天使の抜け殻

猫又大統領

天使

 アッハハハ。

 ハッハハッハァ。

 静かにしてよ……見つかるよ、小さい声でお願いをした。だが、まるで気に留める様子はない。もう一度、彼女に同じ言葉を大きな声でいった。

「あ、はぁ、わかってる。それなら安心していい。丁度、笑い疲れたとこ――」アッハハハッハハ。

 そんなに面白いのか。

 頭上に轟く音。音の主は土色の軍用と思われるヘリだ。そのお陰か、どうやら周りに彼女の笑い声は聞こえていないらしい。

 僕たちが身をひそめる林から数百メートル先には、茶色や白などのテントが円を描くように配置され、中央には1メートル半ばくらいの白くて丸い岩石のようなものがある。

「あいつら、やっぱり私の抜け殻を有難がって調べているよ。使ってさ」そう言って笑う。

実際、彼女は昨日まで、使だった。その名残か、電波の傍受ができるようで、学者や官僚や軍隊の真面目なやり取りを盗み聞きし、今はお楽しみのようだ。と思ったら、今度は顔を赤く染めて俯いた。

 「え? どうしたの、話してよ?」僕の投げかけに彼女はさらに頬を赤く染めて吐き捨てるように言った。変態、と。

「な、なんで? ここに一緒に隠れているだけじゃないか……それに、仮に、何かやましいことを考えても何かしようだなんて僕はそんな人間じゃない。そんなやつは人間じゃない」とムキになって反論した自分が恥ずかしくなった。まるで自白しているようで。決してそんなことはないのに。

「あ、そ、わ、悪かったよ……あ、あいつら私の抜け殻をみて……美しい、体をしているって……」

 あ、と僕は声を出して、すぐに正面を向いて彼らの動向を注視する、ことは出来ずに頭の中は彼女の抜け殻を思い浮かべる。彼らのいう天使の化石とは、まるで脱皮したようなものだ。だから、つまり、その、彼女の裸体が膝を抱えて横になっている状態なのだ。今さらながら大変な事態。人間との違いはその背には、大きな羽が生えている。

 今の彼女にはない羽が。

 彼らは自分たちのすぐ近くで、天使の抜け殻を調べ、その様子を元天使が馬鹿笑いをし、思わぬ視線に羞恥していると知ったら腰を抜かすに違いない。

 僕はこの林の中で時を待って、ここから立ち去る算段を立てていた。そのことを、元天使に伝えようと、横を向くと、彼女と目が合う。丸い大きな輝く瞳に言葉が消えた。

 彼女は首をかしげる。お腹空いたとかいうなよ、と僕に一言注意をする。

 反論しようと口を大きく開けると、彼女の人差し指が僕の上唇を優しく押さえた。

 シー。と彼女がいう。

 不意を突かれ、僕は声が出せないどころか、口が閉じられない。ああぁぁ、と小さく情けなく萎む声を出してしまった。

 そして、口元に寄せられた人差し指はやがて、天使の化石を調べる人たちの頭上を指す。


 そこには、白い羽が生えた人々が浮かぶ。彼女が昨日まで持っていた羽を背に生やし。

だが、その姿は筋骨隆々の男。それも、数はムクドリ群れのように無数だった。

「調べてるいる彼らが危ない。どうせ、あいつらが用のあるのは私……だけ……」

「に、逃げよう!」僕は咄嗟にいう。

 彼女が悲しげな表情を浮かべた。

「駄目に決まってる。逃げて解決はしない」

「な、なら、僕もいくよ」自分でも信じられない言葉が口から飛びだす。

 彼女はその言葉にほんの少し口角を上げたように見えた。「好きな男のために天使の名を捨てた女だよ? ここで見ていて」

 そういっていたずらっぽく笑う、と彼女は林を飛び出し、走っていく。

 昨晩、天使の名を捨てた天使に誓ったはずだ。

 僕が守ると。

 近くにあった握れるくらいの太さの木の枝を手にして、後を追って林から出ると、僕の目は、一人の男が空から高速で彼女に降ってくるのを捉えた。

 一瞬の振動と音の後、辺りは土煙が舞う。僕の足は止まらず、動いた。

 彼女のいた場所に近づく。

 埃は風で流され、視界は徐々に鮮明になる。

 そこには、一人が立っていた。

 もう一人は、地面に横になり、立っている者に頭を踏まれているようにみえる。

 怒りが、沸いた。

「あああぁぁぁぁぁぁぁあああ」

 僕は片手で空に木の棒を振り上げ、怒りと憎しみを込めて振り下ろした。

 棒から伝わる衝撃は無かった。木の棒を見れば、数本の指先で握られ、止められている。

 非力が体を覆う。

「殺せよ、僕を殺せよ。僕と出会わなければああぉぉぉぉぁああ」

「あの、さあ、私に向かって何をしてくれているの?」

 僕が絶叫をしていたのは彼女だった。

 彼女は僕に文句をいう最中も筋骨隆々の半裸の男の顔面を踏む。男の顔が地面にめり込むほど。

 ハハッハハ。笑えてきた。

「ちょっと、大丈夫? こいつらのせい? お前ら! よくも!」

 使はどうやら、強すぎる。

 ハハハ。

「待ってて、こいつらすぐに片づけるから」

 でも、綺麗だ。確かに、僕の天使なんだ。

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