第36話 sideカミラ 邪竜復活

 カミラ・バークスはつい先日までカミラ・ウォンバードだった。

 離婚したので旧姓に戻したのだ。

 ウォンバード家に嫁いだときは、ついに憧れていた貴族の仲間入りだと感激したものだ。夫が仕事で留守が多いというのもよかった。まるで当主のように振る舞えた。

 しかし喜びは長続きしない。

 なにせ領地を持たない男爵だ。貴族の中では最底辺。社交界に出ても、似たような階級の者しかいない。伯爵や公爵といった上級貴族との接点は作れなかった。


 夫がメイドとのあいだに子供を作ったのは別にいい。カミラの子供が後継者になるなら、落とし子くらい許そう。もちろん浮気相手のメイドは追放するが、命だけは勘弁してやってもいい。

 カミラはこんなにも慈悲深いのに、周りの人間はそれを裏切り続けた。


 まず妾の子。命を助けてやったというのに、いつも生意気な目を向けてくる。魔法の知識から遠ざけたはずなのに、いつの間にか魔法を使えるようになっているし。妾の子が魔法の天才だなんて、なにかの間違いに違いないのだ。

 なんとか事故に見せかけて殺そうと、腐ったものを食べさせたり、アンディの魔法の標的にさせたのに、まるで死ぬ気配がない。腹立たしい。


 そしてアンディも期待外れだった。あんなに愛情を注いでやったのに、武闘大会で妾の子に負けるし、アリア王女に取り入るのも失敗した。なぜ自分からアンディのような不出来な子が生まれたのか。きっとウォンバード家の血のせいだ。そうに違いない。


 ブライアンにも腹が立つ。従順なことだけが取柄の男のくせに、いきなりカミラに逆らってきた。国王に褒められ給金を増やされたらしいが、図に乗りすぎだ。領地を得たわけでもないのに。あんな男は最初からカミラに相応しくなかったのだ。


 自分がその気になれば、すぐに新しい男が見つかる。

 お父様に頼めば、すぐ連れてきてくれる。

 そう信じていたのに――。


「馬鹿を言え。お前が十代後半の適齢期だったときでさえ、借金に付け込んで、ようやく男爵家に嫁がせたのだぞ。三十を過ぎたお前が、男爵より格上の貴族と結婚したい? 我が娘ながら聞いて呆れる。お前が武闘大会でやったこと、大勢が知っているのだぞ。もはや結婚どころか、見合いさえできないだろう。実の娘だから、食うに困らぬ程度には面倒を見てやる。その代わり大人しくしていろ」


 昔はあんなに可愛がってくれた父親が、信じがたいほど冷たい表情を向けてきた。

 意味が分からない。

 三十を過ぎたからなんだというのだ。女はそのくらいのほうが色気が出てくる。分かる人には分かるはずだ。

 武闘大会で国王に叱責されたのは確かだが、あれは国王の虫の居所が悪かったからだ。平民をいびるなんて貴族ならやって当然のことで、それで叱られるなど理不尽だと貴族なら理解してくれる。


(お父様は貴族になったことがないから分からないんだわ)


 父親が頼りにならないと知ったカミラは、自ら手紙を書きまくった。狙うは伯爵以上。思いつく限りの家に、片っ端から送りまくる。

 一通だけ返事が来た。


 ――カミラ・バークス殿。返事を待たずに複数の殿方へ婚姻を申し込むというあなたの破廉恥な行い、宮廷はその話題で持ちきりです。あなたの前夫であるブライアン・ウォンバードは私の友人です。これ以上、彼の名誉を傷つけるような真似をしないでいただきたい。

 十年前ならともかく、今のあなたは自分で思っているほど美しくも若くもありません。それは加齢によるものというより、内面の醜さが皮膚の外まで滲み出た結果のように思えます。

 あなたの父上は平民でありながら、たった一代で貴族とも取引する大商人になりました。これは尊敬に値します。しかしあなた自身はなにもしていません。そして率直に申し上げれば、あなたの父上は平民にしては金持ちというだけで、貴族の水準からすれば平均以下です。あなたが破廉恥な真似を繰り返せば、父上のお仕事にも支障が出るでしょう。

