第35話 兄弟喧嘩
湖畔の屋敷に帰るため、俺は森を歩いている。
実は王都からずっと尾行されていた。
相手は隠すつもりがない敵意を、俺の背中に浴びせてくる。
いつ仕掛けてくるのだろうと身構えているのに、こうして人気のない森に入っても、なかなか動いてくれない。
「アンディ。いい加減、出てこいよ。ここまで来た癖に、ビビって帰るつもりじゃないだろうな?」
振り返って呼びかけると、森の奥からアンディが姿を見せた。
怯えた目をしている。本当にビビって帰ってしまいそうだ。しかし逃げずに俺の前に現れた。
アンディは俺を恐れている。その恐怖を乗り越えるだけの覚悟が感じられた。
今までのように、考えなしに俺を魔法の標的にするのとは違う。
まるで命がけの戦いに赴く戦士のような表情をしている。
正直、見直した。
「いくぞ……!」
アンディはそう短く呟いて、雷撃を放ってきた。
俺は防御結界を張る。もちろん易々と防げたけど……前よりずっと強くなってる。かなり真面目に特訓していたみたいだな。
「くそっ、涼しい顔で……これならどうだ!」
攻撃魔法が雪崩のように押しかけてくる。
本当に強い。
今の実力なら、前に森で遭遇した熊の魔物くらい倒せるだろう。
「ここまでやっても、身じろぎもしないのか……ああ、分かっていたよ。兄様が強いなんて、本当は何年も前から分かっていたんだ!」
火球が大爆発を起こし、衝撃波で周りの木をへし折った。けれど俺には、わずかな熱波さえ届かない。
「僕の攻撃魔法を喰らって、演技の悲鳴を上げていただろ。怖がる振りをしていただろ。僕をくだらない奴と見下していただろ! 分かるんだよ、そういうの。最初は、人に攻撃魔法を撃つなんて怖かった。いくらお母様の命令でも嫌だった……だけど兄様には全然効いてないって気づいたら、全力で撃てるようになった! いくら当てても、少し目を離せば傷どころか服まで元通りに……ふざけやがって! 馬鹿みたいに強い癖に、弱い振りなんかしやがって! お母様が僕を天才とか言うたび、惨めな気分だったよ。本物の天才は兄様だから……だけどウォンバード男爵家の後継者は僕なんだ。僕は兄様に勝たなきゃいけない!」
「そんなに男爵家を継ぎたいのか? 別にそんな大層なものじゃないだろうに」
「ああ、兄様はそう言うだろうと思ったよ。じゃあ逆に聞くけど、僕が継ぎたくないと言ったら、代わりに兄様が後継者になってくれるのか?」
「それは……断るね」
俺は自由が欲しい。
新しい姓と爵位をもらうならともかく、古くからある男爵家を受け継ぎ、伝統を守っていくなんて、煩わしいことこの上ない。
「ほら見ろ! 僕がやらなきゃいけないじゃないか!」
「……だから、男爵家なんて大層なものじゃないって。一つや二つ滅びたところで誰も気にしないよ」
「とことんまで舐めてるんだな……ウォンバード男爵家は僕が生まれた家だ! 守りたいと思って当然だろう!」
アンディは拳を魔力で覆い、俺の防御結界を殴りつけた。
当然、貫くことはできない。
けれど、その眼光は俺の心に届いた。
生まれた家を守りたい。
考えてみれば当然だ。
なのに俺は一度もそう思ったことがない。
前世の実家は、俺の旅立ちを邪魔する足かせでしかなかった。今世の実家に対しては、そもそも自分の家という感覚が希薄だった。
前世の俺は『世界』とか『平和』とか、そういう巨大なものを守っていた。
しかし普通の人は、もっと身近なものを守っている。俺の身近なところになにもなかった。平和を守る装置として、英雄の役目を粛々とこなしていただけだった。
そんな虚無な人間のくせに、ああ、確かに俺は普通を見下していた。
アンディをつまらない奴と思い、ずっとそういう目で見ていた。
俺は、アンディをこう育てたのはカミラと決めつけていたが、俺も兄としてアンディに影響を与えていたのだ。
「貴族なんてくだらないと思ってるくせに、そんな兄様が伯爵だと……ふざけるなよ!」
