第21話 sideアンディ 王女からの手紙
ウォンバード男爵家は屋敷中が大騒ぎになっていた。
騒ぎを扇動しているのはカミラとアンディだが、メイドたちも心中穏やかではいられない。
なにせ王女が来るらしいのだから。
ことの発端は、一通の手紙だ。
それは開封する前から、異彩を放っていた。なにせ押されている封蝋印が、ヴォルニカ王家の紋章の形をしている。
国王の顔を知らなかったカミラでも、王家の紋章はさすがに知っている。究極的にはその紋章を背負える女になりたい、と子供の頃から空想していたくらいだ。
カミラは先日の武闘大会で、国王の怒りを買った。自分の行いのどこがそんなに国王の逆鱗に触れたのか、いまだ心当たりがない。とにかく怒らせてしまったのだけはカミラも理解している。
ゆえに王家の紋章入りの手紙が届くというのは、恐怖の続きとしか思えなかった。
まさか、お家取り潰しか――。
恐る恐る中身を読んだカミラだが、読み終わる頃には、喜びで胸が張り裂けそうになっていた。
それはアリア・ヴォルニカという王女からの手紙だった。
武闘大会におけるウォンバード男爵家の長男の戦いっぷりに大変感心し、ぜひ二人で会って友好を深めたいと考えているらしい。
手紙には、アリア王女がウォンバード男爵家に直接来ると書かれており、その日時が指定されていた。
都合が悪ければ変更してもよいとも書かれていたが、王女をお迎えするのだから、こちらが都合を合わせるのは当然だ。
カミラもアンディも、アリア王女なんて知らない。なにせ王女も王子も何人もいる。
王宮に出入りする立場の人間でなければ、その名と顔を知る機会があまりないのだ。
一般的に名が知られているのは、王位継承権第一位の王太子くらいだろう。
それでも王女は王女だ。国王の娘だ。それとお近づきになれたら、権力の階段を三段飛ばしで登れる気がする。
カミラはメイドたちに家中の大掃除を命じた。
その様子を冷めた目で見ていたアンディに対し、カミラは奇妙なことを言い出す。
「あなたが長男よ」
「いえ。僕は次男ですが」
「私の子はあなただけよ。私がウォンバード男爵の唯一の妻。よってアンディ。あなたが長男なのよ」
確かに。
ブライアン・ウォンバードの長男はレイナードだが、ウォンバード男爵家の長男となれば、そういう風に主張するのも不可能ではなかろう。
「だからアリア王女が会いに来るのはあなたよ」
それはさすがに無茶な論法ではないか、とアンディは首を傾げた。
幼少期から母親の言いつけに盲目的に従ってきたが、近頃はたまに反論したくなることが増えてきた。
「あの大会で優勝したのは兄様です……アリア王女は、それを見て兄様に会いたいと思ったのでしょう。こちらがいくら『長男はレイナードではない』と主張したところで、更に王家の怒りを買うだけなのでは……」
「妾の子が実力で優勝できるはずがないわ。とんでもないインチキをしたに決まってるの! それを理解してもらえれば、アリア女王の興味はあなたに移るはずよ。だって本当の実力者はアンディだもの。妾の子がインチキしなければ、優勝していたのはアンディよ!」
こうも力強く断言されると、そんな気分になってくる。
「しかし、お母様。兄様がなにか不正をしていたとして、あの会場にいた全員がそれを見抜けなかったのです。どうやってアリア王女に知ってもらえばいいのでしょうか……?」
「簡単よ。あなたの実力を見せてやればいいの。たまに修行に使っている森があるでしょう。あそこにアリア王女を連れて行き、その目の前で魔物を倒せばいいのよ。強い男に惹かれるタイプの女なら、それで簡単に落とせるはずよ」
なるほど、とアンディは頷いた。
レイナードが優勝したといっても、しょせんはルールで守られた、リングの上でのこと。
王女はきっと王宮からろくに出してもらえない箱入り娘だろう。だからこそ自分とは真逆の強い男に惹かれるのだ。
ドレスで着飾ってばかりで、森に入った経験なんてないに決まっている。そこで魔物相手の実戦を見せてやれば、最初に見たものを親と思い込む雛鳥のごとく、アリア王女はアンディを魔物退治のスペシャリストと崇めてくれるはずだ。
「分かりました! やってみます!」
「必ず王女の心を掴むのよ! そして、あなたとアリア王女の子供を国王にするの……私を国王の祖母にしてちょうだい!」
そして予定通りの日時に、王家の紋章をつけた馬車がやってきた。
美しい人が来るに違いないとアンディは想像していた。
だが馬車から降りてきた王女は、アンディが想像していたよりも、更に美しかった。
真紅のポニーテールが揺れる様は、炎のように強烈なイメージを残す。纏ったドレスはデザインこそ質素だが、きっとよい生地を使っているのだろう。品性を感じる。
