4 新人憲兵

「ほんとうなんですぅ。信じてくださいよお」


 頼りない声で、少年は、右手に小さな階級章のつけた杖を構える憲兵に弁解している。ビクトリノはその二人を横目に、通り過ぎようとしていた。


「だれか助けてくださいよ! お礼ならいくらでもしますからあ」


 こんな甘ったるい口調で訴える少年は、あたりを見回してそう言う。誰もが関わりたくないと、見て見ぬふりをしている。そんな中で、つい「横目」にしてしまったのが運の尽きである。


「ああ、薄情だ! ボクは分家の長男なんだ。無視をするなあ!」


 王家の血筋を分けた「分家」は、貴族の中でも高い立場にある。服装を見る限りでは、嘘ではないようだ。それだけで無条件に解放されるほどではないのだが。


 少年は憲兵の魔法によって、ゆるやかに拘束されている。だから逃げることはできない。一体何をしたのだろうか。ビクトリノは周りを見る。「お前がいけよ」と言われているみたいだ。ええい、どうにでもなれ……。


「どうしたんですか」


「ボクが食い逃げしたんだっていきなり捕まえてきたんだよお。そんな端金に困るボクじゃないし、ご飯はいつも屋敷で食べるんだから無実なんだあ!」


「と、言っていますけれど。憲兵さん」


「そうはいってもなあ。目撃証言があったんだよ。それもここらへんで3度も食い逃げしたんだと。それになぜ分家のお坊ちゃまがこんな王都の繁華街に来ているかと聞いても、はっきりと答えなんだからますます怪しいだろう?」


「買い物に来ていたんだよお!」


「何を買ったんですか」


「そ、それは何も買っていないさ! 今から買いに行こうとしていたんだから!」


 なんだか後ろめたいことがあるような言い方である。この話し方のせいか、世間知らずのお坊ちゃまだからか、嘘をつくのは得意ではないようだ。


「もう、端金というのなら、食い逃げしたって主張している代金を払ってしまえばいいのではないですか」


「それも、そうだなあ! それでいいかあ?」


「まあ、構いませんが……」


 すると、奇抜なデザインの財布を取り出して、少年は明らかに過剰な、最も価値のあるコインを取り出した。


「ほらこれでいいんだろう? はあまったく、無駄な時間を使ってしまったよお」


「返金の余剰分は、寄付をしておこう」


「なんでもいいよお! はあ。もう二度と来るもんか!」


 すると、少年は去っていった。


「すまないね。僕が未熟なばっかりに」


「いえいえ、憲兵さんの役に立てるならいいんですよ」


「はは。どうだ、持っていくか?」


 少年が渡したコインを見せた。これには、王都の高級宿を1週間は泊まれるほどの価値がある。


「市民に賄賂を渡してどうするんですか。なにも出ませんよ」


「ははは。いや、すまないね。長い間軍にいたものだから、こうして一般の市民と関わるのが楽しいんだ」


 憲兵は、制服自体はまるで入学直後の学生のようにピカピカだけれど、頬のあたりに傷が見えて、屈強な肉体は服の上からでもしっかりとわかる。しかも、その落ち着きようは、人生の先輩であることをよく示している。だからといって、あのような調子の狂う少年との会話は、いくら過酷な訓練を積んで王国の危機に備えようとも、慣れることはない。


「そのコインは、できたら孤児院に寄付をしてやってください。別に、あなたが着服しても俺は何も言いませんけど」


「そうだ……君、時間はあるかい?」


「ええ。夕方までは空いていますけれど」


「昼飯に付き合ってはくれないか。こんな老けた新人には、なかなか友人ができない」


「もちろんですよ」


 ビクトリノは王都に近い街で生まれ育って、今は魔法学校に付属する研究室に配属している。王都には詳しいほうだと自負しているが、この温室でずっと過ごしてきたせいで、外の世界を知らなすぎるように感じている。22歳にもなって、料理の一つもできないほど不器用というのも、悩みのタネだった。


