第6話
木曜日。その日の愛理はどこかそわそわしていた。話をしていてもどこかぎこちなく、昨日ほどは盛り上がらなかった。お昼になると、今日は職員室に行かないといけないの、と言い残して行ってしまった。カオルは今日もいなかったので私は独りでお弁当を食べた。
教室に独り座っていると、周りの生徒の会話がなんとなく聞こえてくる。聞こうとしていなくても、見ようとしなくても、自然と聞こえて、見えてしまう。みんなが私を見る視線はどこか、嫌な感じがした。会話の内容がはっきりとは聞こえなくても、あまりいいことを言っていないことは雰囲気で分かった。私はお弁当を半分だけ食べてしまうと、逃げるように教室を後にした。
教室を出て廊下にでると沢山の生徒がいた。みんなが私と同じ服を着て、私と同じ髪型をしていた。小走りで廊下を抜けてグラウンドに出る。そこにも無数の生徒がいた。みんながグレーのショートカットだった。今度はトイレに逃げ込むと、手を洗う生徒や、個室に出入りする生徒がいた。手洗いの鏡を見た時、そこに映っているのが私なのか、他の生徒なのか、見分けがつかなかった。私は早く愛理に会いたいと思った。あの子のロングヘアが恋しかった。
校内をあてもなくうろついていたら、昼休みの終わる予鈴が鳴った。私は重い足取りで教室に戻った。教室にはカオルはいたが、愛理はまだいなかった。愛理は授業開始のぎりぎりにようやく戻って来た。その顔にはいつもの明るさがなく、今朝よりも落ち込んで見えた。その綺麗な黒髪も元気がなかった。
授業が終わると、愛理はまっすぐ帰らないといけない、と言った。荷物の整理をしないといけないらしい。残念だったけれど仕方ないので私はうなずいて、愛理を見送った。どうして元気がないのかは、結局聞けなかった。
私は独りで職員室に向かうと鍵を取りに向かった。でも鍵は既に別の生徒が借りていったらしい。図書室を使いたがる人なんて誰だろうと思ってその扉を開けると、見慣れた人物が立っていた。
「あ、カオルじゃん、どうしたの。珍しいね」
図書室にいたのはカオルだった。私は思わず質問攻めしてしまう。
「今日は体調大丈夫そう。あれ、そういえば、進学コースは行かないでいいの」
「元気、元気。薬が効いた。あと勉強会の方は今日休みになった。で暇になったから帰る前に寄ってみた」
「そうなんだ。カオルが図書室にいるなんて、なんか変な感じ」
私はそういってカウンターに腰かけると鞄を置いた。
「あ、聞いてよ、愛理から本借りたんだ。華氏451度って聞いたことあるかな。私もまだ読めてないけど面白いんだって」
私が本を取り出して顔を上げると、カオルは私の斜め向かいに座って頬杖をつきながらぼんやりしていた。
「どしたの。やっぱりまだ本調子じゃないんじゃない」
私の言葉にカオルは首を横に振る。
「いや、なんか、嫌な感じがするんだよ。京本のこと」
カオルの唐突な言葉に、私の胸がざわめいた。
「それってどういう意味。カオルも愛理が嫌いなの」
「あ、いや、そうじゃない。京本になにかあんまりよくないことが起きてる感じがするんだ」
カオルは、らしくもない歯切れの悪い感じで話している。
「確かに今日の愛理、何か変だった」
「うん、職員室とか、クラスでなんとなく聞こえてくる話を整理してたらさ、やっぱりみんな京本が気に入らないみたいだ」
「みんなって、先生もそうなの」
「そうみたいだな。京本が嫌いというよりは、あいつが全体の調和を乱してるって考えてるみたいだ」
「愛理が調和を乱すってそんな。あの子は何もしてないよ」
「そうなんだけどさ。ほらあいつ時々、古い言葉を使うだろ。転校初日も、父って、そう言ってた。まだ来て数日とはいえ、そういう言葉遣いにイライラしてるやつは多いみたいだ。あとはあの髪とかな」
