6 卒業と未来

 卒業試験に、不合格はない。どんな結果であろうとも、その試験を受けた暁には、魔法学校を卒業することができるのだ。でも、10年生の間では、1週間後に迫ったこの試験の話題でもちきりだ。


「アンブリス先生はいつも日常魔法の試験を入れてくるんだ。復習したほうがいいって噂されてるよ」


「でも、アンブリス先生は、今年は8年生の担任よ? 10年生の授業はほとんど持っていなかったじゃない」


「確かにそうなんだが……でも他のクラスではだいたいがそう言うんだ」


「誰かが嘘の噂を流しているのかしら。いずれにしても、日常魔法は使っていないと忘れるから、見直してもいいかもね」


 オザーとモデュイは入学以来からの幼馴染で、オザーは魔法の腕前から整った顔立ちまで、すべてが女子生徒に絶大な人気を誇る。だがどうにも純粋すぎるから周りに流されやすい。いつでも冷静沈着なモデュイは、「あわよくば彼と一緒になりたい」と画策する大半とは違って、彼をただの友人としか見ていない。


 そう思っているのは、オザーだけだ。


 モデュイは、オザーのことを彼の母親よりもよく知っている自負があった。長い寮生活の中で、オザーのことを気にかけてきた。同じ魔法属性を持ち、一緒に選んだ杖を使って、特に気を使っているわけではないのに喧嘩もせずこの長い旅路は一つの終止符を打とうとしているのだ。まだ、やり残したことがあるのに。


 もちろん、モデュイもこの気持ちを伝えないでいることは辛い。ただ、一つの目標があった。彼よりも良い成績を取るということだ。この恋心に気づいたころには、自分のほうが大人だと思っていたあらゆる要素を、男子の成長期とは恐ろしいもので、ほとんど超されてしまった。だが、それとは別に、彼は並外れた努力も相まって、常にトップクラスの成績を維持し続けたのだ。


 ナンバーに選ばれたときに、彼は遠いところへ行ってしまったと思った。もう、対等ではいられなくなるのだと。それは7年生のときで、この学校の成績優秀者の集う「ナンバー」の席を、オザーは獲得したのだ。それは、結局、今に至るまで保持し続けている。


 でも、こうやって普通に話している。寮以外では、驚くほどに、二人は一緒だ。ナンバーになったといって、なにか忙しくなることはない。


 卒業試験は、魔法学校が下す、最後の評価でもある。オザーは噂に翻弄されているけれど、そもそも抜け目なく準備しているのだから、ナンバーに似合う高得点を取っていくに違いない。それでも、卒業試験とは、今まで行われてきた数ある試験とも違う異質さがある。


 魔法理論学では、魔法は「願い」が明瞭であればあるほどその力を増すものであると言われている。オザーはもう、すべてを得た。私には届かないナンバーにもなって、誰もが認める未来の大魔法使いである。その先にあるのは、きっと迷いなのだ。


 その点、モデュイには追いかける背中があって、追いかけなければならない理由があった。卒業試験は、10年間、魔法学校での生活を総括するものだ。噂や、過去の試験内容はあっても、今年の卒業試験がどんなものであるのかは告知されていない。


 しかし、持ち込める魔道具だけは指定されていた。


「モデュイは準備した? 魔法石」


「今日にでも買いに行こうと思っていたわ」


「それじゃあ一緒に行こうぜ」


 と、彼は気兼ねなく誘うから、女子生徒はそのたびに一瞬ざわめく。だがモデュイが決してオザーには見合わない劣った女子生徒というわけではない。だからこその嫉妬であるのかもしれないが。


 王国で最も有名な繁華街が、魔法学校近くにある。「業界屈指」と誰もが認める魔道具店があちらこちらに見えて、そのどれもが活況だ。


 ひとりで挑む試験には、魔法石で些細な失敗もリカバリーすることができる。それを一律で禁止しても公平の見地からは問題ないのだけれど、魔法学校はこれを認める。この伝統に従って、試験前には多くの生徒がここを訪れて魔法石を買う。


