とある女性の手記
私の中に悪魔がいます。誰か、この手記を読んだ方、誰でもいいのでどうかこの悪魔を、いえ、私ごと殺してください。どうか私が人としての道を外れる前に、よろしくお願いします。
[一月八日(月)]
これはどう考えたとしても悪魔以外の何とも形容し難い悪意のような欲望のような塊でしかない。このままでは私が呑まれてしまう。良心の呵責を感じることさえいつしか忘れ、自らの望むまま行動する傲慢にはなりたくはない。
ああ、はじめから語ろう、私には愛する人がいる。それはあなたじゃない、私を心の奥底から愛しすべてを受け入れる聖母のような人だ。それなのに私は満ち足りない。常に誰かを、彼がいないときの代わりを追い求め彷徨っている。それがあなた。彼の代わりであり、彼がいてもなお埋まらない隙間を埋めるためのピース。あなたは私に感情を向ける。それは軽蔑かもしれないし愛かもしれないし、他の何かかもしれない。私は中身も見ずそれを受け取る。それが空でない限り私はそれを受け入れて呑み込む。
――――それが、私は嫌で仕方がないのだ。世間一般的にこのような所業は許されるべきではない。彼は彼で、君がそれを望むのならと容認してくれているが、その表情の裏にある感情を私は少なからず見抜いていた。だからこそ私は私に憑いた悪魔が許し難いのだ。一般から外れ道理を忘れてしまうのが怖いのだ。彼を傷つけるのが、怖いのだ。愛するのをやめたいと幾度となく思った。離れ、私のこの悪魔の影響下から外れてしまえば、そうすれば私も彼も幸せだと。だが、そう簡単にはいかないようだ。私の悪魔はあなたを求め、求められたいと願い彼を疎かにする。
策を講じなければならない。
[二月十日(土)]
嫌悪はすでに見えている。もともと彼は嫉妬深く束縛癖のある方だったはずだ、それなのになぜ容認しているのか。もう、既に答えは見えているのではないだろうか。彼の嫌悪は、心のなかで渦巻く嫉妬は私に直接見せないだけなのではないか? それとも彼の愛は消え失せてしまっているとでもいうのか。それはないのではないか、なんて、自惚れだろうか。
たとえ彼がどう考えていたとしても、私の心は対して動くことはない。ただ、感情がそこにあればいいと思うだけ。あなたが代わりに感情をくれればいいだけ。以前よりは人として、とか社会として、というものを考えることは少なくなった。私の欲望は揺るぎなく、そうしてひどく確立している。あなたが私を愛してくれるのならそれで今だけは十分に満足していられる。愛じゃなくたっていい、ただ、私だけを見て。私に笑って。それでいい。私はあなたを愛するふりをしてあげるから。あなたに愛のようなものをあげることはできるから。
だから代わりに、あなたの心臓に私を刻んで。
[三月四日(月)]
彼だけがいてくれればいいと言えたのはいつまで? 私はいつからこんな人間の屑に成り下がってしまったのだろうか。考えることすらもう億劫だった。今までずっとこうだったのだ、きっと。私は昔から、一人では、生きていけなくて。生きていることに疑問を持って、自分の生を『承認』と定義した。それはいつの間にか起こっていたことだった。ただ心の奥の方で誰かを求める声がして、止まなくて、この身体が熱を持つのを止められないのだ。目が合ったらそれが合図、あなたの芯まで私が侵していく。あなたが拒まないのならその全てを奪ってしまいたい。誰から? ――――世界から。
[ ( )]
どうしようもないのだ、この熱病は。自らの肌の下に燃える欲が、自我が、この心臓そのものが私を包みこんでぐちゃぐちゃにしてめちゃくちゃにして、もう、愛でも恋でも憎しみでもなんでもいいから、私に感情を向けて。生死を揺るがすほどに強く、深い、あなたの本質に私を刻んで。おかしくなってしまったっていい。もうずっとおかしかったんだから。私の脳をすすっている悪魔は私自身で、それでいて私を救う天使。解放の天使。抑え込んだ激情をあなたにぶつけたら私を見てくれる? 私を見て。私だけを見て。愛して。死ぬほど。殺したくなるほど。そうして憎んで。恋しくなるほどに私を憎んで。あなたの心で私を生かして。
ああ、だめ、私には良心がないのだろうか。こんなのひどい。ありえない。たった一人にだけ愛されれば、愛せれば、それだけで幸せだと、そう言えたはずなのに。私は傲慢だ。常に満ち足りない。私の中身はたった一人では満たせない。ずっとずっと溜まらないままの空のバケツ。穴の空いたバケツ。永遠にこのまま。誰に愛されても、いくら愛されても足りない。一瞬の満足を求めて私はあなたに自分を刻むの。あなたに、誰かに、私を確立させて、そうでないと私は生きられなくて、ああ、だから誰か私を殺して! もうどうしようもないの、だから私を殺してあなたの記憶に、せめて残して、そうすれば私の悪魔は消えるから。
どうしようもないでしょ、自己満足でしょ? 私が一番わかってる、だからあなたも覚悟を決めて。私の正しさを証明するため、そして、あなたの感情を私に向けるため。断るなんて許せない、許さない。あなたの全ては私が掌握しているから。逆らおうと思っても無駄なの。だってあなたの弱みは私がしっかりと握っているから、二度と離しやしない。私はあなたの心に、あなたは私の心に。傷つけ合って、刻み合いましょう。だって私の感情を少しでも受け入れてしまう隙を作ったのはあなた自身なんだから。あなただけじゃない、みんなそう。私に優しさを見せた人全員が私の檻の中、絶対に逃がさない。殺したくない、なんて言うのなら私に感情を頂戴。心臓を、私のために拍動させて。そうでないと私は生きられないから。愛して、死ぬほど。死んでもいいから。私は全てを受け止めるから。あなたの愛で、憎しみで、それだけで私の身体には幸福が染みていくの。承認の幸福。そう、だから、私の天使と共に私を愛して。私はあなたに何でも捧げてあげるから。求められたいだけだから。だからどうか、私が駄目になる前に、私を殺して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます