第4話聖女候補の正体
貴族に生まれたイムルの人生は、悠々自適なものとは言いがたかった。
まずは、俺が生まれた直後に母親が産褥熱でなくなった。医療知識が中世レベルの世界ではお産は命がけで、無事かどうかはクジを引くようなものだ。こればかりは運が悪かったとしか言いようがない。
死んだ母親との思い出は一つもないが、この世に俺を生み出してくれた女性に敬意を示して俺は毎年墓参りを欠かしたことはない。こればかりは、残された息子の義務として毎年やっている。
そして、俺の馬鹿父は妻が亡くなった翌年に後妻になるキャリルを連れてきた。キャリルは、波打った黒髪に赤い唇の色っぽい美人である。
身長も高いので迫力があり、それと同時に気も強いし、気位も高い。父と結婚する前は裕福な商人の娘だったらしいが、父との結婚で子爵夫人の身分を手に入れた。
キャリルが嫁いできたのは父が貴族だから跡継ぎが必要だったという理由ではなく、純然たる浮気である。どうして分かったかというと俺の同い年の女の子——誕生日でいうならば俺の妹——も一緒に連れてこられたからだ。なお、この子は父親似で浮気の結果の愛の結晶であることは間違いなかった。
俺の父は、妻が出産で頑張っている最中にも浮気をしていたらしい。俺が産まれた時にも顔を見せなかったらしいから、筋金入りの屑である。
ちなみに、愛人の出産中も別の浮気相手の所に行っていたようだから、キングオブ屑というべきなのかもしれない。
俺の妹は父と同じ金髪碧眼で、父との血の繋がりを感じる美貌の持ち主だった。父は非常に整った顔立ちだったが、残念なことに誠実さに欠けた人物だ。
妻がお産で死んだ翌年に浮気相手を後妻に迎えた不誠実さから分かることだと思うが、とにかく女癖が悪い。独身時代からの悪癖は、二度目の結婚をしても収まることはなかった。
社交界で浮名を流す程度ならともかく、館のメイドにも父は手を出しまくった。俺の父の子を妊娠したというメイドは少なくとも五人で、そのたびに後妻となったキャリルは金を握られせなぁてメイドたちに子供を堕胎させて事を収めた。
キャリルだって、こんなことを好きでやっていたのではない。いくらスタルツ家が子爵だと言っても子供の全員を認知は出来ない。父の子供だと認知した途端に、生まれた子供には爵位を継げる可能性が生まれてしまうからだ。
だから、キャリルは打開策としてまとまった金をメイドたちに渡していたのである。その金で子供を育てたメイドもいたかもしれないが、それは彼女らの選択であると割り切るしかない。
しかし、気は強いが鬼ではないキャリルには辛い仕事であったであろう。彼女自身も母親であるから尚更に。
キャリルはどんどんと痩せていって、今では若かりし頃の美貌の面影はない。痩せぎすの身体と油が抜けてしまった荒れた皮膚は、父の不誠実の結果であった。
そんな父は、俺が五歳の頃に死んだ。
症状からいって、性病のたぐいだろう。ざまぁみろ、という感じだ。
こうして、俺は五歳にして子爵位を継いだ。後見は、キャリルになったのだが……。
「イムル!あなたは、また家庭教師の先生に楯突いたそうですね。身分を笠に着て下の者を虐げるなんて、旦那様にそっくりだわ!!」
キャリルは父の度重なる浮気のせいで、すっかりヒステリックになってしまった。今回だって俺が魔法の講義をしてくれた先生に口答えをしたと言って、キーキーと叫んでいる。
俺の父が与えたストレスの結果だと分かっているから憐れだと思うが、こうも毎日であると頭も痛くなる。前世は勉強のし過ぎからくる眼球疲労での頭痛があったが、今世ではストレスからの頭痛に悩まされているなんて笑えない。
ちょっとばかり先生に質問をしただけだというのに、この有り様だ。ちなみに、その先生は必死にキャリルを止めている。今日が初日だというのに、この先生も可愛そうだ。もうちょっと慣れてから、色々と質問をするべきだったかもしれない。
「あなたが、そんなふうだから先生が辞めていくんですよ!反省をしなさい、イムル!!」
キャリルは俺が全て悪いと言うが、教師が辞めていく原因は彼女のヒステリーからだ。俺相手に怒っているとはいえ、その原因に自分でにあると考えてしまえば先生だって胃に穴が開くような思いだろう。
大抵の先生は、心身の不調と胃痛を訴えて辞めてていく。今回は複数の科目を教えられる優秀な先生を家庭教師と迎えられたのだから、早々に辞められたくはない。
「お母様!眉毛が変なお兄様のことなんて虐めないで!!」
叫ぶキャリルを止めたのは、俺の同い年の妹たるリリシアだ。長い金髪を丁寧に結わえて、ベビーピンクの布地にフリルたっぷりのドレスを身にまとっている。
いっそのことお人形のような姿は、キャリルのお気に入りだ。リリシアは自分の好みよりも母の好みを優先する。そうした方が、母の機嫌を取りやすいからである。実の娘の哀願に、キャリルは今度は感激して涙を流す。
「私のリリシア。こんな酷薄な兄を庇うなんて、なんて優しいの!」
キャリルは、自分の娘をひしっと抱きしめる。