 魔法石が買える店はいくつかあるが、二人にとっては一つに決まっている。


「ピエスでいいよな?」


 モデュイはオザーのほうを軽く見上げて首肯する。それを見て、彼はやわらかにはにかむ。


 ピエスは数ある魔道具店の中でも、玄人向けとして名高い。


 オザーが、モデュイをピエスに誘うのは、特別な意味があった。ナンバーはただの称号ではなく、さまざまな特権が与えられるものでもあるのだ。ナンバーの一員であるオザーは、王国に認められた商店の一つである、ピエスでも割引を受けることができる。


 その恩恵は同行者にも認められる。だから、それが家族であろうと、友達であろうと、もしくは利害関係のある者――例えば、割引分の半額を受け取る契約をした者――であろうと、効果は何も変わらない。だが、歴史的に見ればそれは、ナンバーとしての力の誇示と、その力を貴方のためだけに使うという忠誠や求婚の意味をもつ。


 それをオザーが知っているのかは、定かではない。ピエスで買い物をするのは初めてではないが、この話をしたことはない。いつもはオザーがこういう眉唾の話を持ってきてモデュイを呆れさせるから、彼女の性格上、話題にあげるのは気が引ける。恥ずかしいのだ。


 そしてもし、純粋に「お得だから」という理由だけで彼が誘っているとしたら、これ以上興ざめなことはない。だからこそ、その真意を知りたくはない。


 というのも、ただの言い訳だってわかっているのだけれど……。


 ピエスの狭い店内は、客がほんの3,4人入れば身動きが苦しくなる。ちょうど客はいなかった。店主の老婆は、無愛想だがそれは感情を表に出すのが苦手なだけで、魔道具に対する思いは一流以上だ。ピエスという店名も、店主の名字で、代々この名前を引き継ぐのだという。そしてピエスが独自に開発した魔道具もあるが、極めて高価なために学生には手が出ない。


「オザーくんだね。よく来た。ええと、すまないね……そちらのお嬢さんは、半年くらい前にも来てくれたのは覚えているんだ……」


「モデュイです」


「そうだ、そうだ。この歳になるとなかなか名前が思い出せない。オザーくんはここ最近でも新聞で見かけたものだからね」


「いえいえ、彼は有名人ですから」


「やめてくれよ、ピエスさんに対してはもはや失礼に当たる」


 店主のピエスは過去に一度だけ、魔法学校の特別講義で訪れたことがある。そのときに、担任の紹介した彼女の経歴は凄まじいものだった。学校で何度か一律で配られる杖も、彼女が設計したものばかりだ。


 だが今日は、杖を選びに来たわけではない。大量に積まれた箱は、ほとんどが杖で、隅に多少の魔法石が揃えられているだけだ。それほどに、魔法石は需要の減った存在であることがわかる。学校が魔法石の使用を認め、結果的に強制することになっている背景には、この需要低下を補うための施策であるとも言われている。


「この時期ということは……魔法石だね」


「さすがです。ここに規定が」


 魔法石の大きさを示す「クラス」や、複数の属性を併せ持つ「合成石」は一定の制限が設けられている。無制限にしてしまえば、法外な価値を持つ魔法石を入手した時点で、試験の意味がなくなるからだ。


「ここにある規定はどういう意味を持っているか、知っているかい?」


「魔法石の力があくまでも補助になるように、と聞いています」


 モデュイが答えた。


「そうだ。「魔法石に使われてはならない」という原則に反するものは、試験に限らず使うことが制限されている。自分よりも過度に大きな魔力を持った魔法石は、その力に飲まれる危険性さえある。それに、あまりに強い魔法石は、試験監督に影響を与えるものさえあるからな」


「そのリスクがあるのに、全面禁止はしないんですね」


「魔法石作りはそれほどに権威のあるものなんだ。いや、そうだった。金貨や銀貨なんかよりもずっと大きな価値があった。それは、魔法学校のいち試験を揺るがすほどの力だった。魔法石を使う能力は、それを作る能力に関連しているんだ。優れた魔法石錬成の力を持つ者をいち早く見つけて、高額の報酬で自主退学させ、錬成に集中させる」


 ピエスは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「今ではそんなことはない。学校が禁止する間もなく、その需要はなくなったからね。それでも、学校から生徒たちを通して錬成業界に金を流すために、この規定はなくなっていない。私が魔法学校の副校長まで上りつめた数年の間では……間に合わなかった。情けない話だ」