「ウォンバード男爵家が滅びてもいいと言ったのは謝る。済まなかった。けれど俺が伯爵になったことは謝らないよ。俺に対する陛下の評価だ」
「ああ、そうだな。兄様は強い。陛下が伯爵に値するって言うならそうなんだろうさ。だったらその強さを最初から僕に見せてくれよ! 弱い妾の子を演じずに、あの大会みたいに僕を蹴散らしてくれたらよかったんだ。そうしたら強い兄様と尊敬できた……ああ、くそ、僕はまたこうやって人のせいにして……兄様やお母様を恨んでもなにも変わらない。僕が自分で変わらなきゃいけないんだ!」
「アンディ。強いな、お前は」
俺はそう呟いて、弟を風魔法で吹っ飛ばした。
大会のときとは違い、アンディは受身をとって立ち上がる。
「そうだ、僕は強いんだ。ウォンバード男爵家の後継者なんだ。兄様にだって勝てるんだ!」
「かかってこい、アンディ。兄貴として遊んでやるよ」
「僕は遊びでやってるんじゃない!」
そこから始まったアンディの猛攻。その全てを俺は防御結界で防ぎ、あるいは回避し、たまに反撃する。
やがてアンディは魔力切れを起こし、肩で息をしながら膝をついた。
「くそ、強すぎる……まだ全然本気を出していないな!」
「本気を出したらアンディを殺してしまう。俺はお前を嫌いだけど、さすがに殺すほどじゃない。それに今日、話を聞いて、そんなに嫌いじゃなくなった」
「僕は、兄様が嫌いだ!」
「そうか」
「だけど……その強さは尊敬してる。大会で吹っ飛ばされたとき凄いと思ったし、森で魔物を斬り裂く姿は格好良かった。その遙か前から、僕の攻撃魔法で負った傷をすぐに治しているのを見たときから、凄い奴だって本当は分かっていたんだ。ああ、そうだ、謝らなきゃいけないんだ。兄様、攻撃魔法の的にしてごめん」
「許す」
「随分と簡単に許してくれるんだな。強いから余裕があるのか? 本当に兄様は凄いな……兄様みたいになりたいよ。でも凄いって認めるわけにいかなかった。僕が後継者だから、僕のほうが強くなきゃいけなかったんだ。兄様は妾の子だから弱いはずだって自分に言い聞かせてきた……」
「別に弱いほうが家を継いでもいいだろ」
「それは譲られたみたいで、嫌だ」
「……やはりワガママな奴。嫌だろうとなんだろうと、次のウォンバード男爵はお前だ。俺は伯爵と男爵の兼任なんてしないよ、面倒だから」
「腹が立つ言い方……やっぱりこのままじゃ終われない。せめて兄様に一矢報いる!」
アンディは気合いを入れ直して立ち上がった。
素晴らしいガッツだけど、それで急に強くなれるほど世の中、甘くはない。
起き上がっては俺の風魔法で吹っ飛び、また起き上がって吹っ飛ぶというのを繰り返す。
「はあ……はあ……負けるものか……僕はウォンバード男爵家の跡継ぎなんだ……」
アンディは大の字に寝転がり、動かなくなる。
けれど諦めた様子はない。
呼吸を整えたらまた立ち上がるだろう。
心を折らないと、ずっとこの調子が続く。
とはいえ、今のアンディの心を折るなんて、どうやればできるんだろうか。
あ。一つ思いついた。
俺は湖畔の屋敷に走り、着替えて、アンディのところに戻る。
「おい」
「兄様……次こそ一撃を入れてやる……あれ?」
上半身を起こしたアンディは、目を点にした。
なぜなら俺がメイド服を着ていたからだ。
「え、あれ? 君は、俺の家で不定期に働いてるメイド……?」
「服装と髪型が違うからって、自分の兄が分からなくなるのはどうかと思うぞ」
俺は髪を揺っていたゴムと、フリルがついたカチューシャを外す。
「え、兄様? ん? んん?」
「お前、俺を口説こうとしたことあったよな。正直キモかったぞ」
アンディは三秒後、ようやく状況を飲み込んだらしく、絶叫した。
「あああああああああああああああああああっ!」
そのまま泡を吹いて気絶した。
虚しい勝利だ……。
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