五章 イリアのこれから 364話

 学園の授業は短い。前期が4月半ば~7月、後期が9月~12月半ばまで。1~3月と8月がお休み。レイシアがあれこれ動いている間に、イリアの卒業が近づいてきた。


 イリアとカンナが二人だけでお茶を飲みながら話しをしていた。


「あと一か月でイリアは卒業かい。この寮も寂しくなるね」

「そうだね。ま、先輩のナーシャさんが卒業した後二年間は私一人だったし、レイシアが来たから楽しかったよ」


 二人はレイシアが来てからの事を思い出したのか目を合わせては微笑んだ。


「そうだね。レイシアのおかげで、まだ存続することができるからね」

「来年の新入生は、誰か寮に入る子いるの?」

「さあねえ。まだ連絡は来ないね」

「そっか」


 もともと人気のない平民街の寮。新入生が誰も来なくてもおかしくはない


「あんたは卒業したらどこへいくんだい?」

「ここの近くにいるよ。今取引している出版元に顔が聞くからね。王子からも仕事が入りそうだし」


「そうかい。じゃあたまに顔見せにおいで」

「いいの? 毎日でも食事に来るよ」


 かなり本気でいっていたので、カンナが釘を刺した。


「毎日はダメだね、イリア。月一くらいにしておくれよ」

「え~、レイシアのご飯にあったかいお風呂がない生活は考えられないよ」


 イリアがそう言うと、「あんたねぇ」とカンナが突っ込んだ。


「まあねぇ。あたしらもずいぶん贅沢を覚えちまったね」

「ほんとだよ。夏休みはさ、夜でも熱いから行水でもいいんだけど、冬はねえ」

「ほんとだねえ。冬は温かなお風呂にはいりたいもんだね」


 二人はこれから訪れる卒業と冬休みの事を思ってため息が出た。


「お風呂だったら週一来てもいいよ。どうせ平民は滅多に行水もしないんだからさ。曜日決めときな。ご飯は月一回。実費はもらうよ」

「ありがとう、カンナさん。大好き。回数増やしてくれたらもっと大好き」

「……。はぁ、ほんと現金な子だね」


 そう言いながらもにこやかに話し続ける二人。なんだかんだで五年間一緒に過ごした時間は、大切な思い出だらけだ。あれやこれやと思い出話に花が咲いていた。


「楽しそうですね。何を話しているんですか?」


 帰って来たレイシアが、二人に聞いた。


「あんたの悪口だよ」

「え?」

「イリア、言い方! いやねぇ。あんたがお風呂だのおいしい料理だの簡単に出すから、この子甘えちゃって、この寮から出ていきたくない! 毎日通う! とか言い出したのさ」


「ほんとだよ。あたしをこんな体にしたの、あんたなんだからね、レイシア」

「そう言われましても」


 カンナとイリアはどうしていいか戸惑っているレイシアを見て笑った。


「ごめんごめん。でもさ、この寮あんたが来てからどんな王宮よりも便利で楽しい場所になったからさ。離れたくないのは本当。この寮で一緒に暮らせて楽しかったよ。ありがとね」


「イリアさん……」


「まあ、まだ卒業までひと月くらいはあるからさ。卒業してもたまには寄るし。その時は風呂に入れてもらってもいいかな」

「はい!」


 同意をもらったイリアはご機嫌に言った。


「そうそう。4月になったらさ、『制服王子と制服女子』と『無欲の聖女と無自覚な王子』二冊が再販されることになったの。重版よ重版! どっちも入学式の話じゃない。季節ものとして売れるんじゃないかって期待されているんだ。王子が注文した騎士団のドキュメントもかなり売れたし、作家としてはなんとかやっていけそうだよ。あんたのおかげだよ、レイシア。だから、あたしからプレゼントだ」


 イリアは手作りの本を一冊差しだした。


「これはね、あたしが卒業試験で書いた小説だよ。モデルはあんたとあんたの弟。領主になったあんたの弟クリシュと、弟を支える立派な姉が、困窮こんきゅうした領地を新しい産業を興して発展させる領地経営ものだ。親方に掛け合ったが『一般には売れないだろう』って言われて出版は無理だったけど、レイシアのツボにはハマると思うんだ。あんたのために書いたようなものだからさ。草稿はあたしが持っているから、完成品はあんたが持っていなよ。頑張るんだよ、これから。なんかあったらあたしに言いな。協力できることなら相談に乗ってやるよ」


 本を受け取ったレイシアの顔がゆがんだ。お別れが近いことが実感してしまったからだ。


「こらこら。別にあたし遠くに行くわけじゃないから。引っ越し先も教えるから。あ~もう。そんな顔しないの。まったくもう」


 言いながら、イリアも涙目になってきた。レイシアにつられてしまったから。

 カンナはカップを片付けて、レイシアに言った。


「あ~、こんなんじゃ夕飯の支度も滞るじゃないか。レイシア、今日はあんたのストックしている料理を出してくれないか。イリアもあんたの料理が食べたいみたいだしね」


 レイシアは「はい」と返事をした。


「今日はイリアさんのために、とっておきの料理を出しますから。期待してくださいね。あ、その前にお風呂を入れましょう」


 しんみりとした空気はもうない。レイシアはイリアのためにと動き回った。



 楽しく食事を終えた後、レイシアがイリアの部屋を訪ねた。


「イリアさん。早速ですがお願いがあるのですが」

「なに? あたしにできる事ならやるよ。言ってみな」


 イリアは軽い調子で返事をした。


「これは、作家イリア・ノベライツさんへの依頼なのですが」

「なに?」


 イリアの表情が引き締まった。


「執事喫茶で働く女の子を主人公にした、お仕事物の小説を書いて頂きたいのです。このくらいの紙一枚で載り切れる短編でお願いしたいのです。原稿料は金貨3枚。版権はこちらに頂きます。何度か書き直してもらうと思いますが、いかがでしょうか?」


