第53話 精霊の祠

「にしても、随分と北まで飛んだね」


「ええ。すでにヴォルニカ王国の外です。しかし、この辺りには人間の町がないので、ドラゴンが降りてきたと騒ぎになる心配がないので大丈夫ですよ」


「こう寒くっちゃ、開拓しようって気が起きないのかな?」


 眼下は雪で覆われて真っ白だ。

 当然、気温はとてつもなく低い。なので俺とマフレナは自分の体を温風の膜で包んで寒さに対抗している。


「ヴェルミリオンは寒くないの?」


「我にはこのモフモフの羽毛がある。体が大きいから、冷気が体の芯に届くのに時間がかかるしな。あまり長時間はいたくないが、一日くらいは平気だぞ」


「そりゃ大したもんだ」


「ヴェルミリオン様。あの森の手前に降りてください。あとは私が精霊グラツィアの気配を追ってレイナード様を案内します」


「うむ。あれほど密度のある森で我が歩き回ると、木を何本もへし折ることになる。それは心苦しいので、森の外で待っておるぞ」


 ヴェルミリオンは針葉樹の森の外に俺たちを降ろした。

 そして前脚で雪をかき集め、なにやらニギニギと固めている。どうするのかと観察していたら、転がして雪玉を作り出した。実に器用である。


「さあ、こちらですよ、レイナード様」


 マフレナは俺に呼びかけ、ゆっくりと森の奥に歩き始めた。

 どこまで進んでも、似たような木。似たような雪景色。方向感覚がおかしくなりそうだけど、マフレナは迷いなく歩く。

 精霊の気配を追う、と言っていたな。つまり彼女が真っ直ぐ進む先に、それがいるのだ。俺も探ってみよう。気配……気配……。


「この気配か。さっき湖でマフレナが召喚した奴にそっくりな気配に俺たちは近づいている」


「素晴らしいです、レイナード様。ほら、あの洞窟の中に精霊グラツィアの祠があります」


 マフレナが指さす先。

 針葉樹の森の中に、洞窟の入口が現れた。

 気配はその奥から流れてくる。


「私はこの辺で待っています。レイナード様が一人で洞窟に潜ってください。精霊との契約は、大勢で押しかけるものではありませんので」


「そうなの? 分かった。行ってくる」


 マフレナはグラツィアの祠に久しぶりに行きたいと言っていた。なのに中には入らないのか。もしかしたら祠そのものではなく、その周りに用があったのかもしれない。

 きっとあとで教えてくれるだろう。

 俺は魔法の明かりを出して、地下へ伸びる洞窟を歩く。


 進むにつれて、気配と、そして冷気が濃くなっていく。温風の膜の上からでも肌に突き刺さるかのようだ。


 やがて洞窟の行き止まりに辿り着いた。そこには岩から削り出して作ったような、四角いオブジェがあった。沢山の花が供えられている。けれど何年も、何十年も、あるいはもっと昔のものだろう。すっかりドライフラワーになっていた。


 精霊グラツィアの祠、というくらいだから、誰かが祭っていたのだろう。しかし近くに誰かが住んでいる気配はない。

 精霊に祈りを捧げるためだけに、こんな深い雪の中に入ってくる者がいたのだろうか。ちょっと考えにくい。

 俺のように精霊と契約するために来た誰かが花を供えたのだろうか。だが力を求め、その対価として花を置いたという感じではない。あくまで俺の印象にすぎないけど、もっと敬意とか、愛情とかを感じる。

 祠の主を尊敬している。しかし恐れてはいない。隣人として敬うような……王都の人々が真竜ヴェルミリオンを想うような距離感がこの祠にはある。


「もともと、この洞窟の近くに人が住んでいて、なにかの理由でいなくなったのか……?」


「その通りです。人の子よ」


 俺は独り言のつもりで呟いた。それに返事があったので驚いたが、相手が誰なのかはすぐに思い至った。


「精霊グラツィア?」


「はい。ここに彼女以外が来るのはとても久しぶりですね」


「彼女って、マフレナのことかな?」


「……マフレナ・クベルカを知っているのですか? 確かに、あなたからはマフレナの残り香を感じます」


「マフレナにここまで案内してもらったんだよ。あなたと契約するために」


「そうですか。マフレナがこの場所を人間に教えるなんて。あの子でさえここに来なくなってから百年以上……二百年? 三百年? その間に、きっと色々あったのでしょうね」


「さすがは精霊。時間の感覚が大雑把だね。そんなに長い間、ずっと一人で寂しくないの?」


「いいえ。時間感覚だけでなく、精神構造も人とは異なります。ですが村で唯一生き残ったマフレナが今も生きているのか……それだけが悩みの種でした」


「村で唯一生き残った……?」


「ええ。その様子ではマフレナからなにも聞かされていないのですね。分かりました。あのとき、なにが起きたのか、お見せしましょう。その代わり、私もあなたの心を覗き、契約するに相応しいか見定めます」


「いいだろう。俺の中身を見せてやるから、マフレナになにがあったか教えてくれ」


 俺が同意すると同時に、視界が溶け始めた。

 そして洞窟の奥にいたはずなのに、いつの間にか外に立っていた。

 洞窟のすぐ近くというのは分かる。

 しかし時代が違うのだろう。

 なにせ洞窟の周りには、村が広がっていた。さっきまで痕跡さえなかったのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る