Ep.9 エゴ
ライラックとの、今生の別れを終えた。だが、生きる目的ができた気がする。きっと差別はなくならない。善意からも悪意からも差別は生まれてしまうと俺は知っている。人によって何が侮蔑になるかも異なるから、慰めることすら難しい。本当に差別をなくしたいなら、全員が同じ地獄を共有しなければならないと、俺はそう思う。だから、俺も彼らへの差別を抱いたまま戦わねばならない。彼らと同じ地獄は味わえはしないのだから。
ライラックとの問答は、決意を与えてくれた。既に決まっていたことだし、逃げられない選択であったと思う。だが、背を押してくれた。きっと彼はそのために会いに来てくれたのだ。今まで無下にしてきたが、望んでも得られない親友を最後に得てしまった。俺はやっぱり幸運だったと、今になって思う。差別に気が付いたことが不運だなどと、もう考えられない。
家の戸を開けた。
「おかえり、遅かったじゃない」
母が風呂上りで髪の毛をタオルで拭きながら出迎えてくれた。母は、いつもと変わらない。だから、安堵した。これから見捨てる相手だ。今更、母親を気取られては決意が揺らぐ。ライラックを誘っておいてなんだが、精々俺とフィン、アウラを連れて行けば定員オーバーだ。好きでもない母を連れるわけにもいかない。
「顔色悪いよ?ああ、後今頼むのも悪いんだけど、最近フィンとアウラが仲良くなったみたいだけどフィンのためにやめさせてくれない?」
母は俺の表情の変化を見ていた。正直、驚いた。母は金を得てからは子供も世間も、すべて手に入れられる環境に堕落し人間性を失ったと思っていた。既に子供も意識外である、と決めつけていたのに―。今になって、気付きたくはない。
「あ、ああ。分かったよ。・・・母さん、何でフィンとアウラを遠ざけるか聞いていい?」
ずっと聞きたくて、でもどうせ、と望んだ返答をあきらめていた問を今になって投げかける。
「そりゃフィンのためでしょ?アウトキャストと関わってもいいことはないわ。道具として割り切ったほうがきっとフィンには楽でしょ。あんたは周りが見えていないから、気が付いていないかもしれないけどね」
アウトキャストと関わらない方がいい、というのは俺も同意する。何故なら、彼らは人間ではない。人間と意識してしまえば生きづらくなる。だから、闘技場で殺し合いをさせるし、道具として便利、という宣伝も欠かさないのが帝国だ。
「母さんは家族ってどういうものだと思う?」
「そりゃ宝物でしょ?ファイドもフィンも、死んだ父さんも自慢の家族よ。あんたは何かしようとしていたみたいだから、邪魔にならないようにそっとしておいたけど、気がかりならあんたがしたいようにしなさい」
母は母だった。見えていないのではないのだ。見ないように、或いは見ていないふりをしているのだろう。それを不思議に思わないように洗脳されている。それが、帝国市民だ。迫害の歴史は教えられないから、知らない者もいるが普通に生活して居れば感じる違和感も多い。母も知っていることはあり、触れないようにして生きている。息子である俺が、関わりを持ち始め奴隷を買うことも本当は嫌だったのだろう。だが、肯定してくれていたのだ。きっと、息子だからという理由だけで。
帝国から解放されるからか視野が広くなって初めて、俺は恵まれていたと分かる、何とも皮肉な話だ。持っている者が持っていないものへ逃れるというのだから。
「そうだよね。ありがとう母さん。―母さん、あの・・・いや何でもない。今日は疲れたからもう休むよ」
俺はあふれる感情をどうにか抑えたかった。苦しかった、気がかりだった何かが取れた気がしたが、代わりに穴が残った気がする。だが勇気はない。誘って、結果守り切れず失うことも、断られ見殺しにすることも取り返しのつかない悔いとなりそうで怖くなった。
自室の扉に鍵をかけた。アウラもフィンも入れないように。出発は早い方がいい。明日にでも経った方がいいかもしれない。慣れないことをしたせいか、感情の整理のためか驚くほど深く眠りについてしまった。
ライラックは悔しかった。自分が説得できないと、知っていたから折れてしまった。地を這ってでも頭を垂れてでも引き止めなければならなかった。ファイドは初めて身分を度返しで話しかけてくれた友人だったのだから。怖くなったのだ。今日初めて確立された絆が、早くも失ってしまうことを。
何があっても、迎えに来る。
そんなことがあるはずがない。そもそも人類生存権は帝国以外にないかもしれないのだ。机上の空論でしかない。否定できないのは、自分の弱さに打ちのめされたから。
留める手段はある。ライラックは貴族、それも大家だ。だからこそ打てる手段がある。間違いなく後戻りのできない手段が。
参謀本部、准将・少将・中将・大佐・中佐。奥から5つの席が五角形の机に並べられている。作戦本部、義室だ。そこに、医務局長であるライラックは入る。
「医務局局長ライラック・グレイラントです。本日は私の招集に応じてくださりありがとうございます」
医務局の局長が参謀本部の主要人物を集められることなんてありえない。逆はあり得るかもしれないが。これが大家の力だ。金と保身に呑まれた白蛇たちには都合のいい貴族の生き残り。
