第22話 sideアンディ 王女の前で恥をかく

「お、おお! ようやく魔物が現れましたね! アリア王女、お下がりください。あなたは勇敢な女性ですが、戦いはどうか僕にお任せください」


「いいだろう。任せるから強いところを見せてもらおうか」


 アンディたちの前に現れたのは、熊タイプの魔物だった。

 成人男性ほどの大きさ。あの鋭い爪を振り下ろされたらアンディの顔面はなくなってしまうだろう。しかし落ち着いて距離をとって戦えば安全だ。


「はっ! やっ! くそ、意外と素早いな! これでどうだっ!」


 ジグザグに近づいてくる魔物に対し、アンディはなかなか魔法を当てることができなかった。

 王女に怪我をさせたら、どんな罰が待っているか想像するだけで恐ろしい。

 その必死さが功を奏したのか、五発目でようやく火球が熊の顔面に命中。

 ひるんだところへ立て続けに撃ち込み、ようやく絶命させた。


「はぁ……はぁ……ど、どうでしたか? 十三歳で魔物を一人で倒せるのは、おそらく王都全てを探しても僕だけでしょう」


「そうかな? 私は十三のとき、もっと強かったが」


「あはは……アリア王女は冗談が上手いですね」


「質問がある。なぜ最初の四発を外したのだ? 私は魔法に疎いが、あれが魔力の無駄遣いなのは分かる。牽制のつもりか?」


「け、牽制……そうです牽制です! 最初の四発で魔物の動きをコントロールし、五発目を確実に当てる! ただ外したのではなく、高度な戦術だったのです!」


 嘘だ。ただ外したのだ。

 しかし王女にそうと知られたら、格好悪くてたまらない。

 アンディは必死に誤魔化した。


「そうか。つまり、まだ余力があるのだな。ならば安心だ。今倒した魔物の親が来るぞ。心せよ」


「え、親?」


 あんなに大きかったのに小熊だったとでも言うのか? アリア王女はなにを根拠にそう口にしているのか。

 アンディはなにか反論しようと考えを巡らせるが、それがまとまる前に、アリア王女の予言が実現した。


 まず、地響きが聞こえた。揺れと音が少しずつ近づいてくる。そして目の前の木がへし折れた。いや折れた、、、という表現だと、自然にそうなったかのようだ。実際は巨腕によってへし折られた、、、、のだ。


 先程と同じような熊である。

 ただし大きさが倍以上もあった。

 まさに大人と子供の差。


 親熊は、アンディが黒焦げにした小熊の死体を見つめた。

 表情からは、なにを考えているのかうかがえない。

 それからアンディとアリアに視線を向けてきた。途端に熊は牙を剥き出しにし雄叫びをあげた。今度は分かる。怒りと殺意だ。


「こ、殺される……!」


 アンディは恐怖で尻餅をついた。

 勝てるわけがない。だからこそ逃げなければならないのに、腰が抜けて立ち上がれないのだ。


「どうしたのだ? 魔物だぞ? 私に強いところを見せたくて、こんなところまで来たのだろう? まさか怖くて動けない、などと言わないだろうな? 王女の私がいるのに、それを守ろうともせず震えるだけなんて、貴族の子供として、あってはならぬことだぞ?」


 そんなのは分かっている。

 分かっているのに動けないのだから仕方ない。


「た、助けて……!」


「これは驚いた。ここには私と君しかいない。つまり私に助けてと言ったのか? 貴族の男子が、守るべき王女に助けを求めた? 君はある意味、面白いな。人間には意地というものがある。それを守るため、普通なら虚勢を張って吠えるところだろう? なのに地面に座り込むとは、なかなかできることではない。少なくとも私には無理だ。アンディ・ウォンバードくん。希有な意気地なしの名として覚えてやろう」


