第6話妹を更生させよ


 俺の目近の目標は、妹の性格の軌道修正になった。しかし、リリシアは俺のことを「変な眉毛のお兄様」と呼んでいる通り、若干馬鹿にしている。


 当主を馬鹿にするなど許されないが、いつも母親に怒られている出来の悪い兄だとリリシアは勘違いしているに違いない。俺は優秀なのに。


 まずは兄としての尊厳を取り戻さなければならない。そして、変な眉毛のお兄様という呼び方を訂正してもらわなければ。


 俺は、ルーシュ先生を頼ることにした。


 俺たちの勉強を一人で見てくれている天才先生ならば、リリシアも尊敬しているはずだ。そして、俺は勉強が得意。俺の得意分野をリリシアに見せつけて、ルーシュ先生に褒めてもらう。リリシアは「さすがはお兄様」と思うはずである。そうに違いない。


「先生。次の授業は、リリシアと一緒にしてもらえますか?」


 俺の申し出に、ルーシュ先生は驚いた。


 キャリルのヒステリーを見れば、いつもと違うことをやって彼女の怒りを買うことを恐れる気持ちは痛いほどに分かる。だが、人生にはやらなければならないことがあるのである。


 俺にとって、それは今なのだ。


 キャリルのヒステリーなど恐れてはいられない。恐れていたら、将来の聖女の性格が悪くなってしまう。


「大丈夫です。母の怒りは、ルーシュ先生には向きませんから」


 俺は、強い力で肩を掴まれた。ルーシュ先生の顔は真剣そのものだ。妹と一緒に授業を受けるだけだというのに、どうしてルーシュ先生はこんなにも真剣な顔をするのだろうか。


「イムル様。私が恐れていることは、イムル様がお母様の怒りを買うことです。イムル様は非常に優秀ですが、大人があなたを怒ることで自らの好奇心を殺してしまうのが私は一番恐ろしい」


 なるほど、と俺は思った。


 普通の子供だったら大人の怒りに委縮して、勉強することが嫌になってしまうだろう。


 しかし、俺は普通の子供ではない。転生により人生経験が無駄に長くなってしまっているから、キャリルのヒステリーも受け入れられている。あの人の今の性格は、確実に父のせいだ。


 その前は、優しい人だったのだ。


 血の繋がっていない子供の俺を文句も言わずに育てるぐらいに。


「好奇心は、自らを高めるための最高の素質なのです。大人によって、それが潰されるのが私は一番悲しい」


 ルーシュ先生の言葉は、とても学者らしいものだった。たしかに、好奇心は勉強に必要なものである。


「昔話をしてもいいですか。私は、親に勉強を強要されていたんです。あまりにも強く強要されていたので勉強自体が嫌になり、病んでしまった時期があったんです」


 ルーシュ先生は、俺が勉強嫌いになる事を一番恐れているようだ。ルーシュ先生自身が親に強要されて、一時期は勉強嫌いになったからであろう。


 それは辛いことのはずだ。前世にも受験ノイローゼというものがあった。俺を殺したのもそういう輩だったはずだ。


 俺の場合は、自分の可能性が広がっていく勉強が結局は好きなのだ。それは、きっとルーシュ先生も変わらないはずだ。現に、先生は学者の道を選んだのだから。


 俺もあきらめる訳にはいかない。得意の勉強で、「尊敬できるお兄ちゃん」の地位を築かなければならない。そうしなければ、リリシアは俺の意見など聞いてくれるようにはならないだろう。


 さて、どのようにしてルーシュ先生を説得するか。


 ルーシュ先生は、家庭教師としては理想的な人だ。知識が豊富で、生徒のことを心から想ってくれている。今だって俺のことを考えて、妹と一緒に勉強をすることを反対してくれている。


「兄として妹の学習状況を把握しておきたかったんです」


 その言葉に嘘はなかった。


 俺とリリシアは同い年だが、キャリルの教育方針で別々に授業を受けている。キャリルのなかでは俺は不真面目な生徒であるため、才能あるリリシアの勉強を邪魔すると思われているのだ。


