空虚な希死念慮
もう高校二年生になってしまった。その割には相変わらず無意味で空虚な日々を過ごしている。
最近は勉強をするでもなく、自分を見失いながら脳死でゲーム、アニメ、SNS。特に動画なんて見始めたら軽く一日を潰すことができる。
授業中だってそう。今までより集中できなくなって、自分の脳が劣化していっているのを感じる。
今は国語の授業中。好きなはずのその授業でさえ、私の頭の中をするすると通り過ぎていく。どうしてかは全く分からない。だけど、もやがかかったみたいに不透明な視界が広がっているような気がした。
「誰もが必要な存在であるということを説き……」
現代文、しかも評論文の授業か。国語の中でも特に苦手なところだ。
……誰もが必要な存在……って、すごくいい言葉。でも、それって本当にそうだろうか? 私にはきれいごとにしか聞こえない。
自分が別になくてもいい存在だっていうのは知ってた。両親だって、私を望んで産んだわけじゃない。ただ、できたから産んだだけ。
それは今も変わらないまま。そこにいるから、生かしているだけ。殺すようなことができないからそこにいさせているだけなんだ。
何の意味も、存在意義も持たず、ただ、空虚に生きているだけの――――
「篠田さん?」
窓から冷たい風が流れてきて、ようやく目の前がはっきりした。先生から指名を受けたのか? 誰が私を呼んだんだ? 全く授業を聞いていなかった。
どうしよう、成績が、周囲の目が。先生からの評価が、この先の人生が、どうしよう。わたし、わた、どうやっ
「篠田さん、顔真っ青だよ。大丈夫?」
ひゅう、と呼吸が変になっているのが自分でもわかった。……落ち着け、私。混乱するとすぐ過呼吸気味になる。悪く考えすぎてこうなるのは私のよくない癖だ。
大丈夫。授業の話じゃない。隣の子が、小声で、話しかけてくれた、それだけ。
それだけだから、私の呼吸、落ち着いてくれ。
「保健室行ったほうがいいんじゃない?」
あくまでもこっそりと、その子は私に伝える。
「……大丈夫」
今授業を抜けたら、欠課扱いにはならないだろうか。先生からの評価は? 周りからの評価は? 授業には……この先、ついていけるの?
逃げたい。逃げ出したい。
どうしようもなくてまっくらな未来をぜんぶ見ないふりして投げ出したい。あたまのなかをぐっちゃぐちゃにまぜこんで、なにも考えられなくなるくらい壊れたい。嫌だ。もう嫌だ。逃げたい。やりたくない。楽しくない。辛い。
――――あ。そうだ。こういうときのために用意してるものがあったんだった。
「すみませ……気分悪くて……、トイレに行ってきてもいいですか……?」
先生にそう告げ、こっそりとポケットに入れていた小さなポーチを持って、わざと遠くの人気のなさそうなトイレに向かう。
授業中のトイレは、私だけの聖域だ。特別教室とかがある棟の方だから誰も入ってこない。ここは安心して、私でいられる場所。
ポーチの中からそっとその小瓶を取り出した。20錠じゃ足りないだろうか。もうちょっと飲もう。手のひらが錠剤でいっぱいになる。口に含んで水道の水でなんとか飲みきった。
トイレでしゃがみ込んで、薬が効き始めるのを待つ。まだ、何も起きてない。さっき飲んだばかりだから、当たり前だけど。「落ちて」しまわないように、壁際で耐えながら。
大丈夫、このまましばらくすれば、私はしあわせな夢が見られる、そう、それはきっとこんな人生よりもずっとたのしくって……
あ。せかいがきれいになってきた。
ふわふわする、あたまくらくらしてふわふわのぷかぷかで、ぐちゃぐちゃになったのがぐるぐるいっしょになって、あは、はは、きもちいい。なんにもない! たのしいこといっぱいでなんにもやなことないねえ、あはは。かべまっしろだ。やっぱりちょっときいろいかも? おもしろいね。えへ。えへへへへへへ。たのしいなあ。たのしいよね? たのしいねえ。あはは。いっぱいたのしいねえ。おそらにくるくるのおもちゃがいっぱい! くもにのってたのしくあそんだりじごくいきのでんしゃにのったりきらきらのにじいろのひかりがぴかぴかしたりたのしいなあ
たのしいね?
たのしいよね?
あ
「う、」
薬の夢から急激に醒めて、吐き気と恐ろしいほどの苦しい感情に襲われる。ふらつく足をなんとか動かして、トイレの便器にまでたどり着いた。
ああ、とけて、とけて、とけていくの。わたしがなくなって、ぜんぶなくなって、きえさって、どろどろの肉塊になるまでとけて、わたしという存在がただの生ごみになるまで。
きれいな絶望が見たくなって。すっからかんの心にむりやりに吐瀉物をつめこんで、きたない色の隙間から見えるあざやかな景色をただ見つめては埋めるようにまた吐き出して。
「は、っ、うぇ、」
わたし、ほんとうに穢れてる。どうして生きてるんだろ。がんがんと中身を直接殴られてるみたいな痛みが頭に響く。すべての音が歪んで、世界がぐちゃぐちゃになってるみたいな感覚に襲われる。
かちゃり、と、ポケットの中で金属がぶつかるような音がして我に返る。
あ、そうだ、私にはこれがあるんだった。ちき、ちきとその刃を出しては何度も何度もこの腕を赤く染めた。液体が溢れ出るたびにティッシュで拭き取って、その白がだんだんと濁った赤になっていくのを見つめる。
……私、何やってるんだろ。馬鹿みたいだな。
なにもかも、なくなってくれればいいのに。それとも、私がいなくなればいいのかな?
このあいだSNSで見かけたニュースを思い出す。あんなに目立たなくていいから、だから、誰にも知られないままに、みんなの記憶から私だけが消え去ってなくなって、苦しみもなく死んでしまえればなあなんて。
そんなの、無理か。
朝方なら薄暗い個室に差し込むはずの淡い光、でも昼間の日光は無駄に明るくて、目がちかちかする。ああ、まぶしい、まぶしいよ、まぶしすぎて、目が開けられないの。見ないまま、苦しみから逃げて生きていたいよ。
ぎいぃ、と古びた扉の開く音がした。人が入ってきたみたいだ。あれ、授業中だったはずじゃ……と腕時計を見てみると、いつの間に一時間近く経っていた。もう昼休みが始まっているじゃないか。
一瞬のように感じていたけれど、もうそんなに経っていたのか。なんとか立ち上がって、人が出ていくのを待つ。まだ頭がくらくらとして、脳が揺れているような感覚がする。
大丈夫、もう、私はただの女子高生をやれる。こんな行き場のない希死念慮を覆うことだってできる。誰にも心配もされず、ただ、空虚に隠し通すことができるから。
扉を開けたら広がるいつもの学校の風景が、ただ心にゆっくりと絶望の毒を染み込ませていくだけだった。
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