第4話

 水曜日。私の心はどきどきで溢れていた。こんな気持ちで登校することなんて、今までの学校生活では考えられなかった。弾むような足取りで学校まで向かいながら、曇天の空を見上げた時も、それがすごく美しいものに見えた。

 張り切って教室に到着すると教室にはまだほとんど誰も来ていなかった。壁の時計を見れば、いつもより15分も早く教室についてしまっていた。はやる気持ちを抑えて私は席に座って鞄から筆箱を取り出した。そわそわしながら本を手にしたけれど、頭にはなにも入ってこない。しばらくして登校してきたカオルが、今日は早いな、なんて言いながらこっちに来てくれたから、昨日あった愛理との出来事を話した。カオルは静かにうなずいて話を聞いてくれた。ときどき私が興奮して早口になったり、大きな声を出す度に笑ってくれた。私はすごく幸せだった。

 でもカオルと話していても、愛理はなかなか姿を見せなかった。結局愛理は、朝礼のベルとほとんど同時に教室にやってきた。けれど私ははじめ、愛理が教室に来たことに気が付かなかった。なぜって、愛理はその時、昨日まで着ていた制服をやめて、私たちと同じグレーの制服に着替えていたから。愛理のロングヘアがなかったら、私は多分愛理を見逃していたと思う。

 息を弾ませながら隣の席に座った愛理に、はじめ私は声をかけられなかった。ただ、どうして、という声にならない声が頭の中で響いていた。そんな私の顔を見た愛理は笑顔を浮かべてくれた。

「慣れない服だったから着替えに手間取っちゃった。どう、似合ってるかな」

 愛理の笑顔は変わらず素敵だったが、どうしても私には気丈に振る舞っているようにしか見えなかった。トレードマークの髪の毛も、今日はしょんぼりして見える。

「うん、私たちの制服も似合ってる。でも」

 でも、私はあなたの制服の方が好き。本当はそう言いたかった。でも言えなかった。多分愛理も好きでこのグレーのずた袋みたいな服を着ているわけじゃない。私の目を見た愛理は多分、私の思ってることがわかったのだと思う。静かに頷いてくれた。

 朝礼が終わり、授業が始まった。今日もまだ愛理の教科書が届いていないらしく、私たちは机をくっつけて一緒に授業を受けた。私は、このまま教科書がずっと届かなかったらいいのに、なんて思いながら隣の席の愛理をちらちら見ながら先生の退屈な話を聞いた。

 はじめは絶望的に思えた愛理の制服も、時間が経てばなんとなく見慣れてきた。なにより、服が変わっても中身の愛理は愛理のままだと分かったのが嬉しかった。愛理は数学も国語も英語も、ぜんぶ完璧にこなしていた。そんな愛理に見とれていた私が先生に当てられて困ったときなんて、ペンの先で教科書を指して教えてくれた。愛理のおかげでピンチを遁れた私たちは、顔を見合わせて笑った。

 気が付けばお昼休みを告げるチャイムが鳴っていた。先生が時計を見て、続きは明日にすると言って授業が終わった。クラスの一部の子たちは教室の外に、急いで飛び出していった。残ったクラスメイトは机をくっつけてお弁当を広げ始めた。

 あっという間に昼休みになって驚く私の隣で、愛理が鞄から袋を取り出していた。机の端から覗く鞄は、昨日までのかわいい鞄から、私たちとお揃いのダークグレーのものになっている。そのことを少し残念に思っていると、ふと疑問が浮かんだ。

「あれ、愛理、もしかして今日は職員室行かなくていいの」

「うん、そうなの。だから一緒に食べよう、お弁当」

「やった。あ、そうだ。せっかくだし私の友だちのカオルを紹介するね。カオルも一緒に食べた方がきっと楽しいよ」

 そういって私は有頂天でカオルを探した。でも既に教室にカオルはいなかった。いつも私とカオルは教室でお昼を食べているのに、今日はどうしたんだろう。

「あれ、カオルいないや。戻ってきたら一緒に食べよう」

「ありがとう。アオイの友だちとも早く仲良くなりたいな」

 私たちは向かい合うように机をくっつけると一緒にお弁当を食べた。愛理の保護者が作ってくれたらしいお弁当は、黄色い卵や赤いウインナーが入っていて、すごくカラフルなかわいいお弁当だった。

 一緒にお弁当を食べながら、私は愛理の制服について聞こうとしてやめた。何度か顔を上げて聞こうとしたけれど、言葉がつかえてしまった。それに多分、愛理も同じようなことを考えていたんじゃないかと思う。ここは他の子たちがいたから。私たちはどこまで話していいかわからず、微妙な空気が流れた。

 そんな時、愛里が何かを思い出したようにし鞄から何かを取り出した。

「そういえばこれ、昨日の約束」

 そういって差し出されたのは一冊の本だった。私はお箸を置いてそれを受け取った。そこに書かれていたタイトルは。

「華氏451度」

「そう。本当は昨日言ってたみたいに、イギリスのファンタジーとか、もっとかわいいのがよかったんだけど、まだ荷解きが終わってなくて。だからとりあえず、すぐに見つかったやつの中から選んだの。でも適当には選んでないから安心して。それもすっごく面白いから」

「ありがとう。こういう本初めて。すごく楽しみ」

「結構短いからすぐに読めるんじゃないかな。近未来が舞台のSFなの。そういうのディストピア文学っていうんだ。すっごく便利な機械があったり、なんでも病気が治ったりする天国みたいな世界なんだけど、その代わり家の中にたくさん監視カメラがあったり、個人情報が丸々全部政府に管理されてたりするの」

「なにそれ、やだなあ。便利かもしれないけどすっごく息苦しそう」

 愛里はファンタジー以外にもSFとかミステリーとか、何にでも詳しかった。私は他にも愛理の大好きな本のあらすじやキャラクターについて教えてもらった。愛理が自分の大好きなものについて、すごく嬉しそうに話してくれる姿を見ていると、私はなんだか言葉にできないくらい愛おしい気持ちになった。この子と出会えて、本当に良かったって、そう思った。

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