第24話 王女鼻血噴射

 マフレナの叫びを聞いて、俺も合点がいった。


「そうか。この国の王家の紋章か。どおりで見覚えがあると思ったよ」


「いや、レイナード様。なにを呑気な……王家の紋章がついた馬車に自由に乗れるのは、王家の者だけです。つまりアリアさんはお姫様……! ああ、そのペンダントにも紋章が!」


「これか? 父上にもらったのだ」


「アリアさんの、いえアリア様のお父上というのはもしかして……」


「いつ気がついてくれるかと楽しみにしていたが、ようやくバレたか。父の名はアルバイン・ヴォルニカ。私はアリア・ヴォルニカ。これでも王女だ」


 アリアは自慢げな澄まし顔をし、スカートを手で掴んで左右に広げて会釈した。カーテシーと呼ばれるポーズ。彼女のそれは実に優雅で、見よう見まねではなく、しっかりと身についているのだと一目で分かった。


「へえ。俺は王女様と刃を打ち合わせたのか。光栄だなぁ」


「レイナード様! 有力な貴族の紋章は覚えておきなさいと言ったじゃないですか! まして十三年も住んでる国の王家の紋章もうろ覚えなんて……はわわ……どのようにおもてなしすればいいのでしょうか!?」


「気を使わないで欲しい。こうしてレイナードくんの家を教えてもらえただけで嬉しいのだ。またいつでも会えるということだからな」


「私のレイナード様を奪う泥棒猫かと思っていたのに、こうして見ると健気なお姫様……せめて紅茶くらいは飲んでいってください!」


 マフレナはアリアをリビングに通し、ドタバタと大慌てで紅茶を持ってきた。

 アリアはそれを一口飲み、カップをテーブルに戻した。


「あの、お口に合いませんでしたか? 申しわけありません。私、長生きしているくせに魔法と錬金術ばかりで、家事は最近、学び初めたばかりで……」


「いや……紅茶はウォンバード男爵家でたらふく飲んだから。決して君の紅茶が不味いわけじゃない。ちゃんとゆっくり飲むさ」


 アリアはそう言ってくれたけど、正直、マフレナの紅茶はイマイチだと思う。

 前世の俺は、グルメからほど遠かった。最低限、腹を壊さなければそれでいいという人間だった。

 そして転生してからは、カミラに残飯を食わされ、その最低限を下回る食生活を長らく続けた。

 エリスを初めとするメイドたちが見かねて、裏でコッソリとお茶会を開いてくれた。そのせいで少しだけ舌が肥えた。紅茶のいれ方も教わった。


 マフレナがいれた紅茶だって、不味くて飲めないというほどではない。しかし、お湯の温度管理や蒸す時間が雑だ。

 本人にもその自覚があるから、慌てているのだ。


「王家の方に半端な紅茶を出したとあっては、レイナード様のメイドとして失格! そこでここは一つ、紅茶をいれるのが上手なレイナード様に紅茶をいれ直してもらいます!」


「それはもっとメイドとして失格なのではないか? けれどレイナードくんが紅茶をいれてくれるというのは喜ばしい話だ。ぜひお願いしたい」


 お願いされてしまったら仕方がない。

 王宮育ちの王女様相手に、エリス直伝の紅茶がどこまで通用するか、試してみるのも一興だ。


 俺は台所に行く。するとマフレナが追いかけてきて、耳打ちしてきた。


「ごにょごにょ……」


「え、そんなの必要?」


「最高のおもてなしをするには必要です。私はアリア様とはわずかに言葉を交わしただけ。それでも近しい部分を感じました。女同士にしか分からぬこともあるのです。さあ、私を信じて!」


「マフレナがそこまで言うなら……」


 マフレナとは前世からの付き合いだ。ここまで強く主張するときは、決まって正しい意見だった。

 だから彼女を信じ、俺はメイド服に着替えてから、茶器をリビングに運び、アリアの目の前で紅茶をいれることにした。


「手慣れた所作だ。そちらのメイドが自慢するだけはある」


 アリアはメイド服にツッコんでくれない。喜ばないにしても、普通はなにかしら反応があるだろう。不思議に思いつつ、彼女の前に紅茶を置く。


「いい香りだ……この味……ウォンバード男爵家で飲んだのと同じだな。実に美味しい」


「男爵家で働いているエリスというメイドに習ったんだ。同じ味っていうなら、アリアにいれてくれたのはエリスなんだろうね。嬉しいな。俺はエリスの教えを守れているらしい」


 嬉しくて頬が緩んでしまった。

 アリアに美味しいと言ってもらえたのも、エリスの味を再現できたのも、両方とも誇らしい。


「そ、その笑顔は反則だろう……っ」


 突然、アリアは肩を震わせた。当然、その手にあるティーカップも小刻みに震え、中身が溢れそうになる。が、アリアはなんとかこぼさずに飲み干した。

 そして空になったカップに鼻血を噴射!


「ええ!?」


 俺は剣聖と呼ばれるほど戦い抜いた男だ。相手が次にどういう動作をするか、戦いの場でなくても多少は先読みしてしまうのが癖になっている。もちろん常日頃から神経を張り詰めさせているわけじゃないので、戦闘時に比べれば読みの精度は著しく低い。 

 だが、それでも。

 俺にここまで『意外』と思わせる人はなかなかいないぞ。


「か、回復魔法をかけるよ!」


「いえ、駄目です、レイナード様。アリア様には自力で鼻血を止めてもらいます。これからレイナード様と親しくなりたいのであれば、この程度のことで出血していては死にます。さあ、頑張ってください!」


 マフレナが意味の分からないことを言い出した。


「た、確かに!」


 アリアには意味が伝わったらしい。女同士にしか分からぬこと、というやつだろうか。


「平常心……平常心……心頭滅却すればメイド服のレイナードくんもまた涼し……よし!」


 滝のように流れていた鼻血が止まる。なんとかティーカップから溢れ出さずに済んだ。

 マフレナがアリアの鼻の周りを拭くと、すっかり元の気品ある美人に戻った。


「どうして鼻血が出るほど平常心が乱れたの……?」


「白々しい。そんな可愛い姿で誘惑しておきながら『どうして』だと!? くっ、直視したらまた頭に血が上ってきた……駄目だ、帰る……一晩イメージトレーニングしないと、メイド服レイナードくんに対抗できる気がしない……まさかあの決勝戦よりも強力な技を見せてくれるとは思わなかった。だが明日リベンジするからな! 覚えていろ!」


 そう言い残してアリアは馬車で帰っていった。


「な、なんだったんだ……?」


「うふふ。レイナード様のメイド姿は、私やアリア様のような趣味の者には、どんな刃よりも鋭く突き刺さるのです。いえ……レイナード様のメイド姿が、そういう趣味に変えてしまうと言っても過言ではありません!」


「そうなんだ……じゃあメイド服は控えるよ」


「だ、駄目です! 一度この趣味になったら、レイナード様のメイド姿は必須栄養素。できるだけ沢山見ないと心と体が弱っていくのです。そうと分かって控えるのは暴力ですよ!」


「世の中って複雑なんだな。前世は剣を振り回してばかりだったから知らなかったよ」


 こういう訳の分からない詭弁を弄して少年にメイド服を着せようとする者がいる。しかもそれは俺が最も信用する魔法師だった。

 複雑怪奇で知恵熱が出そうだよ……。


――――――――――――――

一話を少し書き換えました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る