第45話 スライム復活

 食品の廃棄はできるだけ出さないようにしている。

 頻繁な買い物は時間の無駄だし、食べ物を捨てるのはもったいない。

 それでも調理の過程で、どうしても生ゴミが出てしまうので、家の裏に穴を掘って捨てていた。


「これら生ゴミ、なんとかしたいですね」


 と、スコップで穴を埋めたマフレナが呟く。


「肥料にして野菜でも育てる?」


「いえ、穴を掘って捨てるという工程が純粋に面倒くさいです」


「……俺らは魔法で穴を掘れるから、普通よりは楽してるんだよ」


「他人とかどうでもいいんです。私が面倒と感じたら面倒なのです!」


 迫真の顔で叫びやがった。

 メイドのくせに本当に家事を面倒くさがるなぁ。


「そこでレイナード様。一つアイデアを思いついたので、試す許可をください。実は――」


 どうせ碌でもない思いつきだろうと思って聞き流すつもりだった。

 けれど、なかなか面白いことをしようとしているので、俺は耳を傾ける。


「そんなの本当に可能なの?」


「おそらくは。失敗して暴走しても、私とレイナード様なら簡単に止められます。対岸にはヴェルミリオンもいますし」


 確かに失敗してもリスクはないに等しい。

 なら試すべきだ。


「それにしても……成功したとして、穴を掘るより面倒だと思うんだけど?」


「いいんですよ。難しい魔法に挑戦するのは楽しいので!」


 俺は彼女がただのスケベエルフではなく、大勢の尊敬を集める大魔法師なのを久しぶりに思い出した。

 マフレナは玄関に目的のものを取りに行く。

 握り拳大の丸い物体である。

 それは氷漬けになったスライム。かつて湖の魔物と恐れられた存在のなれの果てだった。

 まあ、氷漬けの魔法をかけたのは俺なんだけど。


 ちなみにこいつ、体はスライムだが、魂はピアラジュという名の魔族だ。

 ピアラジュは実体のないエネルギー体で、攻撃するときだけ姿を見せるという性質だった。

 俺は前世でピアラジュを倒したつもりだったけど、実はスライムに取り憑いて生き延びていた。

 一時的に取り憑くだけのつもりだったのに、そのまま同化して離れられなくなったらしい。


 マフレナはピアラジュをテーブルに置き、両手をそえた。目を閉じて集中し、魔力を流し込む。

 俺では一割も理解できないような、複雑な術式が含まれた魔力だ。


「成功、のはずです。レイナード様、氷を溶かしてください」


 ピアラジュを包む氷は、俺の魔法で作ったものだ。

 常温で放置しているから氷は徐々に溶けるけど、溶けたそばから『水が氷に戻る』という回復魔法をかけてある。完全な永続ではないので週に一度くらいかけなおす必要があるが、それさえ守ればピアラジュを恒久的に封印できる。

