第1話 妖魔転生
二〇一四の春。
愉快さのカケラもない音をいつものように立てるアスファルトを歩く。門を潜れば、仮初の敬意で挨拶する人間、人間。歪な感情を伴ったキーボードの音は、とても規則的だ。春を喜ぶ桜が「働け」と言っているように感じるのは少し捻くれ過ぎか。
この世界は歪んでいる。でも動かなければならない。頂点として。
都内に在する大企業の若社長、それがこの男「賢」。常に先を見据えた企業体制は絶賛され、今も事業を増加させ様々な界隈に参戦している。
「さてと」
目の前に転がる三者三様のタスクを淡々とこなす。また一つ一つとこなす。
時計はもう夕刻を差し、閑古鳥の鳴くオフィスで黙々と作業を続ける。
「すいません、社長ここの商談不手際がありまして……」
「ふーむ、すいません西門さん、今日帰ってください。いつもならあり得ない表記ミス、疲れてますねー。あとはやっとくんでまた明後日」
「あ、ありがとうございます」
会話に区切りがつき西門の荷物を用意する音だけが響く。荷物を積み終わると、一歩一歩と賢とは反対に出口へと向かっていく。異例の年齢で若社長となった賢との距離感が分からず、世間話が苦手な社員も多い。というか全員だ。いつも「異質」として接される。それでも西門は感謝を込め、一度はきゅっと閉ざした重い口を開ける。
「あ、あのっ」
「? どうしました?」
「貴方は二三という若さでこの大企業の社長まで成り上がった。それは凄く尊敬されるべきことです。私もそれに憧れ、この企業に転向した。今でも貴方は私の目標です」
ニコッと笑って言う。
「でもね、もうちょっとこき使っていいんですよ」
西門からでた意外な言葉。
「貴方のその人望が有れば多少の無理でもついていく。ちょっと無理なお願いされた時のほうが案外『信頼されてる』って私たちは思っちゃうんですよ。押し付けてもいい、だから気楽にね。これは歳上としてのアドバイスです」
賢の中の感情が出そうになる。でもまただ。弱いところは見せたくない、完璧でありたい。そう脳と今までの生き様が言う。
「あ、ありがとうございます」
振り絞れるのは、一般的な感謝の言葉、でもそこに込められた思いは彼の人生を少しだけ楽にするきっかけになった彼の言葉に対する最上級の感謝だ。
「……はい」
西門は少し微笑むと、荷物を子供っぽく放り投げデスクに向かった。
二人のオフィスには先程まで隠れていた月の光が差していた。
作業も終わり、帰り道を行く賢。西門の言葉を噛み締めつつ、脳は次のこと、次のことと考え思考をとめてくれない。すっかり癖になっていた。下からの支えを得てもこの社会にはまだ上がいて、彼らは地位も年齢もプライドも性根の悪さも全部上だ。賢より遥かに。だから追いつかないといけなかった。
若くして成り上がるというのは、社会の年功序列から外れて、それだけで異質なモノ。上からも下からも何かに追われている。何を励まされても一人なんじゃないかと思ってしまう。
早15分ほど歩き、家に通じる道の最後の交差点に差し掛かる。明後日までのプランを考え、今はそれを誰に分配していくかの作業だ。青く光る信号を視界の端に目視し歩行する。
「……? 光。光だ。なんの? 」
意識せず賢の手は光へ伸ばされる。
その刹那、光は轟音を立てて、一直線に、その若き夢を追う者の希望を、四肢を引き裂いた。
――目が覚めると、振動する岩石の中にいたような気がした。目の前には一つ目の異形の存在がいて気味が悪く動こうとしても手も足もない。なす術が無い。これといった対処法も見つからないので声を押し殺し立ち尽くす。足はないし、多分声も出ないけれど。
これは新しい人生に変わるってことなんだろうか。物語の端緒にしては少し味気ない。ちょっと前の人とも喋ってみたいんだが。
「ふーん、困りましたねぇ」
聞こえた甘い声からどうやら女性のようだ。その一つ目を持つ者は何かを考え込んでいる。
「ねー、貴方も考えてくださいよ、って喋れないから悩んでいるんでしたー」
一人で会話を楽しむ一つ目はこちらに目配せをし飄々と話し続ける。岩石の中は彼女と賢の二人だけだ。
「あなたの転生先を探しているんです。あなたはこれから妖霊界という世界で『
常に合理的に物事を判断する賢だが、嘘と思っても正直今は従うしかない。これが走馬灯でもうすぐ死ぬならそれで問題もない。
こちらに抵抗の意思がないと確認すると一つ目はまた話を進行する。
「それでです。貴方も妖怪として転生させたいんですけど、見ての通りすっからかんなんですよね貴方。賢いが故に残酷で合理的な判断しかできない、孤児として育ち自立できる年齢になって即独立、若社長という柄で上とも下とも深い関係は築けずただ一人もがく。一体どうしてこんな人生を送って尚且つトラックの居眠り運転で早死するのか……」
どうやら妖様の意にもそぐわない生き様のようだ。何故か少し嬉しいのは性根は悪いからか。
「と、いうことでちょっといい気になってる貴方に朗報か悲報か分かりませんが、解決策の提案です」
もちろん頷く。このまま逆らってやっても良いが今はすぐにでも動きたい。
「分かりました、妖気の波で会話するの大変なので一方的に行きますよ〜。貴方には「
事情は分かった。だが何故、魄疾に入る必要があるのか、何故ここまで転生の手助けをするのか、それまでは分からない。
「転生者となる貴方に、何故ここまでの高待遇、というか手間をかけるのかですよね。今の妖霊界は言った通り闘争に溢れていて、その調停者を欲しています。ですが先ほど申し上げた様に、妖とは現世での人の感情、生き様が顕現したモノ。或いはそれらの集合体。それらで形成される妖霊界もどう動くか、我らが師、閻魔王にすら操作できないのです」
賢は合点がいく。つまりは妖魔界を落ち着かせたいエンマとかいう奴にとって、妖の摂理に従わない賢の様な存在はうってつけの手駒になるということを。
「嫌に賢そうな貴方はもう理解してるでしょうけどね、どうします?」
閻魔の手駒としての第二の人生。ふむ、面白そうだ。そう賢は、無い口角を上げる。
「はい、分かりました。最後に一つだけ」
常に気怠げな彼女の眼が一点に自分を見つめるのが伝わる。
「あの閻魔王様と行動を共にするということ、それは常に死と隣り合わせということです。人望も多い分、地獄の王として悪からの憎しみも強い。また魄疾という存在も世界を変えうる力を秘めていると言います。いくら冷静な貴方だからって無理はしないように。仲間を大事にね」
ここが最初で最後の休憩地点ということだ。チリン、と妖霊界への到着を告げるベルが鳴る。重く苔も見える扉が二つに分かち、そこから光が差し込む。
「私はフウレン。あなたの、妖霊界までの案内役をさせていただきました。いってらっしゃいませ、閻魔王の盟友となる者よ」
大層な称号を頂き、意識が遠のき始める。徐々に流される記憶の数々。ほくそ笑む自分を世界は破壊しようとするだろうか。現世での悔いも多く、今何をすれば良いのか分からない。でも、それでも進むしか無いと自分に言い聞かせ、前へ前へ進めと心に言う。
意識が失われる直前、心臓部に熱い情熱を感じた。“魄人”は生きている。
大空か。大海原か、目の前は気付けば青で染まっていた。
妖に転生した若社長は、第二の人生を歩みます。 @oryo
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