第3話 予兆
門をくぐり、護衛兵さんに一礼する。見上げると、三階建てとは思えない屋根が空を突く。背後の険しい山に負けないくらい大きな城が、太陽の光を一身に受け止めていた。
一番上の出窓が開いて、ロスがこちらを覗く。
「なんだ、まだいたのか」
「まだに決まってる・・・・・・ではございませんでしょうか、ロス様のご住居はものすごく広すぎだと存じ上げます」
敬語が敬語と呼べない出来なのは私も理解している。彼は酷く顔を顰めた。相変わらずとことん失礼なやつだ。私は城に背を向けた。
「もう行くからね!」
「・・・・・・フレア、あの時・・・・・・目、大丈夫なのか?」
は、と言って、私は振り返った。真っ白い壁が眩しくて、すぐに見開いた目を細める。
今さらか。十年も来なかったくせに。
風も吹かず、ただ背を太陽にねめつけられる中で、ロスの目を見た。彼はためらうように少し体を縮める。私は空になったカバンを抱きしめるようにして、言った。
「・・・・・・うん、大丈夫だよ。普通に過ごせてる」
「そうか」
ロスは一言呟いて、肩を下げた。
「・・・・・・じゃあ、もう行くね」
「またな」
「またね」
今度こそ、私は街へ歩き出した。
城と街の間の道は、やはり涼しい。
左側の森の奥に、あの丘があると考えると不思議だった。並木はいつのまにか青々とした葉をつけている。つい最近まで山を飾っていた花は、地面をほとんど覆っていた。まだ綺麗な形の花を踏むのはいたたまれない。
「目・・・・・・」
願うことなら、全部聞いて欲しかった。左目を閉じて、瞼を撫でてみる。明るさ以外がわかるようになるわけもなく、ため息をつく。ロスのが移ったかもしれない。
心の中でぼやき続けるうちに、道が石畳に変わってきた。街は昼間の賑わいで溢れている。そこからやって来る足音。
「フレアちゃん、大丈夫だった?」
「煮たり焼いたりされなかったか?」
「王と話すことはできたか?」
私はすぐ沢山の人に囲まれた。相変わらずバチバチの口紅、大爆発したような髪、なんだかどこを見ても圧倒される。
「大丈夫だってば! だってもう私十六さ」
「あらそうなの! もうこんなに大きくなっちゃってぇ、成長したね!」
「うんうん、フレアちゃんはすごい子だって昔からわかっていたからな」
「そういえば、フレアちゃんこの前ね、荷物持ってくれたんだよ」
「さすがね! うちの子にも見習わせたいわ。フレアちゃん、爪の垢くれないかしら?」
私もよく喋る自覚があるが、この人たち以上ではないと思っている。親が放置気味なら、親代わりは過干渉。出力が一かゼロかしかない。
そんなことを考えていると、目の前にカゴが突き出された。パンが山のように詰め込まれている。
「はいどうぞ、いっぱい食べてもっと大きくなりなさいよ」
「わ、ありがとうございます・・・・・・でもいいんですか? 最近かまど税とか上がったんじゃないですか?」
「いいのいいの、その分はこいつらに買ってもらったわ」
彼女が指した先には、確かに店の紙袋を山ほど抱えた服屋さんたちが、げんなりした顔で立っていた。紙袋に付けられた『オプサリオンのパン』のカードには真っ赤なキスマーク。服を買いに行ったときはかっちりした格好だったのに、見るも無惨なありさまだ。
「うわ」
「うわはないでしょう・・・・・・」
ああもう散々だ、と嘆く彼らには申し訳ないが、とても面白い。
「服ありがとうございました、返すのは七月くらいになりそうです。あ、パンはみんなでわけますね!」
「ああ、うん・・・・・・」
彼らに手を振る。いつのまにか、さっきの憂鬱な気分はどこかへ行ってしまった。やっぱり、私は人と話すのが大好きなんだと思う。
パンのカゴを持ち直し、造船所へ急ぐ。ロスとも街の人たちとも話が長引いたので、心配しているはずだ。足を弾ませながら、鼻歌を歌う。音痴なのは仕方がない。
十字路の時計台を見ると、もうお昼時になっていた。
とりあえず小さい黒パンを先に食べることにする。長いパンは残しておくから、悪く思わないでほしい。私が一番好きなのはこの黒いやつで、ほんのり甘くておいしい。まだ暖かいので、きっと焼きたてだろう。
小走りで向かっていたので、思ったより早く造船所の看板が見えてきた。船も看板も服も赤が多いから遠目で見てもわかりやすい。パンを口に詰め込み、開け放たれた表口から入る。
「ただいまー、オプサリオンのパンもらったよ」
「本題それだったか? まぁ、おかえり」
「おかえりフレア!」
今日の分の作業が終わったのか、数人は工具をしまっていた。しまう、と言うのは語弊がある。正確には、ただでさえメチャクチャな汚さの準備室にタオルだの釘の箱だの見境なく投げ入れる、だ。私は絶対に明日手伝ってやらない。
パンを出入り口近くに置いて、今日あったことを単刀直入に言う。
「ダメだってさ。とりあえず設計図は渡してきたけど、どうなるかわかんない」
「そんな日もあるさ」
二秒で話を流され、ひょいとパンを持っていかれ、私の拳は怒りに震えていた。
肉を乗せて食べようとしている所長の分を奪い、勝手に食べる。
「こいつ・・・・・・!」
「早い者勝ちですよ所長」
そう言うと、片付けと呼べない片付けを終えた皆が、わらわらとカゴの周りに群がる。私より年上のくせに大人気ない。
「それでフレア、王は何言ってた?」
「太陽が神聖でー、王族以外はダメでー、を難しく言ってた」
クソロス、と心の中でこぼす。
あー、と所長が頷く。
「大丈夫だ、良いのか悪いのかくらいの連絡はあるだろうよ。俺は前王の葬儀と今の王の戴冠に行かなかったんだが、ちゃんと通達があってから金を取られた」
「ダメじゃん」
結局、その時は所長の代わりに行かされた。仕事を頑張るのは良いが、もうちょっとちゃんとしてほしい。
「・・・・・・まぁ、エクリプス王はよっぽどマシだと思うぞ。ポリーテイアーは酷かった」
ぽつり、と所長が言った。
「え? 何それ初めて聞いたんですけど」
「ポリーテイアーの内乱知らないのか?」
「違う、所長のことですよ」
隣国にいたんですか、と聞くと、住んでた、と返される。
「もう十年くらい前に、こっちへ逃げてきたんだ」
所長の懐かしむような顔を見て、なんだか居心地が悪く、一切れだけパンをあげた。二切れ持っていかれた。
「ところで、もう仕事終わったんですか?」
「・・・・・・え?」
困惑しかない表情で見られ、言い訳のような口調で指を指す。
「ほら、もう皆寮に戻ってちゃった」
「テメェらサボるな!」
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