 暇のあるときには、研究室には籠もらないで、できるだけ人と関わろうというのが、最近心がけていることだった。だが結局、いつもぶらぶらと古くからの付き合いの友人と会って、立ち話をして帰るというだけで終わってしまう。


 ビクトリノは、彼の知る最も美味い飯屋を紹介した。


「レキュペラ」というその飯屋は、素朴な家庭料理に、小粋なアレンジを加えたメニューの数々は、「いつもの」という安心感に、「驚き」というスパイスを隠し味に備えた逸品となっていた。シチューやサラダ、パンからスープ、ステーキにハンバーグ、ムニエルや蒸かし芋…….毎日通っても食べ飽きることはないだろう。


 ヤグート・フラーデと名乗った憲兵は、しきりに美味しさに感動しては、口癖のように「素晴らしいね」と言う。それは、分家のお坊ちゃんなんかよりも、ずっと無垢な少年に違いなかった。


「ここは日々に疲れた者への癒やしの場になっているようだ」


 王都には十人十色の立場の者がいる。そのそれぞれが、自分の身を削って、必死に生活している。いくら金があっても、いくら権力があっても、決して補うことのできないものが、レキュペラにはある。


 だからこそ、大魔法使いと称される軍の幹部や、中央協会の偉い聖職者でさえも、ここを訪れるという。大体の場合、うまい具合に変装しているから、ビクトリノが気づいたことはないのだが。


 多少の雑談を経て、二人はレキュペラをあとにした。彼は前線を退いたあと、憲兵としてやっていくことを決めた。


 世間知らずのビクトリノには初耳だったけれど、フラーデは隣国との戦争の中、優れた指揮力で敵兵を圧倒したが、無駄な殺しはしなかった。そのことがあって、後の講和条約では、余計な反感を買わなくて済んだとかいう。これは彼自身が説明したのではなくて、フラーデに憧れて軍に入ったという男が雑談に参加していたから知ることができたのである。


「私はね。臆病なんだよ。あまり何かを信じて、傾倒することができない性格だ。なにも変わることなく、この歳になってしまった。いや、むしろ生きながらえることができたのだから、それでよかったのだと言い聞かせているんだよ」


「こう言っては失礼ですが、フラーデさんは魔法は得意ではないようだ」


「いかにも。とにかく、徳を積んで成り上がったんだ。小さな気遣いを、多くの人に振りまいた。私という存在そのものを、細かく分割しているような。いや、意味がわからないだろう。忘れてくれ」


「だからこうして、私たちは孤児院に向かっているのですね?」


 フラーデは少し驚いた顔をして、すぐに納得し笑顔になった。


「ああ、君のような頭の冴える友人に出会えて私は幸せだ」


 孤児院は、教会のすぐ近くに位置している。そこには、王都で親を失った子どもたちが暮らしている。裏手のほうに、寄付箱が備えられている。心もとない簡単な作りの木箱だけれど、結界魔法がかけられているから、寄付されたものはきっと安全に孤児院に届くはずだ。


 フラーデは一枚のコインを、寄付箱に入れる。


「確かに、あなたは寄付をしました」


「ありがとう。また少し、私という存在は、ビクトリノ君に残ったかな」


「ええ。これもすべて、あのおかしな少年のおかげですね」


「ははは。ほんとうにそうだ。感謝しなければなるまい」


 憲兵であれば、また王都を散歩していれば会うことができるだろう。ビクトリノは、彼に魔法学校の研究室にいることを告げて別れた。自分の生き方を徹底しているという意味で、彼はやはり尊敬に値する人物だ。


 なにもできないし、なにも知らない自分を悲観ばかりしていたけれど、たまには、自分のことを好きになってみよう。


 行き詰まっている実験だって、なにか突飛なことをすれば糸口が見つかるかもしれない。


 そう考えると、急に思考が柔らかくなったような気がした。今なら、どんな難題も解決できそうだ。


 ビクトリノは研究室までの道を駆けた。

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