第3話 魔導書校正部

 ヴェリタスの隣を歩くルーチェのヒールの音が廊下に響く。後ろを歩くべきかと思ったのだが、ヴェリタスが歩幅を合わせてくるので、自然と隣になるのである。

 ジェレミアからは長年、「身分をわきまえて後ろを歩け」と言われ続けてきたので、何となく落ち着かない。

 行きは侍従と通った渡り廊下を、ヴェリタスと二人で歩く。少し遠くに見える訓練場の方から、騎士たちの掛け声がかすかに聞こえた。

 そういえば、ジェレミアは学園でも常日頃から護衛を置いていた。けれど今、ヴェリタスの周囲には騎士の影は見当たらない。王宮内とはいえ、王子が一人で歩いていても、大丈夫なのだろうか。

 魔導院エリアに入って、少し背筋が伸びる。魔導書部門の廊下に入ると、大きな窓がずらりと並んで、一層明るかった。「制作部」と書かれた札が目に入り、胸がちくりとする。

「ルーチェ様は、本来は制作部をご希望だったとのことですが……校正部についてはご存じでしたか?」

 今まで黙っていたヴェリタスからの唐突な問いかけに、ハッとヴェリタスの顔を見る。一瞬試されているのかと身構える。しかし、ヴェリタスの虹色の瞳に、探るような影は無いように見えた。

「……はい。魔導書が世に出るまでの流れを習った際に……けれど、詳しくは。あの、殿下……『様』は不要です。恐れ多いですわ」

 自分はもう侯爵家に属しているとは言えないし、相手の方が圧倒的に身分は高いのだから当然だと思った。ヴェリタスは、ルーチェの言葉に笑みを深める。

「そうですか? それならば、私のことも、『殿下』は無しでお願いしますね」

 さらりと言われて、ルーチェは焦って、つい首を振ってしまった。何を言い出すのか。

「そ、そのようなわけには――!」

「校正部でも無礼講でやってもらっていますから、お気になさらず。着いたら、改めて言おうかと思っていたんです」


(王子に無礼講状態で仕事をするなんて、いったいどんな部署なの?)


 瞳に不審な色が混じってしまったかもしれない。けれど、ヴェリタスは全く気にしていないように微笑んで、再び前を向く。制作部を通り過ぎる際、室内から活気のある声が漏れ聞こえた。突き当たりまで進むと、下へ降りる階段がルーチェたちを待っていた。

(こんな階段、以前、制作部の見学に来たときには気がつかなかったわ……)

 先ほどまでの明るさとは打って変わった静けさと暗さに、一瞬足が止まる。空気そのものも重たくひんやりしている気がした。それに気がついたのか、ヴェリタスは体ごと振り返って、ルーチェに優しく笑いかけた。

「さあ、ここを下りればすぐですよ」


(……行かなくては。もう私にはここしかないのだから)


 静かに覚悟を決めて階段を下りる。足元を見るには不足ない程度の光魔法が優しく周囲を照らしていた。カツン、カツン、と硬く響くヒールの音が気になってしまう。そっと、ベルトに挿したペンケースに触れた。


「ルーチェさん、階段は大丈夫ですか?」


 半歩先を歩いていたヴェリタスが、やわらかに手を差し伸べた。その所作はとても紳士的であった。

 ルーチェは一瞬迷ってから、背筋を伸ばし、丁寧に頭を下げた。


「――失礼ながら、お気遣いには及びませんわ。学園でも、常にこの靴で走り回っておりましたから」


「そうなのですね、失礼いたしました。では、足元にお気をつけて」


 ヴェリタスは気を悪くしたようなそぶりもなく、自然に手を戻す。

 

(ご兄弟でも、ジェレミア殿下とは随分違うのね)


 階段を下りきったとき、周囲の空気の質が変わったのを感じた。ひんやりとして、少し重たい魔力の気配。ルーチェは思わず、きゅっとペンケースを握った。

 少し暗い廊下には、藍色の線で描かれた幾何学的な模様と、細かな古代エルフ語。

(本で見た結界魔法陣に似ている……? けれど、円になっていないから、それを模した装飾かしら)

 「驚かせてしまいましたか?」

 振り返ったヴェリタスが微笑を崩さずに言う。

「鎮静魔法の効果で、少し重たく感じるかもしれませんね。すぐに慣れますよ」

「鎮静魔法、ですか……?」

 ヴェリタスはルーチェの問い返しには答えず、すたすたと進んで、重厚な木の扉を手で示して見せた。その表面にも淡く光る藍色の線で、緻密な模様の魔法陣が刻まれている。

 つい、魔法陣に何が書かれているのかを見ようとして目を凝らすと、ヴェリタスがふふ、と笑うのが聞こえた。

「気になりますか? また後程ゆっくりとお話する機会もあるでしょうから……まずは、どうぞ、中へ」

「あ……失礼いたしました」

 前のめりになっていたことが少し恥ずかしく、ルーチェは軽くせき払いをして姿勢を正す。ヴェリタスは優しく目を細めてから、扉に手をかけた。


 重厚な扉が開いた瞬間――ふわりと香る、古い書物とインクの匂い。

 静寂の中で、何かを書きつける乾いた音やページをめくる音がここまで聞こえてくる。

 入ってすぐの場所に置かれた机の上には、書類や本が雑に積み重なっている。その向こう、校正部の中心には長くのびる机の列があった。四つの机が縦に連なり、向かい合わせにもう一対。

