第3話オリンポス女


 気がつくと俺は、白い部屋にいた。初めて見る部屋で、壁や床だけではなく天井までが全て綿あめでコーティングされているみたいな部屋だった。どこもかしこも、ふわふわしているのだ。


 雲の中に入ることができるのならば、こういう具合だろうという妄想してしまう部屋だった。けれども、見た目はふわふわなのに床の感触は硬い。


 見た目と相反する感触と見たことのない光景に、俺は混乱していた。こんなところにいる理由は分からなくて、怖いぐらいだ。


「なんだよ。ここは……」


 落ち着く事もできずに、俺はきょろきょろと周囲を見渡していた。しかし、そんなことをしても状況が変わることはない。部屋の形が正方形だと分かったぐらいだろうか。突然、俺を笑う声が聞こえてくる。


「なによ、その眉毛。正気なの!」


 がははと豪快に笑うのは、とんでもなく美しい女性だ。齢は二十代ぐらいで、ウェーブがかかった銀色の髪に血のような赤色の瞳をしている。人間離れした美貌の女に平時ならば見惚れていたかもしが、初対面で人の眉毛を笑うような女に興味はない。


 女は、古代のオリンポスの人々のような服を着ていた。白い布で作られた貫頭衣のような格好は、ハロウィンでもない日に見れば異様としかいえない。いや、季節や露出度のことを考えれば、ハロウィンでだってお目には書かれないであろう。


「ぱんぱかぱーん。おめでとうございます。あなたは、若くして他殺されました


 女は、信じられないようなことを言い出した。


 俺は慌てて自分の体を確認するが、大きな傷などはない。体調だって、悪いところはなかった。


 覚えていることも地下鉄を待っていたことぐらいで……直前の自分の記憶をたどっていたら、吐き気に突然襲われる。口を両手でふさぐが、酸っぱい胃酸がせり上がってきた。


 俺が端っこでげぇげぇと胃の中身をぶちまけていれば、オリンポス女はまたまた大爆笑していた。この女に殺意を抱いたことは、言うまでもない。


「自分が死んだときのことなんて思い出すものではないわよ。ほら、拒否反応を示している」


 よくわからないことを女はのたまう。


 だが、俺の体の拒否反応は確かなものだ。そして、少しぐらいは心配して欲しい。死んだと言われた事実よりも、嘔吐の方が俺には辛かった。


「あなたは信じないかもしれないけど、私は女神なの。それも、あなたから視れば異世界の女神ね」


 女は、再び意味が分からないことをいう。


 信じられない事ばかりだ。この女は、自分の妄想を真実だと信じているタイプの人間なのだろうか。不意に、そんな考えが俺の中に浮かんだ。


 そちらの方が、俺が他殺されたとか異世界の女神とかいう世迷い事よりもずっと信憑性のある可能性であった。ならば、ここは精神科の隔離室というところだろうか。


「私のことを信じてないわね」


 ぷくっと頬を膨らませるオリンポス女だったが、やがて飽きたかのように俺から視線をそらした。この移り気の早さといい、仕草といい。オリンポス女は、どうにも子供っぽい。


「まぁ、いいわ。信じなくとも役割はこなしてもらうわよ」


 いつの間にか、部屋には王座のような椅子が置かれていた。あんなものは、さっきまではなかったはずなのに。


 不思議な光景に俺が驚いていれば、オリンポス女は悠々と突如出現した椅子に座った。なかなかに様になっていて、まるでオリンポス女が女王にでもなったかのような光景だ。


「突然だけど、あなたには『聖女の導き手』になってもらいます」


 オリンポス女は、得意げに言った。


 逆に、俺は疑問符を浮かべる。『聖女の導き手』なんて、聞いたこともないものになれと言われたのだから当然だ。


「私の管理する世界には、私の神聖な言葉を俗世に届ける聖女という大切な役割があるわ。けれども、この役割は純粋無垢な乙女にしかできないの」


 ユニコーンに好かれる条件みたいだなと思った。そもそも純粋無垢だなんて、どうやって判断するのだろうか。


 まさかではあるが、聖女になる前に少女たちの体を調べるような前時代的なことはするまい。そんなことをするのは、中世の世界ぐらいだ。


 いや、オリンポス女は自分を異世界の女神だと言っていた。ということは、そこの世界の文明が中世ほどの文化だという可能性がある。あくまで、オリンポス女の言葉がすべて真実ならばという事が前提になるが。


「まぁ、属に言えば私の品位を上げてくれるような人格ってところね。皆に嫌われない偶像崇拝の偶像ちゃん」


 俺の考えを読んだかのように、オリンポス女は言った。というか、自分にない品位を他人に求めようとするな。俺は文句を言いそうになったが止める。このタイプの人間は唯我独尊。つまりは、人の話を聞かないタイプだ。


 このオリンポス女が、本当に神だとしよう。そこは、あらゆるものを譲歩して信じてやることにする。そうしなければ、今までの数々の不思議が解決しないという問題もある。


 それを前提にして、俺がやる事は見知らぬ女の子の教育らしい。


 無理だ。


 俺は一人っ子だったせいで、歳下ましてや女の子との付き合いなどなかった。勉強漬けの人生だったせいで、同世代との付き合いも危ういというのに。


「あなたが引き受けてくれるのならば、新しい人生を上げるわよ。剣と魔法の世界で青春なんて、最高でしょう。これからが人生って時に、成績が原因で殺されたんだから」


 今度こそ意味が分からなくて俺が首を傾げていれば、女神が見るからに「失言をした」というふうに表情を変える。そして、あからさまに俺から顔をそらした。あまりにも怪しい様子に、俺はオリンポス女の頭を鷲掴みにする。


「ちゃんと話せ。俺の死因がなんなんだって」


 俺から目をそらそうとするオリンポス女の首を無理やりねじって、こちらに向かわせる。オリンポス女は「暴力反対!」と叫んだ。


「これは……秘密にしようと思っていたんだけども。あなたを殺した犯人の動機が『自分は浪人生なのに、現役生が志望大学のA判定をもらって悔しかった』らしくて……。親から勉強を強いられて、犯人はおかしくなっていたらしいわよ」


 自分が殺された理由を聞いて、俺の体から力が抜けた。俺がA判定だったから殺したなんて、なんてアホな殺人の動機なんだ。そんなことのために、俺は殺されてしまったのか。


「そんなの……そんなことってないだろー!!」


 受験でおかしくなる気持ちは分かるが、そんな理由で人を殺すな!


 俺だって、生まれてからずっと死ぬほど勉強していたんだ。友人と遊んだりしたかったし、恋愛だってしてみたかった。漫画とかアニメを夜通し見るだなんて、他愛もない夢だってあったのだ。


 なのに、それは他人の受験せいで終わってしまった。全て台無しだ。


「……こうなったら」


 俺は、生まれ変わる。


 どんな手を使ってでも生まれ変わって、今度こそ青春を謳歌してやる。


「そうこなくっちゃね!大丈夫。任務達成後には、ご褒美が待っているから」


 ぱちん、とオリンポス女は指を鳴らした。


 そうして、俺はイムル・スタルツという名の貴族の息子に生まれ変わった。イムルとしての人生は今年で十年になるが、中々に波乱な毎日をおくっている。


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