Ep.8 親友
彼らはあまりに眩しかったのを覚えている。かつて補給品の乗ったトロッコに隠れて乗り込んだことがあった。ブランの俺はアウトキャストによって殺される。悍ましい過去を知っていればそう考えるのが自然だ。それでも、気になった。衝動で動く性格なのはこのころから変わっていないようで、長所だとも思っている。
初めて疑問に思ったのは5つのころだ。
戦争が激化するなかで誰が国を守っているのか。母に聞いた。損耗が皆無の防衛システムがあるのだと。無人機の類か、あるいは砲撃による殲滅なのかという程度に考えていた。技術的にそんなものが作れるのか否か、幼いながらにそんなわけはないと思っていた。帝都のトロッコが
―意味が分からない。
だから確かめたかった。本当は俺たちブランへ恨みをぶつけたいんじゃないか、と。10歳になったころ軍の補給品を運ぶトロッコへ忍び込んだ。トロッコの中で眠ってしまったのでもっとも内地に近い場所で降りるつもりが最前線、01中隊のバラックまで来てしまったいた。そこまで気が付かれなかったのは、俺が隠れていた箱が01中隊向けの補給品であったから、他の補給品は空箱であり触る必要もないからでもある。
補給品の箱は子供一人が入ってもまだまだ余裕があるほど、空に近かった。開けられて、どれほど冷酷な瞳で睨みつけられるか、と覚悟を固めていたが、必要すらなかった。怨嗟に満ちている、とそう決めつけていたことが不敬であったことに気が付いた。彼らは戦場に居ながら満たされていた。心許せる仲間と好きに生きられ、そして最後は仲間のために死ぬ。受け入れていた―とは違う。先祖から今に至るまでに環境を変えてきたのだろうと、理解したのは帰ってから少ししてからだ。
「君、何してるの?」
「え、ブランじゃん。なんで最前線なんかに?」
俺は一瞬体が強張った。殺される、とそう感じたからだ。だが、冷静になってみればそんなわけはなかった。だってこんなに温かいと感じたのは初めてだったから。
「何時間乗ってたの?まあ、お腹空いたでしょ。ちょうど晩御飯だし食べていきなよ」
「いいのか?中隊長殿?」
「何満更でもなさそうな顔で言ってんの?支度はできてるんだし子供一人分くらいいつも余ってるじゃん」
中隊長は朗らかな男性だった。年は恐らく18くらい。きれいな黒髪をしていて目も黒い。身長も高かった。でも威圧感は皆無だった。最前線で食料が余るなどという異常事態も彼らの人数が少なく、かつ精鋭であり人数のわりに農場に裂ける土地を確保できていたからだった。
「ほら、みんなお客さんだよ!今日は珍しく
「え、子供?可愛いね」
「ブランにしては純粋な目をしてるじゃん。大人みたくなったらだめでちゅよー」
子馬鹿にされているのは気が付いたが、それはまるで同属に対するそれだった。心底ではきっと、良くは思わなかったのだろう。だって感じ取れてしまった薄暗い気配が恐ろしかった。でも、根っこにあるのは温かい人情だ。取り繕えるはずもない過去を持っていながら、俺にそれを取り立てようとは微塵も考えていないような。
「なんでこんなとこまで来たの?」
「俺はファイド。あなたたちの名前は?」
俺は、息をのんで聞いた。相手に問いに答えられなかったのは、聞こえていなかったからだ。
人間と接するならまずは名前を聞くところから始めなければならない。どうやったら人間として扱ってあげれるのか、それは人としての常識を適用することだ。口先だけではなく態度で示さないと意味がない。だから、いや、そうしたいと思ったから名前を聞いた。
「君は本当に純粋だね。俺はロイス。多分もう会うことはないけど、よろしくね」
「ロイスが名乗るなら俺も名乗らないとな。ギルバだ。このカレーを作ったのも俺な?」
「私はベル。よろしくねファイド君」
その場には8人程度しかいなかった。きっと、もうこれだけしかいないのだろう。その中で名乗ってくれたのは中隊長とそばにいた二人だけ。でも、それがうれしかった。そこで俺は本当の人間というのを知り、初めて「帰りたくない」と思った。人を人と思はない奴らの温かみは所詮上辺にすぎない、と家族すら例外ではないと気づかされた。
「なんで戦うの?」
俺は聞きたいと思っていたわけでもきっと答えを欲していたわけでもない。ただただ、無意識のうちに問うていた。自分のことながらに、あまりに凄惨な過去を背負わせたことに対して無知であったことと、後から来る罪悪感に吐きそうになりながら。
「カレーまずかったか?」
応えようと少し考えたと思えば、俺の顔色が優れないことに気が付き配慮してくれるほどに優しい男。
「・・・違う。でも・・・違くて」
俺は言葉が紡げなかった。何と言ったら正しく伝わるのだろう。現状を強制した側である自分が、何か言える立場にあるのだろうか。先の問いだってあるいは侮蔑になるというのに。
「子供が気を遣う必要はない。君は賢いからいろいろ思い至るんだろうけど、その時点で君は大半のブランと違う。人格者だよ、誇ればいい。だからもう俺たちのことは考えない方がいい。そっちの方が
ロイスは笑顔に対して内心穏やかではない。言葉の最期には嫌味を含めて。そうだと理解しているのだが、割り切れない、というだけだったのだろう。だが、それだけの過去をアウトキャストは経験している。だから、俺は安心した。心の底から、一切恨まないなんてできる人間はいない。目の前にいるロイスという人間が、本当に人ということに気が付けたのだから。
