第3話 それぞれに過ごすさんにん

魔法は便利だ。


科学も便利だ。


どちらが優位で、どちらが利便性に富んでいるかなど、滑稽な議論でしかない。


少なくともユルヴェストルにとっては、戦わす必要のない事象現象である。

どちらも動力が必要であり、どちらも才能と知識と「使う」という目的があればいい。

むしろ魔力があってもなくてもほとんどの人が使える化学の方がまあ便利かなとは思うが、動力がなければただの置き物なので、その場合は魔力で同じ事象を起こせばいい。


そう思い、考え、そして実行できるのは、自分自身がどちらも可能な『魔法使い』だからだろう。




前に『家』を出てから戻るまでの間に見たこと起こったこと感じたこと考えたこと…とにかくすべて報告することを書き出したメイは、現在浴槽の中で漂っている。

先にルガが使っていたはずだが、冷たく濡れた床に黒い毛が数本落ちていただけて、お湯は綺麗なままだった。

幼い頃に師匠に教えてもらった通りに頭も体も泡まみれにする。

そして両手でさらに泡を揉んで膨らますと、ぷぅっと音を立てて吹き飛ばした。

石鹸らしい匂いと共に豊潤な花々の香りが一気に浴室を満たし、泡は大小様々な大きさになって手のひらから飛んでいく。

師匠である『ゆうたん』が教えてくれた『あわあわのまほう』だが、この現象を起こしているのは自分ではない。

魔法使いの隠れ家なのに魔法の使えないこの家の中で唯一魔法が使える場所であるが、「全身泡だらけになったメイが、泡に向かって息を吹きかけたらいい匂いのするシャボン玉になれ」という魔法が、師匠の手によってかけられているだけなのだ。


それに気がついたのはルガと家の中でかくれんぼをしていて探していて、パタパタと床を叩く音に引かれて「みーつけた!」と声を掛けようとした時だった。

『なにしてるのー?』

「うん?あの子がとても喜んでくれているからねぇ…もうちょっと女の子らしく、もっと花の香りがこう…ブーケの様に」

「ぶーけ?」

「花を束ねた物だよ。取り合わせによってはあまりよろしくなかったり、全然香りがしなかったりするんだけどね」

『それでー?』

「いい香りがすれば、もっとよく入ってくれるだろうからね」

『そうなのー?』

「そうだよ……まあ、お前には刺激が強いだろうから、ちゃんと調整して……」

『おれにもおしえてー』

「ああ、後でね」

そう言いながら師匠はこちらに背中を向けたまま、浴室の壁に手を添えて横に動かしながら、何かブツブツと呟いていた。

しかしメイには何をしているのかさっぱりわからない。

だというのに──

『ねー?それがさっきいってたはなのかおり?っていうの?』

「そうだよ。よく分かったねぇ」

『でもどうして変えてるのー?』

「そうだねぇ……もうそろそろ進化させないと、さすがに魔法の使えないあの子でも気がつくと思ってねぇ」

得意げにルガが尻尾を何度も床を叩き、顔は見えないが師匠の声は何となく楽しそうに浴室に響く──それは魔法を使えないメイのためにやってくれていたのだろうけれど、幼すぎる少女の心は酷く傷ついた。




もはや人の姿ではなく、真っ黒な犬型の獣姿になったルガはユルヴェストルの足元でくぅくぅと微かな鼻息をたてて転寝していた。

完全に眠り込んでいるわけではなく、メイが浴室を泡だらけにしてシャボン玉を飛ばしまくっているのを感じる。

あの改良型の『あわあわのまほう』はメイのためでもあるが、魔力がまったくないメイがちゃんと風呂に入っているのか確認するためのものでもあった。

ユルヴェストルに拾われたばかりの頃のメイは風呂に入るのを嫌がり──いや、水に触れるのを怖がり、それを押さえつけて綺麗にするのが大変だったのである。

ただ嫌がるというよりも錯乱状態にまで陥るのを何度か経験し、ユルヴェストルは泡だらけにしたメイを一瞬で乾かすという方法を取るようになった。


それからどうやって泡だらけの風呂を喜ぶまでに慣れさせたかというと──単純にルガの体を洗う際に、メイまで泡だらけにする『遊び』にしただけである。

何かの弾みでルガがブルリと頭を振った時にふわりとシャボン玉が宙に舞い、それを目で追うメイの表情が驚きと微かな笑みを浮かべていたのをユルヴェストルとルガが目にした途端、一瞬にして周囲にシャボン玉が飛んだ。

「おお!これがメイの魔法だろう。『あわあわのまほう』だね」

「めいの?」

「ふふっ……メイらしい、いい魔法だ」

そう言いながらルガの体から泡が流されると、シャボン玉はあっという間に消えた。

たちまちメイはしゅんとしたが、その後はどうやってもシャボン玉は現れない。

それからどうしてもシャボン玉をもう一度見たいと考えたメイは、ルガの時と同じ状態になったらどうだろうと小さな頭で気がついた。

その日は自ら進んで風呂に入ると言い、いつもよりたくさん石鹸を泡立ててくれたのである。


そうしてメイを騙してでも風呂に入れるという思い月のミッションは成功し、こうして花の香りが湯気と共に今にまで流れてきて、今夜もメイがちゃんと綺麗になっていると満足のため息がユルヴェストルとルガの鼻から同時に流れ出た。

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