許さないんだから!!」
虎の威を借るキツネでしかないリリシアは、俺とルーシュ先生の表情から何かを読み取ったらしい。
いや、以前から自分の学力に問題があると気がついていたのか。だとしたら、改善しようとしなかったのは問題だ。筋金入りの勉強嫌いということになる。
リリシアは、イライラした様子で部屋から出て行ってしまった。ドアを閉める音も乱暴なもので、教育を受けた令嬢とは思えないものだ。
「あれは、まずいですね」
ルーシュ先生の言葉は、俺の気持ちを代弁するものだった。
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