 各机には書類や本が山のように積み重なっており、そこに座っている人々は作業に集中しているらしかった。大きな机や、棚が目立つものの、重々しい空気の廊下と比較すると、室内は簡素な事務室といった体で、想像したよりも地味な光景であった。

(なんだか、学園の事務室のようね)

 ヴェリタスが扉を閉めたとき、部屋の奥で書類の整理をしていたふわりとした雰囲気の女性が振り返った。

「あら、ヴェリタスさまがお戻りですよ、皆さま」

 やわらかな声が室内に広がった瞬間、まるで魔法を解かれたように作業の手が止まり、みなの視線が一斉に入口へ向いた。

 ルーチェはどきんとしたけれど、改めて背筋を伸ばす。

「皆さん、作業中にすみません。今朝、軽くお伝えしたとおり――本日より新しい方が私たちの仲間に加わります」

 そこまで言ってから、ヴェリタスはルーチェに向けて、静かにひとつ頷いた。皆もそれを合図にしたように立ち上がる。

「こちらはルーチェ・スカルラット嬢。学園を卒業したばかりでいらっしゃいますが、在籍時から成績も優秀で、魔法についての知識も明るいと聞いています。きっと私たちの力になってくださるでしょう」

 ヴェリタスの紹介を受け、ルーチェはスカートのすそを持ち、丁寧にカーテシーをした。

「ご紹介にあずかりました。ルーチェ・スカルラットと申します。今は、家からは離れておりますので、どうぞルーチェとお呼びください」


 最初に皆に声をかけた女性が拍手をしかけたそのとき。


「えぁっ!? 赤ペン令嬢――」


 素っ頓狂な声に、ルーチェは一瞬固まった。

 声の主は、ひょろりとした若い男性。そばかすの浮いた顔を赤くして、慌てて両手で口を押さえた。その隣でがっしりした体格の男性が、「こら、マルコ!」と背中を叩いた。

「あ、いや、すいません! 悪気はなくてっ! 有名人だっ、みたいなアレで!」

「……赤ペン令嬢?」

 奥の席で静かに書類を整理していた男性が、眉を寄せる。眼鏡をかけた若い女性は、呆れたようにあからさまにため息をついた。ルーチェは昨日のことを思いだして、一瞬頭が真っ白になった。


(――ここでも、私の居場所は……)

 

「大丈夫ですよ」


 優しい声がそっと耳元に届く。思わず顔を上げると、少し身を屈めたヴェリタスが、目を細めてルーチェを見ていた。

 それから、困ったように首を傾げて顎に手を添え、若い男性の方を見る。


「マルコ、我が部署は無礼講とはいえ、紳士的にお願いしますね」

「はい……ヴェリタスさま……」

「では、奥から順に軽く自己紹介をしていただきましょうか」


 すっかりしょぼくれた様子の彼を尻目に、奥の席の男性が整った礼をする。

「エドガルド・マローネと申します。詠唱魔法を専門にしております」

 続けて、先ほど若い男性をとがめたがっしりした中年男性が、ドン、と自分の胸を叩いた。

「自分はファビオ・チェレステ! 元魔法学園教師だ。専門はアルコバレー語を始めとした言語と文法。これからよろしく頼む!」

「私はミレーナ・ビアンコ。専門は非詠唱魔法ですわ。仲良くしてくださいねえ」

 おっとりとした挨拶に続き、若い女性がきりっと眼鏡を上げた。

「わたしはニコレッタ・アヴォリオ。魔法陣を専門にしております」

 年配の女性につつかれて、さきほどマルコと呼ばれた男性が気まずそうに頭を下げる。

「あー、あの、マルコ・アラーノです。さっきはどうも……あの、一応オレ、ルーチェさんの一個上で、在籍が被ってて……えーと、雑務と仕入れやってます」

(……アラーノ家といえば、スカルラットの親戚筋だわ)

 何となく肩を落としてマルコを見る。そういえば、スカルラット主催のパーティーで見たような気もする。

 そして、年配の女性が品よく一礼した。

「テオドラ・ネーロでございます。もう定年が近いので、今はこのマルコに雑務と仕入れの引継ぎをしているところで。ルーチェさんの方がよっぽどしっかりなさっているわね。ほほ」

 全員の名前を頭の中で繰り返して、貴族名簿と照らし合わせる。伯爵家、子爵家と、侯爵家の……おそらく分家筋。公爵家・侯爵家の子息が在籍する制作部には及ばないものの、しっかりと貴族で固められている。どの家も悪い噂は聞かない。

 

「さて、では最後に改めて」


 声に反応してヴェリタスを見ると、彼はやわらかく微笑んでお手本のように礼をした。


「ヴェリタス・アルコバレーノ。校正部の長をしております。学生の頃より魔法が好きで、どの書物もまんべんなく受け持っています。ルーチェさんと共に仕事ができることを、とても嬉しく思っていますよ」


 その声があまりに優しくて――ルーチェは少し息を呑んだ。

 そんなルーチェの様子に気づいてか、ヴェリタスはふっと目を細めて両手を広げる。


「ようこそ、我が校正部へ」

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