「ようこそいらっしゃいました。王女殿下が来てくださったこと、当家始まって以来の名誉です。さあ、どうぞ、こちらへ。王宮に比べればささやかな屋敷ですが、心からのおもてなしをさせていただきます」
アンディは事前に考えていた台詞を噛まずに言えたことに胸を撫で下ろした。
ところがアリア王女はなにも言わず、一歩も動かず、不思議そうな顔をするばかり。
「あの……アリア王女?」
「君は誰だ?」
アリア王女は目を細めて問うてきた。
「し、失礼しました! 僕はアンディ・ウォンバード。このウォンバード男爵家の正嫡であり、いずれは家を継ぐ者です」
「そうか。思い出した。一回戦でレイナードくんに吹き飛ばされていた奴だな。自己紹介、痛み入る。だが実のところ、君に興味がない。レイナードくんに会いたいと手紙を送ったのに、レイナードくんがいないのはどういうことなのか、という意味の問いかけだったのだが」
アンディは助けを求めて、隣に控えていた母親に視線を向けた。
「アリア王女殿下からの手紙には、長男と書かれていましたわ。アンディこそが当家の長男です」
「違うな。長男はレイナードくんのはずだ」
「あれは妾の子。勝手に生まれてきて、勝手に住み着いているネズミのようなものですわ。あんなものが長男などと、王女殿下はご冗談を」
「ネズミときたか。そういう人を人と思わぬ言動で、私の父の怒りを買ったというのに、改めるつもりはないらしいな。まあ、いい。レイナードくんが長男ではないというならば結構。レイナードくんに会わせて欲しい。どこにいる?」
「今、この屋敷にはいません。兄様はたまに勝手に抜け出して、どこかに行ってしまうのです」
嘘ではない。今朝からレイナードの姿が見当たらない。
「つまり、私の手紙の内容をレイナードくんに伝えていないのだな。では、このようなところに用はない。さらばだ」
「お、お、お待ちください! 確かにレイナードはいません。ですが今日のために準備をしてきたのです。一歩も屋敷に入らずに帰るなんて、準備してきた者たちがかわいそうではありませんか」
アンディは必死になって王女を引き留めた。
すると馬車に乗りかけていたアリア王女がくるりと向き直ってくれた。
「なるほど。そなたたちの都合など知ったことではないが、このまま帰るのは、準備してきた使用人たちに失礼な気がする」
なんとか思いとどまらせることができた。
アンディは王女をテラスに案内し、今日のために用意した最高級の紅茶と茶菓子でもてなした。
「うむ。美味いな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「君が紅茶をいれたのではないだろう。自分の功績でもないのに誇るな」
「……王女殿下は僕がお嫌いですか?」
「好きとか嫌いとか、そういう感情を抱くほど君を知らない。しかし君の母上は嫌いだ。先日の大会での振る舞い、軽蔑に値する」
この席にお母様がいなくてよかった、とアンディは心底から思った。
「紅茶をありがとう。いれてくれたメイドにも伝えてくれ。さて、私は帰る」
「お、お待ちください! これから森に行きませんか? 王女殿下は強者に興味があるご様子……僭越ながら僕は攻撃魔法が得意です。魔物を倒すところを披露したいのですが」
「ほう。自ら得意と言うか。レイナードくんに負けた君が……いや、私もレイナードくんに負けた一人だ。こういう言い方は自分に返ってくるな」
「アリア王女がレイナードに負けた……?」
どういう意味だろうか。
「ああ、そうか。君は一回戦が終わってすぐに帰ったから、そのあとの試合を見ていないのだな。知らないなら別にいい。それよりも魔物狩りだな。茶の誘いよりも心が躍るぞ。その誘いに乗ってやろう」
王女はこうと決めたら動きが速い。
自分の馬車にアンディを乗せ、あっという間に森に送ってくれた。
それにしても、もっと深窓の令嬢のような人をイメージしていたが、まるで逆だった。
ロングスカートを上手にひるがえしながら森を歩く様は、アンディよりも悪路に慣れているように見えた。
だいたい、魔物が出ると言っているのに、少しも怖がる様子がない。
いや、きっと虚勢だ。
王族として、たかが男爵家の息子の前で怖がるわけにはいかないと、平気な振りをしているのだろう。そう考えると可愛いものではないか――。
アンディは勝手に納得して、先を進むアリア王女を追いかけた。が、なかなか追いつけない。
王族には森歩きを基礎教養とする家風でもあるのだろうか。
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