第2話 魔法の才能
俺は自分の腕を見つめた。
シワとシミだらけだった。それがいつの間にか、愛らしい赤子のものになっている。
死んだ、と思った。
その直前に、女神を名乗る者の声を聞いた。
どうやら幻聴ではなく、本当に俺の願いを聞き届けてくれたらしい。
あるいはこの状況が、死ぬ直前に見ている夢という可能性も捨てきれないが、いつまで経っても目が覚める気配がないので、現実の可能性が高そうだ。
二度目の人生。
そんなものがあるとは思っていなかったので、喜びよりも驚きが勝っている。
それに念願だった『自由』を得たとは言いがたい。
言葉を上手く発せられない。泣き声になってしまう。起き上がるのも無理で、揺りかごの中でジタバタともがくだけだ。
そんな俺の隣に、もう一つ揺りかごがあった。
そちらにも赤子がいる。どうやら俺よりも小さいようだ。
双子の兄弟だろうかと思ったが、自分を世話するメイドたちの雑談を聞く限り、腹違いの兄弟らしい。
まず、俺の名前はレイナード。
この家の当主が若いメイドを孕ませて生まれ落ちた、いわゆる妾の子であるらしい。
隣の揺りかごにいるのはアンディという名だ。俺より一ヶ月遅く生まれた弟。アンディのほうが正妻の子だった。
俺を産んでくれたメイドは、すでに手切れ金を渡され、この屋敷を追い出されている。
メイドは俺を連れて行きたかったらしいが、その願いは叶わなかった。
俺の父親はブライアンという。このウォンバード男爵家の当主だ。
貴族にとって跡取りが絶えるというのは大変な問題で、子供が一人だけというのは避けたい状況である。
だからブライアンは、この俺レイナードを『なにかあったときの予備』として、とりあえず大切に育てることにしたのだ。
どんな理由であろうと、衣食住を保証してくれるのはありがたい話だ。
ブライアンは俺の実母に対して結構な額の手切れ金を渡したようだし、今のところ俺は父親を嫌悪せずに済んでいる。
しかしブライアンの正妻であるカミラは、できることなら関わりたくない類いの人種だった。
「ぺっ」
と、今日も俺の顔に唾を吐きかけてきた。
「妾の子に飲ませる乳はないわよ!」
カミラは憎悪にまみれた顔で叫ぶ。
赤子相手に凄むのは勝手だが、カミラは自分の子にも満足に母乳を飲ませられないでいた。
どうにも乳の出が悪いらしい。
なので俺だけでなくアンディも、メイドたちが持ってくる哺乳瓶を頼りにして成長していた。
俺が自我を得る前に去った実母は、とても母乳が豊富で、俺だけでなくアンディにも飲ませていたという。
それなのに。いや、だからこそと言うべきか。
カミラの嫉妬を買ってしまい、屋敷を追い出されてしまった。
そうでなければこの屋敷にはまだ実母がいて、ほかのメイドたちを押しのけて俺の世話をしていただろう。
実母の顔を思い出せないのは残念だ。
唾を吐いてくる義母の顔は嫌というほど見ているのに。
まあ、唾を吐かれたからといって死ぬわけじゃない。ある程度成長したら、俺はこの家を去る。それまでの我慢だ。
やがて俺とアンディは一歳になった。
大人たちがなにやら忙しなく準備している。
魔法才覚測定の儀式、というのをやるらしい。
魔法陣が描かれた布を床に敷き、俺とアンディが順にその中心に置かれた。
なにやら光が広がり、一緒に並べられた羊皮紙に光が吸い込まれていく。
羊皮紙にはうっすらと文字のようなものが浮かび上がっている。魔法の才能があるかどうか書かれているのかな、と覗き込んでみたが判読不能だった。
やがて俺とアンディは部屋から連れ出され、ベッドに寝かされた。
「アンディ。私の可愛い子。あなたは絶対に魔法の天才よ。功績を打ち立てて、この家を大きくするのよ。王様から大きな領地をもらってね。お母さんは男爵の妻に収まるつもりはないの。あなたなら戦争で活躍して、子爵や伯爵への昇爵を勝ち取ることだってできるはずよ。私を伯爵の母親にしてちょうだい」
よくもこんな欲望剥き出しの話を赤子に語れるものだと感心してしまう。
ウォンバード男爵家は多数の魔法師を出しており、特に攻撃魔法の分野では名門とされている。
男爵位を授かったのも、攻撃魔法師として戦果を上げたからだ。
武勲を立てた部下に対し、王は爵位を与えることで報いる。
実に健全な話だ。
ところがこの健全さには落とし穴があった。
爵位は何人にでもいくらでも与えられるが、土地を切り分けるには限度がある。
しかし魔物は次々と現れ、それとの戦いで活躍した者にはなにか褒美をやらねば義理が立たない。なので王は次々と爵位を配った。
かくして領地を持たぬ貴族が増え『名ばかりの貴族』とか『貴族モドキ』とか言われてしまうわけだ。
カミラの実家は資産家だが貴族ではない。カミラは父の財産と自らの美貌を使って男爵の妻になった。次は領地が欲しいのだろう。
他人が努力して得たものを自分の所有物にすることに、なんら罪悪感を覚えない性格なのだ。
「……結果が出たぞ、カミラ。これがアンディの魔法適性だ」