「ピエスさんは十分以上に偉業を成し遂げた方です。あまりご自分を、責めないでください」


 オザーはいつになく真剣な表情をしている。


「いや、悪いね。少し感情的になってしまった。さて……魔法石だったかな」


「あ、あの!」


 オザーとピエスが、モデュイのほうを向く。


「魔法石を使わずに、試験を受けてもいいと思いますか」


「それは、どういう意味かい?」


「私と……オザーが、魔法石を使わずに、卒業試験を受ける。もし、君がいいというのなら、だけど。少なくとも私は無力な存在で、ナンバーのような特権を受ける立場にもありません。でも、学校の支給金を、魔法石のために使わないことくらいはできます。そのお金を、ピエスさんの設計なさった杖に使いたいのです。それが、ピエスさんに同意する者としての、少しばかりの反逆になればいいと思います」


「モデュイ、名案だな」


「……きっと、試験は理不尽に難しくなることは間違いがない。いくらその成績が悪かったとしても、オザーくんのナンバーの資格や、モデュイくんの今後に影響することはないだろう。だからといって、この行動によって目に見える成果などなにもない……きっとくたびれ儲けに違いない」


「もうすぐ20歳で、振り返れば大したことはしてないなって……魔法学校に通っていなければきっと結婚相手を見つけて家族を作っていたと思うんです。これからどう生きるか、私にはまだ見えていないです……でもせめて、こんなことをしたんだって自信を持ちたいんです」


「ははは。それが、この魔法石を使わないということか」


「おかしい、ですか?」


「いや、なんだか面白いなって。だが、その「思い出づくり」は、推察するに――隣の彼がいなければ成立しないのではないか」


「…….!」


 ピエスさんには、なんでもお見通しだ。


「もちろん、俺もやるよ。だいたい、同じ理由だと思う」


 そのほんとうの意味を、彼が気づいているのかは、よくわからない。少なくともピエスさんはわかっているようだが。


「卒業式が終わったあとで、もう一度来なさい。君たちのために、さらに多くの杖を用意して待っているよ」


 新しい杖を買うと言っても、それは卒業してからの話だ。魔法学校を卒業すれば、皆一人前の魔法使いと認められる。だから今は、使い慣れた杖で、卒業試験に挑む。


 卒業式には、新聞でしか見たことのないような来賓がたくさん来ていた。だが、ウィルメット校長に引けを取らない、長い退屈な話が続くから、誰も集中して聞いていない。


 全校で10名だけがその権利を得る「ナンバー」のまま卒業を果たしたのは、今年はオザーただひとりである。偶然、9歳入学が少なかったこともあって、たびたび不作の年と言われた。


 だが、オザーがいるから、別にみんなどうだってよかった。彼がナンバーに値する人格者で、特権を濫用することも、その立場をひけらかすこともなかった。そして、近年では稀な10歳入学のナンバーであったから、希望そのものでもあったのだ。彼がおかしいと言えば学校は検討しなければならない。彼が責められれば学年全体が味方する。


 もちろん、そんな彼と一緒にいるモデュイのことを目の敵にする者も少なくなかった。しかし、隣にいるオザーがそのときに一番綺麗な笑顔を浮かべるから、誰もそれを否定することができなかった。むしろ、付き合っていないことに文句を言うようになった。それはオザーの耳にも入ってなかったわけではないはずだ。結局、卒業試験が終わり、あとは卒業式という通過儀礼を超えて新たな一歩を踏み出すそのときまで、真意を互いに明かすことはなかった。


 卒業試験の結果は、総合順位が知らされた。実際には、固有魔法・日常魔法・魔法薬学の3つが出題されて、その総合点数をもとに決定された。オザーの言った「日常魔法の噂」は嘘ではなかった。魔法石が有効な固有魔法と日常魔法の分野では、二人とも少し苦難を強いられた。ただ、オザーは1位、モデュイは5位という結果に落ち着いた。


