Ep.34 当たりのスキル

 悪魔は踊る。心地よい、意味もなく羽を広げて、長爪を打ち鳴らし上機嫌に微笑みながら。それほどの宝を手に入れた。


 上質な肉体。魂性生物からすれば、強い肉体は何物にも代えがたい。なにせ、肉体の能力が強いほど、悪魔の強さが強化されるから。悪魔は受肉したものの力も記憶も奪うことができる。さらに、受肉体を自分の力量の許す限り強化できる。とは言え、0に100を足すより100に100を足した方が数値が上がるように効果は変わってくる。ロットは数百年前に受肉し、そのままの体で生きてきた。だが、この体では自分の全力には耐えられない。さらなる進化にも耐えうるファイドの体はまさしく宝だった。


 ファイドはすべてを満たしている。ファイドの内包する魔力量が少ないから、肉体強化に限度があり、耐久力も低い。それでも、本気で戦うために強固な結界を張り重ねた悪魔に重傷を与えたのだ。技術もセンスも頭脳も兼ね備えている。受肉先としてこれ以上の肉体はもはやこの時代に望めない。今の受肉体は500年前に自分の目の前にいた人間を使っていた。当時の強者は始祖に体を乗っ取られたし、魔王や悪魔たちとの戦争で死んでしまっている。残された中で最良物件だ。さらには、ブランであるから魔法が使えない弱点も、悪魔が受肉すれば問題はない。魔法を体の器官で扱う人間とは根本的に違うからだ。


「貴方がたの生き様、悪くはありませんでした。精々自身を汚さぬように生きることですね」


 うるさく吠える女を殴り、黙らせてから言う。汚さぬように生きるならば、ここで諦めずに戦うべきである。だが、確かにその気配はあった。故に、素晴らしく美しいと思った。だからここで殺す。美しいままに死んでもらう。


「ファイド、その名前を忘れることはありません。貴方が生まれてきてくれたことに感謝を。貴方の人生は無意味ではありませんでしたよ。これで私は悪魔公デーモンロードになれます」


 ロットの手がファイドの額に当たる。今の肉体が空になり魂がファイドの体へ流入する。額に当てた指が頽れる体に引っ張られ、地に落ちる。




 人間の肉体に入るということは、その人物が経験してきてことと、記憶や第一信条、憧れや好意を持つ対象に・・・と様々なものが見られるものだ。


 ―何もないですね。・・・いや、有りはするが興味を持つ対象が少ないのか。


 ファイドの中に入った瞬間の印象は伽藍洞だった。ロットは唖然としたほどだ。なにせ、入った瞬間に広がったのは真っ暗な空間だ。最初に見えたものは幼い女児だった。真っ白な髪に真っ白な瞳。見たことがある、おそらくは妹だ。だが、それに反して、家族のあたたかな光景は見られなかった。


 ―残念ですね。家族団欒の光景は好みなのですが。


 大切な瞬間を今際の際に思い出す。それを蹂躙する快感は、変えがたいものだというのに、ファイドにそれはない。


 次に見たのは、治癒魔法師だ。その次は、母の死。そして、最後に見えたのは軍の指揮を執っていたファイドの部隊長たち。


 ―特段面白くない光景ですね。彼の人生はたったこれだけなのですか?ほとんどは先の戦場で見れたものではありませんか。


 年齢以上に印象に残っている光景というのは少ないものだ。それもそのはずなのだが、これは流石になさすぎる。10歳の人間を覗き見たとしてももっと様々なものが見れる。興味の対象、関心の対象が少なすぎる。


 最後の光景を見て、しばらくすると、まるで忘れていたかのように表示される新たな光景。


「ファイド、お前は人を信じるな。人に魅入られるな。関心を持ってはいけない、快楽を求めてはいけない。私のようにはなってはいけない」


 ―思想の強い人物ですね。ファイドに似ているように見えますが、父親ですかね?


 父とは思えない教え、強迫観念。おおよそ人間としての生き方を捨てさせるものだ。その人物の顔は暗く、窶れ、クマがひどい。今にも死にそうな枯れ木のような男だった。


 足元を引かれるような気配を感じ、下を見る。手がまとわりついている。一つや二つではない。手の数からして、10人以上。記憶にはないそれ。だが、心の中に巣食う明らかな”癌”。


 ―この男は見覚えがある・・・そうか、ファイドの母を殺した―そういう事か。歪な人間ですね。


 殺した人間が、殺された人間がロットを引きずり込もうとしている。顔の形はあるが、個人の特定ができない。目や口の無い顔に、のっぺらな体。生えている腕がロットを離さない。そして、引きずり込もうとしている。顔がはっきりとしているのは復讐で殺した、あの佐官の顔だけ。


