第28話 赤と黒の竜

 俺が住むこのヴォルニカ王国は、建国から千年近い歴史がある。

 建国以前はこの土地に人間は住んでいなかった。

 一匹のドラゴンの縄張りだった。

 そのドラゴンは人語を操り、『ヴェルミリオン』と名乗ったという。


 人々は言葉を話す魔物を魔族と呼んで区別するように、言葉を話すドラゴンを真竜と呼んでいた。

 その真竜の縄張りは広大で、平野が多い。

 真竜が力を振るっているおかげで魔物も魔族も少なく、人間が入植するのに実に適した土地だった。

 だが逆に考えると、その真竜は魔族さえ寄せ付けないほど強いわけで、それを力ずくで排除して縄張りを奪うというのは、誰の目にも下策に思えた。


 しかも真竜は、縄張りに入ってきた人間たちに親しげに語りかけ、土地に滞在して地図を作る許可をくれたという。

 そんな話の分かる真竜を倒すなんて、道義的にもやりたくない。

 そもそも話が分かる相手なら、話をすればいいのである。

 かくして開拓者たちは真竜と交渉し、その縄張りに国を作る許可を得た。


 もちろん真竜ヴェルミリオンも見返りを求めた。

 自分が住む山に、月に一度、酒と食料をお供えすること。自分が国の上空を散歩しても驚き慌てたりせず、そういうものとして受け入れること。

 そのたった二つを飲むだけで手つかずの土地を開拓できるのだ。人間は喜んで真竜と契約した。


 開拓者たちの中で、強いリーダーシップを持っている者が二人いた。

 うち一人が国王になり、現在のヴォルニカ王家へと続いている。

 もう一人は巫女になり、その一族は今でも真竜に関する儀式を担っていた。


 千年経った現在も、真竜はヴォルニカ王国の山奥で生きていて、元気に空中散歩する様子が目撃されている。

 その真紅のドラゴンが恐ろしいものではないと、国民の誰もが知っている。

 なぜなら、真竜ヴェルミリオンとの契約を語り継ぐため、年に一度、国中でヴェルミリオン祭が開かれるからだ。

 子供たちは契約に至った流れを学ぶために劇を見てお菓子をもらい、大人たちはヴェルミリオンが好むという酒を昼間から飲んで真竜への親近感を育む。


 そんなヴェルミリオン祭の時期が、今年も迫ってきた。

 ヴォルニカ王国のどんな小さな村でも開かれる祭りだけど、当然、王都が最も派手にやる。誰しも財布の紐が緩むので、無関係の者が国外から来て商売をしているが、お祭り気分なので誰も細かいことを言わない。


 現在、王都は祭りの準備の真っ最中だ。すでに人の往来が増えていて、俺もどことなくお祭り気分になってしまう。


「楽しそうですね、レイナード様」


「お祭りの雰囲気って好きなんだ。平和の象徴って感じでさ」


「レイナードくんの言うとおりだな。これほど賑やかな祭りは、平和だからこそできるのだ。ヴェルミリオン祭は建国以来、一度も中止されたことがないらしい。そういう国の王女として生まれたこと、私は誇りに思っている」


