第55話 燃えさかるエルフの村

 燃えさかるエルフの村。

 死んだ我が子を抱きしめる親。その逆に親の骸の前で号泣する子供。

 瓦礫の下敷きになって絶叫する声が聞こえる。

 腹からこぼれ落ちた内臓を必死にかき集める者がいる。


 圧倒的な暴力が村を支配していた。

 そのくせ即死させるのを避けている。死者の数を意図的に抑えているような、まるでジワジワと苦痛を与えるのが目的のような、そんな胸くそ悪い光景だった。


「ははは……わはははは! 何度やってもエルフの村を燃やすのは最高ですな! いかがですか、ヴェノモルド様! ほら、あそこにいる、首が取れた赤ん坊の前で呆然とする母親の絶望など、格別でしょう!?」


 そう叫ぶのは、黒いローブを来た中年の男だった。

 いかにも神経質そうな顔立ちをしていて、不健康なまでに細身。しかし魔力の気配だけは凄まじく強い。


「なかなか素晴らしい。あらゆる方角で、憤怒と憎悪、悲壮が広がっている。食べ放題ではないか。今回もよい場所を見つけたな。褒めて使わす」


 ローブの男に答えたのは炎の狼だった。

 肉も骨もない、炎だけで構成された、馬のように巨大な狼が男のそばにいて、人語を発していた。


「くく……エルフは人間よりも寿命が長いせいかな。絶望が格別に美味い! この味を知ってしまったら、なかなか人間では満足できんぞ!」


 絶望を食う。つまりこいつは魔族だ。

 この魔族は人間を配下にし、魔力を分け与える対価に、エサ場を用意させているのだろう。こういう魔族は前世で何度も見た。ああ、胸くそ悪い。


「――っ」


 矢が二本、煌めいた。魔力が込められた矢だ。

 一本は防御結界を貫いて男の頭部に突き刺さる。もう一本はヴェノモルドとかいう魔族の炎に焼き尽くされて消滅した。


「……ふむ。こいつは色々と便利だったのだが、死んでしまったか。代わりを探さなくてはな。それにしても即死とは。苦しんで死ねば、我のエサになれたものを」


 矢を放ったのはマフレナの父親だった。彼は立て続けに矢を射るが、全て溶かされてしまう。


「愚かな。効かぬとまだ分からんのか?」


 いや。マフレナの父の攻撃は陽動だ。彼が気を引いているうちに、マフレナの母が魔力を練り上げていた。

 氷の質感を持った双角錐が顕現する。強烈な冷気を放ち、村の火災を消していく。そしてヴェノモルドを構成する炎さえ押しつぶそうと冷気を集中させた。

 しかし通用しない。


「この程度の召喚獣で我を倒そうなどと……笑止」


 ヴェノモルドの全身から熱波が放たれ、召喚獣の冷気を掻き消す。のみならず、双角錐をも炎で包んだ。召喚獣グラツィアの全身はヒビ割れ、砕け、そして消えてしまう。

 召喚獣の冷気がなくなると、再びヴェノモルドの食事が始まった。

 生きたまま焼かれるエルフたちの断末魔。

 マフレナの両親も例外ではない。


「お父さん! お母さん!」


 奥からマフレナが走ってきた。


「馬鹿! 隠れていろと言っただろ! お前だけは生きるんだ!」


「逃げなさいマフレナ! ここは私たちがなんとかするから!」


 両親は防御結界の力を全て、娘に注いだ。おかげでマフレナはこの炎の中でも、髪さえ焦がさずに済んでいる。

 しかし無防備になった父と母は、もう。


「いいぞ、いいぞ! 自分の親が二人まとめて生きたまま火葬されるのを見てしまったエルフの少女! 我はそういう絶望を味わいたくて生きているのだ! おお、次は怒りか! もっと怒りを燃やせ! 我にぶつけろ! 全て養分にしてやろう!」


 悲しみも恐怖も怒りも憎しみも。全て魔族を喜ばせるだけ。ここにマフレナがいるだけで魔族は強くなってしまう。そう悟ったのかマフレナは一目散に逃げ出した――。

 違う。

 逃げたのではない。

 向かったのだ。氷の精霊グラツィアの祠に。


「私と契約してください!」


 マフレナはさっきまでと桁違いの魔力を放っていた。

 契約に足るとグラツィアが認めるほどの。

 ヴェノモルドが祠に辿り着く。マフレナはグラツィアを召喚獣として顕現させ、冷気で攻撃。母親が召喚したときよりも強力な冷気だった。

 それでもヴェノモルドには届かない。


「怒りによって覚醒したか! これだからエルフや人間は厄介だ。しかし、それをねじ伏せるのも格別。想いによる覚醒という、まるで物語のようなご都合主義。これでなんとかなるという希望が湧き上がり、だからこそ、それでも駄目だったときの絶望は素晴らしい! 我の大好物よ!」


 ヴェノモルドは酔っ払ったような口調で歓喜している。

 しかし俺は、このあとどうなるかを知っている。この村でマフレナだけは生き残ったのだ。


「なんだ……召喚獣の力が増していく……これではお前自身も凍り付くぞ! まさか制御できていないのか!? 馬鹿め! 無理心中でも狙っているのか……そのような勇気、我の好みの味ではない!」


「無理心中? 誰がお前なんかと……お前だけ死ね! 絶望を食いたいなら自分の絶望を味わってろっ!」


 召喚獣の利点。それは一度召喚してしまえば、魔法師は別の魔法に専念できること。

 そしてマフレナには攻撃魔法の才能があり、怒りによる覚醒で、魔力も十分に備わった。

 氷の槍を形成。その数、十……二十、三十。まだ増える。


「馬鹿な! 子供の分際でそれほどの魔力を……いかん!」


 今度はヴェノモルドが逃げ出す番だった。

 マフレナには魔族の絶望を食うような趣味はない。わざと逃がすような真似はせず、その背に数十本の魔法を叩きつけた。

 炎は氷を溶かす。だが溶かしているうちに熱を失い、失ったところに更に氷が落ちてくる。

 ヴェノモルドは炎そのものの魔族だ。その体を構成していた炎は、欠片も残さず消えた。


「勝った……私、魔族に勝ったんだ……」


 マフレナは座り込む。それから泣き続ける。

 たった一人、生き残った。両親も親戚も友達も誰もいない。

 これから一人で生きていかねばならないのだ。

 みんなと一緒に死んだほうがよかったのかもしれない。

 けれど両親が最後に言い残したのは「生きろ」「逃げろ」だった。ここで死ぬわけにいかないのだ。

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