第8話 湖の魔物

 レイバール湖は評判通りの場所だった。

 周りを取り囲む木々と青空が水面に映り込み、吸い込まれそうなほど美しい。

 確かに、別荘を作りたくなる景色だ。けれど、いくつも作れては困る。静かな場所だからこそ美しいのだ。


「さて。噂の魔物はどこかな」


 俺は湖畔に立ち、挑発のため気合いを放ってみた。

 すると水面が盛り上がり、巨大な物体が姿を現わした。


 水色で半透明で丸くてプニプニした魔物。

 スライムである。

 ただし普通のスライムはどんなに大きくても人の身長を超えないが、俺の前に飛び出してきたのは直径三メートルを超える特大スライムだ。


「くくく……愚かな人間共よ。性懲りもなく、また来たのか。何度でも叩き潰してくれる……!」


 しかも喋る。

 ゆえにこいつは魔物ではなく魔族に分類すべき存在だ。


「どんな攻撃でもお前を倒せなかったらしいね。楽しみだよ。まずはこういうのはどうかな?」


 剣聖の剣を抜く。いきなり二刀流だ。

 右の刃に炎を這わし、左の刃には風を纏わせる。


「な、なんだ、その魔力は!? いくらなんでも凄すぎ……あああああっ!」


 俺は剣を振り下ろしながら魔力を解き放つ。

 すると炎の渦巻きがスライムを強襲した。

 スライムは風の圧力に押されながら、炎で焼かれていく。その体液を沸騰させ、皮膚の表面を泡立たせる。

 ほどなくしてスライムは湖に落下したが、それで炎から逃れられるかといえば違う。

 俺の炎風魔法は水を押しのけ、更に湖の一部を蒸発させ、底に落ちたスライムに熱を浴びせ続けた。


「ぎょええええっ!」


 あんなに大きかったスライムが一瞬で蒸発した。


「……まさか、もう終わりか?」


 俺は魔法を止めた。

 湖の水が戻ってくる。

 そしてスライムの声も戻ってきた。


「くははは! 今ので吾輩を倒したつもりか!? 愚かだな。我は水分さえあれば無限に復活するのだ! 吾輩を倒そうと思ったら、この湖の全てを蒸発させるだけの威力が必要なのだぁ!」


 さすがにそこまでの魔法は、今の俺には撃てない。撃てたとしても、この美しい自然を破壊したくない。

 だから別の方法を試す。


「自分の能力をベラベラ喋る系か。いるんだよな、魔族にはそういうの。強大な力を得たせいで、全能になった気分なんだろ?」


「ガキの分際で、知った風なことを言う。その生意気な顔を恐怖で歪めてやるぞ!」


 スライムは俺に突進してくる。

 また炎風魔法で迎撃しようとすると、なんとスライムは分裂して回避した。


「くはははぁっ! どうだ、どれが本体か分からんだろう! そして、無数の吾輩の攻撃を全て避けるなど不可能だ!」


「二十七個に分裂か。このくらいなら楽勝だよ」


「こ、この一瞬で数えたのか!? ええい、だからといって避けられるとは限らん!」


 小さくなったスライムは、四方八方から俺に向かってくる。更に空中で自分同士をぶつけて軌道を変えるという面白い技も披露してくれた。

 けれど、俺は全て避ける。後ろからだろうと上からだろうと関係ない。


「貴様、全身に目がついているのか!? ちっ、大昔、お前のような奴と戦った覚えがあるぞ……忌々しい記憶だ。お前が成長してあの剣聖のようになる前に、ここで確実に屠ってやる!」


「剣聖?」


 口ぶりからして、前世の俺と戦ったようだ。

 けれどスライム型の魔族と戦った覚えはないし、敵対した魔族は全て殺したはず。


「ああ、そうだ。剣聖セオドリックだ。くく……確かに奴は強かった。この吾輩が、死んだ振りをして逃げるしかなかった……しかし奴はしょせんは人間。百年もせずに寿命が来る。こうしてまだ生きている吾輩の勝ちよ!」


「へえ。ちなみに死んだ振りって?」


「吾輩の真の姿はスライムではなく、エネルギー生命体! 攻撃の際に可視化されるが、なにもしなければ透明なまま。魔法で探知すれば別だが、剣聖は魔法を使えなかった! だから死んだ振りをして逃げ、失ったエネルギーを補うために適当なスライムに乗り移ったら、なんか変に混ざって抜け出せなくなって今に至ったのだ!」


「お前、どんだけ自分語りが好きなんだ……けれど、その話で分かった。お前、ピアラジュだろ」


 俺はそう呟きながら、全てのスライムを二本の剣で切り裂いた。

 ピアラジュというのは、前世で戦った魔族の名だ。確かに実体がなく、攻撃のときだけ姿を現わす奴だった。その瞬間に魔法剣をぶつければダメージが通るので、さほど強かったイメージはない。


「あれほどの数を一瞬で……なぜ吾輩の名前を知っている……そしてその太刀筋……いや、そんなはずはない!」


 斬ったスライムの中で、一匹だけが再生して動き出した。

 握り拳サイズまで小さくなってしまったそいつは、湖に逃げ込もうと必死に跳ねていく。

 俺は追いついて掴み上げた。


「完全に倒したと思っていたけど、そうか、死んだ振りだったのか。気配の消し方だけは見習うべきものがあるな。でも、そのスライムに閉じ込められてるなら丁度いい。もう逃がさないぞ」


「やはりお前、剣聖セオドリックなのか!? くそ、なぜ生きている! だが無駄だぞ! お前がどれほど凄まじい攻撃をしようと、吾輩は小さな欠片からでも復活する! 水から遠ざけても無駄だ! 大気中の水分を使って、何年かけてでも復活してやる!」


「そりゃ凄い。でも、こうしたら水分の吸収も無理だろ」


「吾輩の体が凍っていく!? お前、剣聖のくせにどうしてこれほど多彩な魔法を使えるのだ……!」


「弟が体で教えてくれるんだよ」


 スライムからプルプルした質感が失われて、ガラスのように硬くなる。のみならず、その表皮の周りにも氷が広がっていった。いわゆる大気中の水分が凍り付いたのだ。

 氷の檻に閉じ込められたスライムは、動くことも喋ることもできない。

 しかし氷点下でなければ、氷はいつか解ける。いや、すでに表面が濡れているから、解け始めているのだ。


「回復」


 氷から湿り気がなくなる。水が氷に戻ったのだ。けれど温かい日差しのせいで、すぐ解け始める。

 回復効果を永続にしないと、日に何度も魔法をかけ直す必要がありそうだ。


「永続効果か……なんかできそうな気がする」


 目を閉じ、集中して回復魔法をかける。一時的なものではなく、継続して回復し続けるイメージを氷に送り込む。

 それからスライム氷を、しばらく日向に放置してみる。

 一時間ほど経っても、カチンコチンのままだ。


 とりあえずは成功か。でも氷に宿った俺の魔力が少し薄れたかな? 本当の意味での永続じゃなさそうだ。一週間に一回くらい魔法をかければいいだろう。

 まあ様子を見るため、スライムはしばらく鞄に入れて持ち歩こう。

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