「それで、質問に答えるなら―。俺たちは亡者に囚われているのさ。親が祖父が、曾祖父が俺たちの代まで繋いできた、つながざるを得なかったのだから、俺たちよりも下の世代まではつながないといけない。それが誇りだし、死んだあとに顔向けできない生き様はしたくないってプライドかな」
俺にはこの場で理解することはできなかった。それでも、分からないわけではなかった。誇り、が生きていくうえでどれだけ大切なものなのか俺は未だに知らない。誇りなんてものを持ったことはないから。それに、プライドもない。自分がいつ、どうやって死ぬのかなんて考えたこともなかった。死ぬまで生きるが当たり前の俺たちでは到底理解できない死ぬため、或いは生きるための美学だ。
「そら、もうトロッコに乗らねぇと帰れないぞ?お前の親も心配するだろうし」
俺はロイスに持ち上げられて、トロッコに乗せられた。見える範囲で必死に目玉を動かして光景を焼きつけながら、荷台は進む。
「不思議な子供だったな」
「賢い奴だよね。きっと俺の真意も分かってたんだろうね」
「仕方ねぇよ。あれはきっと罪のないただの子供だ。でもブランであることに変わりはない。だから苛立つのも、情けなく思うのも当たり前なんだよ。だから誇りなんてものに奮い立たされるしかないんだ、俺たちは」
トロッコが整備局に到着した。一応、トロッコは補給品を運び終えれば整備局で点検される。一切止まらないが、止まらずとも遅いので不可能ではない。かといってすることは空き箱を下ろすだけだが。そこで、俺は抜け出した。
家までは歩くしかない。対して距離はないはずだったのに、余計に時間がかかっている気がした。
彼らは自分のために戦っていた。自分のあそこに居たいと、たとえ直ぐに死ぬことになろうともあの場に居たいと思ってしまった。それはきっと、彼らにとって好ましい話ではない。なら、同じように戦おう。せめて自分を正当化できるように。
それから俺は軍人を志した。士官校に入学するために、父の会社を盛り上げて学費を稼いだ。コネも得られるし、金はあって困らない。そのうちに、いずれここが戦場になることも気が付いたから鍛えた。剣術も使えるようにした。いずれ、俺も自分のために戦う、と。
ある日、奴隷を買った。買った奴隷は
「何を迷っているのファイド。お金には余裕があるじゃない。優秀なあの子でいいでしょ?」
今回の最高値、それがアウラだった。母は好きではない。父はすでに殺されていないが、なんとも思わなかった。だが、母の一言で俺は奴隷を買った。元は、魔法を学びたくて、魔法が使える人間をそばに置きたかっただけだった。だが、過ごしていくうちに罪悪感に呑まれそうになって、直視はできない。
管制室で、アウトキャストと件の話を終えたあと。俺は自宅の前にライラックが居たことに気が付く。
「お前、忘れてないだろうな?詠歌祭のこと」
「明日だったか?」
「今晩だよ。てかもう始まる。会場にまだ来てなかったから様子を見に来たんだが、何があった?」
ライラックは家が近かったから知り合っただけ。だが、知り合いになってから10年と長い。
「お前に初めて会った時と同じだよ、今のお前の顔は」
初めて会ったのは前線から戻ったその日であった。当時も自分の罪悪感に押しつぶされた顔をしていた。今は違う。不安と、希望と、やるせなさが入り乱れて表情が潰れているだけ。
「ちょっとな。悪いが、今回の詠歌祭は参加しない」
「ごまかすなよ?」
「俺にはかかわらない方がいい。もうすぐ俺はお前たちを裏切る」
「まさか、国を出るのか!?出てどこに行くんだ!?」
行く宛てがあるわけないだろう。どこの国が健在で、友好的なのか分かるはずもない。だが、どうやったとしても死ぬのは必然。遅いか早いかの差でしかない。
「お前はこないだろ?」
「ああ、行かないし行かせないね。前に聞かせてくれたよな。数年以内に魔物がここに来るって。それはお前が国に出るよりも先に来ることなのか?少しでも長く生きていた方がいいだろ?俺にはお前しか友達がいないんだよ。―行かないでくれ」
掠れるような、絞り出したような声色。俺が勝手に絶望していただけの同種にまだ感情があったなんて、気が付くこともできなかった。10年ともに居て、俺は遠く離れたアウトキャストと家族にだけ視点を当てていたから気が付かなかった、なんていいわけだ。結局のところ、俺も白蛇でしかない、ということの証明のようで―。
「如何したとしても、俺は行く。だって俺には死なせたくない奴が居るから。お前だって死なせたくない。ライ、一緒に来てくれないか?」
俺はライラックに頭を下げた。10年ともにして、初めて。ライラックは無能な男ではない。医術に関しては誰よりも知識はある。魔法には敵わないが。結局のところ、ライラックはどれだけ言いつくろっても前線で戦える性能をしていない。だが、それでも滅びゆくこの国に残していくわけにはいかない。
「やっぱり駄目だよ。俺には家族だっている。それに、足手まといになってお前を死なせたくはない」
情けなさそうな顔をさせてしまった。知っている。彼は優しいが、現実主義者だ。せめて、もっとアウトキャストが生き残っていれば連れて行けたかもしれない。だが、現実はどうあがいても変わらない。
「また会いに来るよ。約束はできないけど、その時はきっと迎えに行けるはずだ」
「仕方ないね。俺はいつだって君の意見を変えられたことがない。でも、せめて約束してほしい。俺より先には死なないでほしい」
ライラックは胸元に添えられた造花を俺の緑の軍服に沿え付けてそのまま帰って行った。
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