第5話 野宿

 旅の初日の夜は野宿だった。

 どこまでも続く高原。大きな木が一本立っており、その下で寝ることにした。

「懐かしいなぁ。五〇年前、この木の下で休憩したんだ。この座り心地のいい岩もそのままだよ」

「すみません、ロゼット様。僕がトロいので、次の町に辿り着くことができませんでした」

「気にしないで。急ぐ旅じゃないし、そんなに荷物を担いでもらっているんだ。当然だよ」

 僕は急いで夕食の準備を始めた。せめて、美味しい食事でロゼット様に尽くしたかった。

 木の枝と枯れ葉を集め、火を点ける。いや、火を点けようと点火用具でモタモタしていると、ロゼット様が魔法で簡単に点けてくれた。

 手のひらの上に卵大の火の玉を浮かべ、それを積んだ枝と葉の中に投げ込んだのだ。それだけで炎が勢い良く燃え上がった。

 何も出来ない自分が悲しくなる。

 気を取り直して鉄鍋を火にかけ、父ちゃんが持たせてくれた食材を切って入れた。浪漫亭秘伝の調味料を加える。

 しばらくすると、いい匂いが漂ってきた。

 僕がパンと赤葡萄酒のボトルを取り出すと、ロゼット様の目が輝く。

「あっ、葡萄酒だ!」

「ばあちゃんからの餞別です。飲み過ぎないように、って」

「さすがリッツ、わかってらっしゃる」

 ロゼット様はボトルを受け取ると、歯でコルクを抜いた。そのままラッパ飲みだ。

「プハッ、美味いなぁ……こんなに美味いなら、もっと早くお酒を飲めば良かった」

「昔はどうして飲まなかったんですか?」

「お酒を飲むとね、人はバカ正直になってしまうのさ。好きな人には好き、嫌いな人には嫌いだと言ってしまう」

「何か問題でも?」

「大人になると、正直であるより重要なこともあるんだよ。見栄とか、建前とか、世間体とか」

「ああ、それ、何となくわかります」

「ボクは酔っ払って、弱い自分をさらけ出したくなかった。ほら、ハーフエルフって、身体が未成熟なまま大人になるだろ。だから、必要以上に肩肘を張って、男らしさを演出していたんだ」

「今のロゼット様からは想像できません」

「はは、君は本当に正直だね。だから、ボクの魔法が強力なのは、そんなコンプレックスの裏返しなのさ」

 鉄鍋がほどよくグツグツと煮立っていた。僕は椀にシチューを注ぐと、パンを添えてロゼット様に差し出す。

「どうぞ、ロゼット様。口に合えばいいのですが」

「絶対美味いヤツじゃん。匂いでわかるよ……うん、やっぱり美味い! 葡萄酒にも合うし、最高だ。さすが、リッツの孫」

「エヘヘ。食材はあと一食分あります。同じものになりますが、明日また作りますね」

「ありがとう。葡萄酒は?」

「それで終わりです」

「チェッ、やっぱり」

 ロゼット様があまりにも残念な顔をするので、僕は笑ってしまった。

「ハハハ……で、正直でなかったことを、今は後悔しているんですね」

「うん。死んでも死にきれないほど後悔している」

「そうですか……」

 本能がそれ以上聞くなと警告したので、僕は言葉を飲み込んだ。

 だが、ロゼット様は話し続けた。

「ゼアートにね、三度愛していると言われたんだ」

「勇者ゼアート……」

「うん、酔って身体を求められたこともある」

「……」

 僕は、どんな顔をすればいいのだろう?

「最初はムッときたよ。ようやくお互いを理解できてきた頃なのに、対等な相棒と思われていない気がしたんだ。だってアイツの元カノ、どっかの有力貴族のご令嬢だよ。絶対ノンケだし、女の代役なんかゴメンだと思ったんだ」

「ロゼット様は最初から男が?」

「それを自分で認められなくてね、だけどゼアートに惹かれていく自分をどうすることもできなかった。グリファムとヘンデルも、そんなゼアートとボクの気持ちを察して、さりげなく応援してくれたよ。二度目に告られた時、また断ってしまったけど、本当の自分の気持ちを認めざるを得なくて、もし三度目があれば必ず受け入れるつもりだったんだ」