寝室にブライアンが入ってきた。
カミラは夫の手から羊皮紙をひったくるように受け取る。
俺はベッドの手すりを使って立ち上がり、後ろから覗き込んだ。
攻撃魔法:AA
回復魔法:C
防御魔法:A
召喚魔法:D
強化魔法:B
弱体魔法:A
さっきは読めなかった文字が、今はハッキリと浮かび上がっている。どうやら光が焼き付くまで時間がかかるようだ。
これがアンディの魔法の強さ……いや「適性」と言っていたので、今の強さではなく、伸び代を表わしているのだろう。
「まあ! なんて素晴らしいの! 確か、あなたでも攻撃魔法の適性はAだったわね。それでさえウォンバード男爵家始まって以来の天才ともてはやされたのでしょう? だったらアンディはどこまで強くなれるのかしら。ふふ、きっと私の血が混じったおかげね。下賤のメイドの子なんかとは、ものが違うのよ!」
カミラは俺に向き直って、声高らかに勝ち誇った。
それだけAを超えるのは凄いことなのだろう。
ところがブライアンは、後継者が天才だと判明したのに暗い表情をしている。
「どうしたのよ、あなた。少しは笑いなさいよ。そうだわ、妾の子の結果も見せてちょうだい。見比べたらきっと面白いわ。下賤の血であなたの才能がどこまで薄められているか、笑ってあげる」
「やめておけ。面白いものではないぞ」
「うるさいわね。私に逆らうの? ウォンバード男爵家が投資に失敗して作った借金を払ってあげたのは誰? 私の父よ! だからあなたは私に逆らってはいけないのよ」
「……忘れてはいないよ。そこまで言うなら見ればいいさ」
ブライアンはもう一枚の羊皮紙を妻に渡す。
カミラはそれを嬉々として見つめ、そして顔色を青くしていった。
攻撃魔法:AAA
回復魔法:SSS+++
防御魔法:S
召喚魔法:SS
強化魔法:S
弱体魔法:S
「な、なんなのよ、これは! どうしてアンディの攻撃魔法がAAで妾の子がAAAなのよ! 間違ってるんじゃないの!?」
「確かに……測定の儀式は確実ではない。あくまで目安だ。しかし、これを目安にして多くの魔法師が才能を伸ばし、ほとんどは成功している。アンディよりレイナードの才能が勝っているのだ。圧倒的に」
「なによ……こんなのを私に見せてなんのつもり!? 妾の子のほうが可愛いの!?」
「お前が見せろというから見せたんだ!」
ブライアンの怒りの声は正当なものに聞こえたが、カミラはそう思わなかったらしい。
「私が悪いって言いたいの!? ああ、もう! 攻撃魔法だけとはいえ、妾の子にアンディが負けてるなんて屈辱だわ……」
「攻撃魔法だけ? なにを言ってるんだ。むしろレイナードは攻撃魔法
「え……どういう意味? Sってもの凄く弱いんじゃないの……?」
カミラはポカンとした顔で呟く。
「魔法適性値の最低はFだ。Sはスペシャルの略。Aの上だ」
「そんな……嘘でしょ……」
「Aの上にSがあるのは知識として知っていたが、実際に見るのは初めてだ。ましてこれほど並ぶなど信じられん……恐るべき才能だ……ああ、魔法師として本当に恐ろしく、そして羨ましい」
「だ、だからなによ! この家の後継者はアンディでしょ! 私の子でしょ! 関係ない奴に才能があるからってなんだっていうのよ! まさか才能があるからって妾の子を後継者にするなんて言い出さないでしょうね!?」
「まさか。後継者はアンディだ。それは変わらない。しかし……レイナードの才能を埋もれさせるなど、魔法師として耐えがたい。この子にはちゃんとした教育を施したいのだが……」
「駄目よ! 絶対に駄目! そいつが私のアンディより強くなるなんて……ええ、そうだわ。育てなきゃいいのよ。才能はあくまで才能で、鍛えたり勉強したりしなきゃ伸びないんでしょ? だったら妾の子には魔法書を一冊も読ませなきゃいいのよ!」
「いや、それは……」
「私に逆らわないで! 私の言うことは絶対なのよ! 分かったら妾の子をこの寝室から連れて行って。どうして私が他人の子と同じ部屋で寝なきゃいけないのよ」
「しかし私にとっては実の子供で……」
「うるさいわね!」
カミラは俺のベッドを蹴飛ばした。
するとブライアンは慌てて俺を抱き上げ、そして屋敷の廊下をアテもなくさまよった。
情けない男だ。そして哀れな男だ。
家を守るために資産家の娘と結婚し、なに一つ逆らえないのだから。
「私を哀れむような目をしているな。いっそ、笑ってくれても構わんよ。私のこともカミラのことも。どうせお前の才能は、どれだけ押さえつけても勝手に開花するだろう。カミラとて魔法の修行をしたことがあるくせに、なにも感じぬのだろうか……レイナードよ。独り立ちできるようになったら、容赦なくこの家を捨てるがいいさ」
そうしよう。
爵位だ領地だと大層こだわる者もいるらしいが、俺にはどうでもいいものだ。
この屋敷を去るときは俺が決める。それまでは利用させてもらう。
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