5 努力の先
努力は才能に勝る。
魔法学校の生徒は、この言葉を、耳にタコができるほど聞かされている。
古来から、魔法とは天賦の才であると信じられてきた。神様、あるいは精霊様に認められた者にだけ与えられる特別の才能であると。
王国で初めて魔法学校が設立されたとき、この言説を否定することが念頭に置かれたと言われている。
魔法の行使は多くの要素が絡み合ってなされるもので、その体系は複雑を極めている。
「先天的魔法適性という専門用語がつけられています。これがいわゆる、才能です」
魔法学の中で、生徒にとって最も退屈な分野である魔法理論学の授業は、どうしてか午後に行われている。そのせいで、昼食を食べた直後に襲う眠気と相まって、半分以上の生徒は、講義の言葉を子守唄にして、突っ伏しているのだ。
だが、魔法理論学は、一部の生徒にとっては心の支えなのだ。つまり、才能を持たぬ者。
魔法学校さえなければ、死ぬまで魔法を行使することなく一生を終えただろう人でも、努力によってその不利を覆すことができる限り、魔法学校は入学を望む者を拒絶しない。それは、ちょうど設立時の理念でもある。
だから、魔法理論学で板書を取る者は、魔法の才能がない者だと、時々嘲笑の的になるのである。
「それでも、後天的魔法適性を磨けば、十分に、誰でも魔法の力を伸ばすことができます」
9歳入学や、特待生は、先天的魔法適性が優れる証でもある。特待生は少なくないため、多くの人がそのことを自慢するけれど、9歳入学は、生まれた時点で、平均的な魔法使いの卵が、20年の修練を積んだとみなせるほどの力を持っているため、むしろその事実を隠すことが多い。
「では、先天的魔法適性とはどのようなものかを説明します。最も大きいのが、魔法属性です。みなさんも、2年生になったとき、つまり今年のはじめ、自分の魔法属性を調べたと思います。一つの属性のみを持つ単属性型と、二つ以上を持つ副属性型があるというのは、そのときに軽く説明がなされたと思います」
ハイデンは、両隣の友達も寝ているけれど、講義を一言も聞き漏らさぬようにしていた。
「女子が男子よりも筋肉において劣る面があるように――魔法にも、行使するために使う比喩的な「筋肉」が存在し、生まれつきその潜在能力に差異があると言われています」
その言葉を聞くだけで、ため息が出そうになる。
「ですが同時に、それは実際の筋肉のように、鍛えることができます。魔法学校では、それをいかに鍛えるか、ということを重視しているのは、常々感じていることかと思いますが」
ハイデンは、人一倍努力している、つもりだ。それで、ようやく人並み以下と認められる。課外の復習を欠かしたことはない。有利になりそうであれば、先生からなんでも聞いて、せめて知識だけでも豊富になろうとしている。それが実際に魔法行使に役立つかは別問題ではあるが。
11歳ながらにして、ハイデンは自分の立場をよく理解しているつもりだった。だから頑張れる。諦めて、田舎に帰って魔法とは縁のない幸せな家庭を築くことだってできる。ハイデンは魔法以外のことであれば、自他ともに認める優秀な女の子であった。
それでも親の反対を押し切って、王都に出てきたのだ。寮ではみんな優しくしてくれるけれど、だからといって魔法が上手くなることはない。冬に熱が出て、数日寝込んで杖を持たなかったら、まるでなにもかもを忘れたかのようになにもできなくなって、夜中泣きながらひたすらに取り戻そうと杖を握り続けた。それで、治りかけの風邪をこじらせてしまったのは、あまり思い出したくない。
いつ、この努力というものが報われるのか、想像もつかない。半ば、疑って、諦めてさえいた。
授業は終わった。大きなチャイムの音で目覚めた者はそそくさと講義室を出ていく。ハイデンも、板書を終えて教壇の前を通るときに、教授に呼び止められた。
「ハイデンさん。少しいいかな」
なにかを咎められるのではないかと必死に自分の行動を振り返った。でも、今日はずっと話を聞いて板書を取っていただけだ。なにも悪いことなどしていない。
シルバーグレイ教授は、比較的若い女性で、銀縁の丸眼鏡が特徴的だ。
「今度、時間があるときでいいから、私の研究室に来てみて。君は少し悩んでいるみたい。違う?」
「はい。今日でも、いいですか」
「ええ、もちろん」
時間なんていつでも余っているし、いつでも足りない。どうせ寮に帰ってやることは、少しでも魔法を上手く行使するための練習だけだ。
ハイデンは研究室に行ったことはなかった。校内には至る所に案内板が掲示されているおかげで、迷うことはない。研究室のほうに向かうにつれて、廊下の人通りは少なくなる。
