神父さんも親父さんも若人も
Twitter(現X)で老害バイク乗りの風刺画を見掛けた。
一人はバイクウェアのブランドロゴがでかでかと胸に書かれたブルゾン、ズボンの裾はライディングブーツにイン。片手には吸いかけのタバコ。もう一人は下は革パンツを履いているのに上は長袖Tシャツ、暑いのか寒いのかはっきりして欲しい。んでカットオフしたGベストを重ね着してそこから覗くでっぷりとしたお腹。
そのイラストのようなオヤジはよく道の駅のバイク駐輪場に出没し、若い子の乗っているバイクの排気量や性能や乗るときの服装などについて余計なお世話な講釈をたれるそうだ。無論、人のバイクに上から目線でとやかく言うのは以ての外。こうなりたくないうざい、とツイートに反応した若い子たちが盛り上がっていた。
そういった意見を本人の前で言わないのは賢明だ。あとでTwitterで呟けば同世代から共感を得られるしスッキリもする。
私も年老いたバイク乗りだ。せめて自分がされて嫌な思いをした事は他人にしないようにと気をつけて生きている。たとえ思うことがあったとしても、口に出さなければ呟きもしない。自分を上に見せるために他人を否定する、そんな輩を反面教師にして気をつける。私にはそれくらいしか出来ないし、それすら完璧には出来ていない。
だがこうして思う所があり、それを文字に起こしてみると、私も老害に片足突っ込んでいるんだなと気付く。
そう、そんな話題で盛り上がっている若い子たちを見るとどうしても考えてしまうのだ。彼らは自分たちがバカにするオヤジたちの年齢までバイクに乗り続けるのだろうか、と。
そのダサいジャンパーを着たオヤジたちは、自分のバイクの写真をネットにアップして誰かにイイねして貰えなくても、いつの間にか周りの友達がバイクに乗らなくなっても、親に恋人に上司に同僚に挙句の果てに家族にまで反対されても、転んで怪我をしても事故って廃車にしても、そして……、歳をとり自分がカッコ悪くなったと気付いてしまっても。それでもその歳になってもバイクを降りられなかった人たちだ。
果たして彼ら老害たちに良い部分は見当たらないのだろうか。
神父そんも彼らと仲良くなりたいんだったら、否定箇所を探さないで肯定箇所を探すべきではないだろうか。
そうは言っても、偉そうに言ってはいても。
私も、只々、若さだけでは追い越せない基準でマウントを取りたいだけなのかも知れない。
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