魔法使いの弟子の弟子

行枝ローザ

第1話 道行くふたり

じゃらり。


硬く無機質な音が、硬く無機質なアスファルトの上で鳴る。


べたり。


水気を含んだ有機質な音が、その音にふさわしい跡をアスファルトの上に残す。


かつん。


どれよりも軽い音が、叩きつけるようにアスファルトの上で響く。


一人の少女と、一人の男。


繋ぐのは地面に引き摺られる長い鎖。


「遅い」

「うるさい」

「早く歩け」

「やだ」

「だったら止まれ」

「めんどくさい」

どこか怪我をしているのか背を丸めたまま素足で歩く男は汗を滴らせながら文句を言うが、先導する少女は言葉通り面倒くさそうに振り返りもせずに吐き捨てた。

そのまま舌がベロリと手に持った大きなロリポップキャンディーを舐める。

「だったらそのキャンディー寄こせ」

「あたしの唾液が欲しいの?」

「いらねぇ」

「強がんなって」

きたねぇ」

「JKって貴重なんだよ?」

「高校に籍置いてないのはJKって言わねぇ」

「そうだっけ?」

ピタリと少女の足が止まり、くるりと後ろを振り返る。

同じタイミングで立ち止まった男が斜め下に落としていた視線を上げようとして──グイッと鎖が引かれた。

その先は男の太い首に巻かれた革の首輪に繋がっており、身長も体格も遥かに劣る少女の細腕に逆らうことなくたたらを踏みつつ顔を寄せる。

「舐めて」

「……………」

「何よ………って!ああっ‼」

ふたりはジッと目を逸らさず睨み合ったが、グワッと口を開けた男はバキンと飴を齧り折った。

「ひ…酷い……」

「美味い」

「クッ……」

黒髪の下の浅黒い顔が飴を咥えたままニヤリと唇を歪めるが、直視した少女の顔が一瞬にして赤く染まった。

「どうしたぁ?お気に入り。俺みたいなバケモンに惚れたら、そこらにいるニンゲンに退治されるぜぇ?」

「だっ、誰がお気に入りよっ!そんで、どうしてあたしがあんたに惚れるのよ!」

ガリリッと飴は噛み砕かれ、飛び散った欠片は大きく開いた口から伸ばされた人外に長い舌に絡めとられて、男の口腔へと消えた。

また短く「クッ…」と少女の喉が鳴り、続いて「カッコイイ…」という呟きが漏れたが、突然吹き付けてきた風の中に消える。

「……まあいいわ」

赤らむ顔を片手で覆い隠しつつ、腰を折り膝を屈めて覗き込む男の頭に空いている方の手を当ててグシャグシャと掻きまわす。

乱された髪は角のように立ち上がってブルリと震え、金属的な音はいつの間にか消え──

「さあ!師匠を護るのよ!行きなさい!」

「……師匠っつーか、バケモノ使いだろーが」

「うっ、うるさいわね!あたしはれっきとした魔法使いの弟子よ!だからあんたはあたしの弟子なの!」

「へーへーへー」

「返事が多い!チャッチャッと片付けて!」

『まったく……お可愛いお師匠様だぜ』

「うるさいってば!」

頭ふたつ分は大きかった男の身体は更に大きく、いつしか全身が黒い毛皮に覆われていた。

鼻が前に突き出し大きく裂けた口からは唸り声が漏れているが、少女の脳内には彼の言葉がクリアに響く。

『まほーが使えないのにまほーつかいたぁおそれいるぜ!』

「獣化するたびに何となーく幼児っぽくなるのよねぇ、あんたの喋り方。もうちょっと大人っぽくならないかしら……?」

『うるせえなっ!いってきまーす!』

首を傾げ片頬に手を当てて困ったように溜息をつく少女を置いてきぼりにして、男は──否、今や己で言う『バケモノ』にふさわしい大きさの獣姿となったソレはふわりと飛び上がったかと思うと、今まで歩いてきた道をズシンと四つ足で踏みぬいた。

「ウギャァッ!」

『おれよりがんめんへんさちひくいくせに、かわいいおんなにめをつけるのだけははやいんだな!それよりも、おれとたのしくあそぼうぜぇ!』

人の頭ほどもある大きな足の下にはそれぞれビクビクと断末魔の痙攣をするモノが押し潰されており、開いた口からは長い舌がベロリと伸びている。

その姿に恐れをなしたのか、ひっそりと近づき今にもふたりに襲い掛かろうとしていた男たち数人はジリジリと後退った。

「もうその人たちは『人間』に戻せないから……」

『だなぁ……だって、こいつら、さっきから『うぎゃぁ』ってしかいってない。ずいぶんながいあいだ、しょーむのなかにいたみたいだ』

「そっか……じゃあ、どっかで捜索願が出てるかもね。なるべく持ち物は残して」

『えー、めんどー』

念話と同時にの感情も流れ込んできて、思わずそちらに引っ張られそうになる。

だがそれを踏ん張って理性的に対処することこそ大事と意識を持ち直し、少女は改めて命令を飛ばそうとし──

『できないっていわないけどね☆おれ、できるこだし!』

語尾にキラキラと星がついたような口調で男のセリフが脳内に響いたかと思うと、その巨躯がブワリと大きく膨らみ、先ほどよりさらに幼くなった言葉遣いとは逆に威圧感が増す。

それに気圧されるように、すでに理性がないはずの『人間』だったモノたちがゆっくりと数歩後退った。

しかし逃げ出すには遅過ぎて、コォォォォォ…という呼気と湯気のような白い煙が大きな口から漏れて、そちらへと漂い纏わりつく。

その瞬間──

「クァ?」

「グゥ……」

ドロォ…と皮膚が爛れ崩れていくが、自分達の身体に何が起きているのか理解できないかのように、ゆっくりと骨が剥き出しになっていく自分の手やそばにいる誰かの頬肉がズルリと落ちていくのを見ているだけだ。

「うわぁ……」

『べつにもやしてもいいんだけど、おれのひだとぜんぶなくなるから』

「ああ……そうだっけ。そうだけど……ドロドロ……」

『あとでかわかすって。だいじょぶ…たぶん……』

誰も彼もがもうその場を動けず、皮膚や筋肉が溶けていくのを不思議そうに眺めていた。




くぅくぅと呑気な寝息をたてて眠り込んでいる獣姿のままの『弟子』を放置して、少女は彼が言った通りサラサラに乾いた『元・人間』たちの遺品を漁っていた。

言っていた通り人間を構成する有機物のみ溶け、服や靴、その他身に付けていた物はそのままその場に残っている。

これらを操っていたモノは常識があったのか、何故か身元を特定できる物が確保できた。

「ひーふーみぃー……昔の数え方って、なんか可笑しいわね。まあ、とりあえずはこんな物かな」

「終わったかぁ?」

くあぁと大きな伸びをするのは先ほどまで鎖に繋がれていた男だ。

「うん。ちゃんとぜんぶ回収したわ。ねぇ……」

「あん?」

「これがお師匠様の言ってた『試練』なのかなぁ……」

「知るか。戻ってみりゃあ、わかんだろ」

「そっかぁ……んじゃ、戻ろっか」

先ほどから一辺の恐怖も浮かべなかった少女は周囲の惨事に興味を失った表情で立ち上がり、どこから現れたのか、じゃらりと鎖を拾い上げる。

それを不思議に思う者はなく、少女が鎖を引き先に立ち、その先には革の首輪とそれに繋がれた男がゆっくりと速度を合わせて歩き始め──何事もなかったかのように荒廃した街の中をどこかに向かって歩き始めた。



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