ハイデンがゆっくりと歩いていると、後ろから早足で追い抜いてくる男がいたから、驚いてしまった。
「きゃっ……」
それに気づいたら男は振り返った。
「申し訳ない。驚かせてしまったかな? つい急いでしまっていた」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。ええと、研究室に用事が?」
「はい。シルバーグレイ教授に来るようにと」
「私の研究室はちょうど隣だ。そこまで案内しよう」
というと、やはり彼の足は妙に早いから、ハイデンは必死について行く。
「じゃあここで。よろめていたのを見たが、本当に平気かね? もしなにか悪かったら私の責任だ。いつでもいいから言いにきてくれ」
男はそういって研究室に入って行った。部屋に掲げられているのは、「魔法行使学ビクトリノ」である。
魔法行使学と言ったら、数ある講義の中ではいかにも花形である。実際に杖を構え、いかにしてよい魔法を行使するかという、誰もが容易に想像できるもの。それは、ハイデンが最も苦手とする分野でもある。
一応ノックをしてみたけれど、誰もいないみたいだ。シルバーグレイと確かに書いてあるその研究室の前で、ハイデンは待った。
その後ほどなく教授がやってきて、入った研究室は、想像とは違って妙に物が少ない。
「まあ、入りなさい。なにもないところだがな」
それは物寂しさを帯びていた。ずっと、この状態でやってきたわけがない。一年生のときから、毎週のように新しい本を持ってきて紹介していた。その蔵書は、きっとここにあるのだろうと思っていたのだ。
「もしかして、先生は辞められるのですか」
「思いの外、早かった」
彼女の表情からは、その言葉の真意が読み取れない。
「私は、才能という言葉が嫌いだ」
ハイデンだって、好きではない。手に届かないし、見えもしない、でも確実に人生に影響を与えてくるものに名前をつけたくなんかない。
「そして才能は、私を嫌っているようだ。私がこの歳で教授になれたことは、才能が関係していないかと言われたら、きっとそんなことはないのだろうと思う。
ただ、実力はあまり伴っていなかった。努力が足りなかった。だからもう、この研究室に居続けることはできないんだ」
「そうなんですか」
「私のことは、どう思っている?」
「ええと、優しくて、わかりやすいです。こうやって直接お話したのは初めてでしたが、そのままでした」
「本当に、君は。こんなにも素直で真面目なのに、どうして神様は……」
「私は、本当に一人前の魔法使いになれるでしょうか」
「君はきっと並外れた努力量で、目指した場所に到達するだろう。だがその先がないんだ。魔法学校を出てからは、魔法使いは成長の場を失う。大切な時期を魔法に捧げすぎると、よりそれは深刻さを増す」
「どういう意味ですか」
「細かいことはいいんだ。私は魔法学校の教師を辞めて、君の専属魔法教師になることを提案している」
「え?」
「もう、うんざりなんだ。研究が上手くいかないときに講義をしていても、まともに聞いているのは、以前は数人いたけれど、今日なんか君くらいだった」
「そうかもしれないですね」
「ならば、君だけに教えればいいだろう?」
「どうしてそうなるんですか。第一、私にはお金がありません」
「すでに亡くなった師匠の印税がある。才能とは魔法のことじゃない」
「師匠ですか?」
「君の持っている編纂魔導書を見ればわかる。この著者が、私の師匠だ」
「どうして先生が印税をもらえるんですか」
「いろいろ、上手く行ったんだよ。私は別に悪いことはしていない。たまたま、貰い手がいなかったから貰っているんだよ」
それは不敵の笑みに見える。この先生を本当に信用していいのか、今更怖くなってきた。
でも、先生の提案は興味があった。ここで長考している暇があったら、研鑽を積んだほうがいい。
「わかりました。よろしくお願いします」
「もう、私の娘にもなってほしい……どうしてそこまで冷静沈着でいられるんだ」
「誰もが頼れる魔法使いになるため、です」
「そうだった。その夢の話の続きも、事が落ち着いたら聞こう。それまでは、とにかく反復練習だ。とはいえ、もう前から続けていることだね」
「頑張ります」
ハイデンはまたいつものように、寮の中庭で杖を構える。何度も何度も試行して、その中でただの一回だけ、かすかに成功に近づくのを、ただ淡々と繰り返す作業をしている。でもそれは、少しだけ希望を持ったもののように思えるのだ。
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