浜辺童

葱と落花生

浜辺童

 麦藁帽子の少年


 浜に出て遊歩道の縁に座り込むと、豆菓子を広げて食べ始めた恵一。

 するといきなり真後ろから、子供らしい声で問いかけてくる者がある。

「見掛けねえ顔だな、何処から来た」


 急な事だったので、ビクンと肩をすぼめ振り返る。

 見ればまだ十になったばかりだろうか、サンダル履きに半ズボン。

 頭に麦藁帽子を乗せ、双眼鏡までぶら下げている。

 身に着けている物は何もかもが大きく、着ているというよりは着られている風体の少年に安心した恵一。

「越して来たばかりなんでね、家はすぐ近くだよ」

「何か食う物持ってないか」


 朝が早いからか、それとも家出でもしてきたか、初対面の他人に食物をねだるとは。

 いささか行儀の悪い子だとは思ったが、随分と昔からの友人に語るような口調に、つい「菓子とおにぎりとサンドイッチとー、コーヒーかな」

「おにぎりで好いや」

 言われるままおにぎりを手渡すと、少年が満面の笑みで頬張り始めた。


「僕、家はどこ」

 貴重な朝食を奪った少年の素性が気になる。

「ない」

「ないって、親は」

「いない」

「この辺の子だろ、名前は」

「浜辺童」

「はまべ・わらし?」

「うん、座敷童とも言う」

「座敷童!」

 からかわれていると思った恵一の声が大きくなる。

「座敷童が珍しいか」

「大人をからかうものじゃない。いる筈がないじゃないか」

 すると、少年が何を思ったかいきなり話題を変える。


「あそこにいる爺さんな、何やってる風に見える?」

「波打ち際で竿を振っている人かい」

「うん、そうだ」

「どう見たって釣りだ」

「餌は付けていないけど、それでも釣りでいいんだな」

 少年が恵一に双眼鏡を渡す。


 よく見れば、竿を振っては飛ばし、すぐさま巻き上げる糸の先に、三又の大きな針がついているものの、餌を付けている様子はない。

「んー、でもねー。やっている事は、やはり釣りだよねー」

「正解」

「なんだ、当たっているのか」

「あれはギャング釣りって言って、でかい針を海底で引きずって、辺りにうろついている魚を引っ掛ける釣りなんだ」

「変わった釣りだね」

「まあな、必要なのは体力だけ」

「で、あの釣りがどうかしたのかい」

「あの爺さんが釣ろうとしているのが、おいらなんだよ」

「何ー」


「まあ見てな」

 少年が小走りで老人に向かって行く。

 振り向いて恵一に両の手を大きく振って見せ、更に老人へと寄って行く。

 するとどうだろう、懸命に竿を振る老人に吸い込まれるようにして姿を消してしまった。

「ああ!」

 それっきり声が出ない。


 消えたと見えた少年は、老人とぶつかる事なく通り過ぎ、今度は波の上でムーンウォークをしているではないか。

 老人にもこの様子は見えている筈だが、何のためらいもなく竿を振り続けている。

「見えてないんだよー」

 少年が掌をラッパにして大声で恵一に教える。


「聞こえてもいないんだなー」

 今さっき海上にいた少年が、一瞬で恵一の隣に現れて耳打ちする。

 こうなってくると、自分は浜辺童だと言う少年の言葉を信じるか、己の脳みそが沸騰してしまったかである。

 恵一は前者を選んだ。


「座敷童と言うのは、本当らしいね。さっきは怒ったりして悪かった」

 子供に見えても妖怪の類である。

 ここは遺恨が残らないようにする方が得策であろう。


「信じる気になったらしいな」

「そこまでは分かったのですが、どうしてあのお爺さんは座敷童様を釣ろうとなさっているのでございますか」

「様はいらねえよ。それに、おいらはあんたよりもずーっと年上だけど、ため口でいいよ。その敬語ってのはくすぐったくていけないや」

「では改めて。何で、あのお爺さんは君を釣ろうとしてるのだい」

「それな。爺さん、昔はかなり手広く事業をやっていて、羽振りの良い暮らしっぷりだったんだよ」

「君が住みついていたからかい」

「いや違うよ、運が良かっただけ。そんでさ、その資産に目を付けたのが町のごろつき連中ってわけ」


「強盗にでも入られたかい」

「いやいや、奴等の手口はもっと巧妙でさ、県の公共工事を請け負っている談合仲間でもある奴等が、こぞって爺さん所に工事を発注して、代金の払い渋りをしたんだよ」

「それだけでは何も取れないだろ」

「ここからだよ悪質なのは。決算時になると現金が足りなくなるだろ。そこへもってきて連中に買われた経理士が、爺さんの会社を大赤字だって事にして、爺さんに何の相談もなく確定申告したんだよ」