「それで、何用かね?」
「ハ!ファイド少佐に反逆の兆しがあります。既にアウトキャスト相手に軍事機密である己の知識を提供していると、本人から聞かされました。実際に、帝国規定違反である奴隷の保護も行っている様子です」
「なるほどな、それが本当であるなら確かに処罰対象ですね」
「ああ。極刑に値する話だがどうしたいのかね?」
「身柄を拘束し、二度と同じ過ちを起こさないように教育したのち解放していただきたく。報酬は望まれる額を用意いたしましょう」
最終手段は、コネを使いファイド一家を拘束すること。これで絆が崩壊したとしても、絶対に死なせたくない奴がいる。金の力により否応なく話は円滑かつ理想的に流れた。
「了解しました。では私の部下を向かわせましょう。准将閣下、手続きはお任せしても?」
「構わんとも。中佐にすべて任せる」
手ににじむ赤い液体を地面につかないように努力する。義室を後にして、さっさと自分の家に籠り、ベッドに蹲る。罪悪感からは逃げられない。これは自分のエゴでしかなく、自己満足でしかない。そんな程度の低い理由だが、理想の果てに死のうとしている親友を見殺しにはできないし、したくない。
夜が長かった。扉が何度も強く叩かれている。それでも心労が祟ったか起きれない。扉が破られた音がした。まだ体は動かない。
「兄さん!兄さん!助けて!アウラが、アウラが連れていかれる!!」
自室の扉が何度も何度もたたかれた。妹の声が朦朧とした脳みそで聞き分けられた。体に力が入る。そして、意識が明瞭になると、光景を見ずとも声の必死さから現状を理解してしまった。
「ライ、お前か・・・」
ベッドに立てかけた軍刀を手に取る。もう後戻りはできないところまで来たらしい。もはや、憂いはない。悩んでいる暇もないならば守りたいものすべてを連れて国を出よう。準備はさせていた。直ぐにでも経つことはできる。だが、アウラが居なければ敵地の突破は不可能。
「兄さん!」
扉を開けると、涙が滲んだ酷い顔でフィンが抱き着いてきた。頭をなでてやると、嫌な感触があった。まだ夜は明けておらず暗い。だが玄関を見れば理解できた。薄暗く月光が射す中で辛うじて分かる血赤の光景。
「・・・母さん」
玄関でアウラを抱えたまま、背中から夥しい量の血を流す母の姿があった。あの母が、アウトキャスト庇って致命傷を受けてしまうとは、考えもつかなかった。
「勘違い・・・しないでよね・・・アウラ。これは、ファイドの・・ため・だから」
死にゆく体でアウラを気遣ったのか、そう声をかけていた。
初めてだろうか。額に青筋が浮かんだのは。初めてだ。殺したいと思って人を殺すのは。
俺ははっきりと覚醒した意識の中、明確な意図をもって母の元へ行く。
肩に手をのせて、母の傷が治るかアウラに目配せをする。だが、アウラは首を横に振った。涙を浮かべながら。致命傷は治せない、ということか。あるいは治るまでに命を落とす。アウラの手を取って、一つ頷く。たとえ無理でもやってほしい、と。下手に延命すれば苦しむことになるかもしれないが、生きてほしい。
「母さん。今までありがとう。少し先で待っていて、寄り道を繰り返してから会いに行くよ。大丈夫、また向こうで4人で暮らそう。寂しくはないよ」
レイナード、俺の母がその場で頽れた。アウラとフィンが母の死を悟り目の前の軍人を睨みつける。間に合わなかった。二人にも伝わる母の愛をもって、完全に帝国を見限ることとなる。
「ファイド少佐以下家族全員に対し、アウトキャストに関する法令の違反多数で身柄を拘束する。抵抗するものはこの場で極刑に処す」
「所属と階級は?上司は、名前は?家族は居るのか?兄弟は?恋人はいるのか?」
「―ッチ。参謀本部のノルト中佐だ。上司は言わんでもわかるだろう。家族も恋人ももっと内地で寝ているんじゃないか?」
ノルト中佐、確か最近参謀本部の近隣に一軒家を買ったと聞いたな。結婚を機に転居した、家族も近くにいたはずだ。
「まさか一士官の確保に参謀本部の中佐殿が来てくださるとは。おまけに5人も引き連れて」
皆小太りだったり、ブランド物を身に着けていたり、分かりやすく金遣いが荒い。貴族の甘い蜜を享受してきたのだろう。
「問答はいいでしょう中佐。ファイド少佐、おとなしく連行されてもらいますよ?まずは妹さんから―」
フィンに手を出そうとした将兵の腕を切り飛ばす。初めて使ったがなるほど、良い切れ味だ。腕を切り落とされ発狂する前に首を落とした。まだ夜も深いから。怯む4人も同様に喉を一突き、死ぬ前に四肢を切り飛ばして声もあげられずに死ぬ様を中佐殿に見せつけた。
「ごめんね母さん。貴方をクズどもの血で染めて」
俺は残り一人、腰を抜かして地を這いつくばいながら必死に逃げようとする中佐を逃がしてやる。
「二人とも、言っていた場所で待っていてくれ。夜明け前にこの国を出るよ」
「兄さん、母さんは?」
「別れを済ませておけ。葬儀はできないが、埋葬はしてもらう」
それくらいはやってくれるはずだ。たった数時間、親友だった彼なら。
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