 やはり彼に勝つことはできなかった。


 魔法石を使わないことは、もちろん彼と示し合わせる「思い出づくり」の意味もあったけれど、それ以上に、魔法石の扱いが苦手な私が不利を被らないことにあった。


「私、最低ね」


 そこまで悪意があったわけではないし、彼が本当に魔法石を使わなかったという証拠も特にない。それはもう、有耶無耶にして、私は彼を諦めてしまおうと思っていた。


 卒業式が終わった。7年生に上がったときに支給された杖を、返却する。それは、魔法学校から解放され、自由となることを意味する。杖を買わなければ、杖を持たぬ、ただの人のままでいられる。


 魔法学校を卒業したからといって、魔法使いにならなければならないわけではない。魔法とは縁のない生活を選ぶこともまた、魔法学校を卒業した者に与えられる権利だ。


 魔法学校は、7年生のときに、そのまま続けるかどうかを決められる。年齢としては、成人するころだ。ここまでにある程度の基礎を固めているから、家庭の事情に沿って選択することができる。オザーも、モデュイも、そこで多くの友人と別れを告げた。例年、そこで半分弱の生徒が学校を去るのだ。


「モデュイ。少し話がしたい」


 卒業生たちは、魔法学校のたくさんの先生や、在校生たちと、別れを惜しんでいる。


 人混みを避けて、二人は裏手に着く。


「モデュイと出会ったのは、ちょうど10年前のこの頃だった」


「懐かしいね」


「あまり思い出したくはないけれど、いろいろと面倒を見てくれた」


「そうだったねえ」


「一つだけ、謝らないといけないことがある」


「どうしたの?」


「モデュイとずっと一緒に居たのは、とても褒められた理由じゃなかった」


「聞いてみようじゃない」


「モデュイを隣に置くことで、俺がここに居ていいと安心するため、だった」


「あんまり、ピンとこない」


「5年のはじめに、俺はモデュイに総合テストで初めて勝ったんだ。今まで目標にしていた人に勝ったら、それに負けないように努力する――それがいやにモチベーションになってしまった」


「そうだったんだ、ね。私もね、悔しかった。いつか絶対追い超すって頑張ったんだよ」


「でもそれは、モデュイの隣にいる資格のようにも思えてきた。7年生のときのこと、覚えている?」


「私が冗談で、学校を辞めると言ったときのこと?」


「そう、だよ。覚えているんだね」


「君は本当に心配して、女子寮にまで攻め立てて……これでもナンバーに選ばれちゃうんだからすごいよ」


「もしモデュイがいなくなってしまったら、どうしようって、本気で考えたんだ! 仲の良かった友達が何人もいなくなって、モデュイまで奪われてしまったら、俺は空っぽになってしまう」


「そんなことはないよ」


「駄目なんだ……すでに俺の魔法は、モデュイのためにしかない」


 それは決してふざけているわけではなかった。そして、この文句をナンバーを持つ者が告げるとき、歴史的に見れば――忠誠と、求婚を意味する。


 それを知らずに言っているわけがないのだ。


「オザー。それは、本気にしてもいいのかな」


 モデュイは、オザーにゆっくりと近づく。彼女の細くて綺麗な指を、頑丈なオザーの胸元に当てる。


「あ、ああ。俺は、俺たちがこれからどうするか、未来はよく見えていない。でも、いつだってモデュイが隣にいてほしい。だめ、だろうか」


「ねえ、八百長、してよ」


「え?」


「私に、嘘でもいいから、勝たせて。君はもう、届かないくらい遠い存在になっちゃった。せめて2位でいたいと思っていたのに、圧倒的な点数差で、君はトップの成績を取った。魔法石を使わないという、理不尽な縛りを設けてもなお、君はぶれない実力を示した。

 でも君は、私でなければならないと、言ってくれた。だから、一度だけ、勝たせて。それで、納得できると思うの」


「具体的にはどうするんだ。俺が「やられた」とでも言えばいいのか?」


「ふふ。それでもいいけど、さ」


 小さな小さな魔法石を、モデュイは口に含んだ。背の高いオザーに、少しかがむようにジェスチャーをする。それに気づいて、彼はそのとおりにした。


 歴史的に見れば、魔力の石を口移しで与えることは、恋を奪うことだと言われている。


 そうなってしまえば、相手がどんな気持ちであろうと、強制的に愛が育まれる……とも言われている。


「大好きだよ。いつまでも一緒にいて。オザー」

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