「債務超過ってやつ?」

「そう。すかさず銀行が取引停止にして、ごろつき共は工事代金の残りを払わない。裁判にしても、爺さんの会社の役員連中が、会社に不利な証言をするから負けてばかり。倒産に追い込まれたんだ」


「周りの者みんながグルだったって事かい」

「当然だよ。会社からの給料よりも、ごろつき連中からのバックマージンの方が多いからね」

「そんな事が許されていいのかい」

「良いも悪いも、成っちまったんだから仕方ないよ。爺さん、誰に迷惑かけて来たでもなくて、正直真面目に頑張って生きてただけなんだけどね」

「薄情な座敷童だな、何とかしてやる気にはならなかったのかい」

「いや、ずっと前の話だよ。おいらと爺さんが出会う前の事だから。今でも、おいらは爺さんと出会っているけど、爺さんはおいらと出会ってないんだよ」


「分ったような分からないような、で、どうして君を釣る事になるのだい」

「爺さんがこの町に来たのは二十年ばかり前なんだけど、すってんてんになって死のうとしたのさ。最初は神社の御神木でと思ったけど、神様に失礼だってんで、防風林の松の木を選んだんだ」

 浜辺童が後ろの松林を指さすと、一瞬強い風が吹いて、防風林の中にある一本の松が大きく揺れた。

「あれよ」


「何だか物騒な話になってきたな。でも、死んでないよね、あそこにいるのだから。お爺さん、幽霊って。まさかね」

「良い勘してるね、そのまさか」

「ああー」

 座っているから尻餅もつけず、そのまま脱力する恵一。

「うっそー、生きてるよ。爺さんがぶら下がる支度をしてたら、声を掛けたのが、ほら、さっき揺れた松の下で手を振ってるあいつ」


 揺れた松の方に目をやると、真夏だと言うのに黒ずくめで背の高いのがいる。

「何者」

「死神。知らねえのかよ」

「知る筈ないだろう」





 浜辺童の伝説


「死神が爺さんに『少々お待ちいだだけませんでしょうか、まだその時では御座いませんのです』って言って、奴が住んでたバラックをあげたんだ」

「足引っ張ったんじゃなくて、家をあげたのかい」

「うん、良い奴だろ。おかげで以来二十年間宿無し。神だってのに、妖怪のおいらと同じでいやがる」


 ここで浜辺童が、両手を恵一の前に広げて上下させる。

「何してるの」

「ここから先を聞きたかったら、サンドイッチおくれ」

 渋々サンドイッチを渡すと、浜辺童は死神に駆け寄りサンドイッチの半分をあげ、瞬間移動で恵一の横に現れた。


「はは、出演料な。あいつ何時でも腹っ減らしだから」

「座敷童、良い奴なのか」

「おいらの影口、聞いた事あるか」

「言われてみれば、ないねー」


「続きな。とりあえず死に損ねた爺さんは、その日その日を一生懸命に生きていたんだけど、故郷の悪党共にされた仕打ちの事は忘れようったって忘れられないでいたんだよ。そんな時に、おいらの伝説を聞いたんだ」

「座敷童の伝説なら、誰だって知っているだろう」

「言ったよな、おいら浜辺童だって」

「そうだったね、どうもごっちゃになっていけないな」


「座敷童は家の中に住みついて福を呼ぶって事だけど、ここいらに座敷童はいないって伝説なんだよ。何処見たって御殿なんか建ってないだろ」

「御殿はないけど、みんなそこそこ暮らせているじゃない」

「だよな。だから、座敷童は家の中じゃなくて、外の浜辺に居るって事になったんだ。どうしても困った時には釣りでもしながら、浜辺童に相談すれば、気が楽になるって言い伝えだったんだよ。初めの頃はな」


「初めの頃とは」

「何百年か前の事。だけどもそれが、いつの間にか変な風に変わって『浜辺童を釣って家に連れ帰り、逃げられないようにして飼い慣らせば、何でも願い事を叶えてくれる座敷童に変化する』になっちまったのさ」