 アリア王女は淡々と語りながら、親熊へと近づいていった。

 なんのつもりか。

 一撃で潰されてしまうだろう。走って逃げれば、アンディが食われているあいだに森を抜け出せるかもしれないのに。

 あんなに近づいて。正気ではない。


 それにしても親熊はなぜ腕を振り下ろさないのか。

 考えてみると、アンディとアリア王女が長々と会話しているのを、熊が黙って聞いていたのは奇妙だ。

 まるでアンディと同じく、足がすくんで動けないでいるかのようだ。

 だとすれば、なにを恐れているのか。

 アンディでないのは確かだ。

 消去法でアリア王女を恐れていることになる。そんな馬鹿な、と言い切れない。

 なぜならアンディは、アリア王女の後ろ姿に、熊の魔物以上の恐怖を感じたからだ。


「この程度ならば素手でも余裕だ」


 アリア王女は熊の腹を殴りつけた。

 人の拳がなにかを殴りつけたときに鳴る音。怪力の持ち主が、驚くほどの轟音を響かせるのを見たことがある。

 だが、それとは次元が異なる。

 アンディの人生において、今の打撃音と比肩しうる音は、落雷しか聞いたことがなかった。

 そして威力のほうも想像を絶している。

 あの巨大な熊が、まるで馬車にひかれた猫のように千切れ、臓物を撒き散らし、地面に薄く広がったのだ。


 攻撃魔法というなら分かる。

 優れた魔法師ならばどのような破壊力を発揮しても不思議ではない。

 しかし王女は素手だ。魔力を一切感じなかった。筋力で行った破壊。信じられない。あんな細腕で。脳が認識を拒絶している。


「な、なぜそんなに強いんですか……本当に王女なのですか……?」


「本当に王女だ。しかし普通の王女とは少しばかり異なる生活をしているのは否定しない。ドレスで着飾ったり、花を愛でたりするのも嫌いではない。けれど私が一番好きなのは剣だ。剣士として強くなりたい。世界で一番強くなりたいんだ」


「剣士……ですが今は素手で……」


「うん。今は剣を持っていない。武闘大会の決勝で、君の兄に愛用の剣を折られてしまって。新しいのを探している最中だ」


「決勝……」


 一分前なら冗談だと聞き流した。

 今は違う。彼女のデタラメな強さを見てしまった。

 アンディは自分の試合が終わったあと、母親と一緒に会場から去ったので、ほかの試合を見ていない。なのに想像できてしまう。アリア王女が、屈強な大男や老獪な魔法師を次々とねじ伏せていく光景を。

 と、そこまで考えてから、恐ろしい事実に思い至った。


「兄様は……あなたに勝ったのですか!?」


「そうだ。圧勝だった。あんなに胸が高まる負け方をしたのは初めてだ」


 アリア王女は、頬を赤らめて語った。

 ――兄はインチキをして勝利しました。あなたが感動した敗北もインチキの産物で錯覚なのです。

 そういった母親の主張を代弁する勇気は、アンディにはなかった。

 そもそもインチキの勝利とはなんなのだろうか。これほどの強者に勝てるなら、どんな方法であろうと、それはもう本物なのではないのか。

 ここに母親がいたら、様々な詭弁を並べ立てて、アンディの疑問を振り払ってくれるだろうに……いや、この押し寄せる現実には、いかにカミラといえど対抗できないかもしれない。

 兄は強い。兄は無能ではない。妾の子だからといって、正妻の子より劣っているとは限らない。

 アンディは昔から抱いていた疑念を、全てを認めてしまいそうになった。


「あ……もう一匹……」


 熊は人間と同じように生殖によって子孫を増やす。ならば父と母。親が二人いるのは当然だ。

 熊の子育てはメスが行い、オスは子供に感心を持たずにどこかへ去ってしまうと聞いたことがある。

 しかし例外はあるのだろう。

 さっきのが父なのか母なのか。新たに現れたのがどっちなのかは定かではない。

 とにかく同等の体格の熊が、アンディとアリアの前に立ちはだかった。


「ふぅん。素手で殴り殺すのは面白くないので、気が進まないのだが」


 アリア王女はつまらなそうに呟く。

 その次の瞬間。

 熊の背後でなにかが動き、無数の線が交差した。

 それで終わり。音もなく熊は切り裂かれ、無数のブロック状の肉塊になって転がった。

 アリア王女が行った激しい暴力とはまた異なる、静かな殺傷だった。

 どちらがより強いかなどアンディに分かるはずがない。どちらも理解を超えている。


 バラバラになった肉塊の奥には、両手に剣を持つアンディと同年代の少年が立っていた。


「レイナードくん!」


 アリア王女は叫ぶ。会いたくて会いたくてたまらなかったという想いがこもっているようにアンディには聞こえた。


「アリア。こんなところで奇遇だね。アリアも魔物狩り? ところで……どうしてアンディも一緒に?」


「ウォンバード男爵家に行ったんだ。レイナードくんに会いたくて。しかし君が留守で、アンディくんに魔物狩りに誘われた。とても自信ありげだったくせに、いざとなると私に助けを求めてきた。心優しい私は助けてやったわけだ」


「それは……弟が大変な失礼を」


「なぁに。期待していなかったから失望もしない。結果的にレイナードくんに会えたから、全てよしとしよう。レイナードくん、君と話がしたいんだ。今から時間はあるだろうか?」


「いずれまた会えると思っていたけど、まさか実家に訪ねてくるなんて。それにしてもアリア。剣や胸当てがないと、お姫様みたいだね。剣を構えた凜々しい姿も、そっちの姿も、両方とも素敵だよ」


「そうか、君にそう言ってもらえると嬉しいな。実は私、本当にお姫様なんだ」


「あはは。アリアは冗談が上手いね」


 アリアとレイナードは楽しそうに語り合いだした。

 そのままアンディの存在を忘れたかのように二人の世界に入り込み、歩いてどこかに行ってしまう。

 アンディは生涯で最も惨めな気分になった。

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