 前世は、祭りを楽しむ余裕が、時間的にも精神的にもなかった。

 今世は、実家を抜け出して一人でウロウロしたりしたけど、やはり一人だと物足りなかった。

 けれど今年は違う。左右にマフレナとアリアがいる。

 浅ましい話だけど、やはり美女に囲まれるのは気分がいい。


「ところでレイナード様。どうして今日はメイド服じゃないんですか? まるで普通の少年のような恰好をして……」


「うん。メイド服を着ているのが俺の通常形体みたいな言い方、やめよっか?」


「私の中では、レイナード様とメイド服がすっかり結びついているので」


 ヤバい認識をされてしまったな。

 マフレナが「一人だと屋敷中のお掃除が終わりませんよぅ」と泣きついてくるので、メイド服を着て一緒に掃除してやったのがマズかったかもしれない。

 次からは心を鬼にして一人でやらせよう……でも一人で掃除するには広すぎるのも事実だし……あ、そうだ。


「次からは掃除のとき、メイド服を着ないからね」


「ご無体な! それでは私のやる気が十割減ります。決して働きませんよ。レイナード様は働かない奴隷を養うことになるんですよ。大変ですねぇ」


「首輪の力で命令するから大丈夫」


「首輪の強制力はえっちなことに使って欲しいのですが……っ!」


 昼間っから迫真の表情でなにを言ってるんだか。

 マフレナの希望を全て叶えていたら、食って寝てえっちするだけの生活になりそうだ。

 どんな大貴族や王様だって、そこまで自堕落な生活をしてないと思う。

 奴隷がそれを希望しているのだから大した度胸である。


「私としては、レイナードくんが普通の恰好で助かっているぞ。レイナードくんのメイド姿は心臓に悪いからな。心臓だけでなく肺とか脳とか鼻の血管とか、色んなところに悪影響だ。そんなのと並んで歩いたら、鼻血を堪えるのに全神経を使い、祭り気分を楽しむどころではなくなる……それに、レイナードくんとマフレナだけお揃いでズルいではないか」


「あら。だったらアリア様もメイド服を着たらいいじゃないですか。メイド三人でお散歩です」


「そ、それは……とてもいいかもしれない! けれどいきなり町中はやめよう! まずは湖の周りで徐々に慣らして心の準備をしなければ……」


「決勝戦では、あんなに豪快な戦い方を見せてくれのに、妙なところで小心者なんだね」


「私が臆病になるのは、君に関することだけだぞ、レイナードくん」


 アリアは目を細くして睨んできた。


「いやぁ、照れるなぁ」


「褒めてない、と言いたいところだが、実は褒めているので困ったものだ……それにしても……照れているレイナードくんも可愛い!」


「分かります」


 女性二人が俺には分からない理由で分かり合った、そのとき。

 巨大な気配を二つ、頭上から感じた。

 だが見上げても、なにもない。青空の中を白い雲が流れているだけ……いや、気配は雲の奥からだ。何百メートルも離れているのに、毛穴が開くような圧迫感を俺に与えてくる。


「レイナードくん、雲の向こうになにかいる……のか?」


 アリアも空を見上げて、緊張した声を出した。

 隠そうともしない力の気配。彼女がそれを見逃すはずもなく、そして当然、マフレナも同じように視線を雲に向けていた。

 だけど俺とアリアのように、正体不明のものを恐れる表情ではなく、ハッキリと差し迫る恐怖を感じているように見えた。


「レイナード様。二つの気配のうち一つは、私を倒した邪竜です……!」


 マフレナは声を震わせた。

 次の瞬間、周りにいた人々も騒ぎ出した。

 雲を切り裂いて、二匹のドラゴンが姿を見せたからだ。

 黒と赤。

 二つの巨体が唸り声を上げ、空中で何度も体当たりを繰り返す。

 祭りの準備で陽気になっていたみんなの表情が、一瞬で恐怖で塗り替わった。それほど剣呑な光景だった。


「あの赤いのは、真竜ヴェルミリオン様だぞ!」

「ヴェルミリオン様と戦ってる黒いドラゴンはなんだ!?」


 真竜は最強クラスのドラゴンとして知られている。その中でもヴェルミリオンは、魔族さえ寄せ付けず、この周辺一帯を縄張りにしていた生ける伝説だ。

 人間に建国の許可を与えたあとも縄張り意識は残っており、定期的に散歩をしては、気に入らない相手を蹴散らしている。おかげでこの国は、他国と比べて大型モンスターの出現率が低い。

 ヴォルニカ王国の国民にとって、ヴェルミリオンは守護神なのだ。

 その真竜ヴェルミリオンが苦戦している。

 王都の人々は全ての作業をやめ、呆然と空を眺めた。

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