「随分と乱暴な変わり方だね」

「そりゃ何百年も経てば、すこーしずつ変わった話も、いきなり激変したみたいになるよ」

「では、お爺さんは君を捕まえて御大臣に返り咲こうってつもりなのかい」

「それならまだ見込みも有るんだけどねー」 


 浜辺童が腕組みをして話を続ける。

「爺さん、おいらに復習させようって魂胆なんだよ。元々おいらや座敷童には福を呼ぶ力なんてないから、捕まえても無駄骨なんだけどね。それに、今のままじゃ百年たっても、おいらは捕まえられないよ」

「どうしてだい」

「第一に、おいらが見えていない。第二に、針に餌がついていない。第三に、おいらは痛いのが嫌い。だから、あの針には絶対に引っかからない」


「ふーん、第一、どうして僕には君が見えるのかな」

「見る気がねえからだよ。おいらに頼み事もないだろうし」

「これといった願い事はないね。第二、針にはどんな餌を付ければいいの」

「おにぎりとかサンドイッチ」

「確かに釣れたね。第三、君はどうしてお爺さんの過去をそんなに詳しく知っているのだい」

「そうきたか、何だって知ってるよ、お前の事も。妖怪だよ、おいら、メジャーな妖怪」


「お爺さんは座敷童、いや、浜辺童に会えるのかな」

 一心不乱に竿振るお爺さんを見てから、青い空に浮かぶ浮浪雲に目を移す恵一。

「さあなー、あの分じゃ一生かかっても会えないだろう」

「一生って、お爺さんいくつよ。二十年もああやって竿振ってるのだろ。いい加減に会ってやったらどうよ」

 恵一の目が潤んでくる。

「理解力に乏しい奴だな。お前だって随分と痛い目見てこの町にやって来ただろ。早期退職の退職金で、こじんまりし過ぎた家買って、インターネットで古物売って、その日食ってくのがやっとの生活じゃないか。それでもおいらが見えるお前と、爺さんの違いって何だよ、気づけ」


