第2話 帰ってきたふたり

アスファルトが途切れるというよりも溶け合い、踏みしめる音がザリッと濁ってくる。

「……何処よ、ここ」

「まったく……大人しくひとつんとこにいりゃぁいいのに」

同じぐらい不機嫌に文句を言う連れ合う二人だが、服装がまったく違う。

片や膝がしらが見える長さのプリーツの裾が切れそうなほどピシッと整っている紺色のスカートとすこしパフ気味な長袖のセーラー服を着ている清潔な黒髪の少女と、襟も袖も裾も擦り切れ所どころ切れ目が入った半袖がさらに短くなってしまったカットソーと同じ状態のデニムパンツはどちらも汚れが目立つのを気にもしていないような浅黒い肌の黒髪の男。

正反対なのは性別や着ている物だけではなく、足元もまったく違う。

少女が白いソックスと傷ひとつなく光輝く革のローファー靴を履いているのに比べ、男は靴どころか靴下すらも煩わしいとばかりの裸足だ。

小さすぎるというほどではないが長身でもない少女と比べ、二倍とはいかないまでもかなり高いところにある頭を捧げるように背中を丸めている男。

二人を繋ぐのは、男の首に巻かれた革の首輪に繋がる銀色に光る長い鎖。

それは地面に届いて引きずられているが、少女の靴と同じように傷ひとつなく輝いている。


そんな二人が歩いているのは無機質で寂れたビル街ではなく、いつの間にか緑と茶色と灰色が混じり合う土と草と石の獣道しかない森の中だ。

その道は細く消えそうではあるが、明確に先に続いている。

どれくらい歩いてきたのか少女はやや疲れた顔をして溜め息をつきながらも足は止めず、男は表情を変えることなく足を引きずるようにしながらズルズルと鎖に引かれるまま、大人しくついていった。

──が。

「あ、ついた」

「お帰り、メイ。遅かったね」

森の中を歩いていたはずなのに二人の足は木の板を踏みしめており、薬のような匂いと共に灰色のフードがついたマントを被った男に迎え入れられた。

特に汚れは目立たないが、メイと呼ばれた少女は自分の身体のあちこちをぱんぱんと叩いて埃を立てながら挨拶を返す。

「ただいま、ゆうたん。遠すぎる」

「もうまた私のことをそう呼んで……だいたい『遠い』だなんて、そんなこと言わないで。ちゃんと辿り着けたでしょう?」

「……たどぅ…今?」

「なぁに?まだ覚えらんないの?『た・だ・い・ま』!はい!リピィター・アフター・ミー」

「りぴ……?」

少女が片耳に手を当ててもう片手で再度の発音を促すが、男はコテンと首を傾げて意味を理解できない様子を隠すこともない。

そんなやり取りをする少女と男を『ゆうたん』と呼ばれた男は顎に拳を当て、声を出さずに唇だけで笑う。

「それはお前にはまだ早いね、ルガ。『ただいま』だよ。ずいぶん前のこの国の挨拶だから、早く覚えなさい」

「たぁ…だ…いま?」

「あんたって変化しなくても、自分が理解できない言葉の時は幼児っぽいのね」

「うるせぇ」

賑やかに会話する間もメイの手は止まらず、スカートの後ろの裾までしっかり手ではたき、最後はつま先を左右それぞれ床にたたきつけて最後までしっかり埃を落とす。

とはいえこの家に辿り着いた瞬間に清浄の魔法が働いて、神経質に汚れを探さなくても塵一つついていない。

そうわかってはいても、何故かメイはしっかりと自分の服を叩いて汚れがないことを確認しないと気が済まないのである。

「はいはい、二人とも…ようやく帰って来たんですから、まずルガはシャワーを浴びてきなさい」

「えっ……アレ……俺、嫌だ……」

「あらぁ?じゃあ、後であたしが洗ってあげようか?子犬っちになってくれれば、泡あわで洗ったげるよ~ん♪」

「ぜってぇ断るっ!!」

ニヤニヤとメイが煽ると、げんなりと表情を曇らせたルガは慌てて自分の身体を自分の腕で抱き締めてガードすると、開放されたドアをくぐって廊下へ走り出て浴室へと逃げ込んだ。

この家にはゆう──ユルヴェストルが全体的に高度魔法を重ね掛けしているため、メイがルガの鎖を手放したとしても問題はない。

そもそも人工的な人間の町から森の中に景色が映り、そしていつの間にか家の中にいた時に二人を繋いでいた鎖は消えていたのである。

だがこの家にそれを不思議と思う者などいなかった。




しばらく経ってお湯ではなく水をポタポタと滴らせたルガが部屋に戻ると、メイはテーブルに座って何やらノートに文字を書いている。

「何してるんだ?」

「ん~……ここに帰ってくるまでの……日記?」

「にっき」

意味が分からないのかルガは首を傾げながらペタペタとテーブルに近付くと、メイの左側の辺に座って上から覗き込む。

「いつも書いてる……って、あ───っ!ちょっとあんた!何でちゃんと頭乾かしてこないのよ⁉ちゃんとドライヤーあったでしょうが!」

「熱い風は嫌だって言ってるだろ!ここに来るとまほーが全部使えなくなるんだぜ?もうめんどくせーったら」

「ちゃんと冷たい風も出るって!もうー!ちゃんと説明し…た?した、よね?」

勢いよく自分の『弟子』を怒鳴りつけていたメイだったが、突然その声のボリュームが弱くなり、目の焦点が合わなくなって不安げに揺れ始める。

「し…た……よね?したの…かな……?ね、ぇ……?ルー……?ねぇ?」

「えー……えぇ……うー……?うぅ~……?」

残念ながらルガにも記憶がないらしく、椅子の上で仰け反るほどメイに迫られても思い出せないようだ。

「はいはい、そこまで。メイは忘れないうちに日記を書いておきなさい。ルガは私を手伝っておくれ」

「……うん」

「髪はこのまんまでいい?」

「しょうがないねぇ」

割って入った師匠の言葉にメイは二度ほど深呼吸を繰り返し、ストンと自分の椅子に座り直した。

その目が理性と落ち着きを取り戻したのを見て小さく頷いてから、のっそりと立ち上がったルガがまだ水気の残る髪の方に微かに頭を動かし、手を伸ばしたユルヴェストルが何か小さく呟くとふわりと髪の毛が持ち上がる。

微風というにも足りないささやかな空気の動きに擽ったいとルガが更に首を竦めて頭を振るのを見て、ユルヴェストルは堪えきれずに小さく声を上げて笑った。



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