自分の娘の言動に本気で感動しているのはキャリルだけで、俺は慣れてしまった親子の劇に飽き飽きしていた。先生は何が起こったのか分からないようだが、この館の日常風景なので是非とも慣れて欲しい。そうでないと胃を壊す。
「お母様、泣かないで」
必死に母をなだめるリリシアだが、その顔には密かに満足があった。リリシアには、子供とは思えないような悪癖がある。それは、母親を操ることだ。
自分の演技で母親が都合良いように動くことに悦楽を覚えているらしく、キャリルがヒステリーが起こすとリリシアが飛んできて親子の茶番が始まるのである。
子供だから自覚はないと思うのだが、リリシアはキャリルと共にいる時には殊更に良い子を演じる。それも、『キャリルに都合が良い子』という意味での良い子だ。
キャリルは実子のリリシアには甘いが、良い子に振る舞ったときには溺愛が加速する。そして、ついついリリシアの言う通りにしてしまうのだ。
「お母様が悲しくなるとリリシアも悲しくなるの。ねぇ、あっちで一緒にお菓子を食べましょう。甘いものを食べれば、幸せになれるわ」
リリシアのお強請りに、キャリルは微笑む。
その顔は愛娘に向けるものというよりは、愛玩動物に向けるようなものだった。毎回思うのだが、キャリルに必要なのはリリシアではなくてアニマルセラピー用の子犬なのではないだろうか。
「そうね。お母様と二人で食べましょうね。イムルは、きちんと先生に謝りなさい!今度、先生に逆らったら夕飯を抜きますからね!!」
俺を怒鳴りつけてから、キャリルはリリシアと共に部屋を出ていった。残された俺と家庭教師の先生は、互いに大きなため息をつく。
「……イムル様、大丈夫ですか?」
キャリルを止めようとしていた先生は、可哀そうに数分の間にげっそりとしている。今日が先生との初めての授業だったが、俺の勉強をキャリルが見学すると聞いた時から嫌な予感はしていた。
俺の授業を見学する度に、キャリルは難癖をつけてヒステリーを起こすのだ。今日は先生に質問したことでヒステリーを起こしたが、反対に質問しなかったら「真剣に聞いていない」と怒鳴りつけてきたことがある。あまりにも理不尽だ。
「キャリル婦人は、いつも『ああ』なのですか……?」
本日より家庭教師になってしまった先生が、俺に恐る恐る尋ねる。家庭教師の先生は新しくなる度に、段々と若くなっていく。たぶん家庭教師ギルドのようなものがあって、そこで嫌な職場を若手に押し付けているのだろう。
眼の前の先生は、二十代前半の女性の魔法使いだった。かなり小柄な人で、野暮ったい黒いローブに三角の帽子を被ったいかにもな魔法使いといった格好をしている。
名前は、ルーシュというらしい。
魔法だけではなく、古典文学に数学、歴史。はては天文学までも教えられる優秀な家庭教師である。俺も前世の記憶の恩恵があるので優秀な生徒を演じられるが、それに輪をかけて凄いのがルーシュ先生なのだ。俺は、この人が俺と同じ転生者だとしても驚かない。
ルーシュ先生の格好は、この世界の標準的な魔法使いの格好というわけではない。これは、ルーシュ先生が保守派の魔法使いだからだ。
魔法使いには、保守派と革新派がいる。新しい魔法を積極的に研究するのが革新派で、古い魔法の研究をするのが保守派だ。
派閥のように扱われることもある二組だが、実際のところは研究の方向性の違いだ。俺たち貴族は嗜みとしての魔法しか習わないので、教師がどちらの流派でもかまわないというのが正直なところだ。現に、俺の前の家庭教師は革新派の人であった。
「母は、死んだ父の度重なる浮気の被害者ですよ。すっかり男性嫌いになってしまって、俺も嫌われています」
俺の後見人として領地の管理などは、しっかりとやってくれている。俺以外の男性の前ではヒステリーはマシになっているらしいから、父の血をひいていて尚且つ男の俺を嫌悪しているだけなのかもしれない。なんにせよ、義母のヒステリーは年々悪化の一歩をたどっていることに間違いはない。
「イムル様。他国への留学などを考えたことはありませんか?この環境は、イムル様に良くないと思います」
ルーシュ先生は、心配そうだった。俺が何をするにもヒステリックに反応する母親などは教育に良いとは言えない。
いっそのこと親と引き離すことを検討するのは正しい判断であると言えた。だが、さすがに他国への留学はやりすぎだろう。俺は、まだ十歳だ。
それに貴族と言うのは、多くが家庭で教育を修了させるものである。家から追い出されるようにして外国に留学するというのは、外聞が悪いであろう。我が家は、ただでさえ十歳の俺が当主というだけで注目を浴びやすいというのに。
それに、俺にはやる事がある。
俺の使命は、未来の聖女を育てること。
そして、未来の聖女とは——御しやすい母親と忠実な使用人に囲まれて性格がネジ曲がって育ちつつある我が妹だった。
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