第16話 カミラは国王に叱られる
この国は奴隷にさえ法的な人権を与えている。それぞれが内心でどう思っていようと、表向きは人命を尊重する振る舞いが美徳とされていた。
そんな道徳観の国で、殺してないから感謝しろとか、飼ってやった恩などという言動をするのは、常識のなさをアピールしているようなもの。
まして俺のような年端もいかない少年に言い放つのは、暴言以外のなにものでもない。それを国王主催の武闘大会に乱入して叫ぶなど、完全に反社会的な行動だ。
「お母様……申しわけありません……僕が油断したばかりに……」
アンディが足を引きずってカミラのところに来た。
カミラは消沈している息子の頬に平手打ちを喰らわせる。
「そうよ! あなたが負けるから私が恥をかいてるのよ! こんな下賤のメイドの血を引いた奴に……どれだけ油断したらあんなに無様に負けるのよ! あなたは貴族の子なんでしょう!? それとも私の子じゃないのかしら!?」
俺はハッキリ言ってアンディが嫌いだ。
けれど、負けて一番悔しいのはアンディ自身だというのに、母親からこんな叱責をされるなんて、さすがに同情したくなる。
「そこまでにしてもらおうか、ご婦人」
一人の男が威厳ある声でカミラをたしなめた。
大きな声だ。しかしカミラのような不快なやかましさではなく、心に染み渡るように響く大声だった。
見た目は四十歳ほどで、その声に相応しい立派な体格と顔つき。
その人がいる場所は、ほかよりも椅子の作りが豪華になっていて、一目でVIP席だと分かる作りだ。
そこに座っていることが権威の象徴とでも言いたげに、護衛の騎士は立たせたまま。
国王主催の大会で、もっとも偉そうにしている人。
正体が何者か、考えるまでもない。
「誰よ!」
……マジで?
確かにカミラは資産家の娘だが貴族の出身ではないし、領地を持たぬ貴族モドキでは、真の上流階級の社交界に呼ばれる機会もないだろう。式典などで目にしても、遠くからなので人相を覚えられなくても仕方がない。
俺だって彼を見るのは初めてだ。それでも、何者なのかはすぐに察した。
なのにカミラときたら、家でメイドを怒鳴るのと同じノリのままだ。
「余は、このヴォルニカ王国の国王、アルバインである」
今のカミラなら、相手が貴族であっても噛みついただろう。
だが相手は、この国の権力の頂点。
脳味噌が足りていないカミラでもその意味が分かったらしく、真っ赤だった顔が急激に青ざめていく。
「こ、国王陛下でいらっしゃいましたか! これはとんだご無礼を……息子が見苦しいところを見せてしまい、申しわけありません!」
カミラはアンディの頭を掴んで、強引に跪かせた。
離れたところにいる俺も、国王の御前とあっては突っ立っているわけにいかない。自ら膝をついて
「……そなたはなぜ跪かぬ?」
「え?」
「少年二人は跪いている。なぜそなたは素知らぬ顔で立っているのかと尋ねている。余は国王だ。この国そのものである。国に楯突くつもりか?」
「滅相もございません……!」
カミラは慌てて額を地面に擦りつけた。
誰かに頭を下げるという行いに、本当に慣れていないのだろう。相手が国王でも、自分がそうしなければならないと、咄嗟に理解できないのだ。
「よろしい。試合を戦った少年二人は見事であった。楽にしろ」
許しを得た俺とアンディは、ゆっくりと顔を上げた。
そしてカミラは許しを得ていないのに、真っ先に顔を上げた。
「余は少年たちに話しかけたのだ。そなたはまだ下を向いていろ」
「……っ!」
「本当に無礼なご婦人だ。息子が見苦しいと申したが、見苦しいのはそなたであろう。息子がそんなに可愛いのなら、勝った相手に詰め寄るのではなく、傷ついた息子に寄り添うべきではないのか? あまつさえ戦いの結果をなじり、恥と切り捨てる。家の恥、というなら貴族としてまだ分かるが、私の恥だと? そなたこそ恥を知るがいい」
カミラは反論せず、ジッとうつむいたままだ。
反論などすれば首が胴体から離れてしまう。そういう状況だと、ようやく分かってきたのかもしれない。
「……やれやれ、余としたことが。権力を振りかざすような言動を控えたいと思っていたのに。そなたに釣られて、つい白熱してしまった。そなたの夫、ブライアン・ウォンバードは、余の信頼できる部下の一人だ。今も遠く離れた場所で、魔物と戦っている。この国になくてはならぬ人材だ。その働きに免じて、そなたの無礼を許そう。去るがいい」
カミラは下を向いたまま肩をブルブルと震わせた。
その横顔は恐怖と、そして憎悪に染まっていた。まるで俺を見下すときに浮かべるような憎悪だった。
だが顔を上げたときにはその憎悪の色は消え去り、なにも感じさせない無表情と化していた。
黙ってコロシアムを去る母親を、アンディは慌てて追いかける。
……なにか、波乱がありそうな気がする。
カミラにはなんの力もない。ただ少しばかり父が金持ちで、少しばかり美貌に優れているだけの存在だ。
今日、この大会を壊す力などない。
しかし、将来はどうだろう?
強大な力を持つ者が、信念や大義を持ち合わせているとは限らない。
逆に言えば。
なんら信念も大義もない者のところに、強大な力が転がり込むことだってあるのだ。
俺は嫌な予感を覚えつつ、カミラとアンディの背中を見送った。
いかん、いかん。
予感などという不確かなものに心を奪われるより、今日の大会を楽しまなくては。
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