 あなたと違って、父上は努力家です。その努力を水の泡とせぬよう、自制心ある行動ををおすすめします――。


「なによ、これ!」


 カミラは手紙を滅茶苦茶に破って部屋に撒き散らした。

 理不尽だ。なにも悪いことをしていないのに、どうして見ず知らずの相手から手紙でこんなに罵倒されるのだろう。


 王宮で誰かがカミラの悪い噂を流している。

 国王とブライアンとレイナードの三人に違いない。

 カミラがこんな状況になったのは、あの三人のせいだ。

 特に国王とレイナード……思えば武闘大会のときから結託してカミラを陥れようとしていた。そうでなければレイナードが伯爵になれるわけがない。

 カミラの敵は国家だったのだ。

 滅ぼさねば。この国を滅ぼさない限りカミラは幸せになれない。


「そうだわ……邪竜よ……邪竜を復活させて、もう一度王都を襲ってもらうのよ……」


 先日、王都に現れた邪竜はレイナードたちによって撃退され、どこかに逃げていった。

 つまり、あの邪竜はカミラを救いに来たのかもしれない。そうに違いない。

 邪竜と戦った真竜も巫女も王女もエルフも、みんな敵だ。

 邪竜さえ復活させればカミラは幸せになれる。


「みんなが私の力を恐れて私を消そうとしてるの……けれど邪竜だけは私の味方……邪竜の姿だけど本当は違う……私が呪いを解いてもとの姿に戻してあげなきゃ……!」


 カミラは結婚する前、わずかだが魔法の勉強を真剣にやっていた時期がある。

 魔法師として出世して貴族と縁を作ろうと考えていたのだ。それよりも父親を利用したほうが近道だと気づいてからは魔法を捨てた。


 カミラは当時の師匠の家を訪ねた。

 彼は子爵であり、そしてかつては宮廷魔法師の一人だった。才能は確実にあった。だが公費を私的な研究に流用しているとバレて失脚した。

 当時カミラはまだ十代半ばだったが、自分の体で男を虜にするすべを知っていて、師匠と肉体関係を持った。いずれは結婚して子爵家に入ろうと思っていた。しかし師匠は失脚した。いくら貴族でも落ち目の家に嫁ぐ気はない。早々に師匠のところから去り、魔法を習うのもやめ、数年後にウォンバード男爵家に嫁いだ。


 師匠の家に来るのは久しぶりだ。当時と同じく広い庭に大きな屋敷。けれど荒れ果てている。もう使用人を雇う余裕もないのだろう。


「カミラ? カミラじゃないか! どうしたのだ急に……いや、よく来てくれた。とにかく中に入ってくれ」


 師匠はカミラの父親よりは年下のはずだが、ずっと老けて見える。

 しかし相手がどんな老人だろうと、今のカミラは目的達成のために体を差し出せる。

 さほど言葉を労さずとも、師匠はカミラを抱いた。

 この十数年の孤独を埋めるように体をむさぼってきた。

 行為のあとベッドに横になったままカミラは訪ねる。


「師匠。まだ魔法の研究は続けていますね?」


「当たり前だ。ワシは……ワシの研究に予算を出さなかったこの愚かな国に復讐したくて生きているのだ。いずれこの国は炎に包まれ、ワシの恐ろしさを知ることになるだろう」


 やはり、とカミラは笑った。

 師匠の性格なら、執念深く復讐を諦めないと思っていた。


「それにしてもカミラよ。お前がワシのところから去ったとき、本当に悲しかったぞ。お前も焼き払う対象だったのだ」


「ごめんなさい。私、ずっと師匠を想い続けていました。あのときの私は親の決定には逆らえなくて……好きでもない相手と結婚してしまいました。けれどずっと師匠を想っていましたわ。やっと離婚して、師匠のところに戻る決心ができました。一緒にこの国に復讐しましょう」


「おお、そうだったのか……カミラ……ワシもずっとお前を愛していた……」


 これだから馬鹿な男を利用するのはやめられないのだ。

 カミラは顔が緩むのを止められなかったが問題ない。師匠には愛の微笑みに映っているだろうから。


「王都に現れた邪竜が、前脚を失って逃げたのはご存じですね?」


「無論だ。あの邪竜をこの国に召喚したのはワシなのだから。今どこにいるのかも知っている。このコンパスが指し示す方角に邪竜がいる。何日もジッと動かないので、傷を癒やしているのだろう」


 素晴らしい。期待以上だ。


「私たちで回復させてやればよろしいのでは?」


「人間でも失った手足を再生させるのは容易ではない。ましてドラゴンのような巨体の前脚となれば、並の回復魔法やポーションでは意味がない」


「方法はないのですか?」


「いや、ある。邪竜のために調整した特別なポーションを飲ませればいいのだ」


 師匠は作り方を教えてくれた。

 材料もたった一つを除いて揃っている。


「あとは、それなりの魔力を持った魔法師の心臓が必要だ。誰かを襲って手に入れるつもりだったが……カミラが来てくれたのは天命だ。さあ、ワシのために心臓を捧げてくれ」


 カミラは師匠を後ろから襲って殺害。心臓を抜き取ってドス黒いポーションを完成させた。

 そしてコンパスを頼りに、王都の外に出る。

 こんなに長い距離を歩くのは初めてだ。まして舗装されていない草原や森を進むなんて想像もしていなかった。

 くじけずに進めたのは執念ゆえだ。

やがて、森の奥深くで体を休ませている邪竜のところに辿り着いた。

 誰もが恐れる黒い姿が、カミラの目には救世主に映った。


「さあ、ポーションを持ってきたわ! これを飲んでこの国を滅ぼして! そうしたらあなたの呪いは溶けるんでしょう? あなたはきっとどこかの王子様で、私の運命の相手で、私を妬んだ悪い奴に呪いをかけられてその姿に――」


 カミラは最後まで妄言を言えなかった。

 邪竜が口を開いて、上半身と下半身を噛み千切ってしまったからだ。

 しかしポーションの瓶も邪竜の体内に入っていき、見事、前脚を再生させた。

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