 恵一の袋から勝手にコーヒーを引っ張り出し、ぐびぐびっと飲み干す浜辺童。

「そうだ! お前の家に行っていいか。あの、こじんまりし過ぎた家に住んでいいだろ。自分の食い扶持くらいは何とかするから」

「嫌だと言っても、コーヒーと一緒で勝手に住み付くつもりだろ」

「物分かり良いね。ついでと言っちゃなんだけど」続く言葉を制するように、恵一が大声を出す「良い奴だってのは分かったけど、死神はダメ!」

 一瞬、動きを止めたお爺さん、恵一の方を見たが、次の瞬間には何事も無かったように竿を振る。


「あー、また外した。あそこじゃないんだよなー」

「あそこじゃないって、どこかにポイントでもあるのかい」

「おいらが仕込んでおいたんだよ。伊勢海老と平目に鯛」

「仕込んだとは随分と親切だね。でもさ、平目は何とか分からないでもないけど、海老と鯛はちょっと無理があるのではないかい」

「あの爺さんは、おいらを釣りあげる事しか頭にないから、何処で何が釣れるかなんて知らないし気にしてないの。この前なんか、アンコウ釣って鍋にしてたくらいだ」


「それも君が仕込んだのかい」

「水深五メートルもない所で、仕込みなしにアンコウは釣れないだろ。ほっといたら爺さん飢え死にしても竿を振ってそうでな」

「なんだ、やはり気にしてるのか、良い所あるじゃないか」

「そりゃそうだよ。おいらをあてにして生き永らえているのを、見殺しにしたなんて噂でもたったら大変だからな。それに今日は爺さんの誕生日なんだ」

「良いよ、家に来な。そのかわり、自分の事は自分でやりなよ」

「分かってるよ、子供じゃないから」


 話が決まれば、恵一の事を何でも知っている浜辺童の動きは早い。

「よう、この入浴剤使っていいか」

 家に着くなり真っすぐ風呂場に向かって、ちゃっかり朝風呂である。

「これから君の事を何て呼べばいいかね。やはり家に取り付いた浜辺童は、座敷童って事になるのだろうか」

「何でもいいけど、客人の前では具合が悪いな………そうだ、わらしでいいよ」


 座敷童が一時間ばかり風呂場で遊んでから、藤棚の縁側で涼んでいる。

 遠くから「おーい」と声を張り上げ、先ほど海岸で釣りをしていたお爺さんと死神が訪ねて来た。

 近所に家がなく田畑ばかりなのでいいが、黒ずくめの大男が八十センチはあるだろう程の平目を抱えているのだから、知らない人が見たら一騒動である。


「来た来た」

「なんだ、呼んだのかい」

「ああ、おいらには引っ越し祝いで、爺さんには誕生日だからな」

「なんてこった、薄々嫌な予感はあったけど、初日からこれかい」

「そう気にしなさんな。そのうち良い事があるからさ」


 座敷童がお爺さんを縁側に座らせる。

「お世話になりますよ」

 死神がズカズカ台所まで上がり込み、釣って来た魚をさばき始めた。

「こんな事してもらっていいんですか」

 お爺さんが申し訳なさそうに尋ねる。

「良いんだよ、おいらの家みたいなもんだから」

 座敷童が家主のように返答する。


 昼前から始まった宴は、だらだらと夕暮れまで続いた。

「いやー、どうもお世話になりました」 

 お爺さんが深く頭を下げて礼を言う。

「こちらこそ、御馳走様。楽しかったです」

 恵一も頭を下げる。




 薄らこ汚い日本人形のオークション


 死神とお爺さんが同じ方に向かい去って行く。

 この日、お爺さんは初めて浜辺童の姿を見る事ができた。

 もっとも、【わらし】と呼ばれていた少年が、そうであるとは気づかず過ごしたのだが。


「お爺さんにも君が見えるみたいだね」

「おいらは何もしてないんだけど、きっと爺さんにも運が向いてきたんだろ」

「お爺さんと死神が同じ方に帰って行ったけど」

「うん、一緒に住む事にしたんだよ」

「そうした方が良いと君の話を聞いた時に思ったけど、二十年間も気付かなかったのかい、あの二人」

「だから、おいらが提案してやったんだ。さっき」


 こんなご近所づきあいと、座敷童の居る家生活が二ケ月ばかり過ぎた頃、恵一はちょっとした変化に目を丸くした。

「売上が伸びた。奴の食い扶持分くらいのものだなー」

 パソコンの前で独り言を言った後「わらしー、お前何かやったか。売上が伸びてるけど」

 廊下で子猫をじゃらしている座敷童に聞く。

「なーんもしてないよ。運がよかっただけだろ」


「おこんにちわ」

 珍しく死神が一人で恵一を訪ねてきた。

「おや、お爺さんはどうしました」

「いやね、ちょっとだけ具合が悪くて、家で寝てます」

「それはそれは」

「実はね、折り入ってお願いしたい事がありまして伺いました」

「また珍しい、お願いとは何ですか」

「この人形を、貴方のオークションとやらで売ってほしいのです」


 死神が紙袋から出したのは、古びた日本人形である。

「これをですか? いいですけど、売上の半分はいただきますよ。それでもよろしいですか」

「もちろんです。と言うか、全額貴方の懐に入ってから、すぐに出て行く様なのですけれども」

「妙な言い方をしますね」

「これの売り上げで、この家に一部屋増築してほしいのですよ」

「そこに死神さんが住もうって計画だったら、ダメですよ。第一、この人形が家を増築するほど高く売れるとも思えない」

「その点なら御心配なく、見る人が見れば、もう一軒建てても御釣りが来る位まで競ってくれます。それに、私がそこに住むのではなくて、お爺さんを住まわせてやって欲しいのです」

「面倒見切れないので、この家を爺捨て山に選んだという訳ですか」

「そうじゃありませんよ。お爺さん、冬のバラック生活には耐えられないのですよ。はっきり言ってしまえば、もうあまり長くないのです。すぐって事ではないのですけれど、死神だから何となく分かるのですよ」

