第30話 真竜の傷を癒やせ

 ヴェルミリオンが墜落したのは広場だった。潰された建物はない。きっと自分の意思でここに落ちるようコントロールしたのだろう。


 横たわった真竜ヴェルミリオンは、まだ目を開いている。だが瞳に生気がない。命が抜け落ちつつある。

 黒いウロコで覆われていた邪竜と違い、真竜は全身がフカフカの赤い羽毛だった。その羽毛自体が流れ落ちているかのように、ヴェルミリオンの血が地面に広がっていく。


「ヴェルミリオン、しっかりしろ。オレの回復魔法で必ず治してやるから……絶対に死なせないぜ!」


 そう叫んでいるのは、黒髪の少女だった。

 紅白の服を着ている。大陸東方風のデザインである。

 特筆べきは、彼女の黒髪から猫のような耳が伸びていること。それは飾りではなく、本当に頭から生えているのだ。


 この国の建国に携わった二つ名家のうち、ヴォルニカ家が王家となり、もう一つのホシノ家が竜守の一族となって真竜の祭事を担っている。

 そのホシノ家は人間ではなく猫耳族という人種で、ルーツは大陸東方だという。

 猫耳族はその名の通り、耳の形が猫に似ている。また服で隠れて分からないが、お尻から尻尾も生えているらしい。


「真竜の背に乗って防御結界を張っていたのはあの子か」


 ホシノ家の者は、防御や浄化、回復といった攻撃以外の魔法が得意といわれている。

 一度は邪竜のブレスを防いだ辺り、一族の才能をしっかり受け継いでいるのだろう。

 確か当代の巫女は、昨年、先代から巫女を引き継いだばかりで、十五歳くらいだったはず。

 真竜に心配そうに寄り添う黒髪の少女も、丁度そのくらいの歳に見える。


「ホタル! ヴェルミリオン様は無事なのか!?」


 アリアが黒髪の少女に走り寄りながら叫ぶ。

 そうだ。今の巫女はホタル・ホシノという名だった。


「アリア姉! 邪竜のブレスで穴が空いて……オレの回復魔法でも傷が塞がらないんだ……どうしよう、呪いもかけられて……呪いが内側からヴェルミリオンを侵食してる!」


「落ち着け! 巫女のお前が取り乱してどうする! 諦めずに回復魔法を続けろ。呪いをかけられたなら、浄化魔法も同時にやるんだ!」


「やってるぜ! だけど!」


 ホタルは言葉通り、右手で回復、左手で浄化と、異なる魔法を同時にヴェルミリオンへと放っていた。

 俺自身、炎と風を同時に使ったりするから分かる。二つの魔法を一気に使うのは、別々に使うより何倍も集中力がいる。攻撃魔法なら発射する一瞬だけ集中すればいいが、ホタルは何十秒も連続して行っていた。素晴らしい技術である。

 それでもヴェルミリオンの傷は塞がらず、血が止まらない。


 無理もない。

 邪竜の呪いは、マフレナでさえどうにもできなかったのだ。

 いかにホシノ家だろうと、十代半ばの少女一人で対抗するのは無理だ。


「レイナードくん、マフレナ! 頼んでばかりで恐縮だが……頼む!」


 王族なのにちゃんと頭を下げるアリアの性格。やっぱり嫌いじゃないよ。

 俺とマフレナはホタルを挟むようにして並び、一緒に魔法を行使する。


「誰だか知らないけど、アリア姉が連れてきたなら腕は確かなんだろうな。オレからも頼む……一緒にヴェルミリオンを助けるんだ!」


 ホタルの叫びは切実だった。

 千年に渡って真竜ヴェルミリオンと共に歩んできた一族。その末裔として、自分の代でヴェルミリオンを死なせるわけにはいかない。そんな責任感と同時に、別の想いも伝わってくる。

 彼女の瞳は、傷ついた友人に向けるものになっていた

 きっとホタルは単純に、ヴェルミリオンが好きなのだ。


 守護神を守る。契約と伝統を守る。それも大切だけど、友達を守りたいって願いのほうが、ずっと共感できる。叶えてやりたい。

 けれど――。

 俺の回復魔法をもってしても、ヴェルミリオンの出血を止めることができなかった。

 治ってはいる。治っているが、即座に呪いで傷が元に戻るのだ。

 マフレナにかけられた呪いは一瞬で消せたのに。

 やはりこれだけの巨体が相手だと、魔力が追いつかないのか。


「……もうよい、人の子らよ。我は十分に生きた。もはや自分でもその長さが分からぬほどに。この千年は、国が大きくなっていく様子を観察できて楽しかったぞ」


 ヴェルミリオンは弱々しく呟いた。

 まだだ。諦めるな。方法があるはずだ。


 俺の回復魔法はあらゆるものに効果を及ぼす。なのに治せていないのは、単純に出力が足りないからだ。

 つまり魔力不足。

 俺は気合いを入れて魔力を振り絞った。それでヴェルミリオンの傷がわずかに小さくなった。だが完全じゃない。

 これ以上は、俺の魔力が一瞬で枯渇する。枯渇するなら補充すればいい。俺の回復魔法は万能なのだ。減った魔力を回復させるというデタラメだってできる。現に自分に試したことがあるし、ついさっきマフレナの魔力を回復させたばかりだ。

 ただ、ヴェルミリオンに回復魔法を全力で放ちながら、自分自身も回復させられるのかは分からない。

 できねばヴェルミリオンが死ぬ。迷っている暇はない。


「回、復っ!」


 俺の魔力が回復した。それを真竜の体の奥へと送り込み、正常な状態へと回復させる。傷も呪いもない、本来の姿に戻す!


「やった! 傷が塞がってるぜ!」


「さすがです、レイナード様」


「いや……俺一人じゃ追いつかなかった……三人がかりでギリギリってところかな」


 消耗した魔力を魔法で回復させるという反則をしても、かなりきわどかった。

 タンクに水が無限に供給されても、蛇口が小さいと一度に出せる水の量はそれなりだ。俺の魔力はそういう状態だった。

 蛇口を全開まで捻って事なきを得たが……回してはいけないところまで回した気がする。限界を超えた。頭がクラクラする。


「人の子……少年よ……そなたの回復魔法、凄まじいな……我は完全に死ぬところだった。それほど邪竜の呪いは、我の体と魂を蝕んでいた。なのに、いまや呪いは欠片も残っていない。我が出会った中で間違いなく、最強の回復魔法だ」


「おお……ヴェルミリオン様に最強と認められるとは、さすがはレイナードくんだ!」


「やりましたね、レイナード様!」


「オレを遙かに超える回復魔法だと……アリア姉、この子は誰なんだ?」


 みんなの声に混ざって、王都の人々の歓声も聞こえてくる。

 邪竜を追い払い、真竜を治した俺を讃えているらしい。

 それらの声が遠ざかっていく。もう起きていられない。やはり限界を超えていたらしい。かつてないほど脳が疲労している。なら、脳を回復させれば……あ、駄目だ。その余裕がない。

 倒れる――。


「おい、しっかりしろ! ヴェルミリオンを救ってくれた奴が死ぬとか、そんなのヴェルミリオンが悲しむだろ……オレが許さねぇぞ!」


 真っ先に抱きとめてくれたのはマフレナでもアリアでもなく、黒髪の猫耳少女だった。 ホタル・ホシノ、か。

 真竜の巫女なんて今まで関わることがなかったけど、いい子だなぁ。

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