 実際は、俺は家庭教師に褒められるような真面目な生徒なのだが。


 不真面目な生徒というのは、キャリルの完全なる思い込みだ。しかし、その思い込みのせいでリリシアと一緒に勉強することは許されないのも事実である。


 そのせいもあって、俺はリリシアの勉強については把握していなかった。幼い頃は一緒に勉強していたのだが、その頃の様子しか知らないのである。


「母親は、リリシアに甘いから彼女がちゃんと勉強できているか心配なんです。一緒に勉強していた頃もあったのですが、その時に集中力が持たなかったのはどちらかと言えば彼女でしたから」


 キャリルを操れるほどにリリシアは賢いが、それは地頭の良さから来るものだ。リリシアには、母親が何を求めているかがしっかり分かっている。しかし、それだけでは勉強が出来るとは限らない。


 誰だって自分の興味のあるものと都合が良いものは覚えが早いものだ。


 勉強は、自分の興味の範囲外の事を活用できるようになる事だと俺は思っている。そして、勉強が苦手な人間というのは総じて自分の興味がある事と勉強する範囲を結び付けるのが苦手だ。


 自分の興味の範囲外の事だから集中力が続かないし、覚えもわるくなるのだ。


 俺は、ここら辺のコントロールに慣れている。前世では勉強ばかりやっていたし、これでも難関大学の模試でA判定も取った。


 転生して学ぶ科目は変わったが、昔取った杵柄で魔法といった前世になかった科目でも良い成績を取っている。キャリルには、認められていないけれども。


「俺は、妹が母親から悪い影響を受けていないか心配なんです」


 俺は、妹を心配する健気な兄を演じた。それこそ、泣きそうな声も頑張って出した。普段の勉強の五倍は頑張ったような気がする。これぐらいの演技力がなければ、ルーシュ先生を説得できないと思ったからである。


「ご存じの通り、母はちょっと変わっています。いつも母の側にいる妹の成長に悪影響が出ていないかどうか……。この家の当主である俺には、彼女の成長を確認する義務がありますから」


 たしかに大人の当主には、娘の成長を確認する義務があるだろう。だが、そこまでの義務が同い年の兄である俺にあるとはちっとも思ってなかった。だからこそ、今まで放って置いたわけである。


「イムル様は、とても妹の思いなのですね……」


 ルーシュ先生は、俺の演技に騙されていた。


 感動したように涙さえ流しており、俺の良心はちょっとばかり痛んだ。しかし、ルーシュ先生さえ騙されてもらえれば、リリシアの勉強状態によっては彼女のためになるかもしれないのだ。これは誰も不幸にしない嘘である。


「分かりました。一緒に勉強ができるように、授業の準備をしておきます。リリシア様とでは授業の進み具合が違うので、イムル様には復習のようになってしまうと思いますが」


 やはり、リリシアの勉強は遅れているようだ。予想通りの報告に、俺は肩を落とした。


 幼い頃は一緒に勉強していったが、その頃からリリシアは居眠り常習者だったのだ。その居眠り癖が直っているとは、俺は考えてはいない。


 前世ならば受験などで勉強への姿勢を正すチャンスがあるが、そのようなことは家庭教師しかいない状況ではない。だらだらと授業を受けていても進級にも進学にも影響はしないのだ。


 しかも、リリシアは女の子だ。


 この世界の女の子の最大の使命と幸せは結婚で、それ故に女子教育において教養は最低限でも良いという考えがある。


 いわゆる、可愛ければ何でも許される風習が女子教育にはあるのだ。


 結婚しない女子が白い目で見られないような職業は極わずかだが、その一つが聖女であった。


 そして、聖女が馬鹿ではさすがに外聞が悪い。


 リリシアの勉強態度は、恐らくはキャリルに報告されていないだろう。そうであったら、キャリルはヒステリーを起こしているはずだ。


 キャリルのヒステリーを恐れた歴代の家庭教師は、母親に娘の様子を報告するという仕事を怠っていたのである。気持ちはすごく分かるが。


 誰だって目の前で、ぎゃあぎゃあと騒がれたくはないであろう。


「リリシア様は、お勉強に興味を持って下さらなくて。酷い時には寝てしまうんですよ」


 リリシアの勉強への態度は、やはり今も昔も変わらないようだ。これは、聖女云々の前に襟を正させる必要があるかもしれない。目指すは才色兼備な聖女様であるのだから。



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