「深い事情ですね。とは言っても、これ売れるかなあー」


 恵一のうなだれた様子に、座敷童が横から声をかける。

「一円から始めたって大丈夫だよ、爺さんには運が味方し出したって言ったろ。つまんねえ事で考え込んでる暇に、写真撮って出品しちまった方が早いや」

 座敷童に促されるまま、恵一が人形の写真を撮ってパソコンに向かう。

「本当に一円スタートでいいのだね。下手したら一円で落札されちゃうよ」

「私の方は大丈夫ですから、どうか御願いします」

「いいから、早いとこやっちまいなよ」

「知らないよ、どうなったって。一つ聞きたいのだけど、えらく高値が付くと予想をしているこの人形、何処でどうやって入手したのですか。まさか、盗品ではないですよね」

「その辺の事は、深く追及されたくなかったのですが………正直に申しあげますと、海岸に打ち上げられていた物ですので、鑑定書等はございませんです」

「鑑定書以前の話じゃないですか。ゴミですよね、海岸に流れ着いていたゴミですよね」

「分かり易く言ってしまえばそうですが、何せ三百年程前のゴミですので、広い人間界には、それなりに評価をしてくださる御奇特な御仁が必ずいらっしゃいますです」

「そうだよ、いいから早く出品しちゃいな!」

 こう言い放つと、座敷童が出品ボタンを勝手にクリックする。


 この日から一週間、人形は誰からも見向きされなかった。

「ほら、やっぱり誰も見てないよ」

「そうかな、そろそろ運が向いてくる頃だと思うけどなー」 

 座敷童が子猫に葡萄を食べさせる。

「んっ」

 恵一が顔をパソコンの画面にググッと近付ける。

「初入札か?」

 座敷童が声を掛ける。


 認めたくない様な喜ばしいような、複雑な気持ちで答える恵一。

「うん、信じ難い現象だよ」

「なっ、運が味方してるだろ」

「まだ一円だよ」

「まあ見てなさいって」

 一円のまま動かない画面を五分ばかり眺めていただろうか。

「飯の支度でもするか、競る人が出てこなきゃ値上がりはしないよ」

 恵一が諦めてパソコンを消す。


 翌朝、人形は五百円まで値上がりしていた。

 もう一人、オークションに参加してきたのである。

 さらに翌日、十万円の高値がついた。

 十数人の参加者が、見境なく競り合った結果である。


 三日後、参加者は百人を超え、価格は三百万円まで高騰した。

「三百、これが?」

 恵一は、ルーペを使って人形をつぶさに観察した。

 しかし、高額になった理由など見つかる筈もなく、最終的には五百万円で落札された。


「本当に、増築して御釣りがくる値段になった」

「だから言ったろ、こうなったら早く大工さんに頼まないとなっ」

 座敷童に言われるまでもなく、恵一は急いで死神に連絡をした。


 死神が知り合いの大工に頼み、昼夜問わずの突貫工事が続く。

 恵一の睡眠不足を除いては何の問題もなく、わずか二週間で母屋よりも立派な離れが完成した。

 当初は母屋に繋げて一部屋増やす予定だったのだが、それでは後々使い勝手が悪くなるからと、死神の提案で母屋と離れを広い渡り廊下で繋ぐ造りになった。


「本当にいいのかね、こんなに立派な離れに住んでも」

 お爺さんの疑問は当然である。

「良いのですよ。私はお爺さんに色々とお世話になって来たのですから、恩返しだと思ってください」

 死神は何とか言いくるめようとするが、お爺さんにはそこが一番の疑問であった。

「何を言ってなさる。貴方は命の恩人、大きな借りこそあれ、世話しただなんて事は一度もなかったです」

「まあまあ、細かい事は気にしないで、自分の家だと思って気楽にしてくれよ」

 座敷童が、よくある言葉でこの場をごまかそうとする。



 恵一の心内にある奇妙な感情をそっちのけに、めでたく正月を迎える。

「こんなに暖かい正月は、何年ぶりだろうかね。生涯、こんなに良い思いはできないと思っていたよ。どうもありがとうね、恵一さん。新年に乾杯」

 この家の持ち主に少しばかりの気を使い、正月の御馳走を前に、お爺さんが乾杯の音頭取りをする。


「爺さん、今年は何が釣りたい?」

 子供姿であるのを忘れ、座敷童がビール片手でお爺さんに聞く。

「そうさなー、もう釣りは卒業だ。陽気の良い日に海を眺めて暮らせれば、それが一番良いようだね」

「そうかい、悟ったかい」

「座って半畳、寝て一畳、天下を取っても二合半。これ以上何を望むかね」






 子猫の狸

 

 のったりまったり季節がめぐり、お爺さんが同居してから一年が過ぎた秋。

「不思議だなー。人数が増えた分、生活費で苦労しそうだと思っていたのに、増えれば増えたなりに売り上げが伸びている。おい、座敷童様、本当に何もやっていないのかい」

「おいらに福を呼ぶ力なんてないって、何度も言ってるだろ。運だ、運が良かっただけ、いつドボンするか。計画的に生活しなよ」

 この会話に縁側の死神が口をはさむ。

「ドボン、きましたよ。お爺さん、今倒れました。部屋に行って御覧なさい」


 死神の言葉を半信半疑に恵一と座敷童が、お爺さんの部屋へ行ってみる。

「倒れているよ」

 慌てて救急車を呼ぶと、即座に病院へ搬送。

 まさか死神が行くのも、まして子供姿で一般人には影すら見えない座敷童が付き添うわけにもいかず、恵一が付き添って病院へと向かった。


 一ヶ月後。

 幸い命は助かったものの、随分と体の動きが不自由な状態になって帰って来たお爺さん。

 不自由になりはしたが、死神と座敷童が交代で世話をしてくれるのに感謝して、笑顔の絶えない平穏な日々を過ごし二度目の正月十五日。

「皆さん、ちょいとあたしの話を聞いてやってくださいな」

 風邪気味で臥せっていたお爺さんが起きだしてきて、居間でくつろぐ三人に手を合わせる。


「どう考えても皆さんは神様にしか思えない。有り難くて、有り難くて。何のお返しもできないのに。わらしさん、貴方、本当は浜辺童なんじゃありませんか。こんなあたしが幸せで居て良い筈ないのに、皆さんに会えてよかったです。本当によかったです。おかげで幸せな人生ですよ。ありがとう御座います」