「だけど、三度目も断ってしまった」

「うん……二人で食事して、いい雰囲気だったのに……ゼアートはお酒も入って、僕をどれほど愛しているか、切々と語ってくれた。今からオレの部屋に来ないかと言われた時、もう抱かれる覚悟はできていたから、付いて行ったんだ。だけど……」

 ロゼット様は黙り込んだ。

「ロゼット様、辛いなら無理に話さなくても……」

 だが、再び語り始めた。

「キスをして、ボクの服のボタンに手がかかった時、男のこの身体で同性のゼアートを満足させられるのか、急に不安になったんだ。不安は恐怖に変わり、部屋を飛び出してしまった」

 ロゼット様は葡萄酒を煽った。

「ごめん、ボク、子供に何てこと話してるんだろう」

「今さらですよ」

 ロゼット様の顔は真っ赤だった。お酒のせいか、羞恥のためか。恐らくどちら共だろう。

「逃げて後悔した。次こそ絶対、必ず、何が何でも、逃げずに受け入れると心に誓った。だけど、それからしばらくして、ボクらは魔王を討伐してしまうんだ。そして、ボクら四人を取り巻く環境は激変する」

「人類を救った英雄として崇められるのですね」

「うん。もう、二人でノンビリ語り合う、なんて機会は二度と無かった。特に勇者は国王の権威を示す象徴としてまつりごとの多くに同席を求められ、ゼアートはその役目を粛々とこなしたよ」

「グリファム様は貴族の称号と広い土地を与えられ、名君と呼ばれるようになり、ヘンデル様は北方の教会をまとめる責任者となって、愛と奇跡の力で多くの迷える人々を救ったと聞いています」

「フフフ、この辺はジェッツのほうがよく知ってるかもね。そしてボクは、いったんエルフの森に帰ったけど、変化を嫌うエルフの生活になじめず、再び旅に出てしまうんだ。魔法で人助けをしたり、小物の魔物を狩ったりして、日銭を稼ぎながら」

「ゼアート様に会いに行かなかったんですか?」

「行ったよ。何度も会いに行った。だけど勇気が無くて、いつも門の前で引き返した。そして、明日こそ門をくぐろう、次こそ、次こそと思いつつ、日々は過ぎてしまったんだ……そして……」

 ロゼット様の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれた。

「……次に会ったのは、ゼアートの葬儀の日だった。冷たくなったゼアートは、すっかり老人になっていた。縁談が山ほどあったのに、全て断ったとグリファムから聞いた。ヘンデルは、ボクだけを愛していたから一生独身を通したと言った。二人も、すっかりお爺さんだった」

 僕の目からも涙が流れた。

 どんなに強くても、どんなに人々に崇められても、愛する人と共に生きることのできない人生を、幸せと呼べるのだろうか?

 僕は、英雄と呼ばれながら、恋愛にはからきし不器用だった二人が不憫でならなかった。

「ボクの中の何かが壊れたのは、その時だと思う。その夜、ボクはお酒を飲み、町をさまよった。知らない男に声をかけられてついて行き、乱暴に犯された……」

「ロゼット様、もうやめましょう……」

「……ボクの体はボロボロになったけど、男は夢中で何度も何度もボクの中に射精したよ。朝、男はとても満足して帰って行った。ボクの身体でゼアートが満足できるか心配するなんて、全くの杞憂だったんだ……」

「もういいですから!」

 僕は叫んでしまった。だが、ロゼット様はやめない。

「……それからは、お酒に酔うと、夜の町をさまようようになった。終わると、何も言わないのに金を置いていく男が多いんだよ。ボクはもう英雄なんかじゃない。汚らわしい男娼さ」

 僕はロゼット様の隣に行き、強く抱き締めた。

「最愛のゼアートには唇を一度許しただけなのに、知らない男には何度中出しされたかわからない。死にたい……ゼアートと一緒に死にたかった……」

 ロゼット様はしばらく泣いていたが、やがてそのまま眠ってしまい、その夜はもう目を覚ますことはなかった。


 この旅は、ロゼット様が死に場所を見つけるための旅なのだろう。

 どんな場所を求めているのかは知らないが、きっと僕は見つかるまでお供するに違いない。

 青い月が草原を照らし、初めて見る寂しげな光景を、僕は美しいと思った。

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