第3話

「はあい。来ちゃった、図書委員会。まさか学校唯一の図書委員さんが佐藤さんなんて、きっとこれは運命ね」

 そう言って京本さんは嬉しそうに手を合わせて笑った。

「え、嘘、図書委員会に入りたいの」

「そう、興味のある委員会の見学して回ってるんだ。さっきまで美術委員会と管弦楽のところにお邪魔してたの」

「そうだったんだ。まさか図書委員会に興味ある人がいるなんて思わなかったよ」

「そうなのかな。まあ確かに今どき本読んでる子なんかいないよね」

 京本さんは笑いながら手近な椅子に手を伸ばすと、借りるねと言って私の向かいに腰かけた。

「京本さん、美術と音楽にも興味あるんだ、すごいね」

 私がそう言った時、京本さんは手を上げて私の言葉を制した。

「ねえ、もしよかったら愛理って呼んでよ。私もアオイって呼びたいし」

「え、うん。分かった。えっと愛理」

「やった。よろしくねアオイ」

 愛理の笑顔に私も釣られて笑顔になった。

「なんだっけ、あ、そうそう他の委員会の話だ」

 愛理が指をぴんと立てて、思い出したように話し始めた。

「音楽も芸術も好きだから楽しみにして行ったんだけど、なんか思ってた感じじゃなかったな。私はどっちもクラシックとか、昔の作品が好きなんだけど、そういうのってこっちじゃやらないんですって」

「確かにそうかも。うちって現代の作品ばっかりやってると思うな。イラストとかも風景画とかデッサンが多いイメージ」

「そうそう。それにどっちの委員会も私が教室に行くと、みんながすごい顔するの。私ってそんなに変かな」

 愛理はそう言って肩を落とした。

「変じゃないよ、全然。むしろすごく素敵だと思う」

 私は自分でも驚くくらい勢いよくそう言った。私の言葉に愛理が顔を上げる。

「そうかな、ならよかった。ありがとう」

「多分みんな慣れてないというか、愛理が周りと違うから見ちゃうんだと思う。でも別に変だからとか、そういうので見てるわけじゃないよ」

 そういう私の頭の中には、教室のクラスメイトの顔が浮かんできた。あの子たちはどうだろう。愛理のことをどう思っているのだろうか。

「周りと違うことっていけないことなのかな」

 愛理の言葉に私は首を横に振った。

「そんなことないよ、むしろ逆。みんな平等で、それぞれの個性が発揮できる社会を目指そうって、いつもテレビとか先生が言ってるもん」

「平等と個性って両立するのかな」

 愛理は元気なくつぶやいた。私がどう励まそうかと悩んでいると、愛理は急に立ちあがった。

「ごめん、変なこと言っちゃった。でもありがとう、アオイに素敵って言ってもらえてすごくうれしい。ちょっと本見て来るね」

 そういって愛理は軽やかな足取りで本棚の方へ向かった。弾む黒髪が棚の間に吸い込まれていく。私は愛理の背中を見送りながら、さっきのつぶやきについて考えていた。

 世界は今、苦しんでいる人に手を差し伸べようと努力している。だから、今まで誰にも気付かれずに苦しんできた人たちの理解が進められてきた。この東日本で、今のように更衣室が一つになったり、トイレが全部個室に変わったりしたのも、そのおかげだ。今までのトイレだと、それを使うことで傷つく人がいた。今までのトイレを使うことを、強いられてきたと感じる人がいた。私たちはそのことに無自覚だった。今までのトイレで何も違和感がなかった人たちは特権に無自覚なんだと、よく言われる。

 たまたまマジョリティ、つまり大多数の人に生まれたことで私たちは特権を手にしているらしい。なのに少数派であるマイノリティとして生まれた人たちは、その特権を持たないから、私たちが無自覚に傷つけてしまっている。だからマジョリティは特権を自覚して、マイノリティに配慮しないといけない。じゃあどうすれば特権の自覚が果たせるのか。それは、マイノリティを基準としてものごとを決めることだと、今のところはそうなっている。

 それはつまり、マイノリティを傷つける世界、マジョリティ基準の世界を、マイノリティ基準の世界に変えていくことを意味している。ではマイノリティ基準の世界では、誰も傷つかないのだろうか。

 うん、きっとそうだろう。これが正しい道だ。

 私が一人、考え事をしている間に本棚の間から愛理が戻って来た。

「あ、おかえり。どう、いい本は見つかった」

 私の質問に、愛理は難しそうな顔をした。

「うーん、どうかなあ。私の好みの本はあんまりなかったかも」

 私は愛理の返事を意外に思った。愛理のことなら、面白そうな本がいっぱいあったの、と笑顔で答えるんじゃないかと思っていたからだ。

「あ、そうなんだ。なんだか意外。愛理はどういう本が好きなの」

 私の言葉に愛理は上気した様子で息巻いた。

「小説、私、小説が大好きなの。特に昔のイギリスとかアメリカで書かれた小説がすごくすき。ファンタジーとか妖精とか、時々血と呪いの怪物が出てきたり。ああいう海外の小説が持ってる独特の雰囲気が大好きなの」

「そうなんだ。私、そういうの読んだことないや。昔はよく保護者に読み聞かせてもらってたんだけど、最近は昔の本の扱いが難しくって。持ってたらいけない本とか、読んじゃダメな作品とかが毎年増えてるみたい」

「そっかあ。それは残念だね。じゃあ今度おすすめの本貸してあげる」

 私が喜びの声を上げると、愛理も嬉しそうに笑った。窓の外からは傾いた夕日が覗いていて、図書室と愛理と私を、黄金色に染め上げていた。楽しく話をしていたらあっという間に下校の時刻を告げるチャイムが鳴った。私と愛理は笑いながら図書室を施錠して職員室に寄ってから帰った。

「私、ここにするよ」

 正門に向かうグラウンドの途中で愛理が呟いた。

「え」

「委員会。アオイと一緒の図書委員会にするね」

「いいの。やったあ。これから毎日放課後お話できるね」

 私と愛理は手を繋いで門をくぐった。お互いに反対方向だったので門の前で手を振って別れた。笑顔で去っていく愛理の背中には、夕日に染められた黒い髪が美しくなびいていた。

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