 四人一緒で笑いながら夕食を済ませた翌朝、お爺さんは起きてこなかった。

「逝っちゃいましたね」

 死神がつぶやく。

「でもさ、幸せな人生だって言ってくれたよね。君が仕込んだのだろ」

 恵一が座敷童を見る。

「おいらは何にもしてねえよ。ただ、爺さん。運がよかっただけだよ」



 一人で暮らしていた恵一の家に、浜辺童が住みついてから二度目の正月が過ぎ、色鮮やかな早春がやって来た。

 一番近くのお隣さんでも、五百メートルは離れているだろう。

 孤立建ての家にあれば、人様には見えない自分と恵一が大声で話していても、何ら問題にならないのが気に入ったらしい。

 浜辺童にしても座敷童にしても、この家に何がしかの福を呼び込んでも良さそうなものだが、そのような気配はまったくない。

 せいぜい自分の食い扶持くらいはと、恵一の営むインターネットオークションの売上を伸ばして、こっそり稼ぎ出している程度の来福である。

 それでも恵一は気にする事なく、家族のように浜辺童と付き合っている。

 妖怪と人間が何の隔たりも不服もなく、のんびりした生活を送っているのである。

 強いて一つ不安材料をあげるならば、座敷童の友達である死神が、ちょくちょく遊びに来る事くらいだろうか。

 死神は礼儀正しく、言葉遣いも穏やかなのだが、それがかえって恵一にとっては不気味であった。


 暖かな昼下がり、いつものように浜辺童が猫をじゃらして遊んでいる。

 童が来た頃に、何処からともなくやって来た子猫だが、一年過ぎても相変わらず子猫のままでいる。

 妖怪が目の前にいるのだから、さして驚く出来事ではないと自分に言い聞かせている恵一。

 今は、毎日のように顔を出していた死神が、十日ばかり訪ねてこない事の方が気にかかっている。


「死神さん、最近ご無沙汰だけど、どうしたのかね」

 縁側の座敷童に訪ねる。

「あいつ、この猫と喧嘩しちゃったんで、きまり悪くて来られないんだよ」

「猫と喧嘩? そんな事で来られないのかい」

 とは言ったが、成長せずに子猫のままでいられるのだから、何等かの妖怪変化に違いない。

 いかに死神とて、恐れるに足る生物なのかも知れない。


「その子猫、君に随分となついているけど、本性は何者なのかね」

「狸だよ。古狸」

「どうりで、果物でも野菜でも、好き嫌いしないで食べる訳だ」

 正体が化け猫であったならば、食のこだわりも猫のままだろうと勘ぐっていた恵一の、頭の中にかかっていた靄がいっきに晴れた。


「で、その狸君と死神がどんな喧嘩をしたのかな」

 どうせつまらない事であろうと思う反面、狸と死神の喧嘩とはいかなるものか興味がわいた恵一。

「つまらない事さ。正月に離れで死んだ爺さんの幽霊が、渡り廊下でウロチョロしてるって、こいつが言うんだよ」

「えっ! この家に幽霊まで住みついたのかい」

 妖怪に死神、それに加えて狸の化け物。

 そこへ追い打ちをかけるような幽霊の話となっては、さすがの恵一ものん気に構えてはいられない。 


「いや、違うよ。慌てなさんな。タヌ公が言ってるだけなんだよ。死神には見えないし、当然おいらにも見えないんだ」

 これを聞いて少しは落ち着いたか、恵一が静かな口調で聞き返す。

「本当にいないのだね。幽霊なんてものは、この家にはいないのだね」

「そう聞かれると自信ないんだ。動物ってのは特別な六感を持っているからね。妖怪とか神には見えないものが見えたりするんだ。どちらかと言うと、おいら達よりも狸に近い生物である恵一の方が見えるかもしれないな」