 歪、それは、人間として明らかに可笑しな生き方をしているということ。なにせ、殺した人間を覚えていないのに、その業だけを背負って生きているのだから。さらに言えば、罪の意識はなく殺したという事実のみを記憶している。そのくせ、手放そうとしない。殺しの罪を認識してはいるがその重みを理解していないかのような、ある意味では悪魔的な思考。


 ロットの額を上から抑え込もうとする存在がある。母、そして父までもが抑え込もうとする。


「面白い、初めてですよ!精神世界の中で攻撃されるのは!」


 精神世界は肉体を侵食しつくすまで続く。そして、其の間ロットから攻撃はできない。拘束から逃れる術はなく、精神の強度が強ければ悪魔の受肉を拒むことができることもある。前例があった。かつての英雄の中に、悪魔の力を逆に飲み込んだ男が。だが、これはそれと違う。ファイドの認識の外で、ファイドの記憶がロットを飲み込もうとしている。ファイドは意識を失っている。精神世界であっても、魂がロットを拒むことはできない。それなのに、押されている。


 ―間に合うか。体の浸食率はすでに5割を超えている。だが、難しいか?


 ロットは瞠目する。視界に何もない、と思っていた。だがそれは違った。確かに、ファイドの中にあるものは妹と、家族と呼べるようになった彼らだけ。だが、それ以上に視界を遮るほどに障害物があったのだ。


 ―一体どれだけの人間を殺してきたんですか?


 ファイドの中にある障害物は、無数の人間だった。100や200ではない。いや、これは直接殺したわけではないのか。


 其の骸の中の大半は、色付きのアウトキャストだった。実際に見たこともないのだろう。髪色だけが決まっている顔のない人影たちが。


「間違いない。こいつ、もう一つスキルを持っていやがったか。それは・・・面白くないですね、よりよって魂喰らいの能力レバ・ティネイアだとは思わなかった」


 ロットはファイドの体から飛び出して、元の体に戻った。


 魂喰らいの能力、殺したという認識を持った相手が本当に死んだ場合、対象の魂を肉体に潜めそれをエネルギーとして抽出する能力だ。ファイドは気が付いていなかった。


 魂の状態のロットは攻撃も防御もできない。そんな状態で、スキルと戦うことなんて無謀であり、ファイドを結果として強化してしまう。自身の魂を生贄にしては意味がない。


 マズいですね。ファイドがこのスキルの存在に気が付けば私では勝ち目がない。かといって、悪魔公になれる絶好の機会を逃すのは惜しい。レイズでは意味がないですね。


 悪魔であるロットは精霊の加護を受けたエレメントの肉体になじむはずがない。かといって、ファイドを殺してしまっては受肉できないし、対抗する手段がない。


「如何したの慌てふためいて、少佐の中身ってそんなに怖かったの?」


「ッチ、黙れと言ったはずです」


 レイズの腹を殴った。顔も蹴った。拘束具が壊れてしまうほどに全力で。


「少佐、不慣れだけどこれで何とかならない?」


 ロットは考えていた。どうやってファイドを攻略するか。頭を悩ませていて見ていなかった。それより、レイズが生きているとは思っていなかった。それだけ力をいれて殴ったのだから。


 レイズの魔力、其の残り9割がファイドの欠損した部位を回復させる。両足と腕一本だけだ。片腕は未だに欠損したままだが、それで十分だった。回復した体が急速に活動を再開する。ファイドの意識が覚醒した。


「レイズ・・・ああ、そういう事か」


 腕を見て、レイズを見て理解した。目の前の悪魔が健在なことに落胆しながら。


 拘束具を斬撃を飛ばす能力で破壊。そもそも腹部に太い鉄が巻き付けられていただけだ。破壊しなくても逃れることはできた。


「おや、これは失敗しましたね」


 ロットの余裕のある声色とは逆に表情は笑っていない。


「お前、俺の中に入ってきたろ?違和感の正体気が付いたぞ。俺が人を殺して何も思わないのは、スキルが魂を喰いつくしてたからなのか」


「それは違いますね。貴方は元より伽藍洞でしたよ。貴方は人殺しです」


「そりゃそうだ。だが、誇ればいい。俺のコレクションにお前が増えるのだからな」


「偉く調子づくではありませんか。武装は奪われ、片腕の貴方にこの私が殺せるのですか?」


「やってみないとわからない、というか正直勝てる気がするぞ。これはあたりのスキルだ」


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