第20話 sideアリア 医務室にて

 コロシアムは戦うための場所だ。

 怪我人が出ることを前提としており、ゆえに当然、医務室が完備されている。

 アリアは医務室のベッドで目を覚ました。

 反射的に首筋に触れる。

 決勝戦で、レイナードの双剣にそこを押しつけた。こうして試合が終わってから思い返すと、まるで正気とは思えない行いだった。よく命が無事だったなと、今更ながら震えてくる。

 しかし両断は免れたにしても、皮が切れ、肉に達する傷が左右にあったはず。現にドレスが血で染まっている。

 なのに傷が消えている。跡すら残っていない。


「気がついたか、アリア」


「お父様……」


 医務室にはアリアの父親もいた。

 心配そうに見下ろしてくる。親にこんな顔をさせてはいけないと分かっている。けれど、生き方を変えるつもりはない。武に生きる。剣に命を捧げる。

 それを変えるつもりはないのだが――。


「お父様。アリアは初恋をしたようです」


「見ていた。剣術にしか興味がなかった娘が異性に興味を持つ。喜ばしいことだ。しかし父の視線があるところで男に接吻をするな。血圧があがる」


「欲望を抑さえられませんでした。恥じ入っております。ですが後悔の気持ちは湧いてきません」


「少しくらいは後悔して欲しいものだ……」


「それで私の初恋の相手は? レイナードくんはどこに?」


「決勝が終わったあと、その足でお前をここに運び込み、帰ってしまったらしい」


「それは寂しい。ですがレイナードくんはウォンバード男爵家の人間なのですよね? 所在が分かっているなら、こちらから押しかけます」


「……好きにするがいい。お前は王女だが、王族として振る舞って欲しいとは思わん。家名に傷をつけるのだけは避けて欲しいが、それ以外は自由だ」


 王女、とアリアの父親は言った。

 それは比喩ではない。

 なぜなら彼は、この国の国王アルバイン・ヴォルニカである。

 アリアは国王と王妃のあいだに生まれた、真っ当な王女だ。隠し子の類いではない。

 だが、その性格ゆえ社交界には絶望的に向かず、政略結婚させようにも「くだらぬ男は斬る」と叫ぶ始末。


 親不孝な娘だという自覚はある。

 とはいえ「生きていさえすればいい」という最低限の言いつけだけは守っている。親より先に死ぬのだけはアリアといえど避けたいところだ。

 だが決勝戦で、我を忘れて首を刃に押しつける愚行をしてしまった。接吻は後悔していないが、命を粗末にしかけたのは後悔しなければ。


「……ところで決勝が終わってから、どれほどの時間が経ったのですか?」


「まだ一時間程度だ」


「なのに傷跡がない……どんなポーションを使えば、これほど治りがよくなるのですか?」


「ポーションも塗り薬も使っていない。お前は治療など受けていない。医務室に運び込まれた時点で無傷だったという」


「するとレイナードくんが治してくれたのでしょうか」


「それしか考えられない。アリアよ。お前の首から流れる血を見て、余がどれだけ動転したか分かるか? 刃が深々とめり込んでいく光景、自分では見えなかっただろう。どんな高級ポーションを使っても傷跡が残るかもしれないと思った。場所が場所だけに服で隠すのも難しい。まだ十七歳の娘に、消えない傷跡が刻まれるなど、親として耐えがたいことだ。だがレイナードという少年は、お前を無傷で帰してくれた。彼は有能なんて言葉で語れる人間ではない。半端な男とは付き合いたくないというお前の信念、今となっては正しかったように思える。彼の血を王家に加えるのは、国のためにもなるだろう」


「私が惚れた相手を認めてくださりありがとうございます。ですが彼の家は男爵。王女と結婚するには格下すぎませんか?」


「ふん。家の格など気にしていないくせに」


「これでも一応、父上の立場を考えてはいるのですよ」


「考えた上で無視するからタチが悪い。そして案ずるな。レイナードは男爵家の長男だが、あの品性に欠けるご婦人が言っていたように正嫡ではない。あの様子では近いうちに家を出るだろう。現に今日の大会も、ウォンバードの姓を名乗っていなかった。いや、もしかしたら、あのご婦人が自らレイナードを追い出すかもしれんな。家を追い出されたレイナードに新しい姓と爵位を与えても、ウォンバード男爵家から文句を言われる筋合いはない」


「なるほど。とはいえ爵位を与えるには、それなりの理由が必要でしょう?」


「どうせすぐ、それに値するなにかをしでかすだろう?」


「確かに」


 アリアは苦笑する。

 そうだ、自分が惚れた男だ。彼自身にそのつもりがなくても、ただ生きているだけで貴族になるだろう。

 ならば早く追い出されて欲しいものだ。と、アリアは不謹慎な考えを浮かべた。

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