 が、俺は回復魔法を解除し、炎で氷を溶かし、ピアラジュを解放した。


「……お、おお! 動けるぞ! 自ら吾輩を解き放つとは愚かな! 氷漬けにされている間も、ずっと意識はあったのだぞ! その屈辱、ここで晴らしてくれるぞ!」


 ピアラジュはスライムの体をプニプニと動かし、俺に体当たりするためテーブルの上で助走した。しかし――。


「マフレナ・クベルカの名において、ピアラジュに命ずる。レイナード様に危害を加えるな」


 マフレナがそう口にした途端、ピアラジュは釘で打ち付けられたように動きを止めた。


「か、体が勝手に……吾輩になにをした!」


「奴隷の首輪と同種の魔法をあなたにかけました。あなたは私とレイナード様の命令に逆らえません」


「ふ、ふざけるなぁ! 吾輩を奴隷にするなど……この程度の術式、力尽くで振り払ってくれるわっ!」


 ピアラジュはマフレナに向かってプニプニと駆けていく。


「レイナードの名において、ピアラジュに命ずる。マフレナに攻撃するな」


「ぬあああっ! 動けぬぅぅぅ!」


 哀れだ。これなら氷漬けのほうがマシだったかもしれない。


「ピアラジュさん。それでは……生ゴミを食べてもらいましょうか」


「は、はぁぁぁっ!? エルフ、貴様、吾輩を残飯処理に使うというのかぁっ!」


「台所はあっちですよ。さあ、行け」


 マフレナが命令口調で言うと、ピアラジュは文句を垂れ流しながらプニプニと動き出した。そしてゴミ箱の中にプニンと飛び込む。

 スライムは雑食だ。全身から食べ物を取り込み、体内で消化して養分にする。


 俺はスライムが動物の死骸を丸ごと取り込むところを何度も見たことがある。

 ピアラジュは長い間、野生のスライムとして生きてきた。だから肉や野菜の切れ端だって、ピアラジュには立派な栄養源のはずだ。


「美味い……悔しいが美味い! 腐りかけの動物なんかよりずっと美味ぃぃぃ!」


 ピアラジュはアッと言う間にゴミ箱を空っぽにした。

 そして栄養を摂取したせいか、大きくなった。

 さっきまで握り拳大だったのに、大玉のスイカくらいまで成長している。艶も増したような気がするぞ。


「くははは! 力が増してくる! 今なら術式を振り払える気がする! レイナードとマフレナよ! 二人まとめて倒してくれる!」


 と調子に乗って、次の瞬間にはまた動けなくされるピアラジュであった。


「仕事をしたご褒美に、家の近所で自由に遊んでいいことにしようと思っていたんですけど。お仕置きです。お風呂掃除をしなさい!」


「吾輩をスポンジにするつもりかぁぁぁ!」


 スライムは吸水性抜群の生き物だ。風呂場の壁や床の水気を、瞬く間に吸い取った。のみならず、水垢やヌメリなども食べて消化してしまう。


「わあ、ピッカピカです! 凄いですよピアラジュさん。私じゃ絶対こんなに綺麗にできません!」


 マフレナは両手を合わせ、心の底から感激したという声を出した。

 次の瞬間、ピアラジュは少し赤くなった。


「ふ、ふん、吾輩にかかればこの程度、簡単だ。それにしても……魔族たる吾輩が、風呂掃除で褒められて喜ぶと思うのか?」


「だって本当に綺麗なので。新品以上です! ありがとうございます、ピアラジュさん」


 マフレナの言葉を受けて、ピアラジュはますます赤くなった。

 本気で照れているのか……?

 他者に恐怖と苦痛を与えるのを至上の喜びとする魔族が、感謝されて照れるなんて。

 いや、あり得る話だ。


 魔族は普通の食物のほかに、負の感情を食べて生きている……そう思われているが、実は違う。強い感情ならなんでも栄養にするらしい。

 ただの動物よりも、人間やエルフといった人類のほうが感情豊かだ。人類に強い感情を抱かせるのにもっとも手っ取り早いのが、力による恐怖や苦痛。だから魔族はいつも人類を襲って、負の感情を食べているのだ。


 しかし人類が強く心を動かすのは、なにも悪いことが起きたときだけではない。感謝や尊敬だって強い感情の一つだ。魔族からすれば、それを得るのが難しいから無視しているだけ。


「な、なんなのだ、この感情の味は……一点の曇りもない感謝……これほど美味とは! 吾輩、こんなの知らなかった! 一度味わってしまったら……もう忘れられぬ! ほかに掃除するところはないのか!? 吾輩がやってやろう!」


「うふふ。それなら二階の窓ガラスもお願いしちゃいます」


「任された!」


 ピアラジュはプニプニと元気よく階段を上り、ガラスに張り付いて表面の汚れを吸い取っていく。

 それから器用に窓を開けて外に出て、今度は外側のガラスも綺麗にした。


「外側までやっちゃうなんて凄いです! 外を拭くのって面倒だから、なかなか手を付けなかったんですよ。ピアラジュさん、偉い!」


 マフレナはピアラジュを持ち上げ、両腕で抱きしめた。


「なんという穢れなき感謝……吾輩、昇天しそう……吾輩、マフレナとずっと一緒にいる……」


 チョロすぎやしないか?

 けど褒めておけば掃除してくれるのだから、俺も褒めておくか。


「ピアラジュ。俺からも礼を言う。ありがとう」


「……レイナードのはなんか打算を感じる。お前の感謝は安くさい味だ。いらん」


 やんのかテメェ。

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