 正月の十五日に、離れで同居していたお爺さんが他界している。

「幸せな人生だったと言い残したくらいだから、この世に未練などなさそうだったけど、今頃になって何か言いたい事でもできたのかね」

「そんな事は分からないよ。なんたって、おいらは何も感じないんだからさ。タヌ公に聞いてみれば」

 こう言われはしたものの、恵一は子猫と会話できない。


「その子猫に化けた狸、人間の言葉は話せるのかい」

「そうだったな、お前さんは狸と話せないんだっけな」

「どうせ化けるなら、人間になって日本語で会話してほしいものだね」

「そいつはまだ早いってよ。どうしてこいつが子猫に化けているかというと、人間は姿形で敵味方を決め付けてしまう悪い癖があるだろ。死神なんかは姿を見せなくても、死神ってだけて嫌われてるし。それは人間が生き残るため身に着けた、本能の一部だから致し方ないんだけど、本当の性質を見抜こうとするなら、みかけの判断だけじゃなくて、気の長い観察が必要だろ。だからこいつは、恵一がじっくり自分を観察できるように変化しているんだよ。爺さんの幽霊だって、たぶん一緒さ。下手に警戒されて祓い屋なんか呼ばれたんじゃつまらないから、様子を見てるんだと思うよ」

「じゃあ座敷童は、お爺さんの幽霊が離れにいると思っているのだね」

「ああ、死神だってそう思ってるよ。でもさ、タヌ公に見えて死神である自分に見えないのが気に入らなかったんだよ。正確に言うと、タヌ公とじゃなくて、爺さんの幽霊と喧嘩した事になるかな」


 見えない相手とでは喧嘩にもならないからと、子猫に愚痴を垂れ流したらば、子猫が怒って死神を引っ搔いた。というのが事の顛末である。

「なんだかなー、死神だって神様の類だろ。神らしくないったらありゃしない」

「いや、死神にだって言い分はあるさ。奴は爺さんと二十年来の付き合いだし、命の恩人、じゃなくて命の恩神だよ。それを差し置いてだ、タヌ公にしか見えないってのはどういう事だよ。恵一だって、爺さんとは一年ちょっとの付き合いだったけど、随分と親しくやってたろ」

「確かに、幽霊になったからって、僕達がお爺さんを毛嫌いするとでも思っているのかね。あまりにも情ないね」




 お爺さんの幽霊現る


 恵一と座敷童が二人で腕組みをして考え込む。

 子猫の狸は、相変わらず日向ぼっこでぬくぬくしている。

「そうだ!」

 恵一と座敷童が同時に声をあげる。

「そうだよな」

「ああ、そうだ」

 二人はこれだけの会話で、互いに何を考えているか分かったようである。


 この日の夕方、死神がミカン箱いっぱいの苺を持って恵一達の家に来た。

「どうもご無沙汰しておりました。苺の出荷が忙しくて、これは規格外の物ですが、味は保証いたしますです」

 恵一が、たまには一緒に飲みましょうと、死神を招待したのである。


「えっ、死神さんの家って、苺農家だったのですか?」

 恵一は沢山の苺を受け取りながら、驚き隠せずに質問する。

 すかさず、浜辺童が代わって答える。

「苺農家が、雨風しのげないバラックに住んでるかよ。バイト。アルバイトだよ」

「えー、神様もアルバイトするのですか。というか、アルバイトしていいのですか。公務ですよね、死神業って」

「死神と名乗ってはおりますけど、神界では末席のそのまたおっぱずれでして。それに、私が死を掌っているのでもなければ、神としての仕事がある訳でもないのです。ただ、生き物の死を何となく感じ取れるというだけの能力しかありませんでして、お恥ずかしい話」