「待ってよ、言葉についてはそうかもしれないけど、まだ慣れてないだけだよ。それに差別しようとして言ってるわけじゃない。あと髪は別に校則違反じゃないでしょ。服はもうちゃんと私たちのと同じになったじゃない」
私たちの学校では、制服は指定のものだったが、髪については一応任意ということになっていた。でも誰も長い髪の生徒なんていないので、誰も伸ばそうとはしなかった。
「落ち着けって。アオイの言ってることは正しい。でもそう思わない人が多いっていう話だ」
「なにそれ、どうして。カオルはどう思うの」
「私はアオイと同じ意見だ。でもそれを表には出さないようにしてる。それは身を護るためだ」
カオルは真剣な目で私を見た。
「みんな、別に京本が嫌いなわけじゃないんだ。ただ多分、周りが京本を嫌がるだろうな、って思ってるんだ。別に自分は嫌じゃないけど、嫌だって言う人がいるだろうなって。そういう考えでみんながいると、いつしか、本当は存在しない架空の京本への憎しみが本物になるんだ」
「嘘、私には信じられない。でも実際、みんなは愛理のことを嫌ってる。私はみんなが愛理を嫌うことの方がわからない」
「まあ実際、本当に京本が憎い奴はいるんだと思う。京本は色々すごい人だし、嫉妬するのはわかる。でもそこまで多くはないと思う。ただそういう、少数の京本嫌いが少し意見を言うと、さっきの周りを気にする人たちの間に広がって、大きな憎しみになるんじゃないか」
「じゃあどうすればいいの、どうすればみんな愛理の良さをわかってくれるかな」
「どうだろう、時間をかけるしかないと思う。私はアオイの言う通り、京本はいいやつだと思ってる。今はまだ慣れてないのは京本だけじゃなく、私たちもそうなんだ」
カオルは難しい顔をしていた。カオルはまた口を開いた。
「さっきの話に戻るけど、アオイ、お前も賢く立ち回って、身を護れ。例え京本が事実良い奴でも、みんなが京本を嫌いだと思ってる、っていう空気ができてしまうと、京本は悪者になってしまう。事実が、みんなを納得させるわけじゃないんだ。なにか、空気感みたいなものがある。それを上手に見極めて、上手く立ち回らないといけない」
「なにそれ、わけわかんないよ。愛理はいい子なのに、みんなが悪い子だと思ってたら悪い子になるの。それを私は黙ってやり過ごすの。なにそれ」
私は頭を抱えた。カオルは優しく声をかけてくれる。
「まあとにかく、京本と仲良くしてるお前が少し心配になっただけだ。もうじきみんな京本の良さをわかってくれるよ」
私が顔を上げるとカオルは頷いて、じゃあな、と言うと図書室を後にした。
慣れているはずの孤独な図書室は、いつもよりすごく寂しく感じた。私はぼんやり頬杖をついてカオルの言葉を思い出しながら、窓から覗く重たい曇り空を眺めていた。自分は嫌いじゃなくても、他に嫌いな人がいるかもしれない、という理由で人を嫌いになる。カオルの言う通り、そういうことはあるかもしれない、でもそれが愛理に向けられているというのが悔しかった。
私はいつまでも黙って考え込んでいたけれど、ふと机の上に置いたままの小説が目に留まった。今は愛理に借りた本を読もう、そう思って本を手に取って読み始めた。窓の外の暗い空は、これから降るであろう雨の気配を感じさせていた。
華氏451度。舞台は近未来。主人公のモンターグは昇火士。本を焼き払うことを生業としている。通報があれば車で駆け付け、背負った火炎放射器で書物に火をつける。舞い上がる灰を眺めることが生きがいの、そんな人生。だがある日、一人の少女との出会いが彼の人生を大きく変える。モンターグの失っていた人間らしさが、少女との交流を通じて蘇る。少女との出会いが、本の持つ意味を、モンターグの目に映る世界の彩りを、急速に変貌させていく。
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