第2話
火曜日の朝。いつもと変わらない朝の光景が、その日は違って見えた。鞄を置いて隣の席を見ると、これからそこにやってくる人の顔が浮かんできた。私は頬が緩むのを必死にこらえながら席についた。
京本さんは担任と一緒に教室にやって来た。朝礼前にも職員室にいたらしい。
「佐藤さん、おはよう」
「おはよう、京本さん。昨日はどうだったの」
「それが一日中、学校の書類のこととか、制服のこととか、委員会のこととか聞いてたら終わっちゃったの。みんなともっとお話ししたいなって思ってたのに残念」
京本さんがにこやかにそう話す姿を見ていると、私はなぜかわからないけれど、すごく嬉しい気持ちになった。私が返事をしようとしたとき、担任が朝礼を始めたので私と京本さんは前に向き直った。
朝礼後、京本さんは再び担任と職員室へ向かっていなくなってしまった。でも今日は6時間目から、ようやく授業に参加できるらしい。それを聞いた私は6時間目が待ち遠しくなった。
5時間目の体育が終わったとき、教室に戻って来たクラスのみんなはいつも通り着替え始めた。みんな、体操着の袋から大きなグレーの着替え用タオルを取り出すと、慣れた様子でそれを頭からすっぽりかぶった。そうして、上に開いた穴からひょっこり頭だけを出すと、首から下はカーテンのように覆われる。そうして隠れたタオルの中で上と下をさっさと着替えてしまい、タオルを外せば体操着から制服へと早変わり。おなじみのスタイルだった。私も同じようにタオルの中でそそくさと着替えを済ませた。着替えるのはいつもカオルの方が早いのに、今日は私の方が早く着替え終わった。
私がそわそわと京本さんの到着を待っていると、教室の外の廊下に、ネイビーのブレザーと弾む黒髪が見えた。私の胸は高鳴った。思わず椅子からお尻を浮かせるようにして外の様子を窺ったけれど、廊下の京本さんは何故か入ってこようとしなかった。外から教室を覗いて、着替え中なので躊躇っているらしかった。その内、教室のクラスメイトが廊下の京本さんの存在に気が付き、しんとなって視線が京本に集中した。困った京本さんの視線が私と合った。私は小さく手を上げて小さな丸を作ってから、ちょいちょいと手招きした。頷いた京本さんは視線を足元に落としながら、いそいそと私の隣に座った。気味の悪い沈黙は、まるで何もなかったかのようにいつものがやがやに塗り替えられた。
「あー、怖かった。佐藤さんありがとう。お着換え中かと思って悩んでたらみんなに怪しまれちゃった」
「ははは。一斉に見られたら怖いよね」
京本さんは落ち着きを取り戻すと、辺りをちらりと見渡してから口元に手を当てて、私に顔を寄せてきた。私はどきどきしながら同じように顔を寄せた。
「あのさ、教室の着替えっていつもこうなの」
「へ、うん。そうだけど、何か変かな」
「いや、前の学校だとほら、分かれてたから、着替える部屋が」
「あー、なるほど。そっか。うん、でもこっちだと多分どこもこうじゃないかな」
そう言って私は着替え用タオルを京本に見せてあげた。
「ほら、これで頭からすっぽり隠しちゃえば見えないし。ささっと着替えちゃえば気にならないよ」
「そっかあ。なんだか小学校の時のプールみたい」
そう言って京本さんは困ったように笑った。
6時間目は数学だった。私は教科書のない京本さんと机をくっつけて一緒に授業を受けた。まだ出会ったばかりなのに私は、京本さんといるとすごく居心地がよかった。多分、向こうもそう思ってくれていたと思う。授業中、問題を解く時間になると、京本さんはあっという間に答えを出してしまっていた。私は隣で思わず舌を巻いた。京本さんは多分、すごく頭がいいのだろうなと思った。黙って座っているだけで、頭の良さが滲み出てしまっている感じ。京本さんと一緒に受けた授業は、あっという間に終わってしまった。
終礼になり、担任が伝達事項を告げると解散になった。ここからは委員会の時間だ。私は図書室に向かう準備をしながら京本さんを見た。京本さんも鞄を背負っていた。鞄も私たちのものとは違うリュックだった。革の手提げかばんにショルダーがくっついたようなデザインのそれは、すごくかわいかった。
「私、これからまた職員室行かなきゃなんだ。今日もありがとう、楽しかった」
そう言って、笑顔の京本さんは担任とともに廊下へと消えていった。手を振る私の周りで、ひそひそと何かを耳打ちしあうクラスメイトの声が耳についた。私はダークグレーの鞄を手に取ると図書室へ向かった。クラスメイトの視線を感じたのでそちらを見たら、さっと顔を背けられた。
クラスのみんなは私と同じ格好で、教室に私がたくさんいるみたいだった。それとも、私なんていなくて、クラスの誰かがたくさんいるだけなのかもしれなかった。
いつものように誰もいない図書室の電気をつけると、私はカウンターに突っ伏した。なぜだかとても疲れていた。クラスの雰囲気が気になった。カオルの言う通り、私以外のクラスメイトは多分、京本さんのことが嫌いなんだ。だけど私にはその理由が分からなかった。
大きくため息をついた私はそのままうたた寝した。
「もしもーし」
透き通るような声と、華奢な指先で肩をつつかれた私は跳び起きた。
「わ、誰、何」
ぱっと顔を上げた先には京本さんの笑顔があった。
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