「は? 紙一枚に載り切れる程度の短編で金貨3枚? 短いよね。何その破格値。その前に執事喫茶て何?」


 引き締まった顔が一瞬で崩れた。意味が分からなすぎた。


「執事喫茶はメイド喫茶の執事版です」

「はぁ?」


「私がアルバイトしていたお店がメイド喫茶なのです」

「知ってるよ。行ったことはないけど。なんか寄りずらくてね。あんたもバイト辞めたしさ」


「今度行きましょう! 私が案内します。それで、オヤマー領に新しく執事喫茶を開店するんです」


「誰が?」

「お祖父様中心のプロジェクトです。私も一枚噛んでいます」

「へ、へえ~」


「でも、分かりませんよね。いきなり執事喫茶って言われても。まったく新しいコンセプトのお店なので、店員を集めるのにも苦労すると思うのです。そこで、紙一枚程度の小説で、お店の雰囲気やコンセプトを説明しながら興味を持ってもらうのがいいかなって思ったんです。オープンは早ければ来年の秋、遅くても再来年の春には行いたいので年明けから配りたいんです。もしかしたら連載物として何度か書いてもらうかもしれませんが、まずは一枚目です」


 イリアは興味深く聞いていた。


「小説でお店を紹介する。不思議なことを考えるもんだね、レイシアは」

「王子の真似です」

「ああ。なるほど」


 まだ口コミが一番の信用、宣伝広告という概念がない中で、小説を使って概念を広めるという新しい発想に、イリアの胸が高鳴った。


「あたしで良ければ協力するよ。金貨3枚だ。何度でも修正してやるよ。イリア・ノベライツ、学生作家を卒業した最初の依頼だ。気持ちよく引き受けさせてもらうよ」


「ありがとうございます。イリアさん。嬉しいです。私がイリアさんの最初の発注者ですね」


「ああ。これからもよろしくな。発注主様」

「やめて! レイシアでいいから。イリアさん、これからもよろしくお願いします」


 レイシアとイリアの絆は切れることがなくなった。





◇ その後 ◇


 イリアの販促用小説は、初めはメイド喫茶黒猫甘味堂で大銅貨3枚で売られた。無量で配ると読んでもらえないというメイの意見でそうなった。


「ほんの100リーフでもいいんです。お金を出したものは選んだと言う事です。だから大切に読むのです」


 お手軽な値段と、メイド喫茶の信用。それにここだけでしか買えないというプレミアム感からほとんどのお客様が買って行った。そもそもここに来るお客様は、平民でも中級以上の方々ばかり。学校を出ているようなお嬢さんが多いことも売れた理由の一つ。やがて『布教用』と、10枚、20枚とまとめて買う猛者も出て来た。


 レイシアはイリアに2話目、3話目と続きを依頼した。イリアは何度も書き直しを命ぜられたがにこやかに仕事をこなした。レイシアは、打ち合わせと称してイリアを寮に招いては、イリアに食事とお風呂を提供していたから。


 店員募集の時期には、執事喫茶の評判が王都中に広まり、王都の中でもオヤマーで働きたいという女性がたくさん出てきた。もちろん、そのころにはオヤマーでも販売を始めていたので、まだ見ぬ執事喫茶で働きたいと思う女性がオヤマーでも続出した。


 イリアの販促用小説は、いつの間にか本一冊分の分量になっていた。レイシアは執事喫茶オープンに合わせて、本として出版することに決めた。イリアは小説として商品化するために、バラバラの物語を整え、おまけのSSもいくつか差し込んだ。その情報が噂として広がると、本を予約しだすお嬢様達が続出した。


 いつの間にか平民街に留まらず、学園にも執事喫茶の話と販促用ペーパーは広まっていった。学園生でメイド喫茶を体験したレイシアのお茶会経験者は、妄想が止まらなくなっていた。なんとかレイシアと話がしたいのだが、残念ながら学年が違うし、接点がない。おまけに法衣貴族。こちらからは声をかけることができない。たまに図書館で見かけると、表面的にはさり気なく、心の中では必死になってアピールをしてみるのだがレイシアが気づくことはなかった。


 販売前から予約が殺到する状況を見て、執事喫茶の成功は間違いないと関係者一同は思い、ほっとしながらも真の成功に向けて心を引き締めた。これが成功したら、次は貴族街へのメイド喫茶計画が待っている。休む暇などなかった。


 

 イリア・ノベライツは、こうして作家としての評判を上げながら、レイシアとの関係を深めていったのだった。

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