「生活費は自分持ち、ですか」

 恵一の驚き顔が直らない。

「はい、死神は、いわばボランティアみたいなものでして」

 死神が頭を掻いて赤ら顔になる。

「おいらが始めに言ったろ、こいつは何時でも腹っ減らしだって」

 座敷童が苺を口いっぱいに頬張り、もごもごさせながら恵一の背中を叩く。


「まあまあ何はともあれ、久しぶりに一杯やりましょう」

 こう言って死神を宅内に招き入れる恵一と浜辺童の企みは、空き部屋になった離れに、死神を住まわせようとするものである。

 一日中部屋に籠っている性格の死神。

 古い付き合いの死神が部屋に住み込めば、お爺さんの幽霊も出てきやすくなるのではないかと考えた。


「狸さん、この前はつまらない愚痴をこぼしてしまって、申し訳ありませんでした。お気を悪くしないで、こちらで一緒にどうですか」

 死神が、縁側で横になっている子猫を自分の方へと誘う。

 子猫の狸も、ずらっと並んだ御馳走に近づきたくてこの言葉を待っていた。

 この提案を直に受け入れ、死神の膝に乗ってゴロゴロ喉を鳴らす。

「しっかり猫してやがる」

 隣に座っていた座敷童が、子猫の狸をつついてからかう。


「死神さん、お爺さんの離れが空いているのですが、どうですか、こちらに越してきては」

 死神に程よく酔いの回った頃合いを見計らって、恵一が切り出す。

「えー、私が、あの部屋にですか、もったいない。もったいないですよ」

 質素すぎる生活に慣れ切っている死神には、まだ新築の匂いが残る部屋は御殿に思えてならない。

「もったいないも何も、あの離れの建築費は、お前が持ってきた日本人形を、恵一のオークションで売った金じゃねえか。遠慮する事はねえよ」

 浜辺童が死神の背中を押す。

「そうですよ、きっとお爺さんもそれを望んでいるのですよ」


 突然、離れへの渡り廊下でドタバタ。

 何者かが激しい音をたてて騒がしくなる。

「おいらじゃないよ」

 浜辺童がキョトンとして、背筋を伸ばし音の方を向く。

「だよね、誰が真似してるのでしょう」


「お爺さんだそうです」

 素早く偵察に行った子猫の報告を、恵一に伝える死神。

「爺さんも喜んでいるんじゃねえの」

 座敷童の言葉を、死神が手の平を大きく左右に振って否定する。

「違うようで御座います。なんでも、お爺さんも皆さんと一緒に飲みたくて暴れているようで御座いますです、はい」

「出てくればいいじゃないですか! お爺さん。ここに居る者は、幽霊になったからって、お爺さんを仲間外れになんかしませんよ」

 内心は少しばかり恐ろしく感じているのを、気取られまいとする恵一。

 酔った勢いを借り、大声を出しながら、渡り廊下を千鳥足で行き来する。


「あっ、出た」

 死神が恵一の後ろを指さす。

「どこ、どこ、どこ」

 座敷童にはまだ見えていない。

 恵一が席に戻ってグイッ、コップに半分程の酒を飲み干す。

 すると、お爺さんの幽霊がそのコップを取り上げ、自分にも注いでくれとやる。

 そこへ死神が酒瓶を傾ける。

 ようやく座敷童にもうっすら、お爺さん幽霊の姿が見えてきた。


「爺さん、久しぶりだなー。迷って成仏できなかったのかよ」

「ええ、ちょいと冥途道中で耳よりな話しを聞きましたんで、このまま成仏も何だなと思い、舞い戻ってきました」

 注がれた一杯目を一気に飲み干すと、お爺さんの顔色が死者から一転、生きている人のように変わる。

「耳よりな話とは」

 恵一が頗る冷静を装って問いかける。

「この家のですね、極々浅い所に、温泉の脈があるらしいのですよ」

「温泉、ようございますね」

 死神がタオルを頭に乗せて、温泉に浸かっているような素振りをする。

「みなさんで、温泉付きの民宿でもやったらどうですか、海も近いですし」


 お爺さんの提案に反対する者はなかったが、恵一には気になる事がある。

「反対はしないけど、僕は接客なんてできませんよ」

 ぼそっと本音をもらす。

「おいらもダメだ、人には見えないから、できないんだな」

 座敷童は威張っている。

「私は、ほら、死神ですから。接客はいかがなものかと」

「私がやりましょう」

 見慣れない女が、そっくりかえって部屋の真ん中に立っている。


「あんた、誰」

 一同が声を揃えて驚く。

「タ・ヌ・キ! えへぇっ」

 いきなり現れたのは、子猫の狸が化けた中居姿の女人であった。 

「どうでしょう、妖怪も幽霊も人間も狸も泊まれる宿にしては」

 お爺さんの提案に浜辺童が猛反対する。

「幽霊はダメだ」

「どうしてだい」

 恵一が不思議そうな顔で訪ねる。

 浜辺童がお爺さん幽霊を指さす。

「爺さんの足元を見なよ。幽霊は御足を持ってないから、宿代を払えねえよ」

 死神が付け足す。

「渡し賃の六文限りですかね~」


 時過ぎて桜の舞が春を告げる頃、密かに温泉宿が営業を始めた。

 恵一と浜辺童が出会った海岸を、五人並んで歩く早朝。

 波の音は、去年と何も変わらない。

 若干一名、歩いてはいなかったか。

 幽霊のお爺さんは、ふわりふわりと浮いている。

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浜辺童 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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